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五分前仮説のブランニューワールド  作者: 幾楽あくた


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未来シコウのチートデータガール 63


 時刻は一夜あけて朝八時。空は曇天。ぬるく不快な強い風が吹く。じめっとして、風をあびてもじっとり汗ばむ。

 笹月が去った後、すぐに警察官が大挙してやってきた。中にはただの警察官とは思えないような人物も混じっていたが、静夜が連行される事に違いはなかった。

 去り際静夜は笑い、言った。


「この警察ぁ信用できるぜ。心配すんなよ」

 

 そうして静夜は赤い髪の警官に頭を叩かれて、パトカーに押し込められた。本当に大丈夫なのかと不安になるが、悲壮感があまりにもないのでつい信じたくなってしまうのだった。

 その後、笹月に忠告されたからというのもあったが、百花が呼び止めるのを固辞してハジメは一度外を歩いて回った。


 落ち着きたかった。

 独りが気楽だった。

 でも、独りぼっちになりたい訳ではなかった。だから百花にも「少し歩きたいんだ」と伝えたのである。


 外の空気。温い風。浴びて歩いて氾濫する光を見つめた。

 

 考え事をするときはいつもベランダから海を眺めていた。海風が程よく体温を奪い、不安も一緒に溶かしてくれていた。

 今は、雑踏の中で不安は募っていくばかりである。


 嘆息。

 こんな気持ちになるために一人で歩いていた訳じゃない。

 いや、何やら後ろからついてくる人物が何人か、たぶん空を飛んでいる無数のドローンの内、何体か、あるいはすべてがハジメを監視しているのだから、実質一人ではないのだろうけれど。

 それが嫌だから――気配を消して、顎を上げて、看板だらけの空を見上げて、そして跳ぶ。


 高く、看板を優しく蹴ってさらに高く。カメラ付きのドローンを追い越してもっと高く。

 看板の上。三匹たちがそこで待っていて。

 追い越して更に飛ぶと、ついて来て。

 星の見えない屋上へ辿り着いて。座るハジメの隣に三匹が座る。

 一人きりの気分になって、高い高い屋上から、看板で良く見えない道路を見下ろして。

 少しだけ落ち着いて。ため息ではなくて深呼吸。


 吸って。

 吐いて。

 吸って……。

 ……――腐るな。

 自分の内心にそう語り掛ける。


 自分の理想とした結果が手に入れられなくても、そんなもの普通なんだ。理想的な結果が起きたら運がいい。悪い結果になったら運が悪い。それだけだ。

 大切なのは、普通の結果が起きた時に、そして悪い結果になった時に、どれだけ自分の納得いく軌道修正ができるかだ。


 それができたら苦労はしない。かと言ってそれができないと諦める訳にも行かない。


 今ハジメが諦めるという事は、戸籍がないまま、寝泊まりする場所もなく、生活する手段もなく、笹月が望んだ様に惨めに落ちぶれていったり、静夜が望まなかった様に他人を踏みにじって生きて行くという事だ。その後に手に入る世界は、友人もいないし、作った友人は害されて、静夜は逮捕されたままである。


 それが耐えられるか?

 まさか。

 耐えられる訳がないのだ。

 自分苦しむのは嫌だ。酷い目にあるのも嫌だ。当たり前だ。

 そして静夜が苦しむのも、たぶん許せない。

 助けてくれて、優しくしてくれて、こちらの世界での縁を全部作ってくれた人。

 最後にはハジメが選ぼうとした不本意な決断を覆すために自らを犠牲にした人。

 彼を犠牲としたまま、元の世界に帰る? 律と楽しい日常を築く? 告白をしたり、振られたり、付き合ったり、手をつないだり、喧嘩したり? 結婚して子供を産んだり? 想像できてもその時の自分の顔に、今のハジメは吐き気を覚える。どうしようもなく自分が惨めだ。


