タイトル未定
第九章 卒業
卒業式は四人だけで行われた。
レイ。
セレナ。
エルド。
学院長バルバス。
白塔の屋上で、朝日が昇る前に始まった。
バルバスは正装していた。
レイはいつもの黒い服だった。
「式服はどうした」
「動きにくい」
「卒業証書は?」
「燃やした」
「なぜ」
「火がつくか試した」
バルバスの片眼鏡が落ちた。
セレナは横を向いた。
肩がわずかに震えていた。
笑っているらしい。
エルドが二つの銀章を差し出した。
月と剣を重ねた学院の印だった。
「持っていけ。身分を証明するときに使える」
「燃えるか」
「試すな」
レイは銀章を受け取った。
セレナは杖を受け取った。
父王が若いころ使っていたものだった。
細い白木に、銀の石がはめ込まれている。
「北へ向かえ」
エルドは地図を広げた。
黒い灰は、ヴェルグラン大森林の北から王都へ流れていた。
その先には三つの古い封印地がある。
灰峰。
鏡海。
月骸迷宮。
黒月の記録を消した者たちは、残った情報を三か所に分けたらしい。
「これは誰が調べた」
レイが聞いた。
エルドは答えなかった。
代わりに、古い革袋を渡した。
中には木片が入っていた。
半月の剣傷がある。
「ガルドからですか」
セレナが聞く。
「二十年前に預かった」
レイはエルドの胸ぐらを掴んだ。
「知っていたのか」
「すべてではない」
「何を隠した」
「お前を森へ運んだのは、私とガルドだ」
夜明けの風が止まった。
エルドはレイの手を外そうとしなかった。
「十五年前、黒月遺跡で赤子を見つけた。人の魂と、オーガの身体を持つ赤子だ。夜凪が傍にあった」
白い天井。
雨の道路。
零と呼ぶ声。
「俺を作ったのか」
「違う。着いたときには、お前は泣いていた。遺跡は崩れ始めていた。ガルドが抱き上げ、森へ連れていった」
「なぜ今まで言わなかった」
「ガルドとの約束だった。お前が自分の道を選ぶまで、過去で縛らないと」
レイは手を離した。
怒りはあった。
だが、何を斬れば消えるのかわからなかった。
セレナが隣に立つ。
触れなかった。
ただ、離れなかった。
「ガルドはどこだ」
「灰峰へ向かった。半年前にな」
森で別れた直後だった。
黒い灰を追っていたのだ。
エルドは、もうひとつ渡した。
冒険者ギルドへの紹介状だった。
遺跡を越えて旅をするには、王族の名よりギルドの証が役に立つ。
セレナは紹介状を受け取った。
「エルド先生」
「何だ」
「戻ったら、残りの授業を受けます」
「戻るつもりはあるのか」
「レイが文字を忘れています」
「忘れていない」
「昨日、薬草と毒草を間違えて買いました」
「似ていた」
「文字を読んでください」
バルバスが咳払いをした。
「卒業生諸君。最後に、学院長として一言――」
鐘が鳴った。
朝日が昇る。
「長くなりそうだ。行くぞ」
レイは階段へ向かった。
「待ちなさい。学院長の話を途中で――」
セレナもあとを追った。
階段を降りる前に、一度だけ振り返る。
「行ってまいります」
エルドは片手を上げた。
バルバスはまだ話そうとしていた。
学院の門には、ユリウスがいた。
大剣を背負い、王国騎士の外套を着ている。
「王都はこちらで守る」
「肉も頼む」
「帰ってくるころには、お前の分だけ有料にしておく」
ユリウスは拳を出した。
レイは意味がわからなかった。
同じように拳を出すと、互いの拳がぶつかった。
「死ぬなよ」
「セレナには言わないのか」
「殿下は死なないのだろう」
ユリウスは事情を知る数少ない者だった。
セレナの顔から表情が消えた。
ユリウスはすぐに頭を下げた。
「申し訳ありません」
「構いません。慣れなければならないことです」
レイは彼女を見た。
慣れる必要はない、と言おうとした。
言葉が見つからなかった。
代わりに、門の外へ先に出た。
「置いていくぞ」
「誰のせいで遅れたと思っているのですか」
二人は王都を出た。
レイにとっては二度目の旅だった。
セレナにとっては、王女ではない最初の旅だった。
街道の先に、ヴェルグランの木々が見える。
その向こうには灰色の山があった。
空に月はない。
それでも夜凪の鍔は、北を指して淡く光っていた。
第二部 冒険者編
第十章 黒月の二人
冒険者ギルドでは、強さより書類が必要だった。
レイはその事実を嫌った。
「名前」
受付の女が聞く。
