執着の果て編9(最後の一線)
茉利が財閥の令嬢であることは周知の事実だが、財閥の中でも彼女の立場が決して安泰ではないことを、涼介は知っていた。
事前に、涼介は仁村財閥について徹底的に調べ上げていた。
情報収集には惜しみなく金を使い、関係者や内部の動きを調査し尽くした。
そして、芸能関係者が集まるパーティーで、財閥の高官と接触する機会を得た涼介は、その後も慎重に距離を縮めながら、彼らの関心を引くように話を進めた。
「あなたのところの令嬢、随分と好き勝手やってるみたいだけど……財閥の評判、大丈夫かね?」
——電話の相手は、財閥の高官だった。
パーティーの席で顔を合わせた時から、涼介はこの瞬間を狙っていた。
直接話をするべき時が来ると踏み、財閥の高官に「仁村茉利の件で大事な話がある」と、内密に呼び出していた。
受話器の向こうで、年配の重役たちが顔を見合わせる気配がする。
「……どういう意味だ?」
低く、警戒するような声が響いた。
「少し耳を傾けてくれるなら、話してやるよ。」
涼介は、ゆっくりと語り出した。
「企業のブランドイメージって、相当大事だよな? もし、そのブランドを傷つけるスキャンダルが出たら……どうなると思う?」
「スキャンダルだと?」
「そう。たとえば、一族の娘が裏で違法な妨害工作をしていたとしたら? 具体的には、自分の息のかかった会社を通じて不具合のある製品を混入させたり、ホストクラブの経営に関与し、業界を私物化しようとしている……とかな。」
受話器の向こうで、男の声が一気に強張る。
——仁村財閥は、茉利の父を総裁とする巨大コングロマリットだ。
表向きは盤石な経営体制を誇っているが、内部では総裁の座を巡る争いが絶えない。
特に、総裁の親族たちは、いつでもその椅子を狙っている。
スキャンダルが明るみに出れば、茉利の父は直ちに立場を危うくし、総裁の座を奪おうとする勢力が動き出す。
つまり——茉利の父、仁村総裁にとって、スキャンダルは絶対に避けなければならない爆弾だった。
「……証拠は?」
「近いうちに世間に出るさ。その前に、手を打っておいたほうがいいんじゃないか?」
涼介は静かに言い放つ。
彼はここまで徹底的に調べ上げていた。
茉利が「財閥にとってのリスク」になり得ることを示せば、総裁である茉利の父も、彼女を守る理由はなくなる。
そして、更にーー茉利が「財閥にとって害悪となる存在」となれば——
茉利の父は、容赦なく彼女を切り捨てる。
だが、茉利のスキャンダルだけに留まるのであれば、財閥全体を揺るがすような事態にはならない。
茉利の父は、穏便に茉利を権力から遠ざける方向で動くだろう。
ーーそれなら、彼女にとってもダメージが最小限となる。
涼介は、そこまで踏まえた上で、動いていた。
そして、この一手は、徐々に彼女を追い詰めていくことになる。
⭐︎⭐︎⭐︎
茉利のクラブは崩壊し、業界内での影響力もほぼゼロになった。
ホストたちは次々と彼女の元を離れ、資金力にモノを言わせた経営戦略は、支える者がいなくなったことで瓦解していった。
店の片隅、喧騒が去った静かな空間で、涼介と蓮は並んで腰を下ろしていた。
「……やっと終わったな。」
涼介が小さく息を吐く。
「ああ……」
蓮も同じようにため息をついたが、どこか吹っ切れたような表情をしていた。
茉利のクラブは崩壊し、彼女が業界に与えていた影響力はほぼなくなった。
金に釣られていたホストたちは次々と彼女の元を離れ、力で抑えつける経営は、支える者を失った瞬間に脆くも崩れ去った。
「なぁ、涼介。」
蓮がぼそりと呟く。
「ん?」
「……お前とこうやって並ぶの、久しぶりだよな。」
「……ああ、そうだな。」
涼介が少し考え込むように視線を落とし、ふっと笑った。
蓮もつられて口元を緩める。
「結局、俺たち変わんねぇんだよな。」
「お前が余計なこと考えなきゃな。」
「は? そっちこそだろ。」
「ははっ……」
蓮が肩を軽く叩き、涼介も応えるように笑った。
力に影響される前の二人に戻ったのだ。
お互いに笑い合うこの瞬間が、何よりそれを証明していた。
⭐︎⭐︎⭐︎
茉利は、追い詰められていた。
涼介の策略によって、彼女の立場は大きく揺らいだ。
財閥の重役たちは彼女を「厄介な存在」として扱い始め、彼女の影響力は日に日に薄れていく。
そして、何よりも許せなかったのは——
涼介が、自分の手の届かない場所へ行こうとしていること。
どれだけ足掻いても、涼介は決して振り向かない。
それどころか、「お前の周りには誰もいない」と突きつけられたかの様だった。
だが——
これは、最初から分かっていたことではなかったか?
涼介が自分のものにならないなら、彼の周りのものをすべて壊せばいい。
これは、前から決めていた。
茉利は、涼介に宣言した。
「あなたの周りのものを全部壊してあげる」
そして実際に、彼女は資金を駆使してじわじわと涼介の周囲を追い詰めてきた。
健斗の工場を潰そうとし、テレビ局に圧力をかけ、彼の周囲にいる人間たちを少しずつ孤立させようとした。
だが、涼介はそれをすべて跳ね返した。
彼は決して屈しなかった。
むしろ、茉利の策略を逆手に取り、少しずつ彼女の足場を崩していった。
彼女の完璧なる世界が崩れようとしていた。
——もう手段は選ばない。
「……なら……壊してしまえばいい。」
涼介の世界を、彼の大切なものを、
すべてを引きずり落とし、跡形もなく消し去ってしまえばいい。
じわじわと追い詰めるやり方では生温かった。
ならば、直接的な暴力の行使に及ぶしかない。
もう、後戻りなどできない。
涼介が「自分以外のもの」に囲まれていることが許せないのなら——
いっそ、全部消してしまえばいい。
涼介の周りの世界を暴力を行使してでも終わらせる。
それが、追い詰められ、一線を越えようとする彼女の最後の一手だった。




