↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒月の鬼神  作者: 樹
PR
2/10

タイトル未定

第三章 金色の敵

王都ルーセントには、森より多くの目があった。

 門番の目。

 商人の目。

 道を歩く子供の目。

 どれもレイの角で止まり、次に腰の刀へ落ちた。

 怯える者もいた。

 石を投げた子供もいた。

 レイが石を掴むと、子供は泣いて逃げた。

 「投げ返すなよ」

 エルドが言った。

 「食えるか確かめただけだ」

 「石をか」

 「森では、白蟻の巣に似た石がある」

 エルドは額を押さえた。

 学院は王都の北にあった。

 白い塔が五本、円を描くように立っている。中央の校舎には、銀色の月章が掲げられていた。

 門をくぐった瞬間、光の矢が飛んできた。

 レイは首を傾けた。

 矢が頬をかすめ、背後の石壁に刺さる。

 夜凪を抜いた。

 次の矢を斬る。

 光が砕けた。

 中庭の向こうに、少女が立っていた。

 腰まで届く金色の髪。

 尖った耳。

 白銀の制服の胸に、王家の紋章がある。

 少女は細身の剣を構えた。

 淡い緑の瞳が、レイをまっすぐ見ている。

 「その魔力。ヴェルグランの魔物ね」

 「レイだ」

 「名を聞いたのではありません」

 「俺は聞かれたことに答えた」

 少女の眉が動いた。

 「セレナ・リュネリアの名において命じます。武器を置きなさい」

 「嫌だ」

 地面が弾けた。

 セレナは一瞬で間合いを詰めた。

 突きが喉へ来る。

 レイは夜凪の腹で流した。

 細い剣と折れた刀が擦れ、白い火花が散る。

 速い。

 森の風猫よりも速かった。

 セレナの髪が翻る。

 二撃目は膝。

 三撃目は手首。

 どれも急所だった。

 レイは半歩ずつ退いた。

 中庭に生徒たちが集まってくる。

 「殿下が魔物と戦ってる」

 誰かが言った。

 魔物。

 間違いではない。

 だが、その言葉は牙熊の唸りより耳に残った。

 セレナの剣に風が巻きついた。

 四撃目が見えなくなる。

 レイは音を聞いた。

 靴底が石を擦る音。

 息を止める前の沈黙。

 一歩前へ出る。

 夜凪の鍔で剣の根元を打った。

 セレナの手から剣が飛んだ。

 レイの刃は、彼女の首筋で止まった。

 金色の髪が数本、宙を舞った。

 静かになった。

 セレナは動かなかった。

 恐怖は見えない。

 代わりに、悔しさがあった。

 「なぜ斬らないのです」

 「敵かどうか、まだわからない」

 「私はあなたを射ました」

 「外れた」

 「外したのです」

 「同じだ」

 レイが刀を引くと、塔の上から鐘が鳴った。

 エルドが中庭へ入ってきた。

 「入学試験は来週のはずだが」

 その隣には、片眼鏡をかけた小柄な男がいた。

 頭には山羊のような角がある。

 学院長バルバスだった。

 「実技は合格でよかろう」

 バルバスは楽しそうに言った。

 セレナが剣を拾う。

 「学院長。これは魔物です」

 「ハイエルフも、人間の古い書では魔物に数えられておる」

 「詭弁です」

 「歴史というものは、だいたい詭弁でできておるよ」

 バルバスはレイへ紙を差し出した。

 文字が並んでいた。

 半分も読めない。

 「筆記試験だ」

 「斬ればいいのか」

 「エルド。まず読み書きから教えろ」

 学院生活は、その日から始まった。

 寮の部屋には、柔らかい寝台があった。

 レイは床で寝た。

 食堂には、肉より野菜が多かった。

 レイは厨房で余った骨をもらった。

 授業では、火を出しただけで隣の机を燃やした。

 生徒たちは距離を取った。

 ただ、セレナだけは取らなかった。

 彼女はいつも二つ前の席に座り、授業が終わるたびに振り返った。

