執着の果て編8(一つ目の賭け)
夜景を映す窓の前で、涼介はスマートフォンを指で滑らせながら、じっと画面を見つめていた。
「証拠」は揃いつつあった。
健斗の工場への妨害工作のルート、涼介の事務所への妨害を仕組んだ関係者の証言、ホストクラブへの圧力に関する証言。
すべてが茉利へと繋がる証拠だった。
「……けど、チェックメイトには、まだ弱いか。」
芸能界のコネと今までに貯めた金を駆使して裏を取った情報だが、茉利の財閥の影響力を考えれば、表沙汰にするには慎重を期す必要がある。
涼介はスマホの画面を閉じ、すぐに電話をかけた。
数コールの後、受話器の向こうから、くぐもった笑い声が聞こえてくる。
「お前が俺に直接連絡してくるなんてな……これは相当面白い話があるってことか?」
大手芸能紙の敏腕記者、西村だ。
「……ああ。確実なネタを持ってる。ただ、決定打に今一歩足りない。だから、お前の力を貸してほしい。」
「ほう?」
「仁村財閥の令嬢だ。」
電話の向こうが一瞬静まりかえる。
「そりゃ、迂闊に手を出せば消されるな。」
西村の声には、冗談のような響きはなかった。
「すでに核心には辿り着いてる。ただ、確実に仕留めるには、あと一つ決定的な証拠が欲しい。」
「なるほどな。つまり、俺にその“最後の一押し”を手伝えってことか?」
「ああ。そっちで裏を取れるなら、確実なものを掴みたい。記事にする準備も含めて、協力してくれ。」
西村は短く鼻を鳴らし、くつくつと喉を鳴らして笑う。
「なるほど、なるほど……だが、本当にそれでいいのか?」
「何のことだ?」
「お前の持ってるネタが仁村財閥のスキャンダルだとして……それは、今、俺が掴んでる『篠宮涼介』のスクープよりデカいのか?」
涼介の表情がわずかに曇る。
「お前の“力”のことは、業界じゃまだ都市伝説みたいに囁かれてるだけだが……。それを白日の下に晒せば、確実に大スクープになる。」
西村の声が、じわりと重みを増す。
涼介はゆっくりと息を吐き、視線を落とす。
「それでも、茉利の方が優先だ。」
「ほう?」
「俺の力は、いずれ俺自身で決着をつける。ただ、今はそれよりも、あいつを止める方が先だ。」
西村はしばらく沈黙した後、肩をすくめた。
「……お前はどうも、自分の価値を過小評価してるようだな。」
「そうか?」
「そうさ。お前のネタを出せば、週刊誌は確実に売れる。話題性も、影響力も、芸能界のスキャンダルとしては最大級だ。」
そこで西村は一旦言葉を切り、続けた。
「だが——こちらは、ただのスキャンダルじゃない。」
涼介は目を細める。
「仁村財閥は、ただの企業じゃない。政財界と深く結びつき、表に出ない力を持っている。仁村財閥の令嬢ともなると、後ろ暗い話は腐る程出てくる。お前の過去なんかより、その『権力構造の腐敗』を暴く方が、遥かに世間を揺るがせる。」
西村の声が、低く鋭く響く。
「週刊誌レベルの話じゃない。これは、社会そのものを揺るがせる“事件”だ。」
涼介は黙ったまま、西村の言葉を受け止める。
「つまり、これは“スクープ”じゃなく“告発”なんだよ。
西村は、一度言葉を切った後、低く笑う。
「お前の“力”に関するスクープは、確かに派手で売れるネタだ。だけどな、それは所詮“個人”の話に過ぎない。お前がどれだけ特異な存在だろうと、スキャンダルとして扱われる範囲は限られる。特に、お前自身が派手な動きを避けてる以上はな。」
涼介は何も言わず、西村の言葉を待つ。
「だが、仁村財閥の腐敗を暴けば、これはただのスキャンダルじゃ済まない。政財界を巻き込み、社会全体に波紋を広げる。“篠宮涼介”の秘密なんかとは比較にならないほど、強力な爆弾になるってことさ。」
西村の声には、確信と興奮が混じっていた。
「要するに、どっちを取るかって話だ。お前自身の暴露を避けたいなら、俺としてもこっちの方が圧倒的に魅力的なネタだしな。」
——篠宮涼介という個人的な存在より、仁村茉利という巨大な権力の闇を暴く方が、価値がある。
