タイトル未定
第十七章 骨が軋む
腕に黒い鱗が増え、背中を内側から何かが突く。
ノクスと同じ翼が生まれようとしている。
「レイを離しなさい!」
セレナの銀剣が、ノクスの胸へ光を放った。
月冠が彼女の頭上に現れる。
黒い月の光を押し返す。
レイを引く力が弱まった。
ノクスの指がセレナへ向く。
――月器。お前も古い檻へ戻れ。
空間が歪んだ。
銀泉がセレナの足元に現れる。
水の中から母の腕が伸び、彼女を引きずり込む。
レイは夜凪を骨から抜いた。
ノクスへ逆らえば、自分の身体が壊れる。
構わなかった。
セレナの腕を掴む。
銀泉へ一緒に落ちた。
水の底には、数百人の女が眠っていた。
歴代の月器。
全員、ハイエルフ王家の女だった。
命を封印へ捧げ、不死となり、やがて自分を失った者たち。
セレナの母もいた。
目を閉じたまま、銀の鎖に繋がれている。
――お前も眠れ。
女たちの声が重なる。
銀の鎖がセレナへ巻きつく。
不死の力が引き抜かれていく。
レイは鎖を斬った。
一本切るたび、眠る女が灰になる。
セレナが夜凪を押さえた。
「待ってください」
「このままでは、お前が消える」
「わかっています」
彼女は母の前へ泳いだ。
頬へ触れる。
母の瞳が開いた。
銀ではなく、セレナと同じ緑だった。
「ごめんなさい」
声は水の中でも聞こえた。
「あなたに、残してしまった」
「お母様が選んだのですか」
「最初は」
母は鎖を見た。
「永遠は、選び続けられない者を囚える」
セレナは母の手を握った。
「私は選びます」
「いつまで」
「明日も。明後日も。選べなくなる日まで」
「そのあと、一人になっても?」
セレナはレイを見た。
「一人にはなりません」
その言葉に、レイの胸が痛んだ。
不死ではない自分は、いつか彼女を残す。
ノクスの力で進化すれば、同じ時を生きられる。
腹の声が囁いた。
――喰らえ。
レイは夜凪を自分の胸へ向けた。
「何をするのです」
「腹の中の奴を斬る」
切っ先を突き刺した。
血は出なかった。
意識だけが、身体の内側へ落ちていく。
暗闇に、もう一人のレイがいた。
角も刀もない。
雨の中で死んだ零の姿だった。
その腹に、黒い口が開いている。
――私はお前だ。
「半分だけだ」
――私を斬れば、技能も消える。
「構わない」
――強くなれない。
「刀がある」
――女を残して死ぬ。
レイの手が止まった。
黒い口が笑う。
――それが、お前の空腹だ。
違うとは言えなかった。
セレナと同じ時を生きたい。
その願いは本物だった。
「レイ」
遠くから声がした。
銀泉で、セレナが名を呼んでいる。
レイは黒い口へ夜凪を向けた。
「空腹は俺のものだ」
一歩進む。
「お前に決めさせない」
黒い口が閉じる。
零の姿が崩れ、巨大な顎になる。
レイを丸ごと呑もうとする。
夜凪を横に構えた。
食われる直前、刃を振った。
黒い顎が裂ける。
同時に、《万象喰らい》の文字も砕けた。
――固有技能《万象喰らい》を喪失しました。
――蓄積進化点を解放します。
【進化点:0】
集めた力が光になった。
これまで食った魔物の声が聞こえる。
牙熊。
黒蝕蟲。
灰峰の獣。
ノクスに作られたものだけではない。
森で生きるために倒した命もあった。
光はレイの中へ戻らず、銀泉へ溶けた。
眠っていた女たちの鎖が外れる。
一人ずつ目を開け、穏やかに消えていった。
セレナの母も光になった。
最後に娘の髪へ触れる。
「生きなさい」
母の声が消えた。
銀泉が崩れる。
二人は黒い海の上へ戻った。
ノクスが見下ろしている。
――半身が消えた。
その声に、初めて怒りがあった。
レイの身体から翼と鱗が消えている。
進化点もない。
残ったのは、鍛えた身体と一本の刀だけだった。
セレナが隣に立つ。
月冠は消えていた。
だが、傷は塞がっている。
不死の力は残っていた。
誰かに繋がれた呪いではなく、彼女自身の命になっていた。
「勝てますか」
「斬ってみる」
「それでこそ、あなたです」
二人は黒蝕王を見上げた。
空の黒い月が、完全な円になろうとしていた。
第十八章 鬼神
黒蝕王が腕を振り下ろした。
レイとセレナは左右へ跳んだ。
島の骨が砕け、海へ沈む。
セレナの風が足場を作る。
レイは空中を走った。
ノクスの膝へ夜凪を振る。
浅い傷がついた。
初めて、刃が届いた。
《万象喰らい》が消えたことで、ノクスとの繋がりも切れている。
だが、足りない。
傷は黒い光ですぐ塞がった。
ノクスの六枚の翼が開く。
羽の一本一本が剣になり、空を埋めた。
セレナが風の壁を張る。
銀の剣が雨を弾く。
壁に亀裂が走った。
レイは前へ出た。
夜凪を振り続ける。
一本。
十本。
百本。
肩を貫かれた。
脇腹を裂かれた。
治癒は追いつかない。
それでも、背後へ一本も通さなかった。
「死なないでください」
セレナの声がした。
「命令か」
「お願いです」
「なら、聞く」
最後の羽を斬った。
膝をつく。
ノクスが目の前に降りた。
巨体が人ほどの大きさへ縮む。
レイと同じ顔だった。
――力を捨てて、何を守れる。
黒い刃がレイの胸を貫いた。
夜凪が手から落ちる。
心臓が止まった。
音が遠ざかる。
森の寒さを思い出した。
最初の空腹。
赤い目。
石を握った手。
名を選んだ夜。
ガルドの背中。
学院の中庭で、自分へ剣を向けた金色の少女。
床で眠った寮。
白塔の月。
冷たい手。
父を失っても立っていた横顔。
灰峰の雪。
十五年の雨。
全部が、自分のものだった。
――進化条件を確認。
あの声がした。
《万象喰らい》の声ではない。
もっと古い。
夜凪を拾ったときに聞いた声。
――種族条件を達成。
――技量条件を達成。
――魂格条件を達成。
視界に文字が浮かぶ。
【進化可能】
【鬼神】
【必要進化点:0】
レイは笑った。
進化とは、食って得るものだと思っていた。
違った。
生きたすべてが、すでに身体へ刻まれていた。
選ぶ。
胸を貫く黒い刃が砕けた。
止まった心臓が、一度だけ鳴った。
その音で海が揺れた。
傷が塞がる。
折れた骨が戻る。
二本の角が白く染まり、先端だけが黒く残った。
灰色の肌に、細い銀の紋が走る。
翼はない。
巨体にもならない。
ただ、立っただけだった。
それでもノクスが一歩退いた。
――何になった。
「レイだ」
夜凪が飛んでくる。
柄を掴んだ。
欠けた月の鍔から、黒い線が消えている。
刃の白い筋が、静かな月光を放った。
――最終進化《鬼神》を確認。
――生命位階を更新。
――老化停止。
――魂魄固定。
レイは文字を見た。
もう一度、心臓が鳴った。




