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五分前仮説のブランニューワールド  作者: 幾楽あくた


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未来シコウのチートデータガール 77

 見せつけられる箱の向こうの映像。

 歴史の授業で学んだ空爆後の焼け野原の様な光景の中。

 百花は舞うように躱し続ける。

 不可視で不気味な力が百花を捩じ切ろうとしても、不思議な一瞬の隙を見つけてはひらりと躱す。

 切り裂く力も、溶かす力も、潰しも、貫きも、存在を失わせる魔法も、何もかも。等しく百花に一歩届かない。


 三匹は百花を攻撃する事に迷いがあるかのようで、インパクトの僅かな手前で躊躇いを覚えたかのような挙動が目立つ。

 その躊躇が百花を活かして、全てを完璧に躱す。

 百花程の並外れた実力であるならば、三匹が起こす僅かな迷いが、命を繋ぐのに十分な隙になっているのだった。


 何百という応酬が数分の間に起きている。


 百花の振るう刃物は三匹にとって小さな威嚇にしかならないが、それでも百花が無傷に対して三匹の体は掠り傷だらけであった。


 ハジメの居た世界ではあらゆる現代兵器を投入しても傷つける事が出来ないだろう怪物を相手に、百花は小さな傷を負わせ続けている。

 この時点で、すでにハジメが想像した悲惨な未来とは全く異なった状況にある。

 開始数秒で百花は死んでしまうものだとハジメは決めつけていた。

 それが既にこれだけの時間である。

 目が離せない位にギリギリの防戦ではあるが、百花は生きている。

  

「凄い……」


 百花の速度では三匹に対処しきれない筈。

 百花の攻撃では殆どダメージを与えられない筈。

 百花はとっくに死んでいる筈。


 なのに百花は技能でその差を補い、三匹と渡り合っている。

 その様子は、希望を抱くのに十分な力を示していた。

 彼女の自己申告は決して過剰ではなく、過不足なく正しい物だったのだと今なら解かる。


 故に思ってしまうのだ。若しかしたら、百花は死なずに済むかもしれないなどと。

 大丈夫、あの三匹はハジメの造りだした人工生命だから、百花が勝っていい。斃してしまっても、実質被害はないのだ。

 百花が負ければ取り返しがつかないが、三匹にはコンテニューがある。

 百花を殺してしまえばあの三匹に復活の余地などないし、そもそもハジメは自分自身が許せなくなってしまうだろう。が、逆に百花が三匹を斃せるならハジメの中ではまだ取り返しがつく。


 いや、取り返しがつかなくともいい。たとえ三匹を生き返らせる事が出来なくとも、絶対百花には勝って欲しかった。


 お願いだから、あの三匹を殺して、生き残って欲しいと願っている。そう願わずにはいられないほど、百花と三匹の戦闘能力はかけ離れているのに、その絶望的観測を裏切り続けるのが今の百花だ。期待をしたくなってしまう。

 

「まだ、間に合うかも」


 思わず口から洩らしてしまった言葉は、そう言った感情の詰め合わせだった。躱し続ける百花だが、それでも百花が三匹に勝つことは難しいだろう。だがしかし百花が力尽きてしまうその前に、ハジメがここから脱出する事が間に合うという可能性を見出すほどには、百花はすさまじく強かった。


 がむしゃらに暴れるしか選べなかった思考に余裕ができるだけの時間を百花は作ってくれた。若しかしたら、ハジメが無駄な足掻きなどしなくても生き残ってしまうのではないかなどと、淡い期待すら――その時、白猫のヘルが放った不可視の裁断が百花に躱されて、瓦礫が跳ねて、百花の額に傷をつけた。