 それに……ずっと脳裏にチラつく可能性。この世界から帰れなかった場合の話。

 やれること全てをやって、最悪の手を使っても帰れなくて、その上で、この世界で助けれくれた皆を見捨てて、その上でこの世界で生き続ける? 無理だ。死ぬ勇気はないかも知れないけれど、死んでしまいたくなるほどに恐ろしい。


 そんな言い訳をさんざん考えて、結論は出た。

 即断即決できなかった数時間がハジメの弱さを表せしている気がして、情けなかった。

 結論が出るまでにどれだけ時間が掛かったのだろう? 考える事すらせずに雑踏を眺める時間はどれだけ長かったのか。


 視線の先に茜色の稜線が見えた頃、ハジメは大きく深呼吸をした。

 掌をパン。柏手の様に。気分は頬を叩いていた。

 静夜を助けたい。と、まずはこの結論を実行に移さなければである。


「――ね、どうしたらいいかな?」

「色々考えた結果はなかなかパンクな選択ですね」


 高層ビルの最上階。セキュリティも厳しく、窓ははめ殺しで開けられない。

 当然侵入は非常に難しいが、ハジメ程の魔力と身体能力を有するとそれほど難しい話ではない。屋上に上って、ドアを開けて、あとは魔力を辿って百花に会いに行く。それだけだった。破壊せずに扉を開けるのが一番大変だったが、いざとなったら壊せばいいと思うと案外うまく行くものだった。


「あの人の思い通りに行動するのは、きっと悪手なんだろうなぁって、だったら私が思いつく中で、しない方が無難な事に手を付けてみたんだ」

「関わったらペナルティという話だったのに。まったく」


 本当に嬉しそうに百花は黒くて長い髪を小指に絡めて耳の後ろへ。金色のメッシュが漆塗りの絵巻の様で、いちいち色気があって、少しドキリとするのだった。

 それも含めて少し俯きながらハジメはおずおずと聞く。


「やっぱり、迷惑だったかい?」

「やだ可愛すぎですか……」

「……ええ?」

「迷惑だったり駄目だったりしたら会ってませんよ。鬼ごっこもかくれんぼも得意ですので。まだまだハジメさんには負けません」


 百花のからかうような言動に困惑していると、彼女は微笑んでハジメの行動を許した。


「それは置いとくとして、来てくださらなかったらわたしから会いに行くところでした」

「……あの時みたいに?」

「かくれんぼ、得意ですからね」


 果たして、会いに来るつもりだったというその言葉がどこまで本気だったのか。

 会いに来た事に結構な後ろめたさを感じているハジメを気遣う言葉なのではないかと思ってしまう。


「ふむ、うじうじ悩んでわたしを避けるよりずっと好きですよ? この世界のエアプがスペックだけで暴れるなんて流石に困りますから」


 フォローを重ねる百花はそんなハジメの内心も見透かしていそうだ。


「それはそうと、あの三匹は?」

「今回は置いてきたよ。あの子達やんちゃすぎで落ち着いて話すのにはちょっと邪魔だからさ」

「連れてきても良かったんですよ? 皆さん、わたしがハジメさんと二人きりになるのは心配そうでしたし」

「え、そう?」


 むしろ懐いているように見えたけれど。

 不思議に思うが、しかし百花の視点からすると違うらしい。

 ちょっと不思議そうな顔をしてしまったハジメに百花は苦笑のようなものを浮かべる。そしてちらりと室内に視線を走らせて、浅く嘆息する。


「なんにしても、ここはあまり良くないですね。わたしに怒られたいという変態が盗み聞きをしています」

「あー……――全部入った時に壊したと思ったんだけど?」

「びりってしてましたね。あれ、電化製品まで壊れそうな気がするのでひやりとしますね。わたしのスマホ壊れたら泣いてしまいますよ? あと、それでもやっぱり残ってます。特殊能力要素の方が」

