ホスト編10(拡大する歪み)
涼介への執着を示す客は、茉莉だけではなかった。
ある若い女性客、リナ。
彼女は涼介と過ごすために夜間のアルバイトを始め、高額なボトルを買い続けた。
「涼介くんのためなら、なんでもできる」
そう言って、リナは疲れた顔のまま店に通い続けた。
涼介は、彼女の瞳を見るたびに、かつて芸能界で見てきた“何か”を思い出していた。
夢を追いかけ、光を求め、必死に手を伸ばす人間。
そして、やがて潰れていく人間——。
一方で、既婚の主婦である真希という客は、夫に隠れて頻繁に店を訪れるようになった。
彼女は、「涼介くんに会うためだけに生きている」と公言し、彼を独占しようとするあまり、他の客と激しい争いを繰り返した。
ある日——
「ねえ涼介くん、私だけを見てくれる?」
真希が甘えるように言う。
涼介は営業スマイルを浮かべながら、適当な返事を返した。
「もちろん、大切なお客様だよ」
「……本当に?」
真希はじっと涼介を見つめる。
彼女の目の奥にある、得体の知れない感情が涼介の心に刺さった。
——そして、事態はさらに悪化していった。
ある日、リナが売掛を払わず、突然行方をくらました。
ホストクラブでは、客がツケで支払う「売掛」が珍しくない。
彼女が“飛んだ”事で負った金額は、No. 1ホストの涼介にとっては微々たるものだった。
それでも——
「リナ、無理してたんだな……」
その事実は、彼の心にじわじわと影を落とした。
涼介は彼女に返した言葉を思い出す。
「リナ、頑張りすぎるなよ」
「無理はしないよ。だって、涼介くんに会いたいだけだから!」
その笑顔が脳裏に焼き付いていた。
彼女はどこへ行ったのか。
もう、彼の前には現れないのか。
一方で、真希もまた、破滅へと向かっていた。
ホストクラブ通いが夫にバレたのだ。
家庭を顧みず、夜な夜な涼介に会いに通い続けたことが原因だった。
彼女は夫との関係を修復することもできず、結局、離婚した。
「これで、自由になれたよ」
涼介の前で、どこか壊れた笑みを浮かべた。
涼介は何も言えなかった。
(……俺のせいじゃない)
そう思おうとする。
しかし、彼女の人生を狂わせたのが自分であることを、涼介は痛いほど理解していた。
彼の周囲で、また一人、また一人と人が壊れていく。
それは、芸能界でも、工場でも、そして今この店でも変わらない現実だった。
ーー涼介は、その夜も眠れなかった。
⭐︎
涼介の力は、客だけでなく、とうとうホストの側にも影響を及ぼし始めた。
客だけでなく、ホストたちの間にも“歪み”が生まれたのだ。
涼介は入店してからわずか数ヶ月でNo.1に登り詰めた。
その勢いは止まらず、新規の指名は増え続け、売上はさらに跳ね上がる。
それは、他のホストたちにとって——特に、今まで蓮と並んでNo.1争いをしていた者たちにとっては面白くない話だった。
「……あいつ、何なんだよ」
「あの顔と雰囲気だけで売れてるんだろ? マジでバカみたいだよな」
「こっちは努力してんのに、あっちは指名が勝手に入るんだから楽なもんだ」
陰で交わされる、低く、ねじれた声。
それでも、店の看板になっている以上、誰も涼介を表立って迫害することはできない。
だが——
無視、避け、冷たい視線。
涼介がスタッフルームに入れば、誰かがさりげなく席を立つ。
彼が話しかけても、適当な相槌だけで、会話を切り上げられる。
裏で陰口を叩かれているのは、嫌でも分かった。
「涼介くんって、男には嫌われるタイプだよね」
指名客のひとりに、冗談めかして言われたことがある。
(……そうかもしれないな)
涼介は、黙って苦笑した。
それでも、彼は気にしないフリをした。
何も感じていないように振る舞い、何も考えないようにした。
それが、この世界で生きるための最適解だった。
涼介は、知っていた。
こうして少しずつ人間関係が崩れていくのは、今まで何度も見てきた光景だということを。
だがーー
⭐︎
静寂が二人を包んでいた。
ホストクラブの営業が終わった後、バックルームに残っていたのは涼介と蓮だけだった。
蓮はソファに深く腰掛け、煙草に火をつける。紫煙がゆるやかに天井へと昇っていく。
「……蓮?」
涼介が静かに名前を呼ぶと、蓮は煙を吐き出しながら、ぼんやりと視線を宙に泳がせた。
「なあ、涼介」
「……なんだよ?」
「最近、どうもお前を見てるとイライラするんだよな」
蓮の声音はいつもと変わらない。それでも、その言葉にはどこか違和感があった。
「イライラ?」
「ああ。別に理由なんてねえ。お前が笑ってても、黙ってても、何してても……無性に苛立つ」
涼介は蓮の表情を見つめた。
彼は感情を表に出さない男だった。それが今、淡々と言葉を並べながらも、その目の奥には、押し殺した何かが渦巻いている。
(——またか。)
涼介は自嘲気味に口の端を上げた。
これまで何度も見てきた光景だ。自分の周囲の人間が、知らぬ間に何かに囚われるように変わっていく。
「蓮、それは……俺の——」
「違う」
蓮は涼介の言葉を遮るように言った。
「これは、お前のせいじゃねえ。……俺も、わかってんだよ」
蓮は煙草を灰皿に押し付け、深く息を吐いた。
「お前はいい奴だ。お前が何も悪くないことくらい、頭ではわかってる。……けどな、それでもどうしようもねえ感情ってのがあるんだよ」
彼は立ち上がり、ポケットに手を突っ込んだ。
「わり。これ以上お前といると、酷い事を言っちまいそうだ」
「……蓮」
「お前と会うの、しばらく控えるわ」
蓮は軽く片手を上げ、涼介に背を向けた。そのまま部屋を出ていく。
残された涼介は、しばらくその背中を見送っていた。
(……何なんだよ、俺は。)
涼介は自嘲気味に天井を仰ぎ、そっと目を閉じた。
︎⭐︎
ホストとしての人気が上がれば上がるほど、涼介の心は疲弊していった。
夜が来るたびに、涼介の周囲には彼をめぐる争いや執着が渦巻いている。
その中心にいるのが自分だという事実に、彼は次第に耐えられなくなっていた。
「……俺は、どうすればいいんだ。」
そう呟いた涼介の瞳には、深い孤独と絶望の色が浮かんでいた。
ーーそして、とうとう決定的な破局が訪れた。




