未来シコウのチートデータガール 78
鏡の向こうに世界があるという前提で、そういう心つもりで目を凝らしてみればまだ割れていないガラスに亀裂が入っているのがうっすらと見えた。
いつものハジメならちょっと驚いてまじまじと観察を開始する所だが、今はそんな余裕も暇もない。
あの蝶はこの亀裂をくぐってやってきた事は間違いない。
ならば、この亀裂を広げれば――この鏡を割る事が出来れば、理屈は知らないがここではないどこかの、鬱船がいるだろう其処につながるだろう。
だったらと、ハジメは指の先端一点に、魔力を集める。
イメージしたのはガラスを割る石の様なもの。重さと破壊力を意識して、それなりの速度も必要だと助走距離もかねて二メートル後方から一条の流星のような魔法が鏡へと突き刺さろうとした。
だがしかしこれは失敗に終わる。
発射から鏡までの三メートルの距離に魔法は耐えられなかった。鏡面届く前に溶けるようにして魔法は霧散してしまった。ほうき星のように光の尾が生まれて、それがすべてキューブ状の結晶になって宙に漂う。
「……」
むっとしたハジメは同様の魔法を一気に数十展開する。激しい連続射出の結果、マズルフラッシュのような現象も起きてハジメの顔に濃い陰影がうまれる。一瞬しか現れていない魔法陣がはっきりと見て取れる。そして一筋たりとも鏡に届かなかった。
あたりに浮かぶ箱は、もはやスローモーションの雨粒のようだ。
距離を縮めてみればと、試してみたら今度は速度が足りない。
魔法の弾丸は鏡に傷一つつけられずにはじかれた。はじかれて四散した弾丸も結局は置換されて、宙に浮く立方体の仲間入りであった。
鏡に見えてただの鏡ではない。おそらくかなりの強度を持った、本来破壊不可物品なのだろう。
「んっとにクソ」
親指で鏡の表面を触れてみるが、ざらつきはしても剥がれるような状態ではない。
少し意地になって強く触れても、逆にハジメの親指の薄皮に傷がつく。
「だったらっ!」
拳を振り下ろす。
かつての自分なら絶対にこんな事できなかったが、今ならば……。
ズガンっ。
ガラスを叩きつけたとは思えないような凄まじい轟音が鳴り響き、空気の振動で空中の箱は軒並み震える。しかしてその結果はハジメの拳の中指の付け根が破けて出血するだけだった。鏡の亀裂は広がらず、亀裂の向こうで蝶が舞っている。赤から青になった蝶は、ハジメを挑発する様にそこにいた。
「ちっ……」
肉体で触れても破壊できない。これは純粋に魔法でなければ壊せないものだと確信する。しかしだ、魔法はハジメの体から少し離れたら無力化している状態だ。果たして霧散しきる前に鏡の表面を割る事が出来るだろうか。
青色の濃い蝶が、ひらりとハジメの瞳に映る。
――瞬間。それは走馬灯の亜種のように、ハジメの脳内を蹂躙した記憶と発想。
『クソオブクソのクソクソクソイベントだ!』
『ほら、女の子がクソを連呼しない』
『男女差別反対だ』
『……えー。女性車両肯定派のサキがすごい事言ってる』
『変態が私のスカートを覗きたがるんだからしかたないだろ』
記憶にある会話。電話越しの夜。
ハジメはヘッドセットを外してベッドを背凭れにしている。
相手の律はきっと勉強机にでも向かっているのだろう。律は、ハジメと遊ぶ時以外、たぶんずっと、勉強しかしていないような男の子だった。
『私はずっと魔法ビルドでやってきたんだ。ここにきて体力が最強有利のイベントとか、実質魔法職のナーフだよ。これは駄目だろ』
『シーフにはあまり関係なかったんだなぁ。と言いたい所だけど、これ本当にサキが強すぎて運営がバランス調整いれた可能性は否めないね』
『だよねっ!?』
非常に憤慨して、同意に似た同情をしてくれて、ハジメはストレスの五十パーセントを軽減されつつ、それでも収まらない憤りを抱えていた。だからこその強い言葉だった。
