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12時間目 オレはお前のもんじゃない

 鳴り響くインターホンの音。

 出たくない。

 第一に思ったのはそれだった。

 とはいえ、今日は前もって約束を取りつけられていた日。

 仕方なく、重たい体を引きずって玄関に向かう。

「おーおー。これはまた参ってますなぁ。」

「面白がってんじゃねぇぞ、てめぇ。」

 やっぱり出なければよかった。

 うんざりとした様子のユキに、訪ねてきたトモは苦笑を呈する。

「ごめんって。別に面白がってはないんだよ?」

「どの口が言うか。」

「もー、機嫌悪いなぁ。入っていい?」

「…………どうぞ。」

 ドアを支える役目をトモに譲って一歩退くと、それに応えてトモが玄関に上がってくる。

 そして、彼に続いてナギの姿も。

「………」

 ナギはすれ違い様にちらりとユキを一瞥し、眉を下げて奥の部屋に向かう。

「…なんだ、あいつ?」

 違和感を持ったユキは片眉を上げる。

 ひとまずドアの鍵を閉め、先に行ったトモとナギを追って廊下を行く。

 部屋に入ったその時には、あらかじめ出しておいた折り畳み式のテーブルの上に大量のノートや資料が出されていた頃だった。

 今日は学年末試験に備えて対策をしようと誘われたので、仕方なく部屋に入ることを許した。あまり他人を部屋に入れたがらない自分の性格を知っている手前、彼らの動きには無駄がない。

(まあ…後でいいか。)

 ナギに対する違和感は横に置いておき、ユキはシンクでてきぱきとお茶の用意をして部屋に戻る。

「ってか、あれだよねー。」

 席について早々、トモがペンを器用に遊ばせながら口を開いた。

「学年末の実技試験が鬼ごっこってのも、変な話よねー。時々こんなぶっ飛んだ試験入れてくるけど、なんなんだろ。サービス?」

「んなわけあるかよ。」

 ユキは即座に否を唱えた。

 今回の実技試験は、ランダムで組まれた五人を一組として行動する。三組計十五人を親とし、それ以外のランダムで選ばれた二年生百人が子として行われる鬼ごっこ。それが全組が親を担当し終えるまで何度も行われる。制限時間は三十分。子役の生徒にはコインが渡され、制限時間内に集めたコイン数が試合の結果となる。

「一試合ごとに十五分間の休憩があるとはいえ、午前中は最大で六試合、午後は五試合が組まれることになる。二年生は全体で三百十八人、単純計算するなら約六十四組。それが親の役目を一巡するまでってことだから、少なくとも二日、余裕を持つなら三日はこのスケジュールが続くわけだ。しかも、今回は一年の時と違って、遮蔽物内での五分以上の停止、及び屋内への立ち入りはできないってことだ。どこがサービスなんだよ?」

 まあ、今回のこの試験はやたらとランダム性が強く出ている。運よく体力が余っている最初の方で親の役目を済ませ、その後子に選ばれる数が少なければ安泰。トモの言う通りサービス的な試験となるだろう。

 だが、この〝ランダム〟という言葉をどう捉えるかはその人次第。自分の見立てでは、ある程度ランダム性を維持しつつも特定の生徒に負担が片寄らないように調整されていると思う。

 全ての生徒が親の役目を果たすまでの試合数は最低で二十一。全ての生徒が均等数試合をこなすなら、一人当たり七から八試合をこなすことになる。その試合が一点に集中するのか、ある程度ばらけるのか。それは神のみぞ知るといったところか。

 ―――運が誰にどう味方しようと、自分たちには関係などないが。

「そうだよねー。ハンデがえげつないおれらには関係ないよねー。」

 トモが渋い顔で紅茶をすすった。

「ま、そうだな。」

 ユキもトモに同意する。

 そう。ランダム性が強いこの試験において、唯一自分たちには強制的なハンデが設けられている。

 他の生徒たちはランダムでグループを組まされるが、自分、ナギ、トモの三人は固定で同グループ。しかも他のグループは五人に対し、こちらはこの三人のみで試験に挑まなければならない。