それはつまり、涼介の“力”に関するネタは、西村自身の判断で“握り潰す”ということでもあった。
「……わかった。じゃあ、そちらに集中してくれ。」
涼介が静かに言うと、西村はニヤリと笑った。
「慎重に、か。お前が言うと妙に説得力があるな……」
通話が切れると、涼介は静かにスマホを机の上に置いた。
窓の外を見つめながら、ゆっくりと息を吐く。
涼介はポケットからメモを取り出し、視線を落とした。そこにはこう記されている。
「西村隆一。元政治部記者。有能だが、強引な取材が問題視され、芸能部へ異動。現在、政治部復帰を狙う。」
ーー西村が涼介を調べていたように、彼もまた西村を調べ上げていた。
彼が涼介の提案に乗ってくるかは”賭け”だった。
彼が涼介の提案に乗らずに、目先の功名心を優先して涼介の”力”を公表する事を優先するなら負けだった。
結果として、西村の政治部復帰への執念が、この取引を成立させた。
「……『一つ目の賭け』には勝った。」
だが、本当に追い詰めるには、それだけでは足りない。
もう一つの賭け——決定打を掴むための最後の一手は、仁村財閥の「構造」そのものを突くこと だ。
茉利がどれだけ有能でも、所詮は二十歳そこそこの令嬢にすぎない。
仁村財閥そのものではないし、絶対的な権力を持つわけでもない。
財閥にとって、彼女はあくまで「駒」だ。
それも、「優秀である限り」 という但し書きつきの。
ホスト時代、彼女は酒に酔いながらぼやいたことがある。
「親は私を“数字”でしか見ていない」 と。
どれだけ優秀だろうと、財閥にとって「損失」になれば、容赦なく切り捨てられる。
それは、彼女自身が一番よく分かっているはずだ。
ならば、突くべきはそこだ。
問題を起こせば、彼女の背後から刃が突きつけられる。
そして、それを最も恐れているのは——彼女自身だろう。
しかしーー本当に、これでいいのか?
この一手は、確実に茉利を追い詰める。
それが彼女にとってどれほどの打撃になるかも、よく分かっていた。
だが——
涼介は、ふと目を閉じる。
思い出すのは、まだホストだった頃の夜。
高級な酒を片手に、茉利がぽつりと漏らした言葉。
「親は私を“数字”でしか見ていない」
その時の彼女の表情を、涼介は今でもはっきりと思い出せる。
強気に振る舞いながらも、その瞳の奥にあったのは——虚無 だった。
彼女は、生まれながらにして「駒」だった。
優秀である限り、財閥の後継者として扱われる。
けれど、一度でも失敗すれば、その価値を否定される。
そんな生き方しか知らなかった女。
もし、自分と出会わなければ——
もし、自分に執着しなければ——
ここまで捻じ曲がらずに済んだのではないか?
ふと、胸の奥にわずかな痛みが走る。
「……くそ。」
スマホを握る手に力が入る。
哀れみ。迷い。
涼介は短く息を吸い込むと、スマホの画面を見つめた。
そして——迷いを振り払うように、通話ボタンを押した。
呼び出し音が静かに響く。
やがて、電話の向こうから低く落ち着いた声が応じる。
相手は、仁村財閥の幹部。
この件を財閥全体の問題として扱わせることができれば、茉利は個人のスキャンダルでは済まされない。
財閥を巻き込めば、茉利の立場は確実に消し飛ぶ。財閥から放逐されることすらありうる。
だが、これはあくまで最終手段だ。
できる限り茉利のスキャンダルだけで留めておき、穏やかに辞めさせる形にしたい。
要は涼介に対して手出しさえしなければ良いのだ。
それは、涼介の甘さかもしれない。
あるいは、茉利への憐れみかもしれない。
彼女が何をしてきたかを考えれば、そんな感傷を抱く余地などないはずだった。
それでも——
一度でも「助けを求めるような瞳」を見せた人間を、完全に見捨てることができない。
「……話がある。」
夜の静寂に、涼介の声が溶けていった。
あと数話で完結となります。
最後までお付き合い、宜しくお願いします。




