執着の果て編11(決着)
茉利は涼介の手を取り、ベッドへと導く。
「ふたりきりになれる時間なんて、久しぶりね。」
そう言って微笑む彼女の表情には、もう勝利の色しかなかった。
指先が触れる直前——
パシッ
涼介は、静かにその手を払った。
「……いいや。」
その瞬間、彼はポケットから自分のスマートフォンを取り出し、画面を茉利の前に突きつける。
画面に並ぶのは、彼女が裏で行ってきた数々の違法行為の証拠。
政治家への賄賂の記録、不正取引の証拠、競争相手への圧力工作。
財閥の名を利用し、影で動かしてきた仁村茉利の闇が、すべてそこにあった。
茉利の表情が凍りつく。
「……どうして、これを……?」
涼介は静かに目を細める。
「お前のスマホから送った。俺とマスコミの人間の連絡先に。」
「——!!!嘘よ……そんなはずない……」
彼女は慌てて自分のスマホを見るが、もう遅い。送信済みのデータが、画面に無情に表示されていた。
「どうして……」
茉利の血の気が引いた。
「まさか……解除したの?」
「ああ。」
涼介は、悲しげな表情を浮かべながら言った。
「……パスコード、俺の誕生日で変わってなかったんだな。」
——これが、二つ目の賭けだった。
西村の協力を引き出すことが最初の賭けならば、次は茉利のスマホのパスコードを解除できるかどうか。
もし解除できなければ、計画は水の泡。
ーーだが、茉利は変えていなかった。
彼女の“個人的な想い”に賭けたのは、涼介自身の冷徹な計算だった。
茉利はあれほど用心深く、徹底した管理を行う人間だ。
その彼女が、スマホのパスコードという“個人的な部分”だけは変えなかった——それは、単なる油断ではない。
茉利があの伝説の夜の後も、パスコードを涼介の誕生日にしたままにしているかどうか——それにすべてがかかっていた。
あの夜、茉利は涼介に囁いた。
「今、このスマホのパスコードを……あなたの誕生日にするわ。」
そして、その日、自分も——彼女のスマホのパスコードを自分のスマホの誕生日に変えさせられた。
お互いの誕生日をパスコードにすることは、彼女なりの“独占”の証だったのだろう。
だが、それから時間は経ち、関係は冷え切った。
茉利が自分への執着を強めながらも、いつかこのパスコードを変えていた可能性は十分にあった。
もし変えられていたら、涼介は負けるしかなかった。
しかし——
「お前の執着の強さを信じた。」
涼介は低く呟いた。
茉利がどれだけ涼介を“自分のもの”にしようとしたか、その狂気にも似た執着心を、彼は誰よりも知っていた。
彼女は涼介を支配したいと思いながらも、同時に“特別な絆”を幻想の中で維持し続けていた。
だからこそ、変えていなかった。
だからこそ、今、涼介の手の中には——彼女の全ての罪が暴かれる証拠がある。
「……終わりだよ、茉利。」
涼介の声が、静寂の中に落ちた。
その言葉が落ちた瞬間——
茉利の顔が歪む。
けれど、涼介の表情は冷ややかではなかった。
むしろ、そこには 深い憐れみと悲しみが滲んでいた。
「お前は……ずっと、そうだったんだな。」
「……何が……?」
茉利は震える声で問い返す。
だが、涼介の瞳はただまっすぐに、彼女を見つめていた。
「お前にとっての愛は、所有することだった。」
「……っ」
「だから、俺を縛ろうとした。だから、俺の誕生日を……パスコードにした。」
涼介の胸の奥が、微かに痛んだ。
(お前は、最初から……そうするしかなかったんだな。)
愛を知らなかったから。
愛され方も、愛し方も、誰にも教わらなかったから。
だから、こうして手に入れたと思い込むしかなかった。
愛は「所有するもの」、他人は「支配するもの」だと、信じるしかなかった。
呆然と呟く茉利を、涼介は真っ直ぐに見据えた。
「俺がここに戻ってくると思ったか? 逆だよ、茉莉。俺はここに終わらせに来た。」
その言葉とほぼ同時に、茉莉の携帯が鳴った。
震える手で画面を見ると、それは財閥の重役たちからの連絡だった。
「……まさか。」