 自分やナギは一人でグループの勝敗を左右しかねない。

 ならば、どのグループにも属させないのが一番穏便な手。

 だがこのままでは、自分やナギが圧倒的に有利すぎる。

 そこで課された大きなハンデは三つ。

 一つ目は全試合への強制参加。

 もう一つは親の役目は最終試合。

 最後のとどめは獲得ポイントの三割減だ。

 つまり自分たちは親の役目が来る最終試合まで体力を温存しつつ、少なくとも他のグループより倍の生徒を捕まえないと並の結果が取れないのである。

 公開されたこのハンデに皆度肝を抜かれ、おかげで強制的に同じグループとなった自分たちに文句を言う者は一切いなかった。

 これは主に自分とナギに課されたハンデ。結果的に巻き込まれる形になったトモだが、彼はナギの犬だと理事長の前で公言したこともあるし、半分は自業自得といえよう。

「そうだなって、ユキさん冷静すぎませーん? ユキとナギって、捕まえた時のポイント五倍でしょ? 狙われまくってスタミナ切れたらどうするのさー。獲得ポイント三割減なんて、おれ一人じゃフォローできないよ?」

 トモが告げたそれは、自分とナギに適応される特別ルールだ。

「狙いに来ると思うか?」

 ユキは静かにそう訊ねた。

「んー…微妙だね。」

 トモの答えはそれだ。

「五倍ってのが、なかなかに絶妙なラインだね。難易度の高いユキたちに挑むより、確実に五人を捕まえた方が早いかも。」

「なんだ。分かってんじゃん。」

 一呼吸入れながらトモと同じように紅茶を飲み、ユキは瞳をそっと思案げに伏せた。

「この試験で見られるポイントは、ランダムで組まれた仲間との協調性、自分たちのグループの強みを見つけられる自己分析力、ポイントを稼ぐための計画力とその実行力ってところだろう。オレとナギにあえて高得点が設定されたのは、それを受けた奴らがどんな判断を下すのかが見たいからだろうな。」

「ちょっとしたギャンブル要素を入れることで、考えられる計画に多様性を与えたってところかな。ユキたちを捕まえるか捕まえないかの二択じゃなくて、他のグループにユキたちを捕まえに行かせて、その間に自分たちは雑魚を捕まえに行くって手もあるわけだし。」

