未来シコウのチートデータガール 80
透明度が低いガラスの箱のようなものが浮いている。
小さいものは一辺十センチほど、大きいものは五十センチほど。ふわふわと浮いて自転する立方体は、笹月の周りから離れない。
これを引き連れて笹月が現れた。
心臓を失った男の血を踏みつけ、笹月が近づいてくる。
一歩。ぴちゃり。二歩。ぴちゃり。
いまだ舞っている蝶の群れを一顧だにしない。肩で風を切ってやってきた笹月は静夜との距離を開けて立ち止まった。
「……なんでお前さんが巻き込まれてんだよ?」
「んっふふ。気になりますかぁ? そうですねぇ、笹月もなんで巻き込まれたかなんて――」
「いや、いやいい。違ったな。お前さんがここにいるってこたァ、紫鏡の呪いの言葉を聞いていたんだろ? 殺し屋共と一緒になぁ?」
笹月は少しだけ意表を突かれたような顔をした後、糸目を少し開いた。
「んっふ。隠しても意味がありませんからねぇ。迂遠にしても馬鹿馬鹿しいですしぃ、認めてしまいましょうかぁ」
「……こんな風に閉じ込めておいてすっ呆ける馬鹿じゃねぇだろ」
静夜を囲う、一辺二メートル程の立方体。融かした飴のような表面のこれは、考えてみるまでもなく笹月と結びつく。
笹月の周りを飛ぶ箱が大きなものになればこれになるのだから。
「ついでに言いますとねぇ、こんな有象無象を使ってどうにか弓代さんを倒そうという雑魚でもありませんねぇ。笹月、この第三世界においては圧倒的に強いと自負しておりましてね。こんな回りくどい事、したくないんですよねぇ。だってほらぁ、あの雑魚どもみたいな事、笹月は息をするように出来るんですよぉ?」
笹月が細い目の奥で静夜を馬鹿にする。目付き一つで静夜は殺され様な錯覚をした。
いや、実際に呼吸が出来なくなっていて、苦しさのあまり喉に手を触れれば、そこには温くてぬるりとする液体が溢れていた。
「……がぁっ!?」
「こんな感じですねぇ。もっとも、それは単なる傷ですのでぇ、簡単に治りますよねぇ?」
それは鬱船を殺したのと同じ魔法だったのだと、膝をつきながら気が付く。
何も視認出来ないまま、今静夜は一度殺されたのだ。
「生き返ってしまうのが難点ですがぁ? そもそも弓代さんを無力化するだけなら簡単です。その箱から、弓代さんは出られないですよねぇ。そして笹月がその気になれば千年くらいその箱を保てます。閉じ込めるだけだったら、世界の修復力はどこまで誤魔化せますかねぇ。笹月は結構自信があるんですが、難しいですかねぇ」
試したくてうずうずしていそうな、好奇心だけで猫を殺しそうな笹月は、友人との会話のように静夜に投げかける。
「奴等が直接干渉してきたら流石に駄目ですがねぇ……。でもぉ、自ら敷いたルールも守れなかったのならば、その時点で笹月は満足してしまうかもしれませんがねぇ」
そう言ってから、肩にとまった蝶を三匹、手の甲で叩いて落とす。
蝶は光の粒にもならず、ただゴミの様に床に落ちる。
蝶はただの蝶の様に、惨めに翅を開いたり閉じたりしながら、その速度の低下の様子と同速で息絶えていく。
笹月が言うように静夜の傷は急速に塞がり、箱の中にいるまま、万全の体調へとなる。
体調こそかつてないほどに健康であるが、体に残るアクセサリーはもう残り僅かであるし、かなり強力な切り札であった紫鏡はどこかで解除されている。閉じ込められた静夜には、笹月を攻撃する手段がない。
「なにはともあれですよぉ、そんな笹月がですよ? わざわざ手順を踏んでいたのはなんでだと思いますかぁ? 意味がないとお思いですかぁ? ありますともぉ、意味がねぇ」
「甚振るのが趣味なだけじゃねぇのかい?」
「お口をチャックにしてしまいましょうかぁ?」
笹月は言う。
しかし甚振るのが趣味である事への否定はない。会話をする気がないだけかもしれないし、実際趣味なのかもしれない。
「何でもかんでもできてしまう笹月が、ぜぇんぶ独りでやってしまうとですねぇ、どうやら具合がよくないと。失敗する未来が待っていると。それを避ける為にはまずゴミ共を使って、弓代静夜を追い詰め、甘咲ハジメの心に孤独を植え付けろ、そういう指示だったんですよ。グッバイワールドからのねぇ」
「……なんだと?」
今、笹月は聞き捨てならない事を言った。
「んふっ。そうなんですよ。弓代さんを殺せとか。封印しろとか、そんな難題は指示されていないのですよぉ」
そんな事は訊いていない。心底どうでも良い。それを解った上で笹月ははぐらかす。
苛立つ静夜が目の前の透明な壁に折れた妖刀を叩きつける。
