大団円
王都に戻ってから数日の間、トリスタンとジークフリートのふたりの王子たちは今回の件の後始末に追われた。賊を捕らえた際の報告を記し、裁きや盗品の返還に立ち会うこともあった。王太子の公務は当面ふたりで分け合うことになっていたため、そちらもこなさなければならなかった。
その合間には――兄弟にとってはこちらの方こそより大事な用件だったが――トリスタンはアーデルハイトに、ジークフリートはユリアーネに謝り倒した。令嬢たちはもうひとりが許すなら、と非常に寛容な態度を見せたが、王子たちにとってはもちろん何度謝っても足りるということはなかった。
一方、令嬢たちは女同士で友情を深め、アーデルハイトは一部の友人にユリアーネを紹介することもあった。王子たちがことの真相を友人知人に広めたこともあって、ユリアーネは遅まきながら社交界に受け入れられた。彼女に対して辛辣な態度を取った者も謝罪して、王宮は和やかな雰囲気を取り戻した。
そして令嬢たちの疲れも取れ、大捕り物の後処理もひと通り終わったある日のこと。王の執務室にはまたも常より多い人数が詰め込まれていた。
国王と王妃夫妻。レーヴェンブリュール公爵。アイヒェンオルト男爵。そしてもちろん、今回の件の当事者のトリスタンとジークフリートの兄弟と、アーデルハイトとユリアーネの令嬢たちである。
令嬢たちが暴走した王子たちにどのような裁きをくだすのか、親たちが見届けるための席だった。
「ふたりとも、無事で何よりだった。父君のもとへ無事に返すことができて余の面目も保たれた」
王の言葉に、令嬢ふたりは深くひざまずいて答える。
「勝手に姿を消して、大変なご心配とご迷惑をお掛けしました。申し訳のないことでございます」
「助け出してくださったこと、両殿下にも騎士の皆さまにも、そして何より陛下に心から感謝を申し上げます」
「そもそものきっかけは王子たちであったのだから感謝にも詫びるにも及ばない。さて――」
王は息子たちをぎろりと睨んでから慎重に言葉を選んだ。
「愚息どもの企みを、ふたりとも全て聞いたことと思う。躾が甘かったことに気づかなかったのは余らの咎でもあるが――息子たちに罰を与えることができるのはそなたたちをおいて他にないと王妃や父上たちと取り決めた。
アーデルハイト、ユリアーネ。そなたたちは、王子たちにどのような罰を望むのだ?」
親たちの顔は不安に満ちていた。王と王妃は、許してくれるのだろうか、と願っている。公爵と男爵は許してしまうのだろうか、と懸念している。令嬢たちの父親にとっては、娘を傷つけ欺いた罪を、賊から助け出したくらいで帳消しにはできないのだ。
その場の全員の注目を、令嬢たちは落ち着いた表情で目線を交わした。ふたりの間ではすでに出た結論を、改めて確認するかのように。
「殿下がたのお心はよく分かりました」
「助けていただいたことも併せて、過分なほどに思っていただいていると存じます」
「そうか……!」
王は目を輝かせ、公爵たちは落胆のため息をもらした。しかし令嬢たちの話は終わっていない。
「ですが、わたくしたちは大変悩み、傷つきました」
「わたしもアーデルハイト様に同じく、です」
「ユリアーネ様を悪く思ってしまったことも、自分自身ですら許せないくらいですもの。その原因となった殿下がたを信じるのは、非常に難しいことです」
「簡単に忘れることも許すこともできません。わたしたち、ふたりとも同じ思いでおります」
親たちの表情が先ほどとは逆転する。王はがっくりと肩を落とし、公爵と男爵はわずかに顔を上げて期待に満ちた表情で身を乗り出す。
「では――」
しかし、令嬢たちは親たちの期待も不安も振り払うように晴れやかに、いたずらっぽく微笑んだ。
まず口を開いたのは、薔薇のように艶やかなアーデルハイト。
「ですから、わたくしたちは待つことにしました」
「……何を?」
王の不審げな問いに答えたのは、白百合のように清楚なユリアーネ。
