未来シコウのチートデータガール 64
敵の襲来だと思う。けれども殺気の類を感じていないではない。
たとえば、動物の捕食行動のような。
人がステーキを食べる時に、殺してやると思っていないのと同じような。そんな意識のない危険が迫ってきているのを感じていた。
ハジメがはっきりと危険と感じるレベル。しかし正体不明の強烈なプレッシャー。
眉をひそめて、やや緩慢な動きで周囲の様子を確かめる。
「……変質している? お腹の中みたいだ。ここ」
「そうですね。いつの間にか食べられてしまったようですね」
確信に近い憶測をつぶやいたハジメ。比較的呑気な様子で同意する百花。
「ふーむ? ハジメさん、これは魔法ですか?」
「魔のつくものだとは思うけど……私には想像できないから、これは再現できないな」
「この規模の魔法は……そうそう見られない筈ですが、ハジメさんの感想は?」
「うん。すごい規模だと思う。どうする? 早く脱出しないとこれはさすがに危ないよ」
「どれほど命を削った事でしょうか。まったく浅はかで愚かしいですね」
そんな短い会話の間にも、見る間にホテルの壁は変質していく。壁の色して黒い斑点が混じったサーモンピンクへ。質感は粘膜に覆われたヒダのある肉の壁になっていく。
壁全体が肉と入れ替る。同時に部屋の全ての照明が光を落とした。
「あ」
「むしろ今までよくもっていましたね」
落ち着く百花の言葉に呼応するようにして、部屋の飾りに見えていた幾つかのすりガラスのオブジェが優しい光で点灯する。さすが高級ホテル、停電時の光源も確保されているようだ。
思わずおおと感嘆するハジメを尻目に百花はしげしげと壁や天井の観察を続ける。
「それにしても建物そのものを体内にかえますか……リソースを全てつぎ込むにしても思い切りましたね。評価してあげましょう。ゴミ共め」
肉食動物が食事をするとき、一番苦労するのはおそらく獲物を捕らえる事だ。暴れて、逃げ惑う獲物を何としても胃に納めたい。何とか丸呑みにしたい。その為にあらゆる努力をして獣は獲物を捕まえるのだが、この状況はその捕食行動の過程を全て省き、いきなり胃の中に納めたと言う訳だ。
気が付かなければ、いつの間にか消化されていたなんて可能性もあるし、気が付いたところで百花とハジメでなければ対処はできなかったかもしれない。
「壁の色では生物が見分けられませんね。幻龍種の内臓の雰囲気に酷似していますが、こっちの方がもう少しだけエスプリが効いてますね」
」
「つまり?」
「大したことないという事です――ああっ!」
「えっ!?」
唐突に百花は何かに気が付いたような声を上げ、真剣な目付きで変質した壁を見つめ始めた。そして驚いたハジメには見向きもせずに壁に近づき、恐る恐るといった様子で指でつついたりして質感を確かめ始めるのだ。
触れて、なぞって、深い考察をするような鋭い目つきだ。
でもそんな気軽に触れていいものなのだろうかと。内心ひやひやする。
百花が触れる寸前から周囲の湿度は高くなっていた。同時に、比例して肌がピリピリと痛みを感じるようになっていく。
霧状の酸のようなものだろうか。これを直接吸い込んでいい物か怪しいし、ましてやそれを発している謎の肉の塊は、触れていい物とは到底思えない。
しかしその程度の事に考えが及ばない百花でもあるまいと、ハジメはただただ固唾をのんで百花を見守ってしまう。
「これは……」
「百花ちゃん?」
百花が触っている間にも壁は変質していく。コンクリートを包むように腸絨毛状の肉が壁を覆い、設置されていた様々な高級家具はひき肉を塗りたくったようになっていき、表面は潰瘍のように穴が開いたり、ところどころ触手が生えてきたりしていく。
そして空気に混じる酸を感じる物質は、吸い込むとわずかに酩酊感を感じさせた。ガソリンや除光液を嗅いだ時の物に近い。
この空気の所為で百花の様子がおかしいのかもしれないと、そんな不安で声をかけてしまう。
「……百花ちゃん?」
反応が薄い百花にハジメは再度声を庵下かける。
すると百花はとんでもなくキリっとした顔でハジメに向き直って言うのだ。
「エッチな事をする魔物、知ってますか?」
「……」
酩酊感の所為だと信じたい発言が百花の口から飛び出した。
「え? あー……はい。男の子って好き、だよね?」
「はい……もしや実装の予定があるのでしょうか?」
百花はまじめな顔をして腕組みをして小さく唸る。
どうやらまだまだこの状況、余裕があるようでまぁ安心である。
そう言えば律もそれには浪漫があると謳っていた気がする。
律が好きならと詳しく聞こうとしたのだが、絶対に教えてくれなかったし、自分で調べるのも駄目だと怒られた。どうせスカートを捲る犬とか、おっぱいを触ろうとするお猿さんとか、お風呂を覗く幽霊とか、とっても破廉恥なそう言う話だろうと、結局深堀して調べはしなかったが。
……でも、なんで今その話を?