「難しいね……」


 困った顔をしつつ、ハジメはそれほど思いつめていない。百花がこんなに気楽そうなのだ。問題があるならもっと前に会話は止められているだろう。


「百花ちゃんは盗聴されてても気にしないの?」

「愛凪百花の部屋を覗きたい変態は後を絶ちませんので、慣れてしまってますね」


 本気なのか冗談なのか判断に困るのだけれど、どうやらこの部屋が監視下にある事は諦めていた様だった。


「とはいえ賽は投げられました。わたしもそろそろだと思っていた所ですのでちょうどいいですね」


 百花は煙草を咥え、火を点け、妖艶な色を帯びた瞳をハジメに向ける。

 なにか、雰囲気が変わった。


「わたしの本気、少しだけ見せてあげます」

 

 耳から脳の奥を舐めるような、蜂蜜よりも甘い声がした。

 その瞳にどう反応していいのか、反応に少し困って数舜、百花がいきなり動き出す。

 きびきびとした動きでハジメに近づき、ドキリとしたところですり抜けて、ハジメが入ってきた扉の前へ。


 かちゃりと、勢い良く開けたにも拘らず音は静かに扉が開く。

 そして、扉の前で今にも闖入しようとしていた男女二人と、百花は対峙するのだ。


「盗み聞きなんて、感心しませんね」

「あ、いえ……」

「あっ、愛凪さん、これはですね」

「言い訳は聞きたくないわ。いい子だから、全部忘れて、大人しくこのホテルから出て行きなさい?」

「あっ……ああっ」

「で、もぉ……」

「仕事とわたしのお願い、どっちが大事なの?」

「はいっ!」


 少し間があり、エレベーターの箱が利用客を出迎える音がした。

 そうして扉が閉まり、百花は何事もなかったかのように戻ってくる。

 戻ってきた百花は美味しそうに煙をたっぷり肺に含んで、細く長く吐き出した。


「盗み聞きしていた悪い子も、わたしに嫌われたくないでしょう?」


 言い終わって煙草を携帯灰皿へ。彼女が吸うそれは、どうして臭いと思わないのか解らない。

 その頃には百花の雰囲気はもう元通り。あまりにも妖艶だったから息を呑んでしまったが、それ以上の変化は何もなかった。


「と、まぁ。これでいいでしょう」

「えっと……?」

「今のがわたしのちょっとした本気でした。レベルで言ったら童貞殺し程度の物でしたが」


 意味が解らなかったが、深く追求すると火傷しそうな話なので、問いただしていい物か少し慎重になってしまう。


「もう大丈夫という事です。わたしの魅了は音だけでも効果がありますから」

「……ああ、そういう事?」


 という事は、先程直接話した二人の男女も、声を聴いたどこかの誰かも、百花の秘密も、そしてここでされているハジメとの会話も全てを聞かなかった事にしてしまうのだろうか。


「残念ながらハジメさんには効果がなさそうですが。声が届くと言うのは案外脅威な物です。シズヤさんも声だけで巻き込まれる、呪いのような切り札をいくつか所持してます。存在を知るだけでも危険な呪いや魔法もこの世界には存在するんです。たとえ、地球破壊爆弾を持っていても、使えなければ意味がない。気をつけてくださいね、殴るだけが暴力ではありません。病気や洗脳だって非常に危険です。例えば私の魅了は特別ですので、その気になれば簡単に世界から愛されます。ネット一つで世界征服ができますよ?」


 これ以上モテても面倒だから絶対にしないですけど。話のオチをつけつつ百花はハジメに注意を促す。

 きっと、この世界に来るに際してなぜか強力過ぎる力を手に入れたハジメを気遣っての実演だったのだろう。


「少々説教臭くなりましたが、安全は確保されましたし、始めましょうか」


 言いながら歩き、一点物ののキャビネットの上にあったティーセットとポットに手を伸ばし、背を向ける。


「うん。そうしよ…… って言いたい所だけどさ、さっき残念ながらって言ってたけど、もしかして私にもためしたりしたの?」

「はて……一体全体、心底なんの事でしょうか? それはどうでもいいとして。さ、そちらにおかけになってください。事はスピードを求められますが、同時に猶予はあります。お茶をしながら話を詰めましょう」