貫通。
コンクリートが砕けるような穴の開き方。
握りしめ過ぎた指が千切れかけて――しかしそこまでだった。
血が壁に飛散してから滴り垂れて、静夜は向こうに行けないまま、笹月はにこやかだ。
「いい武器ですねぇ。貫通しますかぁ……生半可な銃火器では傷一つ付かないんですけどねぇ」
一切動じていない笹月は、飛び出した刃に向けて人差し指を突き付け、これを押し返す。静夜が押す力をものともせずに、箱の中へと無理矢理押し戻してしまう。
「……甘咲がなんだって?」
「んふ、気になりますぅ? それを答えるのは笹月の義務みたいなものですからお答えしますよぉ? あの生物をですね。絶望させる事。これがこの度の計画の全てです。それを、これから語ってあげますよぉ。優しい笹月は、これを語る為に出てきたと言っても過言ではありません」
笹月は気分が良さそうに、刃を押し返した人差し指を眺める。
指先ではくるくると、小さなキューブがくるくると回り、そして粉々になった。
「立ち話もなんですし、そもそも何もできないですよねぇ。どうぞ座ってください……座ってください?」
「……ちっ」
笹月の言葉は実質命令である。それも、強烈な強制力がある。
静夜はここから出られず、そして笹月は先ほどのように静夜を一方的に嬲る事が出来るのだ。
やけくそになった静夜は胡坐をかくようにして、どかりと床に座り込んだ。
笹月は見届け満足げに頷く。
「まず、共通認識ですがぁ……この世界に甘咲ハジメを生み出したのはグッバイワールドであることは、知っていますね?」
「……知らねぇ――」
「そういう意味のない嘘はどうでもいいですね。知っている事ぐらい想像がつきます。奴らと気軽に話せるんですからねぇ、弓代さんは」
笹月は静夜が意味もなく否定しようとした事まで把握して強い言葉で遮る。
「甘咲ハジメのカタログスペック、想像がつきますかぁ?」
笹月は静夜の驚きを一方的に遮ると、独特な言い回しをして、語りは始まった。
「甘咲ハジメ、あれには世界を滅ぼすだけの力が眠っています」
口調こそ楽しそうなのだが、顔はちっとも笑っていない。細い瞳こそ笑みの形に見えるが、それが常態だと言えば単なる真顔である。
「……この世界にゃ何人か滅ぼせるのがいるだろ。別に特別じゃねぇな」
「ええ、何人かいますねぇ。ですが、それは街を滅ぼし、地方を滅ぼし、国を亡ぼす。そんな地道な滅ぼし方です。取りこぼしが沢山あり、人類は細々と生き残るでしょう。甘咲ハジメに期待できる世界の滅亡は、そんな中途半端な話ではないんですねぇ。アレは、圧倒的に世界を滅ぼせます。あらゆる反抗勢力も許さずにです。この意味わかりますぅ? 面白みもなく、極めて作業的に文明も人類もなくなるんです。それこそ、奴等がこの世界を見捨てる程でしょうねぇ」
奴等とは間違いなくワンダフルワールドの事を指す筈だ。世界を見捨てて、それがさも問題がある事のように語られるのはワンダフルワールドを置いて他にいない。
それに、静夜は気軽にワンダフルワールドの名を呼ぶが、一部の超越者や超常団体はワンダフルワールドの名を呼ぶ事を避ける傾向がある。『奴等』や『あの方々』、『創造主』などなどと。
「奴等が見捨てた世界の結末は一言で言うならば不気味ですよぉ。管理者を失った歪な世界は整合性が取れなくなり、魔法が失われて、強い力も弱い力もなくなります。エネルギーのエントロピーは回復せず、時間の概念が曖昧になる。夜が明ける様に世界が閉じていく。んっふ。思い出しただけでも身震いします」
聞いた事がない、真の意味の世界の終わりの話だ。
想像もできないそれを想像しようとして、それを置き去りに笹月は話を戻す。
「笹月が見たあの終わり。この世界の終わりの遠因になるのが、甘咲ハジメなのです」
「……甘咲がどれだけ強くたって、あいつらがこの世界を見捨てたりしねぇかもしれねぇだろ?」
「んっふ。いいですねぇ。そう反論してもらうのを待っていました。そしてその反論の答えはこうですよぉ。見捨てます。絶対に見捨てます。見捨てる未来以外、笹月が認めません。見捨てる未来を知っています」
それは、その口ぶりは、まるで。
「ええ、未来を知っていますよぉ。笹月たちが関与しないで起こる絶対的な未来を、笹月も雇った人殺し共も見ました」
「未来を見てきた……」
「見てきました。簡単に言ってしまえば未来を体験してからここにきています」
「つったって、未来なんて変わるだろ。俺ァ天邪鬼だからなおさらだぜ」