「レイ」
「家名」
「ない」
「種族」
「オーガ」
受付の手が止まる。
「職業」
「斬る」
「職業をお願いします」
「食う」
セレナが横から紙を取った。
「魔剣士です」
「あなたとの関係は」
今度はセレナの手が止まった。
「同行者です」
「相棒だ」
レイが言うと、受付の女は二人を交互に見た。
セレナは紙を強く握った。
「書類が破れる」
「誰のせいですか」
二人は最下級の青銅級から始めることになった。
王女の名も学院の銀章も、等級を飛ばす理由にはならなかった。
最初の依頼は、下水道の粘体退治だった。
夜凪で斬ると二つに増えた。
セレナの火で焼くと、ひどい匂いがした。
報酬の半分は、壊した下水管の修理に消えた。
次は薬草採取。
レイが毒草を混ぜた。
報酬はなかった。
三つ目は、逃げた猫探し。
猫はレイの顔を見ると、屋根から降りてこなかった。
三日かかった。
「王都を救ったのが嘘みたいですね」
安宿の部屋で、セレナが銅貨を数えた。
寝台は一つだった。
受付が二人の関係を誤解したらしい。
レイは床に座っていた。
「森なら食うものに困らない」
「猫は食べてはいけません」
「食わない」
「間がありました」
銀貨は残り二枚。
北へ向かう馬車代にも足りない。
翌朝、ギルドの壁に赤い依頼書が貼られた。
灰峰へ続く鉱山道で、商隊が消えている。
推奨は金級以上。
報酬は金貨五十枚。
レイは依頼書を剥がした。
「資格が足りません」
受付の女が取り返そうとする。
「行く場所が同じだ」
「そういう問題ではありません」
ギルドの奥から、大柄な女が出てきた。
赤い髪を後ろで束ね、片腕に鋼の義手をつけている。
支部長のミラだった。
「試験を受けな」
ミラはレイへ木剣を投げた。
「私に一撃入れたら、赤鉄級に上げる」
「金級ではないのか」
「規則だ」
「ギルドは規則が多い」
「嫌なら猫を探してな」
訓練場へ移った。
ミラの武器は義手だった。
開始の声と同時に、鉄の拳が飛んできた。
レイは木剣で受けた。
折れた。
拳が頬へ入る。
身体が壁まで飛んだ。
ミラは強かった。
ユリウスより力があり、セレナより動きが読みにくい。
義手から短い刃が出る。
レイは折れた木剣を逆手に持った。
刃をかわす。
肩で体当たりを受け、足を踏む。
ミラの動きが一瞬止まった。
折れた木剣を首へ当てる。
同時に、鉄の拳がレイの腹で止まっていた。
「相打ちだな」
「一撃は入れた」
「気に入らない奴だ」
ミラは笑った。
セレナも試験を受けた。
開始直後、風でミラの足を浮かせた。
光の矢を額へ止める。
「もっと気に入らないね」
二人は赤鉄級になった。
灰峰の依頼は、ミラ自身が同行することを条件に受けられた。
もうひとり、斥候が加わった。
獣人の青年、ロウだった。
狼の耳と、短い弓を持っている。
「俺は魔物と組む気はない」
街を出るとき、ロウが言った。
レイは頷いた。
「俺も狼と組んだことはない」
「狼じゃない。灰狼族だ」
「俺も魔物じゃない。レイだ」
ロウは鼻に皺を寄せた。
ミラが大声で笑った。
セレナは額を押さえていた。
四人は北へ向かった。
街道を外れると、黒い灰が足跡のように続いていた。
三日目、壊れた馬車を見つけた。
商人の姿はない。
荷物も残っている。
馬車の側面には、爪で文字が刻まれていた。
――月を呑むな。
ガルドの字だった。
血の跡は、灰峰へ続いていた。
第十一章 灰峰
灰峰には、雪が降らない。
一年中、黒い灰が降っている。
山へ近づくほど、足跡はすぐに消えた。
ロウが地面へ鼻を寄せる。
「血の匂いはある。十人……いや、もっとだ」
「生きているか」
「そこまではわからない」
レイにはわかった。
生きた者の鼓動が、山の中から聞こえる。
ひとつではない。
同じ速さで、何十も脈打っている。
鉱山の入口は黒い岩で塞がれていた。
ガルドの爪痕が続いている。
レイが岩を斬ると、向こうから生暖かい風が吹いた。
坑道の壁を、肉の膜が覆っていた。
商隊の者たちは、その中に埋まっている。
目を開けたまま眠っていた。
胸から伸びた管が、山の奥へ繋がっている。
「全員、生きてる」
ミラが一人の首を確かめた。
「だが、ここで管を切れば出血する」
セレナが杖をかざす。
銀の光が膜を透かした。
「奥に心臓があります。先に止めれば、管も死ぬはずです」