 見た目は派手に出血して、少し濡れた前髪を小指で払う百花。


 表情を変えないで流血する百花を見て、ハジメの心臓が痛い位に鼓動した。


「……すこしギアを上げるとしましょうか」


 あまり動揺を見せた様子もなく、百花が呟く。ただ、本当に動揺してないのならその意思表示すら無言なのではないかと、一瞬でも思ってしまえば、ハジメの心は千々に乱れる。

 勝手に動揺する。


 それは上手に息ができなくなるほどの心の乱れと眩暈。前後不覚になりそうな恐怖だった。

 心がくじけて座り込んでしまいそうだった。しかしハジメは必死に心を奮い立たせる。

 甘い考えや、絶望の考えに立ち止まっていたら、百花が死ぬのだ。その事を再認識してハジメは断腸の思いでその光景に背を向ける。


 ここで何をしても役立たずなら、百花の命は百花の行動にゆだねるしかない。

 百花の言葉を信じなければならない。若しかしたら、ハジメが聴いている可能性すら考慮に入れて呟いたのかもしれないのだ。まだまだ、本気の実力はこんなものではないと。少しだけ本気になれば余裕ですらあるのだと。


 信じるしかない。そして信じたからにはここにいる意味はない。ここで出来る事は、思いつく限り全てした後である。

 だから、ここにいても何もできないのなら、ここではない場所で何かをしなければならない。

 ここではない場所とはどこか、ハジメはそのどこかに関して迷っていない。

 この空間の全てを把握するために魔力を広げた時、見つけていた怪しい淀み。悍ましくて、不気味。できれば近寄るべきではないと思った場所がある。

 一見すればこの空間は何もなくて薄暗いだけの虚無のような場所だ。広くて、何もない。九龍大迷宮の最下層のあの広場よりもずっと何もない所に思える。


 だが、視点を変えれば見えてくるものは変わる。


 今もハジメが向かっている不気味な空気の淀みがあったり、妙に魔力濃度が高い所があったり、罠の様に薄い所があったり。

 それを踏まえて、ハジメをこの状況に追い込んだのは笹月だ。

 あの嫌悪感の権化のような男の考えを想像するなら、本来なら絶対に向かいたくないと思わせてくる場所にこそ活路があると信じてハジメは走った。


 どこまで走っても箱だらけの世界。鏡面状の箱がハジメの姿を映し出し、どこまで行っても、どの箱を見ても、その箱はハジメを映す。

 うんざりとして極力意識しない様にと向かう先だけに集中しようとすれば、狙ったかのように映像が切り替わる。


 見せつけられるのは当然、どうしても気になってしまう百花と三匹の戦闘。

 様々な距離と確度で百花の様子を見せつけられて、奥歯を強く噛みしめてしまう。

 走っても走っても、どこもかしこも箱がある。

 いつだって、絶対に、隣りに、背後に、目の前に、その光景は広がっていて、今も手を伸ばせば届きそうだった。これを壊せば、百花が救えればいいのに……。

 そんな思考をした傍から、百花の体には新た小さな掠り傷が。


「――ほんっとにクソゲーっ!」


 思わず口汚く嘆き声を上げる。届きそうなものが希望ではなく絶望なのが、本当にハジメを追い詰めたいだけの嫌がらせなのだとつくづく理解させられる。


 再び走り出す。


 この空間は確かに容易な脱出は出来ないだろう。けれど完璧に閉じられた空間であるなら魔力の濃淡がある事はおかしい。わざわざ笹月がハジメの邪魔をしに来たのだって、素直な視点で考えるならハジメが脱出できる可能性があったからこそだ。瑕疵(かし)がある空間だからこそ、色々な虚実を織り交ぜてハジメを邪魔しているのだ。まだ希望はある筈だ。それを捨てずにハジメは手繰り寄せる為に走る。


 息を弾ませ、少しでも立ち止まれば二度と歩けないと思う程の全速力。最初に目星をつけた場所が違えば、次を探し、それも駄目ならまた次を求めなければならない。そうと考えれば片時も立ち止まる訳にはいかなかった。