こんなイソギンチャクで出来た内臓みたいな様相は、どちらかと言えば消化器官なので捕食や、最悪拷問なのではないだろうか?
「ふむ? まぁ、それは兎も角ですね?」
首を傾げるハジメをよそに百花はそのまま話を続ける。
「ハジメさんとわたしのコンビなんて強すぎるので狙ってくるのは鬱船なる頭のおかしい人物だけかと思っていましたが、考えてみれば記念襲撃という事もありますね」
「そんな受験みたいに」
「死んでも転生できると知っていれば、むしろ死にたい位なのでしょう。首でも括っていればいいのにつくづく度し難いですね」
呆れたようにして、ふと何かを思いついたようにハジメをマジマジと見て、そして首をそっと振る。
そんなやり取りの間にも、徐々にではあるが、床は柔らかくなり、揮発性の香りは強くなっていく。
この濃度は――きっとハジメと百花でなければとっくに昏倒している事だろう。
「ちなみにハジメさん。この襲撃がどこからされているかわかりますか?」
「この上の――屋上から始まって、結構な速さでこの階まで。今も下を浸食しているね」
「その通り。ですので早期問題解決が肝要です」
即座に踵を返した百花は扉を開けようとして、一瞬だけ動きを止める。
「――誰かいますか?」
「んっ?」
ハジメに呼び掛けたのかと思って返事をしかけたが、百花はハジメの返事を待たずに次の行動に移っていた。
チン。
いつの間にか百花の握られていた禍々しい妖刀。すでにドアを縦横無尽に切り裂くという役目を終えて鞘に納められるところである。今までそんなものを持っていなかったことから想像するに、百花の呼びかけに応じて現れたという事だ。
「さ、行きましょう」
切り裂かれた扉は、黄土色の液体をまき散らしながら崩れ落ちた。やはり見立て通りに謎の生体に入れ替わっているようである。
人のそれとは違う体液をにじませる穴をくぐり、部屋の外へ出ると内視鏡で覗く臓器のような通路が広がっている。元の調度品がそのままポリープのように形を残したまま肉塊に変質し、非常灯などは薄い皮膚越しに輝きを失っていないのがシュールに不気味で、危険とは別のベクトルで忌避感を覚える。
そんな気持ちではあるが、百花の後に続いてなんでもない顔をしてハジメも走る。
蠢動する内臓の道を歩き、内心おっかなびっくり上階へ向かう。敵性の罠のようなものもあるが百花は見向きもせずに迫りくるピンク色の触手のようなものを微塵に切り裂いて歩いていく。
「触れたら全力で痛めつけてください。二度と人肌に触れるのを拒絶するように苦痛を与えてです」
つかつかと進み、階段に踏みいる百花はハジメに今更なアドバイスをする。
ハジメは頷くものの、触手が伸びてくる傍から百花がそれを微塵に切り刻む。
結局階段を上る百花の背中を追うだけでハジメの出番はなかった。
ハジメからしても、百花からしても、些細な出来事のようにして、二人は最上階――屋上への道程を終え、鉄扉だったものを細切れに割いた。
ばらばらと、少し固めの豆腐のように崩れ落ちる肉の扉。その境界線を踏み越えて二人が屋上へ出る。
高さは千を超える超高層ビルの屋上は、本来人が入れる場所ではなく、吹きっさらしの風は強く二人を出迎える。
そこでハジメはこの世の物とは思えない光景を目の当たりにした。
流れる雲、晴天の空。朝なのに、黒い人影。
太陽光にテラテラを輝くピンク色の肉の上に突き刺さったようなシルエットは整列していた。
その全てがハジメ達の到着を待っていたのかもしれない。たどり着いたその瞬間に灰燼で作った人形であったかの様に風の前に崩れ去った。
燃え尽きた灰の欠片のようなものは、ピンクの肉片に張り付き薄汚く汚すのだが、それもやがて粘膜に飲まれるようにして消えていった。
とりもなおさず、目の前で人だったものが滅びたのを目の当たりにしたのだ。