「わたしたちが、殿下たちを信じられるようになるのを。信じ、愛せるような夫になってくださるのを。言葉だけでなくて――そのように変わってくださるのを、何年でも待ってみたいと思います」
「もちろん、女が待つだけというのではありませんけれど。わたくしたちも、立場に義務に――殿下がたのお気持ちに相応しい妻であるように努めたいと思っております」
「まあ、何て……」
匂い立つ花のように誇らかに晴れやかに宣言した令嬢たちに、王妃の口元がほころんだ。彼女たちの言葉の意味を知って、素晴らしい娘たちができたことを喜んだのだ。
一方、公爵はため息混じりに男爵に語りかけている。
「娘たちはどうも寛容すぎるのではありますまいか。殿下がたに甘すぎる。もっと厳しくあたっても良いものなのに……」
「ですが、非常に手厳しくもありますわ、公爵。男爵も気落ちなさらないでくださいませ」
あからさまにがっかりした様子の父親たちに、王妃はおっとりと微笑みかけた。
「お嬢様がたが言ったのは、ある意味どんな罰よりも重いことです。今何かをすれば許されるということではないのですから。息子たちは、この先一生、ひと時たりとも気を抜くことは許されないのですよ? あらゆる言葉、あらゆる行動が試されているようなものなのですから」
「……まあ、確かに」
「一度は嫁がせるのが非常に惜しくはありますが……」
王妃の言葉にうなずきつつ、令嬢たちの父親ふたりは、娘に寄り添う王子たちを苦い顔で眺めている。簡単に許されたと思うはずがない――と信じたいところなのだが、幸せいっぱいと大書してあるような緩みきった笑顔を見ているとどうも不安になってしまうのだ。
「わたくしたちだけに良い顔をすれば良い……だなんてもちろん許しませんわ」
「トリスタン様は男爵領に来てくださるそうです。お父様、領地のことを教えて差し上げてくださいね」
それでも娘たちの笑顔を見れば、男親は矛先を鈍らせてしまう。それに、彼らにも十分出番があることを思い出したのだ。公爵は重臣としてジークフリートを。男爵は義父として、そして領地をよく知る者としてトリスタンを。鍛える機会は幾らでもある。それで泣き言を言うようなら、改めて娘はやれないと言ってやれば良いだろう。
「なるほど、任せなさい」
「殿下に教えるとは恐れ多いですが。精一杯やらせていただきましょう」
義理の息子となる王子たちを見るふたりの目は、いささか剣呑だった。しかし王子たちは怯むことなく受け止める。
「私は王子ではなくなる。遠慮せずにお願いしたい」
「僕に対しても。一日でも早くアデルに信じて欲しいから」
「……仰せの通りにいたしましょう」
このやり取りを見て、王もひとまず安堵の息をついた。息子たちは振られるに違いないと半ばは覚悟していたから。考えなしに育ててしまったのに長らく気づかなかったことに責任を感じていたのだ。まだまだ執行猶予中に変わりはないが、やり直す機会を与えてくれた令嬢たちには感謝の思いしかない。兄弟揃って愛する人の心をみすみす失ってしまったなどと、国としてあまりに外聞が悪すぎる。
「では、息子たちに最初の試験を与えよう」
集った者たちを見渡しつつ、王は告げる。
「まずはトリスタンの引き継ぎと、ジークフリートの立太子からだ。ふたりとも、肝心のことを隠してことを進めようとしたからな。騒がせた者たちに詫びつつ、改めて何を為したいかを示すのだ。愛する人ができたがゆえに、国を守る覚悟も増したと臣下たちに納得させよ」
令嬢たちを失望させるな、という命題は非常に重い。いずれも並外れて心優しく高潔な人柄の女性たちだから。恋にかまけて務めをおろそかにするようでは失格とみなされてしまうだろう。彼女たちの愛を得るためには、王子たちはまず王として領主としての器を育てなければならない。
「はい!」
「必ず――!」