 敵を見る目だった。

 七日目の夜、レイは寮を抜け出した。

 学院の鍛冶場に灯りがついていたからだ。

 中では、赤髭のドワーフが夜凪の刃先を睨んでいた。

 王都一の鍛冶師、ドランだった。

 「直せるか」

 「直すだけならな」

 ドランは二つの刃を並べた。

 断面はぴたりと合った。

 「だが、こいつは鉄じゃねえ。魔銀でも、竜骨でもねえ。持ち主の魂を炉にして打たれた刃だ」

 「俺の魂を燃やせばいいのか」

 「簡単に言うな。死ぬぞ」

 「死ななければ直る」

 ドランは大きく息を吐いた。

 「オーガはみんなこうなのか」

 「ガルドは、もっとよく話す」

 その名を聞き、槌を持つ手が止まった。

 「黒角のガルドか」

 「知っているのか」

 ドランは答えず、鍛冶場の奥から黒い箱を出した。

 箱には、半月の剣傷があった。

 森の木に残されていたものと同じ形だった。

 「昔の借りだ。代金はいらねえ」

 箱の中には、銀色の砂が入っていた。

 月鉄。

 百年前に落ちた星の欠片だという。

 炉に火が入った。

 夜凪を置くと、炎が黒く染まった。

 レイは柄を握った。

 熱は腕から胸へ入り、古い傷をひとつずつ焼いた。

 牙熊に噛まれた傷。

 崖から落ちて折った骨。

 名前を持たなかったころの空腹。

 その奥に、知らない雨の記憶があった。

 白い光が迫る。

 誰かが、自分を呼ぶ。

 ――零。

 レイは柄を離さなかった。

 鎚が落ちるたび、折れた境目が消えていく。

 夜が明けるころ、刀はひとつに戻っていた。

 細身の黒い刀身。

 刃を走る白い筋は、満ちる前の月に似ていた。

 ドランが鞘を差し出した。

 「名をつけろ」

 「夜凪だ」

 「それは昔の名だ。今のお前の名を足せ」

 レイは黒い刃を見た。

 窓から差した朝の光を、刀身だけが呑み込んでいた。

 「黒月・夜凪」

 鍔の欠けた月が光った。

 ――所有者を確認。

 ――《黒月・夜凪》、再接続。

 ――第一封印を解除します。

 黒い波が、鍛冶場を通り抜けた。

 外で鳥が一斉に飛び立った。

 扉の隙間に、金色の髪が見えた。

 セレナが立っていた。

 彼女は夜凪ではなく、レイの足元を見ていた。

 朝日が差している。

 それなのに、レイの影だけが月の形に欠けていた。


第四章 白塔の決闘


 黒月・夜凪が直った翌日、レイは停学になった。

 無断外出と、鍛冶場の炉を壊したことが理由だった。

 炉は、黒い炎を吐いたあと真ん中から割れていた。

 ドランは自分が壊したと主張した。

 誰も信じなかった。

 停学中も、レイは学院にいた。

 行く場所がなかったからだ。

 朝は訓練場で刀を振った。

 昼はエルドに文字を教わった。

 夜は図書塔に入った。

 黒月という言葉を探すためだった。

 古い書ほど、その頁だけが破られていた。

 残っていたのは、童謡がひとつ。

 月なき森に鬼が生まれ、

 銀の泉に姫は眠る。

 夜を食むもの、名を持たず。

 黒き月には、刃を向けよ。

 レイは三度読んだ。

 意味はわからなかった。

 ただ、二行目だけが目に残った。

 「それは王家で禁じられた歌です」

 振り向くと、セレナがいた。

 夜の図書塔でも、金色の髪は光を集めていた。

 「なぜここにいる」

 「図書塔は王族の立ち入りを禁じていません」

 「俺は禁止された」

 「知っています」

 「黙っていろ」

 「嫌です」

 レイは本を閉じた。

 セレナは机の向かいに座った。

 「黒月遺物は、百八十年前の災厄に関係すると言われています」

 「何が起きた」

 「記録はありません。消されたのです」

 「王家が消したのか」

 セレナの目が細くなった。

