26.これから
さくらはもとより激高しやすい性格ではあったが、理不尽に対する耐性も強かった。
毒親のおかげというほどのものではなかったろうが。
仙斗の遺体を見ても元々仙斗が悪いのだと自分を言い聞かせる。
正当防衛だと。自分は誘拐されていたんだからと。
さらにはそれにこれは仙斗も望んだ事なのだと。
確かに私は一生仙斗の事を忘れられないだろう。
さくらはそんなことを考えながらテーブルの上の書類を見た。
面倒な手続きはあるかも知れないが、最終的には4億は私のものになる。
部屋の中をうろうろとしながら冷蔵庫からお茶のペットボトルとつかみ喉を癒す。
結論が出た。
否。出すしかなかった。
結局勝ったのは私。
仙斗は離婚したから出て行った。
それでいい。
出て行った人間がどこに行ったかなんて誰も知らないのが普通だ。
仙斗が言っていた。
桜の木には死骸を分解する成分があって、そこに埋めるとすぐに全て消えてなくなるって。
仙斗が死んだのはタイルの上、ふき取ってしまえば何もわからない。
さくらはキッチンを探りバケツと雑巾を仙斗の横に置き、潔癖症を疑われる執拗さをもって血が固まらないうちにとタイルを掃除した。
地下室を出てリビングに入る。
時間は夕方の6時になったばかりだった。
太陽に誘われるように玄関から外に出る。
夕焼けが玄関先のテラスを照らしている。
1年以上ぶりに見る太陽のなんと美しいことか。
元々セキュリティが厳しく塀も高い。
外から庭なんて誰にも見えるわけがない。
そんな庭と一面の砂利自体が舞台のようにも見えた。
『第一章仙斗は出て行った。』
そこから物語は始まる。といったかのように。
さくらはキッチンからゴミ袋を見つけ血がつかないように仙斗を包んでいく。
入りきらない部分は袋とガムテープをつぎはぎして手製の遺体袋を作った。
残りの血も完璧にふき取り遺体袋を引きずる。
一段一段少しずつ仙斗を引っ張りあげ、地階の階段下の扉から出した頃には汗だくだった。
その後は車庫にあったタイヤキャリーにを乗せ、桜の横の畑まで運ぶ。
「砂利が多過ぎるのよ。」
さくらはひとりごちた。
いくら21インチのタイヤを軽々運ぶタイヤキャリーであっても砂利の上ではどうしても運びづらい。
同じく車庫に立てかけてあったショベルも畑にもってくるが、その度にジャリジャリと歩く音がする。
どうしても不快感は増幅される。
ともあれ夜中には仙斗の遺体は桜の横の畑に埋める事ができた。
とはいっても30cmも掘れば肌が露出する程度だったが。
通常遺体を埋めるには2m以上掘らなければならない。
野犬などの動物が掘り起こしてしまうから。
免許もなく車の運転もできないさくらはそこに埋めるしか手段はない。
だが体力的にも無理がある。
やむなく『桜の消化酵素』に期待することになったのは仕方なかったろう。
掘って出てきた桜の根ぎりぎりにもたれかかせるように仰向けに安置させ、手を組むように埋めたのはせめてもの優しさか罪悪感か。
ただその前に消化が早くすすむよう衣服を剥ぎ取っていた様子は、誰が見てもそのどちらでもないように思われた。
そして即席の遺体袋や衣服類は車庫の横にあった焼却炉で全て焼いた。
意外に煙が出なかった事に一息つきつつ、全てを終わらせさくらは家内に戻る。
そのまま浴室に行き少し温度を下げたシャワーをひねる。
身体に付いた1滴の血すら許さないかのように頭から浴び続ける。
どれくらい浴び続けただろうか。
さくらは叫ばなかった。
ただひたすらに無言で浴びた。
それは理不尽を乗り越えた自覚なのか、それともこれから仙斗の心という秘密を抱えたまま一生を過ごす覚悟なのか。
少し温度を上げ髪と身体を洗う。
浴槽に浸かりさくらは思う。
以前叔父の失踪宣告の手続きは終わったと仙斗に審判書とやらを見せてもらった。
それを使えばすぐ仙斗の名義に通帳を変えられるとも。
