芸能界編5(国民的女優・高宮裕奈)
控室の窓から差し込む柔らかな光が、静かな空気を作り出していた。
外の喧騒とは対照的に、この部屋だけはまるで時間が止まっているかのように静かだった。
涼介は、目の前に座る高宮裕奈を見つめた。
撮影の合間の休憩時間。
偶然か、それとも意図的かーー二人きりになる機会が訪れた。
国民的女優、高宮裕奈。
32歳にして、未だ第一線を走り続ける彼女は、芸能界において特別な存在だった。
それは単に美しさや演技力だけではない。
彼女には、見る者を惹きつける威厳と確かな実力があった。
涼介が芸能界を離れていた5年の間も、彼女は変わらずトップの座に君臨し続けていた。
意外にも、彼と彼女は、これまで一度も共演したことがなかった。
「不思議ね。」
裕奈がふっと微笑む。
「あなたとは、これまで何度かすれ違うことはあったのに、こうしてじっくり話すのは初めてね。」
彼女は穏やかに言いながら、カップにそっと口をつけた。
涼介は、彼女の佇まいを静かに観察する。
彼の持つ“力”は、時として男女問わず人を惹きつけ、時には狂わせさえする。
だが、裕奈の周りに人が集まる理由は、それとは違っていた。
彼女には、不思議な温かさがあった。
特別な何かをしているわけではない。
ただそこにいるだけで、自然と人が寄り添いたくなるような、そんな雰囲気があった。
誰もが、彼女といると心地よさを感じる。
それは魅了の力とは違う、彼女自身が持つ温もりだった。
「……そうですね。」
涼介も軽く笑った。
彼が12歳で芸能界に入り、23歳で突然姿を消すまでの間、同じ業界にいた筈だが、二人が仕事で交わることはなかった。
年齢差があったこともあるが、それ以上に、活動のフィールドが微妙に異なっていたのだろう。
彼女は映画やドラマを中心に活動し、女優としてのキャリアを積み重ねてきた。
対して涼介は、ドラマ、音楽、バラエティと多方面に活躍し、「奇跡の少年」と呼ばれた存在だった。
けれど、今こうして向かい合ってみると、改めて思う。
ーー彼女は、俺の力にまったく影響を受けていない。
どんな相手も、自分を意識せずにはいられないはずなのに。
どんな相手も、少しずつ惹きつけられ、気づけば目を離せなくなってしまうはずなのに。
彼女は、まるで何も感じていないかのように、ただ静かに涼介を見ていた。
(何も……変わらない)
裕奈は自然な表情で涼介を見つめている。
これまで、どんな女性も彼と一定時間接していれば、微細な変化があった。
視線が熱を帯びたり、言葉遣いがぎこちなくなったり、次第に執着へと変わっていく——けれど、彼女は違った。
まるで、最初から「そういうもの」として受け流しているようにさえ見えた。
「篠宮さん?」
涼介が沈黙していることに気づいた裕奈が、優しく声をかける。
「……ああ、いえ」
言葉を濁しながら、涼介はふっと息を吐いた。
(どうしてだ……? 何かが違う)
この違和感が何なのか知りたかった。
今まで、彼の前でこういう人間はほとんどいなかったから。
しばらく沈黙が流れた後、涼介はぽつりと呟くように言った。
「……俺は、人を狂わせてしまう力があるんです」
ふとした瞬間、心の奥にずっと溜まっていたものがこぼれ落ちた。
裕奈は驚いたように目を瞬かせたが、すぐに落ち着いた表情に戻った。
「……そうなの?」
声を荒げるわけでもなく、疑うでもなく。
ただ、まっすぐに受け止めるような声音だった。
その反応に、涼介は戸惑いを覚えた。
「……俺と関わる人は、どこかおかしくなってしまう。俺に執着して、時には壊れてしまうこともあるんです。だから、できるだけ距離を取らなきゃいけないのに……みんな俺を放してくれない」
言葉に出して初めて、自分がどれほどこの現実に疲れ果てていたのかを思い知る。
裕奈は静かに耳を傾けていた。
そして、ふっと微笑んだ。
「でも、大丈夫よ」
「……どうして?」
涼介の声は、無意識にかすれた。
裕奈はゆっくりと首を振りながら、言葉を紡ぐ。
「私には、大切な人がいるから」
その言葉を聞いた瞬間、涼介の心が強く揺さぶられた。
「……大切な人?」
「そう。私が私でいられる人。私の全部を捧げてもいいと思える人。だから、誰かに流されることはないし、心を狂わされることもないの」
彼女は穏やかに微笑んでいる。
そこには、涼介が今まで見てきた「魅了された人間」のような陶酔や執着はない。
ただ、確かな意志を持つ女性の姿があった。
(俺の力に影響されないのは……この人が、誰かに心を預けているからなのか?)
初めて抱く感覚だった。
魅了する力に振り回され続けた涼介にとって、「魅了されない人間」がいるという事実そのものが衝撃だった。
「私も昔は、執着していたの。ある人に、どうしようもなく惹かれて、振り向いてほしくて必死だった。でもね……」
ゆっくりと息を吐き、裕奈は静かに続ける。
「ある時、気づいたの。大切な人って、ただ求めるだけの存在じゃないのよ。あなたも、きっと見つかるわ」
涼介は息をのんだ。
「……俺にも?」
「ええ。誰かを大切に想うことで、自分自身を保てる人が」
裕奈の瞳はまっすぐだった。
決して同情でも、慰めでもない。
涼介の未来に、確かなものを見ている目だった。
ーーこの力は、人を狂わせるだけのものじゃない。
誰かを大切に想うことで、力に溺れずに生きることができるのなら——
涼介は初めて、自分の力に「答え」があるかもしれないと感じた。
この物語はこのシーンを思い描き、そこから書き始めました。
高宮裕奈は拙作「二人で輝くとき」の主人公兼ヒロインです。
彼女はもう一人の主人公、久住渉に執着をしていました。
かつて激しい執着をし、その執着を昇華させた彼女が、執着を受ける涼介にどの様な気づきを与えるのか。
それが、本作で一番書きたかった所です。




