執着の果て編3(帰る場所)
「……やられた。」
涼介はデスクに書類を叩きつけた。
そこに並ぶのは、打ち切りになった契約の一覧。
ドラマ、CM、雑誌の特集——すべてが一方的に白紙に戻されたものだった。
「これは偶然なんかじゃない。誰かが裏で仕組んでる。」
事務所の社長が腕を組み、苦々しくため息をつく。
「間違いなく、仁村茉利の仕業だろう。」
「……そうだろうな。」
涼介の表情が険しくなる。
社長は携帯を弄りながら続けた。
「芸能界ってのはな、表向きはクリーンに見えても、実際にはコネと力関係がすべてだ。茉利は大手企業のスポンサーと太いパイプを持ってる。だから、うちのタレントを起用するなって暗に圧力をかければ、業界は逆らえないんだ。」
「そんな……」
担当マネージャーが歯噛みする。
「どうすりゃいいんですか?」
「………」
沈黙が落ちる。
そして、涼介はゆっくりと口を開いた。
「……このままやられっぱなしってのは性に合わない。」
「方法は一つだけある……スポンサーの影響を受けない場所に行く。」
社長が持ち出したのは、ここ数年急成長を遂げている動画配信プラットフォームでのオリジナル番組企画だった。
「ここなら、茉利の息のかかったテレビ局や広告代理店に邪魔されることも少ない。」
「なるほど……」
涼介は腕を組みながら考える。
「でも、ネット番組って言ってもピンキリですよね?」
マネージャーが不安そうに口を挟む。
「テレビほどの影響力がなかったら、結局茉利の圧力には勝てないんじゃ……」
「いや、むしろ逆だ。」
涼介が静かに笑う。
「テレビだけの時代はもう終わりかけてる。今の若い世代はネットを中心に情報を得るし、影響力のあるコンテンツなら拡散力も桁違いだ。」
「つまり、ネットを利用して新しい層にアプローチする……か。」
社長は満足そうに頷く。
「なら、思い切ってドラマを作るのもアリだな。」
「ドラマ?」
「そうだ。涼介、お前が主演のオリジナルドラマをネットで配信する。スポンサーの意向を気にせず、面白いものを作れば絶対にバズる。」
「……面白そうじゃないか。」
涼介の目が鋭く光る。
だが、ここで問題があった。
テレビ局の制作陣は茉利の影響を考えれば動けない可能性が高い。
だが——涼介には心当たりがあった。
最初の芸能界時代に、能力がある人間は目星をつけていた。
テレビ局内で燻っている、実力派のクリエイターたち。
上に潰され、日の目を見ないまま埋もれていた才能。
「……俺の金を使う。」
「え?」
「制作費は俺が負担する。」
涼介はスマホを取り出し、ある人物の番号を探した。
「業界で干されたやつらを引っ張り上げる。才能は間違いなく一級品だからな。」
「でも……金は大丈夫なのか?」
社長の問いに、涼介は静かに頷く。
「金はある。」
涼介はふっと息を吐く。
「ホストクラブで稼いだ金——それと、俺が芸能界を辞めるまでに稼いで、両親が取っておいてくれた金。全部合わせれば、勝負するには十分だ。」
ホスト時代、涼介の人気は圧倒的だった。
その収入の大半は使わずに貯蓄に回していたし、両親が黙って守ってくれていた金も、今ここで意味を持つことになる。
「……なるほどな。」
社長がニヤリと笑う。
「お前が主演、お前の金、お前が選んだクリエイター。こりゃあ、完全に“お前の作品”だな。」
「俺の”作品”なら、なおさら負けられない。」
涼介は携帯を耳に当てる。
コール音が響く。
そして——
「話がある。」
静かに、しかし力強い声が、夜の闇に溶けていった。
⭐︎⭐︎⭐︎
配信が始まると、ドラマは瞬く間に話題をさらった。
「ちょっと見た?涼介のドラマ、めちゃくちゃ面白いんだけど!」
「テレビより全然クオリティ高いし、何より涼介の演技がヤバい……!」
「最近のドラマつまんないと思ってたけど、これはガチでハマるわ。」
SNSは感想と考察で溢れ、関連ワードがトレンド入りするほどの反響を呼んだ。
再生回数は日に日に伸び、テレビドラマを凌ぐ勢いで人気を獲得する。