しっかりとうなずいた兄弟の答えは、先日令嬢たちを探し出す決意をした時と同じものだった。しかし、令嬢たちのことしか頭になかったあの時とは重みが違う。後がないことを――そしてそれ以上に彼女たちに相応しい男にならなければならないことを、彼らもよく認識しているのだ。
王子たちの顔つきに成長の欠片を見てとって、親たちは――内心の思いは様々だったが――それぞれに表情を和らげた。
そして数ヵ月後。
王都の中心、王宮前の広場には市民たちが詰めかけている。何か大事な告知がある、ということで呼び集められたのだ。その重大事が何かというと――
「王太子殿下の婚約発表?」
「もうどこかのお姫様と婚約してるんじゃなかったかい?」
「婚約破棄の発表だと聞いたけど」
「違うよ、王太子殿下のお披露目だって」
「王太子殿下はもういらっしゃるじゃないか!」
市民には今ひとつはっきり伝わっていなかった。
彼らの噂話のどれもがそれほど外れていなかったのはすぐに明らかになった。広場を望むバルコニーに、国王夫妻と、四人の若者が現れたのだ。
歓声で迎える民に笑顔で手を振って応え、まずは国王が口を開く。
「余の愛する国民よ、求めに応じて参じてくれたことに礼を述べよう。今日集まってもらったのは他でもない、諸君らにめでたく喜ばしい報せを分ちあって欲しいからだ!」
広場は広く、集まった人々は多いので王の声は彼らの全てには届かない。しかし、口から口へ王の言葉が伝わるにつれて、人々は王が知らせる内容を待ちわびて、期待に満ちたざわめきがさざ波のように広がっていく。
「そなたたともよく知る王太子のトリスタン。余の長子は、この度心から愛するものを得、更にその女性に求婚を受け入れられる幸運に恵まれた! その女性がこの、アイヒェンオルト男爵令嬢ユリアーネである!」
進み出たユリアーネの愛らしく初々しい姿に、そして王子様が愛によって結婚するという物語の美しさに、民は湧いた。けれど一方で、男爵令嬢という身分を案じ、トリスタンの元の婚約者の存在をいぶかる声も上がる。
「気づいた者もいるようだが、ユリアーネ嬢は王妃に足る教育を受けていない。よってトリスタンは王位継承権を放棄し、ひとりの男として彼女と結婚することになる!」
王太子が愛のために身分を捨てる――その言葉が行き渡ると、人々の間からは悲鳴にも似た歓声が上がる。そして嵐のような歓声にかき消されまいと、王は一層声を張り上げた。
「代わって第二王子のジークフリートが王太子として余の後を継ぐことになる。そして、将来の王妃としてレーヴェンブリュール公爵令嬢アーデルハイトがこの者を支えてくれる!」
再び歓声が湧く――が、先ほどよりも勢いはやや弱く、疑問の声も上がっている。婚約破棄された令嬢が、すぐに元婚約者の弟に宛てがわれるのは、いたましいことに思われたのだ。
民の懸念を和らげるため、ジークフリートはアーデルハイトに寄り添った。決して兄の埋め合わせで彼女と婚約するのではないと、彼女を愛しているのだと示すため。
王太子として初めて、ジークフリートは国民へ語りかけた。
「我が父の子供たち、我が親愛なる兄弟たち。僕は、予期せずして王太子の地位を――未来の王座を得た。不安を覚える者もいるだろう。僕自身、王冠の重さには震える思いだ。だが、今は未熟でも、僕は必ず君たちを守るのに相応しい王になってみせる。父や臣下が――何よりも彼女が、支えてくれるから」
傍らの婚約者――アーデルハイトを見つめるジークフリートの目は優しく愛情に満ちたものだったので、民の不安もすぐに消えた。アーデルハイトの気品に満ちた微笑みも、歳下の婚約者を見守り励ますものだった。
「だから君たちも僕を信じて国を託してほしい。そしてもしも道を誤った時は、正してほしい。――僕は君たちを失望させはしない!」
若すぎる王子の澄んだ声はよく響いた。彼の覚悟も、アーデルハイトへの愛情も、集まった民の心に届いた。だから、どこからか自然に湧き上がる拍手が歓声が、新しい王太子とその婚約者を祝福した。
更に拍手と歓声の間を縫って、トリスタンも高らかに宣言した。
