タイトル未定
第十三章 鏡海
森へ戻ったレイ。
灰峰で死んだガルド。
学院へ残った二人。
どの未来にも、黒い月があった。
「走れ!」
ミラの声で、音が戻った。
四人は塔の中へ入った。
扉が閉じる直前、銀の女が笑った。
その笑い声は、レイが生まれた夜に森で聞いたものと同じだった。
第十四章 十五年の雨
鏡塔には、階段がなかった。
扉が並んでいた。
開くたび、誰かの過去へ繋がっている。
最初の扉では、幼いロウが檻にいた。
人間の商人が、獣人の子供に値札をつけている。
ロウは扉を閉めた。
何も言わなかった。
二つ目の扉では、ミラの左腕がまだあった。
若い彼女が、竜から仲間を庇っている。
炎が腕を焼く直前、ミラが扉を蹴り閉めた。
「昔話は嫌いでね」
三つ目は、王城の庭だった。
セレナが立ち止まる。
父王が背を向けている。
扉の中の幼いセレナが、何度も呼んでいた。
父は振り返らない。
その日、母が死んだのだという。
銀泉の封印を継いだ代償だった。
「行きましょう」
セレナは自分で扉を閉めた。
四つ目の扉の向こうで、雨が降っていた。
石ではない道。
光る箱が走っている。
レイの胸が痛んだ。
「俺のだ」
扉へ入る。
雨は冷たかった。
夜凪が腰から消えている。
角もない。
手は細く、肌は灰色ではなかった。
道路の向こうに、一人の子供が立っている。
赤い光を無視して、白い車が走ってきた。
身体が勝手に動いた。
子供を突き飛ばす。
白い光。
鈍い音。
地面に倒れた自分を、上から見ていた。
誰かが「零」と呼んでいる。
血が雨に流れる。
死ぬ直前、空に月がなかった。
そこへ黒い影が降りてきた。
――まだ、生きたいか。
地面の零は答えなかった。
答えられなかった。
――ならば、その空腹をもらおう。
黒い影が口を開いた。
記憶がそこで途切れた。
レイは雨の中に立っていた。
「俺は、人間だった」
後ろにセレナがいた。
ミラとロウの姿はない。
扉が二人を分けたらしい。
「そうだったようですね」
「驚かないのか」
「最初から、普通のオーガだとは思っていません」
「普通のオーガを知っているのか」
「ガルドだけです」
「なら二人とも普通だ」
セレナが笑った。
雨の向こうで、倒れていた零が立ち上がった。
顔が黒く塗り潰されている。
胸に《万象喰らい》の文字が浮かぶ。
「違う」
レイは言った。
あれは記憶ではない。
記憶を使って作られたものだ。
零が口を開く。
――お前は借りた身体で生きている。
黒い腕が伸びる。
――返せ。
レイは夜凪を探した。
腰にはない。
影の拳が腹へ入った。
身体が道路を転がる。
人間の身体は弱かった。
二撃目を腕で受ける。
骨が折れた。
セレナの光の矢が影を貫く。
傷はすぐに塞がる。
「レイ!」
名を呼ばれた。
折れた腕に、黒い鱗が戻る。
額から角が伸びた。
夜凪が手の中に現れる。
「借りていない」
レイは立ち上がった。
「ガルドが拾った。俺が育てた」
影が笑う。
――なら、零は捨てるのか。
「捨てない」
夜凪を鞘へ戻す。
雨音を聞く。
十五年前の自分の呼吸はない。
だが、子供を押した手の感触は残っている。
「あれも俺だ」
刀を抜いた。
黒い影だけが裂けた。
道路も、雨も、倒れた零も残っている。
影が消える直前、ヴィクトルの顔になった。
「人であろうとするほど、飢えは深くなる」
「人になるつもりはない」
レイは答えた。
「俺はオーガだ」
雨が止んだ。
扉の先に、塔の最上階があった。
ミラとロウも別の扉から出てきた。
四人の中央に、鏡が浮いている。