嫌な予感が背筋を這い上がる。
そして、次の瞬間——
「茉利お嬢様、幹部会の決定です。あなたの解任が正式に決まりました。」
突きつけられたのは、クーデターの事実。
涼介が集めた証拠と西村に送ったメールが決定打となり、財閥の重役たちは茉利を切り捨てることを決めたのだ。
「嘘よ……そんなはず……」
信じられない、とでも言うように、茉利は後ずさった。
そして、さらに追い討ちをかけるように、財閥の重役たちは最後の一言を告げた。
「あなたのお父上、仁村総裁からのお言伝です。『失望した』と。今後、ウチの財閥の名を騙ることは許されません。」
彼女が持っていた絶対的な権力は、今、音を立てて崩れ去った。
☆
「……茉利。」
涼介は目を伏せ、静かに言った。
「……お前がどれだけ俺の世界を壊そうとしても、俺はお前の世界には戻らない。」
涼介は目を細めた。
「でもな、お前がどれだけ俺を潰そうとしても……俺には支えてくれる人がいる。」
「……!」
「健斗がいる。麻衣がいる。蓮がいる。家族がいる。俺を信じてくれる仲間がいる。」
涼介は彼女を見据え、静かに言った。
「お前の周りには、誰がいるんだ?」
茉利の表情が、一瞬にして凍りつく。
——誰がいる?
涼介はすでに知っていた。
彼女には、誰もいない。
金と権力に囲まれ、好き放題生きてきた結果、彼女の側には「彼女を本当に必要とする人間」が一人も残っていなかった。
彼女がすべてを手に入れても、涼介がどれだけ憎んでも、
——涼介の周りには人がいる。茉利の周りには、誰もいない。
「お前が本当に求めていたものは、なんだったんだ?」
「お前は“誰かに必要とされたい”だけだ。」
涼介の声は、静かだった。
「俺じゃなきゃダメなんじゃない。お前が“救われるべき相手”を俺に押し付けてるだけだ。」
「……違う!」
茉利の声が震えた。
「あなたじゃなきゃダメなの!」
必死に訴えるように涼介を見つめる。
その瞳には、焦りと恐怖が滲んでいた。
「あなたが私を必要としなきゃ、私には何の価値もない……!」
彼女の指先が小さく震えている。
涼介は、静かにその姿を見つめた。
それは、どこか昔の自分と似ていた。
信じられるものがなく、ただ闇雲に人を遠ざけるしかなかったあの頃の自分に。
周りを従わせる力があった。
誰も頼れなかった。
その結果、孤独になった。
茉利も、きっと同じだった。
けれど——
涼介には、信じて支えてくれる人がいた。
健斗がいた。
麻衣がいた。
蓮がいた。
桐生がいた。
家族も……もう一度、向き合おうとしてくれている。
「だったら、お前自身で自分の価値を見つけろ。」
「そんなの……無理よ……」
涼介は、真っ直ぐに彼女を見て言った。
「それでも、お前は生きている……『生きてりゃ、きっと良い事あるさ。』」
涼介の言葉に、茉利は何も答えられなかった。
「……俺は、お前にもう何も言うことはない。」
涼介は彼女を一瞥し、踵を返した。
「……待って……」
彼の背中を見つめながら、茉利は微かに呟いた。
だが、その声は涼介には届かない。
——彼女が最も恐れていたもの。
——それは、「涼介が完全に自分の手の届かない存在になること」。
「……そんなの、許さない……!」
茉利の手が震え、次の瞬間、彼女の指が近くの果物ナイフを握りしめた。
鋭い刃が煌めく。
「なら……せめて、あなたを壊してでも――」
彼女の腕が振り上げられた。
涼介は動かなかった。
ーーザクッ!
刃が、涼介の腹部に深々と突き立った。
「……っ!」
鮮血が広がる。
茉利の瞳が見開かれる。
「やだ……なんで……?」
彼女の手が震える。
「なんで、避けないの……?」
「……お前が俺を殺したら、お前はどうなる?」
涼介は苦しげに息をしながらも、ゆっくりと微笑んだ。
「それでも、お前は俺を求めるのか?」
カラン、と音を立てて、茉利の手から、ナイフが滑り落ちた。
伏線として、ホスト編9(伝説の夜)でのパスコードに関する所です。
残り3回で完結となります。