『運営に個人攻撃されるのって本当に異常なんだけどね……』
『チート使ってないトップランナーに何てことしてくれるんだって感じさ。もうお金落としてあげないぞ』
『まぁまぁ』
電話の向こうで律は苦笑い。
『サキだけを狙ったかもしれないけど、でもこれってサキにも楽しんでもらおうって感じなんだと思うよ』
『……どういう意味さ?』
電話越しにもハジメは目を細める。
『魔法の威力が十分の一になるステージって事じゃん? なら――』
『なら十倍の威力で撃てばいいって事だ。確かに、一つの魔法の威力を十倍にする。基礎にして奥義。格好いいな』
『え?』
『ん?』
『いや、何でもない』
『なんだよもー』
……その後の話。
『たぶんだけどさ、魔法職にも物理を攻撃ができるんだっていうのを教えるためのイベントだったんじゃないかなって? 例えば攻撃バフにその魔力を割くとかさ』
『えっ、だったらそう教えなよ』
『いや、そこを究極の脳筋で真正面からねじ伏せちゃうのはサキっぽいかなって』
『……君の中の私ってどうなっているのさ?』
『わはは』
『笑ってごまかさないでくれないかい?』
唇を尖らせた、そんな思い出。
テスト期間の息抜きと称した楽しいひと時だった
この会話が基となり、この後ハジメは魔力を肉体強化へと変換するという発想にたどり着いたのだ。
「……ふふっ。酷いよなぁ。まったく。これでも乙女だぞ?」
ぼやいた時にはもう行動を起こしている。
ハジメの後方二メートルに集められた魔法の力は先ほどの十倍では効かない密度だ。
分解されるのはこれを消費するのが遅いからだ。
そして分解されて存在が保てないのは密度が低いからだ。
そうと信じて決め込んで、ハジメは今使える魔法を改良した。
溶け切らないように高密度に。
何が邪魔しても減速しないように質量を。
作成から射出までの速度を迅速に。
射出から到達までの時間を刹那へと。
そして溶ける魔法を風よけにするように、その道筋をたどるような直線の本流へ。
「――こういう事だね」
あの日々の、ちょっとした遠回りでたどり着いた魔法が鏡を撃ちぬく。
あっけなくバラバラになって、崩れ落ちる鏡。
砂の上に破片が落ちて、そして何も起きない。
あたかもそれは無意味な努力だったかのように。
「今更だよ」
ハジメは冷たい目で割れた鏡の木枠を見据えて、言い放つ。
鏡面のガラスは落ちたが、木枠はそのままだ。外見としては、巨大な木製のトレー。
ハジメの魔法を受けて、貫通した筈なのに木枠の外見は何も変わっていない。この木枠の無傷は擬態だ。
「……往生際が、悪いぞ?」
そう言ってハジメはかつてガラスがあった部分に手を触れる。するとそこには確かに溝があり、触れた箇所からほろほろと崩れていく。三秒後には木枠自体が崩れてなくなり、代わりにそこに大きな亀裂が宙に浮かんでいた。
亀裂に差し込んだ右手に痛みはない。ただ、少しずつその亀裂を閉じようと左右から狭まっていくのは感じる。それはとりもなおさず、亀裂に触れることができるという事をハジメに伝えているのだ。
躊躇せずに左手も空間にねじ込んで、浅い出血を伴いながら空間にある亀裂を広げるように力を込める。
「……うん」
いける。
確信を持ったら一気に攻める。
筋力を魔法で向上させて、この亀裂を強引に広げていく。
肉の裂け目に指を入れてそこから傷を広げて引き裂くように、閉まろうとする力を物ともせず、過剰強化された膂力によって空間の裂け目を抉じ開けていった。
やがてハジメの両手は左右全開に広げられる。薄暗い世界が破れて、寒々しい空気と色が満ちる世界がはっきりと見えた。それは間違いなくハジメを閉じ込めているところは別の世界であった。
廊下の様な空間。
青と黒の蝶がひらひら飛んでいるのを目にして、ハジメは目を細めるのだった。