 「王家を疑うのですか」

 「お前も疑っている」

 答えはなかった。

 塔の外で、雨が降り始めた。

 雨音を聞くと、胸の奥が痛んだ。

 知らない道。

 白い光。

 誰かの手を押し返した感触。

 レイが胸を押さえると、セレナが立った。

 「どうしました」

 「何でもない」

 「嘘が下手ですね」

 「嘘は教わっていない」

 セレナは、ほんの少しだけ笑った。

 敵の顔ではなかった。

 翌朝、決闘状が届いた。

 差出人はユリウス・ヴァレイン。

 侯爵家の嫡男で、学院上級生の首席だった。

 決闘の理由は、王族への不敬。

 セレナが止めても、ユリウスは引かなかった。

 「殿下は魔物に心を許しすぎました」

 白塔の訓練場に生徒が集まった。

 ユリウスは銀の大剣を持っていた。

 刃には、魔力を散らす聖紋が刻まれている。

 「負けたら学院を去れ、オーガ」

 「お前が負けたら」

 「望みを聞こう」

 レイは少し考えた。

 「食堂の肉を二倍にしろ」

 笑いが起きた。

 ユリウスだけは笑わなかった。

 鐘が鳴る。

 大剣が地面を割った。

 力だけなら、レイより強い。

 聖紋の光が夜凪へ絡みつき、魔力を奪う。

 レイは刀を鞘に戻した。

 ユリウスが踏み込む。

 速い。

 だが、足音が大きい。

 レイは紙一重で避けた。

 一度。

 二度。

 三度。

 大剣が石床を削る。

 「逃げるだけか!」

 ユリウスの首筋に、黒い灰が付いていた。

 森でガルドの胸にあったものと同じだった。

 灰が脈打つ。

 ユリウスの腕が不自然に膨らんだ。

 大剣が横薙ぎに来る。

 見物席まで届く軌道だった。

 レイは夜凪を抜いた。

 聖紋ごと、大剣を斬った。

 黒い線が空中を走る。

 折れた刃が石床に突き刺さった。

 ユリウスの拳がレイの顔を打つ。

 骨が鳴った。

 レイは退かなかった。

 相手の首を掴み、灰の付いた場所へ夜凪の切っ先を当てた。

 「動くな」

 「殺せ」

 「お前に言っていない」

 灰が逃げるように皮膚の下を動いた。

 レイはそこだけを浅く斬った。

 黒い虫が傷口から飛び出した。

 月の形をした羽がある。

 夜凪が震えた。

 虫は刃へ吸い込まれ、消えた。

 ――黒蝕蟲を捕食。

 ――進化点を獲得しました。

 【進化点:4518】

 ユリウスが膝をついた。

 膨らんだ腕は元に戻っていた。

 見物席の奥で、灰色の外套を着た男が立ち去った。

 顔は見えなかった。

 セレナが追おうとした。

 レイは彼女の腕を掴んだ。

 「今は行くな」

 「離してください」

 「お前を見ていた」

 セレナの腕が止まる。

 「どういう意味です」

 「獲物を見る目だった」

 ユリウスは三日間眠った。

 目覚めたとき、決闘の一か月前からの記憶を失っていた。

 寮の部屋からは、灰の入った小瓶が見つかった。

 瓶の底には、欠けた月の印があった。

 学院長は事件を伏せた。

 王都に混乱を起こさないためだという。

 セレナは反対した。

 レイも反対した。

 理由は違った。

 「隠すと、匂いを追えない」

 会議室でそう言うと、バルバスは片眼鏡を外した。

 「森の狩りではないのだぞ」

 「同じだ。見えない獣ほど、先に見つける」

 エルドが机に王都の地図を広げた。

 黒い灰が見つかった場所に印がついている。

 学院。

 城壁。

 王宮。

 そして、月神殿。

 四つの印を線で結ぶと、欠けた月になった。

 セレナはその形を見ていた。

 「次の実地演習は、月神殿の地下です」

 実地演習まで、あと五日だった。

 その夜、王都に黒い雪が降った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。