 そう言って白いソファの前のローテーブルに湯呑を置く。


「愛凪流の師範が淹れるお茶はなかなかレアですよ?」

「茶の湯の流派だったっけ?」


 微笑みながら、おそらくインスタントだろうお茶を受け取る。

 言われてみればなんだか格調高い香りがする気がするのが、なんだか負けたようで悔しい気もした。


「不思議な物で、日本古来からの流派というだけで、妙にお茶をうまく淹れられるんです。有難いですよね。この世界の仕様」

「そんな事言うから、この世界がゲームなんじゃないかって思っちゃうんだよね。って、それはお酒? 朝からかい?」

「大人になったら一緒に飲みましょうね。こんな仕様に気が付いている人間はおそらく万に届かない筈です。気付いても皆、記憶に留められないで忘れます。ゲームであるなら、この現象はおそらくホラーですよ。しかも和風の」

「……確かに怖いね」


 そうか、と思う。自分が物語の登場人物だと気が付いて、それに慄き、しかし何かをなす前に関連する記憶と証拠を抹消される。恐ろしい話なのに、非常に軽い。それがまた不気味なのだ。


「ワンダフルワールドの基準は不明ですが、きっと面白いか面白くないかが理由でしょうね。さて、この話はここまでです。シズヤさんの話をしましょうか。まず前提ですが――」


 話は始まる。落ち着いた雰囲気の中、ハジメはお茶を、百花はどうやら焼酎を飲みながら。


「前提……そう、大前提です。シズヤさんが逮捕されたのはあの人の意思ですので、そこを否定してはいけません。気に病んで結構ですが、ハジメさんが全ての責任を取ればよかったというのは筋違いです。いいですね?」

「……うん」

「顔だけは滅茶苦茶いいあの男は、ああ見えていい大人です。十七歳の女の子とは違って、自己責任の意味を知っていますよ」


 そう言われると、悔しくもあり、納得しないといけないという気持ちも浮かぶ。

 奥歯を噛みしめて、ハジメは再び小さく頷く。


「はい、いい子です。しかし責任は取りますが、シズヤさんは格好をつける為なら後先考えないタイプです。そうでなければ自分ではないと思っている節があります」

「ええ……」

「そうではなくなったシズヤさんに魅力はないでしょ?」


 百花は笑う。思わずハジメも頷く。百花は嬉しそうに目を細める。


「なので、魅力のなくなったシズヤさんはきちんと始末しないといけないんです」

「……始末? えっ、始末?」

「指切りしちゃいましたので」


 はにかみ笑いをする百花は、少し嫉妬しそうなくらいに可愛かった。

 発言を有耶無耶にしてしまう程には、効果があるのである。


「惚気てしまいましたね。こほん。と、いう訳でわたしだってシズヤさんを殺したくないので、格好をつけられないシズヤさんにはなって欲しくないと思っている訳です」

「うん。あの静夜君を知っちゃうと、すけ――他の静夜君はおよびじゃないかなぁ」

「それ、すっごく気になりますね。匂わせですか?」

「ちがうって。百花ちゃんすぐそっちの話にするのはよくないよ? 私は昨日も言ったけど、ほら、ね?」

「そうでしたね。それはそれでお熱い事で、わたしは妬けてしまいます……そういえばどんな方なんです?」

「え……えっと、普通の男の子だよ。すこしオタクっぽくて、調子にのってたまにドジして、でもちょっと生意気そうな顔をして、いざという時はきちんと頑張る。男の子って感じの、男の子かな」