「そうだな。そう見て間違いないだろう。」

「でもさぁ、そうだとしても全試合強制参加はやばくない? 体力もたないよ。」

「できなくはないけど、相当しんどいだろうな。」

「できちゃうのね⁉ だとしても無茶苦茶だよ!」

「―――だから、この試験においてオレたちが求められてるのは、もっと別次元のことだろう。」

 そこできらりと光るユキの瞳。

 その目は、この時点ですでにある程度の方向性が見えていることを示していた。

「そう。普通に考えるなら、こんなの無茶だろう。普通なら、な。」

「う、うん…」

 戸惑うトモへ、ユキはとあることを訊ねた。

「じゃあ、今オレたちを縛ってる〝普通〟ってなんだろうな?」

「……え…」

 そこでトモの顔から血の気が引いた。

「まさかユキ…試験のルールからどうにかしようとか考えてる⁉」

 信じられないと態度で語るトモにユキが返したのは、不敵な微笑みただ一つ。

 それは明らかな肯定のサインだった。

「いくらなんでもそれは…」

「できないと思うか?」

「だってそんなことしたら―――」

「したら?」

「えっと…」

「したらどうなる? そんなこと、今回の通達に書いてあったか?」

「‼」

 トモが息を飲む。

 さすがはトモだ。頭の回転が早い。

「頭は使うためにあるんだぜ?」

 トントンとこめかみ辺りを指でつついたユキは、パソコンが置いてある机に向かう。

「そもそも、今回の通達を読んだ時から違和感だらけではあったんだ。」

 ユキがそこから取ったのはクリアファイル。

「これが今回の通達と今までの通達のコピーだ。」

 テーブルの上に六枚のプリントが並べられる。

「うえ…嘘でしょ。全部通達取ってあったの?」

「傾向分析のためにな。」

 苦虫でも噛み潰したかのような顔をするトモを軽く流し、ユキはペンケースからペンを取り出した。

「さて。今回の通達は、今までの通達と明らかに違う部分がある。」

「違う部分?」

「実技試験の規定部分だけ、〝禁止〟って単語がない。」

 真っ先にナギが答えを述べた。

「お、おお……そのとおり。」

 想定していなかった方向から答えが飛んできて、ユキは思い切り戸惑ってしまった。

 部屋に入ってから一言も発しないものだから、突然話に入られてびっくりしたじゃないか。

 でも助かった。

 答えが出るのが早ければその先の話も早い。

 ユキは赤色で通達のとある単語にラインを引いていく。

「遮蔽物内での五分以上の停止は〝できない〟。屋内への立ち入りは〝できない〟。実技試験規定の部分だけ、徹底的に〝禁止〟って単語を避けてる。じゃあ、なんで〝できない〟のか? そこがこの試験にあえて仕組まれた穴だ。」

「つまり、その〝できない〟理由を突き止めて突破しちゃえば、変な話屋内でのんびりお茶しててもオッケーってこと?」

「まあ楽できる時間を無駄にするつもりはないけど、極端に言えばそういうことだな。試験規定の穴を抜け、一見厳しそうに見えるこのハンデを自分の利に変えてどれだけ楽にこなすか。おそらく、この試験でオレたちが試されている点はそこだ。」

 ユキはそう結論づけた。

 大体の生徒は、試験規定に穴があるなどと考えもしないだろう。それだけ、この紙切れが生徒に与える力は絶対的だ。

「うーん…」

 自分が考えていることを肯定するように、そこでトモが難色を示した。

「でもそれって、見方によっちゃ試験放棄とも取られかねないよね。」

 やはり。予想どおりの反応だ。

「だったらなんだ? それがマイナス点になるのか? 禁止事項がないんだから、規定違反もペナルティもないんだぞ?」

「あっ……ええ…?」

 目を回し始めるトモ。

 理屈としては間違っていないが、本当にそんなことをしてもいいのだろうか。

 彼がそんなことを考えているのは手に取るように分かった。

 今回の試験に対する自分の考え方。それはかなりの少数派であることは分かっている。トモがこんな反応をするのも無理もないだろう。

 仕方ない。話が全部理解されるかは分からないが、ここは自分の考えをもう少し深く解説するとしよう。

 この実技試験についての分析には結構自信があるので、できれば二人には自分を信じてついてきてもらいたい。それに加えて彼らには色々と協力してもらいたいのだが、自分の考えを納得できていないままでは協力もしにくいだろう。

 それに、こうすることが強烈なハンデを叩きつけてきた理事長の思惑というか、期待なのだろうし。

(ほんと、オレに面倒なことばっかさせるんだから…)

 ふとレードルの顔が脳裏をかすめてしまい、ユキは思わず眉間にしわを寄せる。

 とはいえ、今は恨み言を吐いている時間ではない。

 すぐに気持ちを切り替え、レードルの顔を思考の隅に追いやることにした。

「なんでこんな通達が出されてるのか。疑ってかかるのはそこからだ。」

 気を取り直してユキは語り出す。

「もちろん、通達が出される主目的は生徒に試験内容とその規定を伝えるため。……そして、生徒に先入観を持たせるためだ。」

「先入観…?」

「そうだ。もう一回、よくよく通達を読んでみるぞ。今回の実技試験の概要は〈五人を一組とした三組十五名を親、他百名の生徒を子として行う。子の生徒にはコインを一枚ずつ配付するので、コインを持った生徒は必要に応じてそれを親に渡すこと。三十分で獲得したコインの数をこの試験の結果とする。〉だな。他の細かい規定と合わせてこれを読んだオレたちは、これを気軽に〝鬼ごっこ〟と称したわけだけど、その時点でほとんどの生徒はすでに先入観に縛られてる。」