ロウを救助に残し、三人で進んだ。
奥へ行くほど、壁の鼓動が大きくなる。
途中で魔物が現れた。
身体の半分が岩になった山羊。
口から灰を吐く大蜥蜴。
目のない巨人。
どれも胸に月型の穴があった。
レイは夜凪で斬った。
倒すたび、黒い霧が刃へ吸われる。
――黒蝕獣を捕食。
――進化点を獲得しました。
【進化点:8120】
数字が増えるほど、腹の底で別のものが喜んだ。
――もっとだ。
レイは声を無視した。
最深部は、山をくり抜いた空洞だった。
中央に巨大な心臓がある。
その前で、ガルドが膝をついていた。
左の角は折れ、片腕がない。
黒い鎖が胸を貫いている。
それでも、死んでいなかった。
周りには数え切れない魔物の死体が積まれている。
「遅い」
ガルドはレイを見て言った。
「生きていたか」
「勝手に殺すな」
レイは鎖へ夜凪を振った。
ガルドが叫ぶ。
「斬るな!」
刃が止まる。
鎖は心臓とガルドを繋いでいた。
ガルドの鼓動が、山全体の鼓動になっている。
「俺ごと封じた。鎖を切れば目覚める」
巨大な心臓の表面に、顔が浮かんだ。
ヴィクトルだった。
「家族の再会ですね」
ミラの義手が顔を殴る。
肉が潰れ、別の場所にまた浮かんだ。
「趣味の悪い山だね」
「お前も埋めてあげましょう」
壁から槍が伸びた。
セレナの風が逸らす。
ミラが心臓へ走った。
義手の刃を突き立てる。
肉の床から顎が生え、ミラの脚へ噛みついた。
レイが斬り落とす。
心臓は傷つくたび、ガルドの胸から血を流させた。
「先に鎖を外す」
セレナが銀の光で鎖を包んだ。
「無理だ」
ガルドが言う。
「こいつは命を結ぶ。俺が死ぬか、山が死ぬまで外れん」
「なら山を殺す」
レイは夜凪を構えた。
「心臓を斬れば、お前も死ぬ」
「知っている」
「他の方法を探す」
「昔のお前なら、もう斬っていた」
ガルドが笑った。
初めて見る笑顔だった。
「弱くなったな、レイ」
「そうかもしれない」
「それでいい」
ガルドが残った腕で鎖を掴んだ。
強く引く。
鎖が心臓から半分抜けた。
山が叫んだ。
商人たちの鼓動が乱れる。
「今だ」
「嫌だ」
「命令だ」
「聞く理由がない」
「なら、父の願いだ」
レイの身体が止まった。
ガルドは、言葉を選び直さなかった。
「お前を拾った日から、一度も息子とは呼ばなかった。呼べば、森から出せなくなると思った」
鎖がさらに抜ける。
ガルドの身体が灰になり始めた。
「名を選んだ日、聞いていた」
「姿を見せろ」
「二度呼んだな」
「黙れ」
「いい名だと思った」
巨大な心臓が開いた。
中から黒い目がレイを見た。
――喰らえ。
声が腹の中で響いた。
――父を喰らえば、力になる。
ガルドも声を聞いたらしい。
「食うなよ」
「食わない」
レイは夜凪を振り上げた。
ガルドの胸にある鎖。
心臓の鼓動。
二つが重なる瞬間を待つ。
動く前の沈黙があった。
その一点へ、刃を落とした。
山の心臓が二つに割れた。
ガルドの胸を貫く鎖も砕けた。
黒い霧が溢れる。
夜凪が吸おうとする。
レイは鞘へ収めた。
霧は天井へ昇り、消えた。
ガルドの身体から力が抜けた。
レイは受け止めた。
昔より小さく感じた。
「夜凪を、よく見ろ」
ガルドの声は弱かった。
「刃ではない。鍔だ」
欠けた月の鍔。
半月の傷。
ガルドが残してきた印。
「欠けているから、呑まれずに済む。満たすな」
「何で満ちる」
「お前が喰った命だ」
ガルドの目が閉じた。
「空腹を、間違えるな」
最後の言葉だった。
レイはしばらく動かなかった。
セレナが隣に膝をついた。
彼女の手がガルドの額に触れる。
銀色の光は出なかった。
命を繋ぐ術を使わなかった。
レイが望んでいないと、わかっていた。
山の鼓動が止まる。
壁の膜が崩れ始めた。
ミラが入口を指した。
「出るよ」
レイはガルドを背負った。
坑道を出たとき、黒い灰が止んでいた。
灰峰に、初めて白い雪が降った。
ガルドを山頂に埋めた。
墓標は作らなかった。
代わりに、近くの岩へ半月の傷を刻んだ。
夜、レイは墓の前に座っていた。
セレナが隣へ来た。
何も言わない。
レイは夜凪を膝に置いた。
欠けた鍔の内側に、小さな文字を見つけた。
今まで灰で埋まっていた。
――月冠を、鏡海へ。
セレナの首筋にある銀の三日月が、同じ光を返した。