「ええ。変わります。この話をする事でもまた変わります。ただ知識を持つだけでも変わります。話す事で変わった未来もまた、笹月だけは見ていますがね」
「……ワンダフルワールドの――」
「『ホームページみてねぇのかい? 未来予知対策はされているんだぜ?』ですかぁ? 確かにちょっと雨が降るだけでも大局的に見れば未来は様変わりしますねぇ。それこそ人の生き死に関わるほどに。ですが、だからと言って人が何かをしようと思った意志をそう簡単に変えられる訳がないでしょお? 奴等は人の心が解っていない」
遮られなければ間違いなく言っていたであろう言葉を言い当てられ、静夜は言葉を呑み、笹月の言葉を聞いてしまう。
「んっふ。ちなみにさっきのは笹月が適当に先読みしただけですよぉ? だって、弓代さんの台詞を覚えているほど弓代さんに夢中じゃないですからねぇ。まぁ、何はともあれですよぉ、多少の変化はあれどですよぉ? 甘咲ハジメが世界を滅ぼすようになるための行動を笹月がする限り、きっと甘咲ハジメは世界を滅ぼしますよぉ」
「……甘咲が世界を滅ぼすってのが全く分からねぇよ。あいつが、世界を滅ぼす? それこそ人の心が解かってねぇんじゃねぇの?」
もしかしたら負け惜しみに聞こえているかもしれない。
「本当に聞いて欲しい事を聞いてくれる、良い生徒ですねぇ。もちろんこれもつまびらかにお話しましょう」
静夜が聞くから答える様に言われて、少し勢いが削がれる。
語るのが仕事と言うからには、静夜からの反応がどのような物であっても笹月は勝手に話すのに決まっているのに。
「ケイオス・ウィッチ。という怪物が存在します。正確には甘咲ハジメの世界の、創作物の中に存在しました。このケイオス・ウィッチとは隠しボスです。クリアさせるための最終ボスキャラクターとは異なり、エンドコンテンツ――挑戦する事に意味があるような存在です」
笹月が語るのは、ハジメがこの世界にやってくる直前までやっていたというゲームの話だ。
そしてゲームデータの戦闘能力を引き継いでこの世界にやってきたという、にわかに信じがたい現象の核になる物である。
笹月がそのゲームの事を語りだしたからには、今出てきたケイオス・ウィッチという単語は不穏であった。
「ケイオス・ウィッチは強力無比です。子供の思い付きの様な、僕の考えた最強無敵の王様を、大人がブラッシュアップしたものですからねぇ。話しを聞く限り、その怪物が実在したら誰一人これに勝てないでしょう。ゲームだからこそ許される存在、ゲームだからこそ戦闘した場合に勝ち目があるような存在です」
ゲームなのだから設定次第では宇宙の覇者にだってなれるだろう。それが、いったいハジメの何に関係するというのかは知らないが。
「わかりませんかぁ? 甘咲ハジメはこの怪物が存在するゲームをやっていて、そのゲームのキャラクターそのままの能力を引き継ぎ、この世界に産み落とされたんです。アレが選ばれた理由は実に簡単です。ケイオス・ウィッチを倒し、ケイオス・ウィッチになる権利を得た存在だからです」
「……意味が解んねぇな」
「んっふ。笹月にもいまいち解らないんですがねぇ。初代を倒した物こそ二代目になれる。そういった非効率な継承制度が文化的にあるようでしてねぇ。グッバイワールドが認めるからには笹月は納得するしかないです。お陰でこの世界にケイオス・ウィッチを召喚する事が出来そうです。勿論、甘咲ハジメを触媒としてですねぇ」
笹月がさらりと言って、話が繋がってしまった。
こうして明確に、笹月の言っているハジメが世界を滅ぼす存在だと言っている理由を静夜は把握した。
ハジメは、何らかの条件を満たした時、『ケイオス・ウィッチ』なる存在に生まれ変わる。
だとすると、おそらくハジメがプレイしていたと言う『マホレコ』は、グッバイワールドが作った魔術的要素を含んだものだ。ゲームクリアする事が召喚触媒としての儀式だと考えるのは、慣れた思考の道筋だった。
「ケイオス・ウィッチは、強力な魔法使いがヒトの死を経験し、人生に絶望した存在です。さらに言えば、ゲーム上でケイオス・ウィッチを倒した人物です」
「……ゲームだろ? だったら甘咲だけが倒したわけじゃねぇだろうに」
否定要素を探したくて言ってしまったと、静夜は自覚していた。
ハジメは言っていた。ハジメが生きた世界に魔法はなかったと。
つまり、この世界に呼び出されるにあたって、強力な魔法使いという特典が付与されたのだ。呼び出された事により魔法使いになるのなら、それはハジメでなくともよかった筈なのだが……。
「んっふ」
やはり笹月は笑う。