 ユキはすっと指を掲げた。

「一つ、親は子を追いかけ、子は親から逃げなければならない。二つ、コイン獲得の方法は子を捕まえること。三つ、他のチームよりコインの獲得数が多い方がいい成績になる。……致命的だな。全否定してやろう。」

 最終的に三本の指を立てたユキは、否定という言葉を表すように指を立てた手を握り拳に変えた。

「なんでわざわざ親が子を追いかける必要がある? 子は必要に応じて親にコインを渡せと言われてるだけだ。無理に奪わずに交渉で済ませればいいだけだろう。子にしても状況は同じ。どうしてわざわざ親から逃げる必要がある? 捕まったらペナルティがあるのか? そんな規定どこにもないのに? そして何より、なんでコインを集める必要があるんだ? 確かに試験の結果はコインの獲得数だけど、それがイコール成績になるなんてどこにも書いてないぞ?」

「で、でも、これは遊びじゃなくて試験だよ?」

「そう。それがまた一つの先入観だ。」

 ユキは狼狽えるトモの瞳を真っ直ぐ貫く。

「これは試験。何かしらの観点から成績が決定される。評価基準が伏せられてる以上、他者と差別化できる数値があれば、当然それが評価基準になり得ると錯覚する。オレたちの獲得ポイントが三割減だったり、オレとナギからもらえるポイントが五倍だったりするもんだから、その思い込みはより強くなっているだろう。……だからこそ、オレはコインの獲得数は成績にほとんど影響しないと思ってる。」

「そんな…」

「意外か? 二学期の論文試験だって、最初の主な評価基準は内容じゃなくて翻訳能力の方だっただろう? あの時だってみんなが先入観に踊らされた結果、オレが無駄に苦労する羽目になったんだ。あんな滑稽なダンスを見せられて、また騙されんのか?」

「う、そう言われると…」

 滑稽なダンス。

 ユキが躊躇いなく発した言葉に、トモが思い切り表情を固まらせる。

 それと同時に、隣に座っていたナギの肩も大きく震えた。

「……悪い。口が滑った。」

 気まずい空気が流れ、そこでようやく自分の失言に気づいた。

 二学期のあの事件。自分や大勢の生徒は過去のことにして振り切っているのだが、ナギやトモは騒ぎを大きくした責任を感じているからか、まだ多少引きずっている部分があるらしい。

 瞬く間に曇る二人の表情。

 疲れていたせいもあったのだろう。

 思わずイラッとしてしまった。

「あーもー、やめやめ! あれから三ヶ月も経つんだから、いい加減引きずるのやめようぜ。」

 ユキは沈んだ空気を追い払うように手を振った。

「当事者のオレがいいって言ってんだから、もういいんだって。別に気にするなとは言わないけど、せめて前向きな方向に引きずってくれないか? いつまでも罪悪感とか持たれてても困る。特に、今は試験の対策を練ってるんだろう? 前例や失敗なくしては話もできないんだから、そこのところは切り替えてほしい。暗い話なら、ある程度対策が練り終わった後にいくらでも聞いてやるから。」

 厳しいことを言っている自覚はあるが、プライベートはプライベート、試験は試験だ。対策に集中したいのに、いちいちプライベートの事情を汲んで言葉を選ぶなんて、正直なところやってられないというのが本音だ。

 こっちは二人が少しでも罪悪感を持たずに済むよう、多方面に手を回してしぶとくあの事件を乗り切ってやったのだ。それを恩着せがましく言うつもりはないが、ちょっとくらいはそれを察してくれ。