「……なるほどね。」
仁村茉利はワイングラスを傾けながら、スマホの画面を見つめた。
篠宮涼介の名前が、ネットのランキングを席巻している。
彼女は静かに笑う。
「そうそう簡単には潰れないってことね。」
だが、その微笑みの奥には、次なる一手を考える冷たい光が宿っていた——。
⭐︎⭐︎⭐︎
重厚な会議室の扉が、ゆっくりと閉じられる。
室内に残されたのは、涼介の家族、そして向かいに座る茉利の使者。
「お話はお分かりいただけましたね?」
男はにこやかに微笑み、テーブルに書類を並べた。
父がその書類に目を落とすと、そこには銀行の将来を左右するような大型投資案件の提案があった。
——投資が承認されれば、本部長、経営幹部への昇進も視野に入る。
——取引先との関係も強化され、銀行の経営は安定する。
——金融機関の厳しい状況を乗り切るために、またとない好機。
そして、妹・茜には有力企業への推薦枠が用意され、母には充実した医療プランの提示がなされていた。
申し分ない条件だった。
いや、むしろ異常なほどの好待遇。
ただし——「篠宮涼介との関係を完全に断つこと」が唯一の条件だった。
静寂が流れる。
父の目には、契約書に記載された多額の金額が映る。
それが、この数年間の銀行の厳しさを、一気に覆す可能性を秘めていることも理解していた。
男は、言葉を選びながら続ける。
「我々は、ただお父様のご決断を尊重し、お力添えしたいと考えております。銀行の未来を考えたとき、資金調達の選択肢は多いに越したことはありません。篠宮様のご判断一つで、より銀行員としての盤石な地位を築くことも……」
「お引き取り願おう。」
父が、低く短く言い放った。
男の口元の笑みが、わずかに引きつる。
「……ですが、失礼ですが、銀行の経営にもお金がかかる——」
「必要ない。」
父は重ねて言った。
先ほどよりも、はっきりとした声だった。
「自分たちの未来は、自分たちの力で切り拓く。赤の他人に口出しされる筋合いはない。」
「それに……」
母が、ふっと小さく息を吐き、静かに言葉を紡ぐ。
「……私たちは、以前、お金で涼介を“売った”のです。」
その声は、どこまでも穏やかだったが、そこに込められた想いは痛いほど深かった。
「涼介が芸能界に入ると決まったとき、私たちはそれを“成功”だと信じた。涼介の才能が認められたことを、ただ誇りに思った。でも……それはあの子を犠牲にしただけ。あの子がどんな気持ちでそこにいたのか、私たちは何も分かっていなかった。」
「だからこそ——」
母は静かに微笑んだ。
「同じ過ちは、二度と繰り返しません。」
「そうよ。」
茜が、しっかりとした口調で言葉を継ぐ。
「お兄ちゃんは、どこにいたってお兄ちゃん。誰に何を言われたって、私たちはお兄ちゃんを売ったりしない。」
その場に漂う、確固たる拒絶の意志。
涼介の家族は、もう二度と、彼を手放すことはなかった。
「——家族のことは、家族が決めます。それが、私たちの答えです。」
男は、一瞬だけ表情を失った。
その後、苦笑しながら書類を片付けると、静かに立ち上がった。
「……それは、残念です。」
男は、一瞬だけ表情を失ったが、丁寧な口調のまま、扉へと向かう。
だが、その背中には明らかに苛立ちが滲んでいた。
扉が閉まる。
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて、茜がぽつりと呟く。
「お兄ちゃんに、言わなくていいよね?」
母は少し考え、父と視線を交わすと、穏やかに首を振った。
「俺たちが決めたことで、涼介には関係のないことだ。」
父が静かに続ける。
「俺たちはもう、あいつを追い詰めたくない。家族なんだからな。」
——篠宮家の選択は、もう決まっていた。
涼介との関係を断つくらいなら、すべてを手放しても構わない。
涼介は、この時点でこの事をまだ何も知らなかった。
けれど、確かに彼の帰る場所は、変わらずそこにあった。