 食いしばっていた口が開き、息がもう整わない。汗を掻きすぎて皮膚の表面は酷く冷たくなった。鏡の向こうでは百花がまた少し傷ついた。綺麗な頬に赤い筋。髪がハラハラと。

 振り切れない箱に追い立てられるように辿り着いたその場所で、ハジメは驚きに目を見開いた。


 そこにあるのも鏡面だった。ただ、今までとは異なり、それは大きな姿見――箱ではない本物の鏡であった。


 デザインはシンプルな四角い縁取りの長方形の鏡だ。ただし、ただの鏡ではない。魔法などに類する何かで造られた呪いの塊のような鏡である。


 呪術の関係か、もとは木の縁である筈なのに、その縁は虹色に色を反射し、不気味に緑と紫を際立たせて色付いていた。

 さらに言えば、この鏡はハジメの周りを蠅のようにたかる箱とは違い、百花の現状を映すことなくハジメの姿を映し続けていた。


「……なんだい、これ?」


 鏡という以前に呪物なのだが……呪物が鏡の形状をしているという事にどのような意味があるのか。魔法は使えるが、マジックアイテムや呪物には詳しくないが、マホレコの世界観で考えてしまえば、これは特別な存在であると考えるべきだろう。それっぽいものは本当に意味があり、怪しい物はシンプルに怪しいのがあのゲームだ。


  様々な違和感がこの鏡にはあった。他とは違う鏡である点も、他とは違った魔力を帯びている点も、呪われているという点も。何もかも違和感であった。

 そして当然連想して思い浮かべる。

 

 呪いと言えば――。

 この独特な、少し忘れられなくなるような揮発性薬品の様な呪いの香りと言えば。


「……静夜君?」


 わかる。鏡は呪われてる。

 この呪いは、静夜の所有するマジックアイテムの腐敗臭に似ている。

 静夜のが保管するマジックアイテムは、呪われている物が多い。特に持ち歩いているアイテムは、精神体という怪しげな物と呪いが混じり合って、得も言われぬ悍ましさを放っている。

 一週間のアルバイトでいくつか呪われた物品を見てきたが、静夜の呪いは他の呪いと似ていて異なる物だ。

 他の呪物はその力の強弱に関係なく露骨に毒々しく、触れてほしくないというオーラが全開である。

 対して静夜の所有する呪物は違う。押し並べて強力という点はもちろんの事、一番の特徴は酷く魅力的な美しさを持っているという点に尽きる。光り輝く恋心のように、自分とは無関係と解っていても触れてみたくなる怪しさ。

 つまり、呪ってほしかったら手に取ってみろと、誘惑してくるのだ。

 そして目の前の鏡は、他の呪物とは一線を画す雰囲気を漂わせていた。


 ハジメは比較対象となる呪いを知っていた。

 少なくとも誘蛾灯の様な呪いを知っていた。

 近寄りがたい悍ましさを感じながらも、なるほど、道理でこちらに行くべきだと思う訳だと納得する。


 こんな苦痛と孤独を覚える状況で、頼れる知り合いの気配を感じたなら、無意識についつい気持ちはそちらを追うものだ。

 しかしこれは呪いであって静夜ではない。静夜は呪いみたいなものだが、それは置いておいて、これは呪いの鏡だ。 

 果たして安易に触れていい物だろうか? 腰を曲げて鏡面に指先が触れようとする直前になると不安が過る。


 見るからに厄のあるアイテムが触れる事を拒むように殺意をバラまいているのだ。鏡の様なアイテムならば、本来なら覗き込む事すら危険だが。だが自分が信じる自分の実力からしたら、それは毬栗(いがぐり)を持ち上げる程度の不安で良い筈だ。そもそも、不安は過ってもこの鏡に触れないという選択肢はない。


 この世界から脱出の手がかりとしては充分である。

 間違えであっても、それを確認しない事には次に進めない。


 今もハジメの背後には、百花がハジメの眷属に殺されかけている映像が流れているのだろう。追いかけでも立ち入っても触れない蜃気楼の様なものの向こうで。

 自分のやれることはもう決めたのだ。振り返っている暇はない。


 パキィンっと。刃が折れる音。


 見計らったかのように聞こえてきたのは、もしかしたら絶望の音なのかもしれない。


「っ、ちょっと痛かったですよ……? いけない子達ですね。少し、大人しくなさい」


 百花の思わず漏らした声が聞こえて、上手に息が出来なくなりそうになる。

 しかも、余裕を装う百花の声には少し苦痛の色が混じっていた。


 振り返れば百花の死闘が再び見えるのだろうと思うと、振り返って再び安否を確認したくなる。若しかしたら、死にかけている事すらあり得る。百花が言っていた生き残る事に掛けては自信があるの言葉を信じると決めていなかったら、振り返ってただ見守るだけの、後悔が残る時間を過ごす事になったかもしれない。