「私は王太子の位を退いた。しかし、それは君たちを見捨てたという訳ではない。私は、愛する人と共に、君たちと同じ目線で君たちとともに生きていきたい。君主としてではなくひとりの男として愛する人たちを守る術を、私は学んでいきたい。だから、どうか私の選択を受け入れてほしい!」
トリスタンの宣誓もまた、拍手でもって迎えられた。愛のために全てを捨てるという物語はやはり美しいものだから。もちろん捨てられたとも言えるアーデルハイトや、義務を投げ出したことに疑問を感じる者もいたのだが、先のジークフリートの演説やトリスタンの言葉――そして何にもまして、彼らを見つめる令嬢たちの暖かく柔らかな眼差しを見れば、そんな疑問も薄らいだ。
四人の若者を、彼らの思いを、集まった民は祝福した。
バルコニーでは、民の笑顔を見たユリアーネが驚いたようにつぶやいた。
「こんなに暖かく迎えてもらえるなんて――わたしまで。信じられません」
王太子を惑わせた女だと非難されるのではないかと、ずっと心配していたのだ。そんな彼女を、トリスタンは優しく抱き寄せる。
「君を嫌える人なんていないと言っただろう。祝福してもらえない結婚では君を幸せにできないからね。ここに出てきてもらって――受け入れられているとわかってもらえて、本当に良かった」
「トリスタン様が皆さまにちゃんとお話してくださったおかげですね。今のお言葉も、とても、素敵でした」
「それに、ジークも。とても堂々とした演説だったわ。引き継ぎも勉強もとても頑張っているもの、陛下も安心なさったでしょう」
アーデルハイトの微笑みを受けて、ジークフリートは頬を赤く染める。
「まだまだだよ。あまり褒めると調子に乗ってしまうから止めて」
「そうなったら教えてあげるわ。だから褒めさせて、自慢させて――わたしくしの婚約者を」
アーデルハイトが励ますように――そして少しいたずらっぽく――ジークフリートの手を握り、頬に口づけたので、彼は一層赤面した。その様子を、トリスタンとユリアーネは
手を取り合って見守っている。
その微笑ましい一幕は広場の民にもよく見えたので、拍手と歓声はいつまでも鳴り止むことはなかった。
トリスタンとユリアーネ。ジークフリートとアーデルハイト。ふた組の夫婦は、仲睦まじく愛し合い支えあった理想の夫婦として歴史に名を残し、後世の小説家や戯作者に創作の種を与えた。彼らを題材にした作品が多くの少女に夢を見させたのも言うまでもない。
しかし、彼らの婚約に至るまでの顛末は、意外なほどに知られていない。若い日の不名誉な逸話を王子たちが隠したがった――ということは決してない。むしろ彼らは恋に溺れて暴走する若者たちを諌めるべく、子供たちや孫たちに積極的にこの失敗談を話して聞かせた。聞き手がうんざりするほどに妻たちの惚気を交えつつ。
にも関わらずこの物語があまり語られていない理由は、ふたつ。
ひとつは、トリスタンは良き領主に、ジークフリートは良き王になって広く民に慕われるようになったから。心優しく寛容な彼らがそのように愚かな過ちを犯したなどと、後世の人々には信じがたかったのだ。彼らの夫人も高潔な人柄で高名だから、夫となる人の卑劣な行いを許すなどとも考えづらいという訳だ。実際は、人々が思う以上に彼女たちは忍耐づよく、そして何より夫を愛していたのだけれど。
そしてもうひとつの理由。それは、婚約にまつわる騒動がほんの些細なものだと思えるほどに、彼らと彼女らの人生は多彩な物語に彩られていたから。わざわざ情けない逸話を選ばなくても、より心躍らせるもの、より心震わせるものが幾らでもあるから。これは、彼らが後世の創作家に愛された理由でもある。
とはいえ今はこれだけ語れば十分だろう。おとぎ話を締めくくるように。
トリスタンとユリアーネ。ジークフリートとアーデルハイト。彼らはいつまでも愛し合って幸せに暮らしたのです。
めでたしめでたし!