落ち着いたら離婚届を出しに行って通帳の名義も変えに行こう。
あれだけの金があればチケットとか貸し切りどころの話ではない。
スポンサーとして演目も決めれるし主役になるのも簡単。
それ以前にそもそも劇団を一から作れるのだ。
どうとでもなる。
金とは結局選択肢なのだ。
風呂を出て裸を鏡に晒す。
もう若く艶々とはしていない。
幽閉されている間も自重トレーニングはしていたし、出てくる食事もバランスは取れていた。
化粧水や乳液も注文したものを持ってきてくれていた。
髪だけは仙斗と自分で切るしかなかったがトリートメントやヘアオイルも一流の物を使えていた。
一年半化粧せず髪も巻かずネイルもしていない。
肌質や髪質は当然良くなり、ネイル続きでペラペラになっていた爪も復活した。
なのにどうだ。
じっくり見ると全体的に肉が下垂しているように思える。
エステにも頼る必要があるだろう。
整形もしなければならないかもしれない。
だが「金はある。」この一点でたちまちテンションは上がるのを感じる。
身体を拭き髪を乾かしてベッドに向かい疲れた身体を横たえそのまま眠りについた。
さくらが目覚めたら夜だった。
没収された携帯はまだ探してもいない。
眠りについたのは夜中の2時か3時位だったはずだ。
ノロノロとリビングに上がり時間を確認したら15時間あまり経過していた。
これが閉鎖隔離実験の影響かとさくらは頭を掻く。
朝から行動しようと思っていたが今からでは何もできない。
夜になったばかりで選択肢が少ない。
一方で昨晩から何も食べておらず空腹を感じていた。
どんな状態でもおなかは空くのねといわんばかりに苦笑する。
地下室にはいつお腹が空いても大丈夫なように、元々冷蔵庫には食料が豊富にあり食料保存庫にもインスタントや菓子類が、それこそ山のようにある。
だが仙斗の持ってきた食事をとる。
仙斗との最後のお世話を噛みしめるように。
今まで一度もしたことのなかった洗い物を丁寧に行う。
そしてさくらは家中を探索することにした。
2階に上がりまず桂樹の部屋に入る。
全く生活感を感じられなかったことに一種の気持ち悪さを感じながらその主人を想像する。
一体どんな人だったのだろうか。
行方不明になる当日までこのように生活感を失うほど整理整頓できるものなのだろうか。
綺麗なままのベッドや机、キチンと整えられたタンスの中、意識的に行方不明になったかと思わせるような状況にさくらは首を傾けながら仙斗の部屋に入った。
しかし仙斗の部屋も生活感があるだけでほぼ何もなかった。
簡素な机と椅子とベッド。
古ぼけたデスクトップパソコン。
まるで身辺整理を行った自殺者のように本やノート類も一切なかった。
さくらはそれでも仙斗が自分の送迎にいつも同じような服しか着ていなかった事に気づかない。
そもそも目を合わせる事すらしなかったのだから。
だがクローゼットを開ければ否応にも分かる。
まさに最低限としかいいようのない服の量だったのだから。
そこで初めて仙斗がぎりぎりの生活の中で自分を支援し続けていたこと。
自分と同様に全力で自分と向き合っていたのを痛感した。
さくらは仙斗のベッドの上に寝転がり天井を見つめた。
「なんでこうなっちゃったんだろ。誰もが通る道なのかしら。」
違う。
単にイカロスの翼なだけだ。
果て無き欲望を持ちロウの翼で太陽に向かって飛び立ち、太陽の光に焼かれてロウの翼は溶け、イカロスは地へと堕ちゆく。
太陽に憧れて何が悪い。
翼を持たぬ人間の分際で空に憧れて何が悪い。
知能を尽くしロウで翼を作って何が悪い。
『翼がない』それを努力で補おうとしただけなのに。
ただそれを認めてしまうわけにはいかなかっただけ。
いつか翼が生えると信じていただけ。
とっくの昔に気づいていたのに。
さくらはうつ伏せに寝転がり初めて声をあげて泣いた。