「うん、そうだね。ごめんごめん。」

 ユキの苛立ちをすぐに察して、トモがパッと表情と雰囲気を明るくした。

「だって、突然ぶっこんでくるからさー。びっくりするじゃん。」

「こういうのはいつも突然だろ。何言ってんだ。」

「すみませーん。」

 ふざけた口調で謝ってくるトモに不満もそれなりに収まり、ユキは試験対策の話を再開しようと口を開きかけた。

 だが、そこでナギが小さくユキの服を引く。

「……なんだ?」

 ユキは顔をしかめる。

 試験対策に頭を切り替えてくれたわけではないと、ナギの様子を見るだけで分かったからだ。

「ねぇ、ユキ…俺のこと、まだ嫌い?」

 ナギが訊いてきたのはそんなこと。

 いつもなら、もう少しまともな対応ができたのだろうと思う。

 ただ、この時は色んな意味でタイミングが悪すぎた。

「は?」

 ユキは冷めた目でナギを見下ろした。

「オレ今なんつった? 今は切り替えろって言わなかったっけ?」

「だって…」

「だってもくそもねぇよ。雑談は後。集中しろ。」

「だって! 気になって対策になんて身が入らないんだもん‼」

「ああそうかよ! 嫌いだわ! そうやって自己中心的で空気読まないところ‼」

 売り言葉に買い言葉で痛烈な言葉を叩きつけるユキ。それを受けたナギもぐっと表情を険しくした。

「ちょっ……二人とも!」

 慌てたトモが仲裁に入ろうとしたが、ユキとナギは互いをきつく睨み合ったまま微動だにしない。

「お前さ、なんなの?」

 堪忍袋の尾が切れたユキの声が、とてつもない怒りと威圧感を伴って空気を揺らす。

「オレが最近、気疲れでへとへとなの分かってるよな? せめて勉強してる時くらい、余計なこと考えさせないでくれねぇか? そうでなくても、オレはこうやって勉強の邪魔されるのが大っ嫌いなんだよ。」

 普段気を回しまくっている自分にとって、ただ勉学に打ち込める時間がどれだけ貴重か。

 琴線に触れられたユキが放つ威圧感は、誰もが息を飲んで固まるほど。

 しかし。

「なんで…」

 ナギの声が震える。

「なんでユキって、いっつも俺にはそうなのさ⁉ ユキのこと邪魔してるってことなら、エヴィンだって一緒じゃん! なんでエヴィンにはそうやってきつく言わないの⁉」

「はっ……はあっ⁉」

 ナギが怒鳴ったことに一瞬気を取られ、次にその言葉の内容を理解したユキはまた目くじらを立てる。

「なんでそこであいつが出るんだ⁉」

「いいから答えてよ!」

「馬鹿か、お前は! あの変態にきつく当たったところで喜ぶだけだろうが‼」

「じゃあ、なんでエヴィンにはあんなに優しいわけ⁉」

「オレがいつ優しくしたって⁉」

「してるよ! ずっと‼」

 ナギが泣きそうな顔をする。

「俺にはいつも怒ってばっかで、エヴィンみたいに……あんな風に、笑ってなんかくれないくせに…っ」

 その瞬間、しんと室内に沈黙が落ちた。

 ナギは唇を噛み締め、トモは収集がつかない状況におろおろとしている。

 そしてユキは―――

「つまり、またヤキモチなわけ?」

 そう冷たく言い放すだけだった。

「‼」

 ナギがびくりと反応する。

 答えは聞くまでもなかった。

 ユキは大仰に溜め息を吐き出す。

「お前、本当にいい加減にしてくれる? こっちが気遣ってやりゃあ、調子に乗りやがって。勘違いするのも大概にしろ。言わなきゃ分かんねぇってんなら、今この場ではっきり言うわ。」

 受け止め続けるのもそろそろ限界だ。

 怒りが臨界点を突破したユキは、ナギに向かって決定的な言葉を叩きつけた。

 

「オレはお前のもんじゃない! 全部が全部お前優先だと思うな‼」

 

