ホスト編12(終・本当の…)
静寂の中、高級ホテルのスイートルームの扉がゆっくりと開いた。
「ふふ……やっぱり、来たのね。」
部屋の奥、ソファに優雅に腰掛けた仁村茉利が涼介を見て微笑んだ。
彼女はワイングラスを手にし、まるで勝利を確信した女王のような雰囲気を纏っている。
「来ざるを得なかった、の間違いだろう。」
涼介は冷たい視線を向けたまま、足を踏み入れる。
「そんな言い方しないで。私はただ、あなたと話がしたかっただけよ?」
茉利はグラスを軽く揺らしながら、甘ったるい声で言う。しかし、その目は冷え切っていた。
「……健斗や麻衣に手を出そうとしたのは、“話がしたかっただけ”か?」
涼介の声は低く、静かに響いた。
茉利の手がわずかに止まる。
「誤解よ。私はただ、あなたに“こちら”を選んでほしいだけ。」
「“こちら”?」
「ええ。あなたはね、涼介……私のものになるべきなのよ。」
茉利は立ち上がり、ゆっくりと涼介の前に歩み寄る。その艶やかな指先が、そっと涼介の頬に触れた。
「私なら、あなたにふさわしい人生を用意できる。お金も、地位も、すべて思いのままよ。」
涼介は顔色ひとつ変えず、その手を払いのけた。
「……興味ない。」
「なに?」
「お前の“ふさわしい人生”とやらに、俺は興味がない。」
「……ふふ。」
茉利は薄く笑ったが、その目は氷のように冷たい。
「それ、本気で言ってる?」
「本気だ。」
「そう……なら、どうなるかしらね?」
茉利はワイングラスを置き、挑発的な笑みを浮かべる。
「あなたが私を拒み続けるなら、私はお金ではない“別の手”を使うだけよ。」
「……やっぱり、そう来るか。」
涼介はゆっくりと息を吐いた。
「今まで、俺はお前に何を言われても無視してきた。」
涼介は静かに言葉を紡ぐ。
「でも……俺の大切な人間を巻き込むなら、話は別だ。」
茉利の表情が微かに変わる。
「……何が言いたいの?」
「お前がどれだけ金を積もうと、俺はお前のものにならない。」
涼介は強い瞳で茉利を見つめた。
「お前が俺の周りの人間に手を出すなら——俺は”表”に戻る。」
「……“表”?」
「そうだ。」
涼介は深く息を吸い込み、静かに告げた。
「俺は……芸能界に戻る。」
茉利の顔が、歪んだ。
「……何ですって?」
「お前の脅しに対抗するには、それしかない。」
涼介の声には、もう迷いはなかった。
「芸能界に復帰して、俺自身の影響力を取り戻す。
「待ちなさいよ……!」
茉利は席を立ち、涼介の腕を掴んだ。
「私を裏切るつもり?」
「最初からお前のものになったつもりはない。」
「ふざけないで……! 私はここまでやったのよ……!あなたに幾らつぎ込んだと思ってるの!!」
彼女の瞳には、怒りと焦りが入り混じっていた。
「何があっても、私はあなたを逃がさない……!あなたが自分から私の元に来る様にしてあげるわ。」
「好きにしろ。」
涼介は彼女の手を振り払うと、静かに背を向けた。
背後で、何かが砕ける音がした。
それが、茉利の狂気が完全に解き放たれた瞬間だった——。
⭐︎⭐︎⭐︎
店を辞める日、涼介は最後に桐生の部屋へ挨拶に向かった。
オーナー室の扉をノックすると、中から渋い声が返ってくる。
「おう、入れ。」
部屋に足を踏み入れると、桐生はソファに腰掛け、煙草に火をつけたところだった。
「本当に辞めちまうのか。」
「はい。」
涼介が頷くと、桐生は煙をゆっくりと吐き出しながら、面倒くさそうに言った。
「お前にはずいぶん稼がせてもらったからな。いなくなるのは正直、惜しいぜ。」
「……ご迷惑をおかけしました。」
「まあ、お前の人生だ。好きにしろ。」
桐生は軽く肩をすくめる。
「最後だから餞別として一つ言っといてやる。」
涼介は黙って桐生を見つめた。
「お前がここに来た時、俺は聞いたよな。『自分の“魅力”が何か、わかっているか?』って。」
涼介の眉がわずかに動く。
桐生はグラスを傾けながら、続ける。
「魅力ってのは自分の内面と外面、両方から出るもんさ。だが——お前の場合は外面は完璧だが、内面は欠けたままだ。」
涼介は静かに聞いていた。
「お前は確かに人を魅了する力があるんだろう。けどよ、お前自身が欠けてるから——欠けた者を惹きつけて、執着させちまう。」
桐生は煙をくゆらせながら、ふっと笑う。
「……欠けてない”本当の篠宮涼介”を探してみろよ。」
涼介の胸の奥が、微かに疼く。
「そうすれば——」
桐生は煙草を灰皿に押し付け、静かに言った。
「お前のその力、呪いなんかじゃねぇよ。」
涼介は息をのんだ。
桐生はもうそれ以上は何も言わず、ただ煙草の火を消した指先でグラスを軽く揺らした。
涼介はしばらく黙っていたが、やがて静かに頭を下げた。
「これまで本当にお世話になりました。」
桐生は手を軽く振って、面倒くさそうに言う。
「礼なんていらねぇよ。ほら、さっさと行け。グズグズしてると、また引き止めちまうからな。」
涼介は苦笑しながら、一礼し、静かに部屋を後にした。
桐生はその背中を見送りながら、ふっと短く息をついた。
「——いつか分かるさ。」
かすかに笑いながら、再び煙草に火をつけた。
⭐︎⭐︎⭐︎
最後の出勤日、常連客たちは涙を流しながら涼介に別れを告げたが、その中には茉利の姿はなかった。
涼介が最後にVIPルームで蓮と二人きりになったとき、蓮は静かに言った。
「お前はここに来るべきじゃなかったかもしれないな。」
蓮はグラスを揺らしながら、低く呟いた。
涼介は苦笑する。
「今さらかよ。お前が誘ったんだろ。」
「ああ。だから、俺が間違ってたってことだ。」
蓮は静かにグラスを置く。
「でも——お前がいなかったら、俺も、この店も多分ここまでやれなかった。」
涼介はその言葉を受け止め、微笑んだ。
「ありがとう、蓮。」
そして、一礼する。
「俺がまた自分を見失いそうになったら——お前と過ごした時間を思い出すよ。」
涼介が手を差し出すと、蓮は一瞬だけ目を伏せ、それからしっかりとその手を握り返した。
「……次は、もう少しマシなとこで会おうぜ。」
そう言いかけて、蓮は少しだけ言葉に詰まる。
何かを振り払うように、一度目を閉じ、それから涼介をまっすぐ見た。
「……それまでに、俺も答えを見つけとく。」
蓮はそう言い残し、涼介に背を向けた。
涼介は微笑みながら一礼した。
蓮の背中を見つめる涼介の瞳には、決意の色が浮かんでいた。
ここまでで話の折り返し地点を過ぎました。
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