鏡面に一行だけ文字があった。
――第一の器は、死を喰らった。
セレナが触れると、次の行が現れた。
――第二の器は、死を失った。
レイが触れる。
――二つが重なる夜、黒月は天へ還る。
その下に、月骸迷宮への道が映った。
同時に、鏡へ亀裂が走った。
銀色の女が背後に現れる。
――来てはいけない。
セレナが振り返る。
「あなたは誰です」
女の無数の目が閉じた。
――最初の月器。
その身体が崩れる。
最後に、人の顔が現れた。
セレナの母だった。
「お母様」
伸ばした手は届かなかった。
女は鏡の破片になった。
一片だけが、セレナの手に残る。
そこには、王城の庭で笑う母娘が映っていた。
鏡塔が崩れ始めた。
足元の空に、ハインの船が見える。
四人は飛んだ。
鏡面を抜け、海へ落ちた。
今度は全身が濡れた。
波が生まれていた。
十五年止まっていた鏡海が、初めて揺れていた。
第十五章 月骸迷宮
鏡海の中央から、白い島が浮かび上がった。
島ではなかった。
巨大な骨だった。
肋骨が塔のように並び、背骨が水平線まで続いている。
月骸迷宮。
鏡塔が隠していた最後の封印地だった。
港へ戻ると、ギルドから伝令が来ていた。
大陸各地に黒い月が現れた。
魔物が狂い、灰を吐いている。
王都では学院の地下から黒い根が伸びた。
封印が二つ弱まったせいだった。
「灰峰は俺が壊した」
レイが言った。
「鏡塔は私たちが目覚めさせた」
セレナが続けた。
ミラが二人の頭を義手で小突いた。
「反省は生きて戻ってからにしな。今は最後を壊される前に守る」
月骸迷宮には、すでに船が集まっていた。
冒険者ギルドの連合隊。
王国騎士団。
学院の教師と生徒。
先頭の船には、エルドとユリウスがいた。
「肉は増えたか」
レイが聞く。
「久しぶりの言葉がそれか」
ユリウスは呆れた。
学院長バルバスは、島を見上げていた。
「古文書では、あれは神の骨とされている」
「何の神だ」
「月神ルナリア。ハイエルフ王家の祖だ」
セレナの首筋が光った。
骨の島が応える。
肋骨が開き、入口が現れた。
連合隊は三つに分かれた。
ミラとロウは外で魔物を止める。
エルドとユリウスは救援路を守る。
迷宮の最深部へ行くのは、レイとセレナだけだった。
月器と、黒月の刃にしか開けない扉がある。
「また二人ですね」
セレナが言った。
「嫌か」
「まさか」
骨の道を進む。
壁の向こうから、戦いの音が聞こえる。
灰をまとった海獣が島へ上がっていた。
迷宮の扉は三つあった。
最初の扉には、死を差し出せと書かれていた。
セレナが触れる。
扉は開かなかった。
死を失っているからだ。
レイが触れると、夜凪が代わりに血を吸った。
二つ目の扉には、名を捨てろと書かれていた。
レイは動かなかった。
セレナが杖で文字を削り取った。
扉は崩れた。
「規則を守らないのですか」
レイが聞く。
「あなたに言われたくありません」
三つ目の扉には、何も書かれていなかった。
二人で押すと開いた。
奥には、月のない森があった。
十五年前と同じ場所。
苔の上に、赤子のレイがいる。
傍らに夜凪が刺さっていた。
若いガルドとエルドが、森の外から駆けてくる。
これは過去だった。
黒月遺跡が崩れ、空に穴が開いている。
穴の向こうに、別の世界の雨が見えた。
黒い影が、死んだ零の魂を掴んでいる。
――空腹をもらう。
影が魂を呑み込もうとする。
夜凪が自ら飛んだ。
魂と影をまとめて斬る。
零の魂は、森で死んだオーガの赤子へ入った。
影の半分も一緒に入った。
それが《万象喰らい》になった。