「―――っ‼」

 ナギの表情が大きく歪んだ。

「この話はもう終わりだ。やる気がないなら出てけ。」

 ユキはナギから顔を背け、一人テーブルに向かう。

「……ユキの馬鹿‼」

「あ、ナギ!」

 立ち上がるや否や駆け出したナギにトモが思わず手を伸ばしたが、ナギはあっという間に部屋を出ていってしまう。

「……あーらら…どうしましょう…」

 トモの困惑顔を横目に。

「………」

 ユキは目元を険しくし、テーブルの上に散らばったプリントを睨んでいた。

 

 ★

 

 屋上を吹き抜ける風がとても心地よい。

 なのに、どうして自分の心はこんなにも荒んでいるんだか…。

「なぁ、トモ…」

 ユキは隣に問いかける。

「はい、なんでしょう。」

 こちらの心境が伝わっているのか、トモの声もどこか気まずげだ。

「オレは、言っちゃいけないことを言っちまった感じなのか…?」

「あー…」

 トモがそろそろとあらぬ方向に目をやる。

「そうとも言えるような、言えないような?」

「これ、オレが悪いの?」

「いつの時代も、好意というものは暴走するものでして…」

「好意、ねぇ…」

 ユキは肩を落とす。

 昨日の今日だ。ナギも自分もお互いに昨日のことを気にしているせいで、今日はまともに顔も合わせていない。

 教室内にいるのに目も合わせない自分たちに、早くもクラスの連中がざわめきだすくらいだ。

 それだけ自分はナギと一緒にいたんだな、と時間の長さを思い知らされる。

「あー…あのさ、ユキ。」

 トモがおそるおそるといった様子で口を開く。

「ユキ…その……ナギの好意が…どんなものか、もう知ってる、よね…?」

 訊ねられたのはそんなこと。

「知ってるよ。知ってるから困ってんだろ…」

 フェンスに手をつき、ユキはずるずるとその場にしゃがみ込む。

「あのな、オレにだって許容できることとできないことはあるんだよ。こんなの、どうすりゃいいってんだ……。」

 正直、ついていけない。

 ナギから向けられる好意にも、彼から求められるものにも。

「確かに分かってはいたよ。ナギにとって、オレが初めての特別になってるって。それが分かってたから下手に突き放すこともできなかったし、なんだかんだと世話も焼いちまったけどさ…。だからって、こうなるつもりなんてなかった。オレはあくまでも、あいつが外に目を向けるとっかかりになれば、それでよかったんだ。どこで何を間違ったんだ、オレは…?」

 どこでこんなにこじれてしまったのだろう。

 考え出したらきりがない。

「えっと、さ…」

 項垂れるユキの上にトモの声が降る。

「こればかりは不可抗力って、そんな気がするんだよね…。ユキは自分の信念に沿って行動しただけで、それをナギがそういう意味で好きになっちゃったって、だだそれだけでさ。」

「………」

「そ、それにさ! これも案外悪いことじゃないと思うんだよ。ヤキモチ焼けるようになったってことは、それだけナギの世界が広がってるってことじゃん。」

「………」

「ま、まあ……周りが見えた結果、余計にユキへの好意が増したってのは、確かかもしれないけど。」

「………」

「だ、だってね⁉ ユキは自覚ないかもだけど、ユキみたいにフラットな目で何事も見られる奴って、そうそういないんだよ? ナギみたいな天才のことを馬鹿って言えるのも、ユキだけなんだからね? だからナギも初めての経験ばっかで戸惑って、今は暴走がちになってるわけじゃん。」