「ふんふん。背はハジメさんよりも高いですか?」

「背は……たぶん、あれ、たぶん。わたしの方が高いんじゃないかな。律はそんなに高く無くて、私はちょっと高いから」

「お家はお金持ちですかね? もしかして高校生なのに一人暮らしだったりしませんか?」

「あれ、良く解ったね。そうなんだよ、一般的な家庭の筈なんだけど、ご両親が海外に転勤になったって話でね」

「なるほどなるほど。恋をしてますねぇ。こんなにかわいいハジメさんの心をつかんだ彼の魅力は、よければ教えてもらえませんか?」

「魅力……。意外と優しいところかな」


 そう答え、ハジメは思い出に浸って微笑む。だからだろうか、百花の表情が全く笑みを浮かべていない事に気が付かない。


「ふぅむ? 意外と優しい……それがきっかけですか? どんなきっかけで恋に?」

「え? ……いやグイグイくるね。話しはここまでだよ。それより、静夜君の話をしようよ」

「おっと、失礼しました。どうも人の恋路は気になる質でして。たしかに、そんな事(・・・・)よりも今はあの格好つけのシズヤさんでしたね」


 百花は煙草を咥える。


「シズヤさんがあの時とった手段はおそらく、笹月の思い通りにはならない為の手段です。捕まるなら、笹月ではなくてもっときちんとした相手がいい。と、そういう事ですので、おそらくマシな捕まり方をしたのでしょう。あのメスはどうやらシズヤさんと懇意みたいでしたし? 笹月の一派の権力が多少強くてもしばらくは抑えが効くと考えています」


 だから百花は今焦っていないのか。と思う。あと、メスってたぶん静夜の頭を小突いてパトカーに押し込んだ赤髪の女性の事だろうか。腐れ縁の様な雰囲気はあったが、百花の目にはそう映ったらしい。


「まともな所に抑えれたという事で、法律面ではファン家のドラ息子が何とかしてくれるでしょう。なのでわたしもハジメさんもその方面からはアプローチをしても意味を成しません」

「というか、法律面で何とかなりそうなら、そんなに心配しなくても大丈夫って事?」

「まさか。一時しのぎは出来ましたが。勾留中に所有物を没収できるような人物が面会した場合はかなりまずいです。傍目からは危害は加えていませんから、だれも止めないでしょう」