 振り切る様に砂に突き刺さった長方形の鏡の面に触れる。


 何をしたらいいかなんてわからないけれど、触れて何も起きなければ、魔力を注ぎ込んだり、力を込めてみたり、或いはもう破壊しても良いだろう。思いついて、出来る事は全部してみればいい。

 辛い気持ちを抑え込んだハジメは鏡の周りをうろうろ歩き回って、角度を変えつつ眺める。

 あんなに不吉だったというのに、触れた指は爛れず、腐らず、肌が削げることも、臓器が機能不全を起こす事もない。

 まずは一つ目の重要確認が済んだが……。

 その間にも世界の時間は進んでいるのだ。


「……つっ」

 

 徐々に百花が傷付くの頻度が増えていっても、それが目に入ってしまっても、今の自分には何もできはしないと言い聞かせる。


 その言い聞かせをしている自分に気が付いて、深呼吸を一つする。

 自分は今、間違いなく焦っている。

 この鏡は魔力を吸う。過剰に摂取された魔力で不全を起こす様な変化は起こしていない。だったら、力を増す可能性がある。それが良いか悪いかは、解らないが考えなしに魔力を注ぐのは違う。

 変化を見逃さない様に観察しなければどんな結果にしたって見逃してしまう。


 この内省ができた時、ハジメはご都合主義の様に変化を発見した。


 赤と黒の蝶を鏡の中に幻視した。

 その黒い不幸の蝶に、ハジメは心臓を絞られたような恐怖を覚え、息を呑む。

 この蝶の所為でこんな事になっていると、心に刻まれていた。


 しかも、ハジメは笹月の実力を見誤り、この有様に陥っている。あの蝶の事を解っていないハジメは畳みかける様にまた煮え湯を飲まされるかもしれない。


 とっさにそんな恐怖が体を強張らせた。

 強張ってしまった体に苛立つ。

 歯ぎしりをする。

 唇の一部が噛み切れた。


 ナーォ。


 どこかで、猫が鳴いた気がした。このタイミングで、ハジメを苦しめている心労の一端が――そんな事を思ってしまうけれど、それをきっかけにハジメの心が変わる。

 血が滲んで、恐怖心がぷつんと振り切れて、心が急激に凪いだ。

 代わりに静かに新たな感情が芽生え、湧き上がる。

 殺気にすら似た反抗心が、一瞬で滾ってくる。

 

「……そう」


 この状況に陥れられたのは笹月が上手だったから。だけど、百花に三匹が襲い掛かっている理由は、この蝶が関わったからだろう。

 そうじゃないとは、言わせないし認めない。

 制御できない未熟さを受け入れるとしても、しかし全てを自分の責任と言えるほど自虐的になるつもりはない。


 あの蝶に関わった所為で歯車が狂った事だけは、絶対の事実である。


「――そっちにいるんだ?」


 自分でもこんな声が出るのかと驚くほどの冷たい声がでた。

 蝶はハジメが睨んだから、灰燼になって消えていく。

 自然と、怒りを帯びた攻撃的な魔力は鏡に注ぎ込まれ続けて、明らかに過剰なまでに供給され、枯れ木が朽ちる様にその枠にひびが入っていく。


「出て来い……いや、いいや。私がそっちに行くから、逃げるんじゃないぞ?」


 恐怖や不安すらも怒りにくべて、ハジメはここにはいない鬱船に強く言う。

 木枠はカサカサに萎んで、鏡の端には小さなクラックが入っていく。


 この鏡がどこか別の場所とつながっていたのは、もう解っている。空間に対して、鏡はあまりにも異質であった。

 こちらにいない蝶が、その中にいて、そこから出てきた事で決定だ。


 異質な鏡の向こうには何かがある。


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