「………」

「だから、その…」

「…………ああもう、いっそはっきり言ってくれ。」

 自分で自分が何を言いたいのか分からなくなってどうする。

 ユキは深々と息を吐き出す。

「ようは、オレが大人になって歩み寄れって言いたいんだろ?」

 トモがナギではなく自分についてきた時点で、ある程度察してはいたのだ。

 彼には昨日のことについて、何か自分に言いたいことがあるのだろう、と。

「……うん。まあ、要約すればそういうこと。」

 トモは苦々しく口をへの時に曲げながらも、ユキの指摘を認めた。

「昨日のあれだけど、正直ユキにも非はあると思う。もう嫌ってないって、ナギにちゃんと言ってあげたことある?」

「……言う機会なんてなかった。」

「それじゃ、ナギが不安になってもしょうがないじゃん。」

「………」

 ユキは黙り込む。

 それは、冷静に昨日のことを思い返して気にしていたことだった。

『ねぇ、ユキ…俺のこと、まだ嫌い?』

 あの問いかけが脳裏でよみがえった時、はたと気づいた。

 自分は、一度としてナギに〝嫌い〟以外の感情を伝えたことがないのだと。

 それに気づいてからはトモの言うとおり。ナギが不安になるのも仕方ないとは思っている。

 だから今は、こんなに罪悪感で気持ち悪くなっているんじゃないか。

「だよなぁ。やっぱオレも悪いよな、これ…。」

 他人に指摘されてある意味すっきりだ。

 昨日の発言については、自分も些かいきすぎていた。それについては素直に謝罪しよう。

 ただ、脳裏に引っかかるのはもう一つ。

『俺にはいつも怒ってばっかで、エヴィンみたいに……あんな風に、笑ってなんかくれないくせに…っ』

 ナギが泣きそうな顔で告げた言葉。

 あの不安を払拭できる答えなど、今の自分は持っていない。

(仕方ないだろ…)

 ユキは目を伏せる。

(お前を見てると、オレは―――)

 

「ユキ先輩はっけーん‼」

 