「ああ、そっか……」

「本当はあの場で連れ去りたい所だったんですが、笹月はなかなかの曲者です」

「……そうかい?」

「わたしの見立てでは……そもそもの実力が高い。ハジメさん。貴女といい勝負か、あるいは……」

「……え?」


 思わず声を上げて驚いてしまう。

 笹月はさすがにそこまで強いようには見えなかった。百花の冗談と思いたいところだがその表情は真面目なままだ。


「シズヤさんは笑ってましたけれど、あの時、世界が少し滅びかける召喚術が成り立ちましたよね?」

「うん。びっくりしたね」


 ハジメが絶句する程の、破滅の気配が一瞬で一堂に会した。

 あれはこの世界に来て感じた初めての危険であった。


「あれがなければあの空間を破るのは至難の業だったでしょう。少なくとも、あの場に連れてこられた警官たちを守りながらでは成立しない」

「……そっか、確かにあの空間は馬鹿にできないものだった。……じゃああの場は静夜君のお陰で丸く収まったって事なんだね」

「そう思ってください」

「でも、じゃあ、あの人がそんなに強かったとしたらさ?」

「ええ。あの場で引いたのはおかしいですよね。その気になれば、本当にあの場で色々出来たんです。なのにしませんでしたね」


 百花は面白くなさそうに、焼酎のグラスを傾ける。呷る。


「暴力には頼りたくなかった? 違います。勝てないと思った? 違いますね。あの手合いは、勝てなくても必ずやります」

「そういう物なの?」

「わたしとは違いますからね。心さえ折れなけば殺されても負けではないと思うタイプですよ。あの男は」

「……そうは、見えなかったな」

「そう見せないような事はしてましたね。とりあえず、わたしの読みが正しい物として、続けますよ?」

「うん」


 百花は信用している。同時に実力だってわかった気になっている。洞察能力はきっと高いのだろう。釈然としていないハジメを諭すように、百花は仮定だと言った。


「つまり、あの男はあの場で満足したんです。何かに満足した。納得した。一定の成果を得たと判断したんです」

「……満足したから、引き下がったって言いたいんだね?」

「そういう事にしないと行動がおかしいと、そういう事です」


 そして、大きくグラスを傾けて、残っていた相当な量のアルコールは、全く素面の百花の体内に流されていく。


「そっか、うん。行動の不自然さは確かにあったから、そこは確かにね」

「あの男が来て起きた現象を、あの男の実力を考慮に入れて精査すると、結論は結局、全てが想定通りに動いたとなります」

「……偉そうに言うけど、私でもびっくりするようなお化けの集まりが起きた事まで含めて想定通りってこと?」

「その通りです。笹月は、それを含めて満足して帰って行ったんです。あの男の思う通りに事は進んでいる事でしょう。事実、誰が逮捕したかは関係なくシズヤさんは拘束されているんです。それさえなしてしまえば十分だったと考えれば、目的は果たされています」


 百花の指摘の通り、それはそうなのである。

 ハジメ自身が体験したように、鬱船程の人物が敵対した場合、おそらくどこにいても命は狙われるだろうし、警察に逮捕されてることが保護として成立しないのだ。

 むしろ行動が制限される分だけ危険が増す。その上でハジメや百花、その他、おそらくいるだろう静夜の味方とのつながりも途絶させる事に成功した。

 そしてハジメのメンタルには大きな負荷をかけているのだから、静夜が逮捕拘束されたことはハジメにもダメージを与えていた。

 ハジメと静夜がターゲットだとしたら、今の状況は十分な成果をなしていると言えるだろう。


「普通に考えれば、静夜さんになんの心配はありません。殺しても死にませんし、呪われても勝手に解呪されますから」

「……そう、だよね」

「ただし、普通の目的ではないのなら話は違ってきます。静夜さんを転生させる事、静夜さんの転生先を選別することが目的ならば、今の状況は良くないですね」


 安心しかけたハジメの顔はすぐさま曇る。


「うん。話しに来たのはそうだったものね」

「ピアスや指輪が没収されたら殆どノーガードになります。拘束されているという事は奪い返すことも出来ないという事ですからね。あのメスは話が分かる筈ですが、言う事を訊かない公僕の首は挿げ替えられるのが世の常です。そう長くは持たないでしょうね」

「急がなきゃだ」

「その通り、急がなければ色々いけません」


 メスが調子に乗るのも楽しくないですし。と言ったのはこの際聞かなかったことにしておこう。

 たぶん、そんなハジメの態度で気付いている百花は少し目を細め、思い出したように言葉を続ける。

 

「ああ、そうそう。拘束されていて喫緊の問題としては、コーヒーが飲めないのが良くないです」

「……え?」

「ハジメさんは虫は大丈夫ですか?」

「まぁ、別にどうって事はないけど……?」


 教室に入ってきた虫をチリトリで外に追い出してクラスメイトからは『流石』と言われたこともある位だが、騒ぐほどの存在ではないと思っている。


「なら良かった。わたしも無理ではないですが……可愛いとも思ってはいないんで」

「え、っと、ちょっと何言っているか解らないな?」

「ハジメさん、憶えておいてください。あの男と仲良くしたいと思ったらコーヒータイムは邪魔してはいけません」

「……うん憶えておく」


 あの人いったいどれだけ自分の体に無茶をさせているのだろう。

 内心で呆れて、そのあとすぐに、締め付けられるように切なくなった。

 そこまでして、自分を保ちたいのだ。どこかの誰かになる事を恐れているのだ。死ぬ寸前の、否死んだ後の、語られる人生すら、一片たりとも他人に渡したくない。他人になる恐怖を知ったからこそ、痛ましいまでに自分に固執している。