理解したハジメの呼吸は一瞬詰まったように苦しさを感じる。心臓がドクンと波打ったと理解したのは少し遅れてのことだ。
「――っ!」
「運がいい連中ですね」
絶句したハジメの隣で百花がポツリと言った。刀を鞘にしまって、突風を避ける様にして細長い紙巻きタバコに火をつける。
「私に殺されたら生まれ変わっても性癖がゆがんだままですからね」
猟奇的とすら言える色気を伴って言うと、灰燼の消える夜空に向けて流し目をした。
それを見てハジメは何とも言えない気持ちになり、沈黙を続けてしまう。
「ハジメさんは止めたでしょうが、さすがにこの状況では元を断つことを視野に入れないとですから」
そう言って紫煙をくゆらせ、百花はハジメに対して申し訳なさそうに苦笑いを向ける。
「しかし元を断ったところでこれはすでに制御から離れていますね」
苦笑いのまま百花は肉の床を踏みにじり、屋上の縁まで歩いていく。あとに続いてハジメも端まで歩いていき、百花に倣って身を乗り出す。
「ねぇ百花ちゃん……これってさ」
「ええ、手遅れです」
ここは全長一キロを超える高層ビルの屋上だ。体を浮かせそうなほどの強風に逆らい覗きこんでみる。今の視力だからこそ視認できるがスモッグに煙る空気の向こうにまで変質が届いている。実にビルの七割ほどが粘膜性の肉に置換されていた。
、強烈な太陽光や、周囲のビルのガラス反射、広告塔の映像の明かりに照らされて、腐肉のような色合いを際立たせていた。その肉はしかし生きていて、浮き出す血管は蠢動する。
この蠢動はただの生体反応ではない。ビルの周囲、せわしなく往来していた宅配ドローンに触手が伸び、絡めとっているのが目視できた。
「あれは、捕食行動でしょうか?」
「カメレオンみたいだね」
「ええ、それに他の建物にまで影響が出てますね。あの触手、隣のビルにまで伸びそうですよ」
「もしかしてほっといたら……?」
「千メートル級の大怪獣による災害が起こるでしょうね」
そんな物、かつていた世界の映画でも見た事がない。創作物であっても五、六十メートルくらいだったはずだ。それが、一気に二桁も跳ね上がるのだ。あまりに現実感がなく、反応に困ってしまう。
「大き過ぎなので、きっと自壊しますが……拙いですね」
「ジカイって、自滅かい?」
「そうです。自重に耐えられずに肉がつぶれて倒れるという事です」
「駄目なのかい?」
「倒れる。毒性のある体液が飛び散る。その上でこの生物が実は群像個体だった場合、肉片の何割かが生きていていて周囲に被害を及ぼします。苔や茸――菌糸類の胞子のようなものと想像してみてください」
「……そこから爆発的に増えるのか」
「その通り。この世界はこの程度では滅びませんが、誰も死なないで事が済むほどやさしくありません。被害想定は最悪街一つは――おっと」
百花の言う通りに、建物が自重に耐えられなくなったのか、足元が傾き、百花がハジメの胸に飛び込んだ。
受け止めつつ、この人もしかしてわざとバランスを崩したのではないだろうかと勘繰ってしまう。まだ、彼女のやる気を見ていない所為でこの状況でもわずかな遊びを感じてしまうのであった。
「役得ですね。まぁまぁそんな呆れた顔をしないでください」
言いながら、いつの間にか日本刀を手に取った百花は斜めの肉床に、その刀身を突き立て、杭にした。
「昨日よりもよほど酷い被害がでますよ。――対処手段を思いつきますか?」
ハジメから離れ、百花は根元まで刺さった刀の柄の上に立つ。百花の目はハジメならできると疑っていなかった。
ならば、その期待には応じるべきである。
思考を超加速させ、一秒に満たない間に自分が出来る事の洗い出しと、その中から今可能な最善手を考える。
「――浸食した部分全部を灰に」
「それに際して必要なアシストはありますか?」
「他に被害が出ないよう――」
「解りました。そこまではわたしが送り届けましょう」
百花は涼しい顔でそう言った。