 ふいに響いた無邪気な声。

 それはその無邪気さ故に、非常に気に障った。

「うるっせー‼」

 我に返った時には、相手が誰かもろくに確かめないまま、気配だけを読んで回し蹴りを決め込んだ後。

「ったく、誰だ! 考え事くらいゆっくりさせろ……って、うぐっ…」

 相手と向かい合ったユキは見事に固まる。

「つ、ついに…ついに、ユキ先輩の蹴りをいただくことができたっす。ああっ、この容赦のなさがたまらない…っ」

 そこでは、地面に倒れ伏したエヴィンが恍惚として頬を赤くしていたのだ。

「そうだったよ。お前はそういう奴だったよ、ちくしょう!」

 ユキは顔を覆う。

 ついにやってしまった。エヴィン相手には無駄に殴らないように意識していたはずなのに。

「ユキ先輩、どうっすか⁉ 気持ちよくないっすか⁉」

 大興奮で詰め寄ってくるエヴィンに、ユキはいやいやと全力で首を左右に振った。

「気持ちよくねぇよ! オレはそこまで病気じゃない!」

「では、もう一声! 大丈夫っす! 一度やったら二度も三度も百度も同じっす!」

「だから逆調教はやめろっつってんだよ!」

「うへぇ、これは本物の目だぁ…」

 ユキの後ろからトモが顔を出し、物珍しいものを見たような、しかし見たくないものを見たような、そんな複雑そうな表情をする。

「あ、トモ先輩っすね! はじめまして! 自分エヴィンといいます。」

「うん、知ってる。会うの初めてだけど、無駄によく知ってる。ユキからもナギからも話は聞いてるよ。」

「マジっすか⁉」

 トモの言葉を聞いたエヴィンが何故か表情を輝かせた。

「あの、その話、ぜひとも詳しく教えていただきたいっす!」

「え…?」

 そんなことを訊かれるとは思わず、きょとんと目をしばたたかせるトモ。

「なんで? 別に面白い話じゃないよ?」

「だからっすよ!」

 エヴィンは鼻息を荒くした。

 激しく何かを期待している。

 そんな顔だ。

「きっとユキ先輩のことだから、自分に直接言えない分、裏ではボロクソに愚痴ってくれてるに違いないっす!」

 見事に大当たりである。

 トモは目を丸くし、ユキはげんなりとして肩を落とす。

「あらやだ。この子意外と頭いいよ?」

「そうじゃなきゃ、ここまで苦労してねぇわ。」

「把握。」

 トモは大真面目に一つ頷くと、ユキの肩をぽんと掴んだ。

 そして優しくその体を引き、ユキを自分の後ろに隠してしまう。

「あれ、トモ先輩。なんでユキ先輩を隠すんです?」

 エヴィンが不思議そうに首を傾げた。

「君、うちのユキに変なこと教えないでもらえる?」

 周囲の誰もが言えなかったことをトモがあっさりと告げる。

 すると。

「えええ⁉」

 エヴィンは心底意外そうな顔をした。

「そんな! 同じ犬属性のトモ先輩には分かってもらえると思ってたのに‼」

 いや、犬属性って何?

 よく分からない言いがかりをつけるエヴィンを理解できないユキだったが、言われたトモは特に突っ込むことなく肩をすくめた。

「犬属性なのは認めるけど、おれはナギに踏んでほしいとまでは思わないよ。好き勝手にこき使ってほしいとは思うけど。」

「いや、それもそれでどうなんだ?」

 というか、お前には犬属性って通じるんだ?

 ユキは思わず身を引いた。

 この場においては自分の方が浮いているらしい。こうして考えてみると、自分の周りにはよく言えば個性的、悪く言えば面倒な奴らが多く集まっているような気がする。

 これは自分が原因なのだろうか?

 そんな気持ちに陥った瞬間、自我が全力でそんなことないと否定する。

 しかし、だ。

(自分の力をちゃんと自覚しろって、最近言われまくってるしな…)

 そこで新たな事実が立ちはだかる。

 ただがむしゃらに走ってきた今までの道。その最中で得たものが自分を変えているのだとしたら、一概に運悪く周囲が変人だらけなのだとも言い切れないわけで。

(やっぱオレが原因なの? わけ分かんなくなってきた…)

 なんだか眩暈がしてきた。

 顔を青くするユキを置き去りにして。

「ああ、いいですよね! ぼろ雑巾のようにこき使ってしごいてもらうんですね‼」

 興奮したエヴィンがトモに詰め寄る。

「ん? んん…君のそれは、なーんか別次元に飛んでる気がするな。おれはただナギに思う存分頼ってもらいたいって感じなんだけど。」

「なるほど! 無茶な命令されるものいいっすよね! 痺れます‼」

「ちょっと、ユキさーん‼ この子の脳内置換がすごいんだけどぉ⁉ どうしよう、全部プレイにされちゃう‼」

 エヴィンの変態度を目の当たりにしたトモが、早くもユキの体を揺さぶる。

 眩暈がひどくなった。

 それと同時に、我慢の糸がふつと切れる感覚が襲う。

 ユキはうざったそうにトモの体を押し返した。

「オレに助けを求めるな! お前が振った話なんだから、お前が回収しろ‼」

「ユキ先輩! その顔と罵倒はどうか自分に‼」

「ああもう、うぜええぇぇぇっ! お前はくだらないことにいちいち反応するんじゃねぇよ! 本っ当に気持ち悪ぃな‼」

「ありがとうございます‼」

「ユキ、落ち着いて! ブレーキ外れてる‼」

「うるせぇ‼ ただでさえ目が回ってんだから、もうほっといてくれえぇっ‼」

 ユキは発狂したかのように喚き散らす。

 同性間の恋愛感情というすぐには適応できない価値観に加えて、これまたすぐには理解できないサドマゾの世界。さらに将来のことも並行で考えなきゃいけないわで、自分の頭はすでにパンク寸前だ。叫びたくもなる。

 なんだかもう、色々とめんどくさくなってきた。

 こんな無意味な押し問答を繰り返すくらいなら、自分の性格を捻じ曲げてまで我慢せずに、いっそ開き直ってしまった方が楽なのでは?

 ふいに、そんな気持ちが脳裏をかすめていった。

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