執着の果て編1(支配の宣言)
両親と和解を果たした数日後——。
涼介の元に、一つの荷物が届いた。
高級な紙でできた封筒。そして、その周囲を埋め尽くすように詰められた、黒いバラとジャスミンの花。
甘く、けれどどこか妖しく絡みつくような香りが、箱から溢れ出す。
封筒の送り主の名はない。だが、封を開けた瞬間に察する。
——仁村茉利 だと。
中には、シンプルな招待状。
そこには住所と、ただ一言、こう書かれていた。
「あなたを待っている。」
黒いバラの花言葉は、「あなたは私のもの」。
ジャスミンの花言葉は、「誘惑」。
彼女が何を伝えたいのかは、考えるまでもない。
涼介はそれを見て、一度は破り捨てようとする。
だが、 ここで逃げても、何も変わらない。
彼は静かに息をつき、危険を承知でその場へ向かった。
⭐︎⭐︎⭐︎
仁村茉利の個人サロンは、まるで別世界のようだった。
高級ブランドの家具が並び、特注のシャンデリアが天井から煌めく。テーブルには最高級のワインとシャンパンが並べられ、グラスには一滴の曇りもない。
「久しぶりね。欲しいものがあれば言いなさい。」
茉利はワイングラスを回しながら、優雅に微笑んだ。
「車?マンション?それとも、事務所ごと買収してあげようか?」
彼女は確信していた。
男たちは、結局のところ「条件次第」で動く。
今まで、そうやってすべてを思い通りにしてきた。
だが、涼介はただ静かに笑った。
「悪いけど、俺はお前の金じゃ動かない。」
茉利の微笑みが、わずかに揺らぐ。
「——どういう意味?」
「言葉通りの意味だよ。」
涼介はワイングラスに手を伸ばし、それを軽く傾けた。だが、一口も飲まずにテーブルへ戻す。
「俺が欲しいものは、金じゃ買えない。」
その言葉が落ちた瞬間、茉利の表情が変わった。
「……私の金が足りないってこと?」
「違う。」涼介は首を振る。
「お前の金が、俺には価値がないってことだ。」
茉利の手が、グラスの縁を強く握る。
「じゃあ、何が欲しいの?」
彼女の声には、焦りのようなものが滲んでいた。
「お前には、一生理解できないものさ。」
その瞬間、グラスがカランと音を立てて揺れた。
静かに息を整え、彼女は再び微笑んだ。
「これが、最後の”忠告”よ。」
ワイングラスをゆっくりと回しながら、優雅に囁く。
「選びなさい、涼介。私を受け入れるか、それとも……何もかも失うか。私の元に来るなら、全てを与えてあげるわ。」
それは忠告ではない。命令だった。
「断る。」
涼介は迷いなく言い放つ。
茉利は息を整え、微笑みを作り直す。
「……そう。ならいいわ。もう、時間切れよ。」
茉利は甘く囁く。
「今までは忠告だった。でも、次は違うわ。」
彼女はゆっくりとワインを口に含み、涼介をじっと見つめた。
「あなたの周りのものを全部壊してあげる。」
「……何?」
「あなたを支えているもの、守っているもの、それを一つずつ、消してあげる。」
ワイングラスをテーブルに置き、茉利は涼介に顔を寄せた。
「友人も、家族も、事務所も、あなたを囲う全ての人間関係をね。」
「……。」
「そうすれば、貴方は私しかいなくなるわ。」
ーーそれは宣言だった。
執着を超えた、支配の言葉。
涼介を取り巻く人間関係を壊し、孤独に追い込むことで、自分だけを求めさせる。
自分の思い通りにならない涼介に、彼女はさらに固執する。
手に入らないからこそ、絶対に手に入れたくなる。
「………」
涼介は無言で立ち上がり、彼は何も言わず、背を向け、ゆっくりと歩き出した。
その足取りは、迷いもためらいもない。
しかし、ふと立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。
「俺は、皆を守ってみせる。」
その声は、低く静かで、それでいて確固たる意志に満ちていた。
「……お前が、何をしようと。」
そのまま涼介は帰って行った。
茉利は微笑んだ。
ワイングラスをくいっと傾け、口をつける。
けれど、その笑みと奥に潜む感情は、ますます歪んでいった。
⭐︎⭐︎⭐︎
︎
健斗の工場は、小さな町工場ながらも、職人たちの技術と誇りによって支えられていた。父の代から続くその場所は、健斗にとって家そのものだった。
ある日、工場に一本の電話が入る。
「申し訳ありませんが、予定していた契約は白紙に戻させていただきます。」
長年取引を続けていた大口の取引先が、突然契約を打ち切ったのだ。理由を問いただそうとしても、相手は曖昧な返事を繰り返すばかり。
その翌週には、工場の敷地買収の話が持ち上がった。あり得ないほどの好条件。まるで、今すぐにでも工場を畳めと言わんばかりの圧力だった。
「……なんか、裏がありそうだな。」
健斗は、わずかな違和感を覚えながらも、工場を守るために動き出す。
しかし、その背後で暗躍している者の存在には、まだ気づいていなかった。
一方、その様子を静かに見つめる茉利の唇には、微かな笑みが浮かんでいた。
「あなたが涼介の傍にいる限り……排除するしかないわね。」
これは、ただの警告にすぎない。
涼介の逃げ道をすべて塞ぎ、彼が自分のもとへ戻るように。
茉利は、次なる手を打ち始めた。