 そうと思えば、静夜は異世界人や、転生者を憎んでいてもおかしくないくらいの境遇に身を置かれているのだとよく解る。


 その上で、いきなりやってきた得体の知れない異世界人に親身に優しくしてしまうのだ。

 百花の言う通り、格好をつけられる静夜が好きだなと、素直に思うハジメだった。


「必要なのは、コーヒーの差し入れって事?」

「それも必要ですが……もっと可及的速やかにやる必要がある事があります」

「速やかに?」


 首を傾げてオウム返し。


「題して、弓代静夜奪還計画。法律なんてぶっ飛ばせー。です」


 抑揚なく、あまり感情を見せないで、何なら手酌でグラスに焼酎を注ぎながらの発案である。


「えっ、法律なんてっていうと、脱獄させるつもりなのかい?」

「……? ええ、そうですよ?」


 くぴくぴ。ふー。

 焼酎。煙草。それでも多分素面。

 素面で刺激な事を言い、指摘されても訳が分からないふりをする。


「シズヤさんは敵も味方も静夜さんが転生してしまうのを求める人が多いですからね。正攻法でアプローチしても邪魔されてしまう可能性があります。手続きしている間にシズヤさんに魔の手が迫ったら目も当てれません」

「静夜君が別人になる前に何とかしないとだもんね」

「それもありますが、追い詰められるとシズヤさんは結構暴れますよ。ただでは死なないタイプなので、暴れ方次第でこの国に大損害が起きるやもしれません」

「あ、そっちなんだ」


 百花は散々静夜を弱っちぃと評しているので、一方的に静夜に危険が迫っているのかと思っていた。


「ええ、本当に一か八かの人ですから。何もできないまま他人にされるか、大災害を起こして一人生き残るかになります。見立てでは五分五分なのですが……」

「絶対にただじゃ終わらない方を選びそうだよね」

「そういう事です。シズヤさんの暴走を食い止めるためにも、力を合わせてシズヤさんを奪還しましょう!」


 力強く拳を握り、力説する百花の顔は結構無表情だ。

 この人どこまで本気かな?


「ほらほら、ぼぉっとしていてはいけません。考えられる今から起こるこれからの最悪を食い止めるためには、作戦名弓代シズヤ奪還計画。法律なんてぶっ飛ばせー。を実行しなくてはいけません。具体的には、留置所を襲撃、襲い来る看守たちをなぎ倒し、抵抗するシズヤさんをぼっこぼこに殴って半殺し、昏倒させて連れ去ります」

「……え?」

「シズヤさんはある程度以上の傷を負うと自動的に回復してしまいますからね、なかなか加減が難しいですよ」

「助けるんだよねっ!?」

「何かを成すには痛みを伴うのは仕方がない事です」


 思わず叫ぶように聞いてしまうハジメに百花は非常に冷静だ。あるいは非情に冷静だ。当たり前の事を言うように。


「シズヤさんは頑固者です。自力で何とかしようと我儘を言います。しかし、説得するのは正直面倒臭いですのでまずは拉致してから説得するんです」


 くるくるくる。冷たそうな細い指をハジメの目の前でくるくると。洗脳するようにくるくると。


「ええ……」


 この二日間ほど、ずっと『ええ……』って言っている気がする。百花いるとどうもペースを乱される。

 ただ、落ち込みそうになった時。心がくじけそうになった時。そんなタイミングで、心の機微を読んだ様に悪ふざけを挟むのだ。自然と意識が上向くように。

 その優しい演技は当然ハジメにとって好ましいもので、彼女の偽悪的なセリフ回しに少し笑ってしまいそうである。


「ちなみに全部本気ですので、話はそのまま続けます」


 心の前言撤回をしたい気持ちになりつつ、表情だけ変な顔をして、話には耳を傾ける。


「といっても、小細工も何もなしに正面から乗り込んで権力と暴力で――」


 気軽に物騒な事を言いかけた百花の言葉がぴたりと止まり、ほとんど同時にハジメも周囲に意識を向けた。

 ドアの外。廊下。隣の部屋。階段。階下。上階。再び廊下――すなわちホテルの全体。

 すると気が付く、屋上に数人、最低でも五人以上、いる。百花が貸し切りにして、誰もいないはずのホテルに気配があった。それは今にも死にそうな、あるいはすでに死んでいるものが動いているかのような気配である。

 いぶかりつつ、それが異常事態であることは理解できた。

 百花に目配せをすると。


「――ハジメさん」

「うん。なにか、変だ――ねっ!?」


 屋上の気配が一瞬以上に膨れ上がり直後には消失。直後、ホテルが揺れ始めた。 



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