第13話 宅配便
一
午後九時二十分。
戸田は激しい仕事を終え、駅から徒歩十分の場所にある自分の分譲賃貸マンションへ戻ってきた。
都心の路地裏に佇む、築八年の五階建て賃貸マンション「クレストコート」。
戸田が一人で暮らしているのは、四階の一番奥に位置する四〇二号室だった。
外階段を上り、暗く長く伸びる共用廊下を疲れた足取りで進む。
天井の丸い蛍光灯が淡い白い光をぼんやりと落とし、コンクリートの床に戸田の歪んだ影を落としていた。
蛍光灯の安定器の奥から、ジージーという微かな電子音が静かに響いている。
冷たい夜風が廊下を吹き抜け、緑色の金属製防火扉がカタン、カタンと規則的に揺れていた。
他の部屋のドアはどれも固く閉ざされ、住人の生活音や気配は全く感じられない。
戸田は四〇二号室の鍵のかかったドアの前に立ち、カバンから鍵の束を取り出した。
鍵穴にシルバーの鍵を差し込もうとした瞬間、足元に違和感を覚えて視線を落とした。
玄関ドアのすぐ前のコンクリート床。
その冷たい床の上に、小さな荷物がポツンと一つ置かれていた。
いわゆる「置き配」だった。
手のひらにすっぽりと収まるほどの、小さな茶色い段ボール箱。
名刺入れか、小さな文房具でも入っているような極小のコンパクトサイズだった。
戸田は首を小さく傾げた。
インターネット通販やフリマアプリで買い物をした記憶は、ここ最近なかった。
戸田は屈み込み、箱の上面に貼られた白い小さな配送伝票に目を通した。
お届け先住所:東京都練馬区関町南4-12-3 クレストコート402
お届け先氏名:「戸田 直樹」
ご依頼主氏名:「戸田 直樹」
宛名も、差出人の欄も、完璧に戸田自身のフルネームが印字されていた。
自分自身が、自分自身の部屋宛てにわざわざ荷物を発送したことになっていた。
品名欄には、手書き風の黒い印刷文字でただ一言、「お届け物」とだけ簡素に記されていた。
戸田は漠然とした気味の悪さを覚えながらも、荷物を拾い上げて部屋の中に入った。
二
玄関のドアを閉め、二つの鍵とドアチェーンを確実にかけた。
自室の明るい天井照明の下で、その小さな段ボール箱をスチール製の仕事デスクの上に置いた。
四方の角が綺麗に折りたたまれた、新品の丈夫な段ボール。
天面の合わせ目には、透明な細い粘着テープがしっかりと角まで貼られている。
戸田はデスクの引き出しからカッターナイフを取り出し、刃をカチカチと二目盛り出してテープを切った。
スーッという、粘着テープが裂ける軽い擦れ音。
箱の四方の蓋をゆっくりと開けた。
中身は、完全に空っぽだった。
緩衝材のプチプチも、小さな紙切れ一枚すら入っていない。
ただ、乾燥した新しい段ボール紙の独特の香ばしい匂いだけが、箱の中からかすかに漂ってきた。
「なんだこれ・・誤配送か?」
戸田は困惑して眉をひそめた。
誤配送にしては、宛名も差出人も自分の名前と住所が完璧に印字されている。
知り合いによる悪質ないたずらだろうか。
戸田は胸の中に不快感を覚えつつも、空の箱を手で潰してゴミ箱に投げ入れた。
二日後の、同じ夜。
午後九時半。
帰宅した戸田は、再び自分の部屋のドアの前で固まった。
玄関のコンクリート床の上に、またしても置き配の段ボール箱が置かれていた。
今度の箱は、前回よりも一回り明らかに大きかった。
男性用の靴の空き箱ほどの大きさ。
伝票の表面を確認する。
お届け先:「戸田 直樹」
ご依頼主:「戸田 直樹」
前回と全く同じ印刷表記だった。
戸田は首を傾げながら箱を部屋に持ち込み、カッターナイフでガムテープを切った。
中身は、やはり空っぽだった。
何もない空洞の箱。
二度続けて届いた、自分自身名義の空の段ボール。
戸田の胸の奥に、不気味な感じがじわりと広がり始めた。
三
それから一週間。
異様な「宅配便」は、数日おきに部屋の前に届けられ続けた。
そして、届く段ボール箱のサイズは加速度的に大きくなっていった。
三回目の箱は、中型の家電製品が入るような、四十センチ四方の大型段ボール。
四回目の箱は、引っ越しで使うような特大のみかん箱ほどの大きさの頑丈な箱。
毎回、中身は完全に空っぽだった。
毎回、伝票の宛名と差出人は「戸田 直樹」だった。
そして、五回目の金曜日の夜。
午後十時ちょうど。
戸田がエレベーターを降りて四階の暗い共用廊下を進むと、自分の部屋の前が異様な惨状になっていた。
四〇二号室の玄関ドアの前に、巨大な茶色い物体が立ち塞がるように鎮座していた。
大人が二人かがりで運ぶような、特大の強化ダブル構造の段ボール箱。
高さ一メートル、横幅一メートル、奥行き八十センチ。
狭い共用廊下の幅を半分以上完全に塞ぐほどの、圧倒的な圧迫感のある巨大な箱だった。
戸田は足がすくみ、その場に立ち尽くした。
箱の側面に貼られた、A4サイズの大きな配送伝票。
お届け先氏名:「戸田 直樹」
ご依頼主氏名:「戸田 直樹」
文字が、これまでの印刷ではなく、黒い万年筆の濡れたインクで直筆で書かれていた。
力強い、湿った不気味な筆跡。
戸田はその箱の特大の寸法を凝視した。
大人が膝を折り、頭を低く丸めれば、ちょうど一人すっぽりと納まる大きさだった。
四
戸田は恐怖のあまり全身の毛穴が開き、呼吸が激しく荒くなった。
このまま巨大な箱を廊下に放っておくことはできなかった。
狭い廊下を完全に塞ぎ、隣の部屋の住人の通行の迷惑になる。
何より、自分の部屋のドアノブを回せないほど、箱がドアにぴったりと密着していた。
戸田は震える手でスマホを取り出し、伝票に書かれた大手配送会社のカスタマーセンターへ電話をかけた。
夜間対応窓口の男性オペレーターが電話に出た。
「あの、連日のように頼んでいない空の段ボールが届くんです。今夜も巨大な箱が届いていて・・本当に困っているんです」
戸田はパニックになりながら、伝票番号を読み上げて伝えた。
オペレーターがPC端末を操作し、確認作業に入る。
長い沈黙のあと、オペレーターが困惑したような低い声で答えた。
「お客様・・該当の伝票番号の集荷・配達記録を確認いたしました」
「どうなってるんですか! 誰がどこから発送しているんですか!」
「ええと・・こちらの荷物の集荷場所のデータですが・・」
オペレーターが気まずそうに言葉を濁した。
「お客様のご自宅である『クレストコート402号室の玄関前』で集荷され、そのまま同じ『402号室の玄関前』へ配達完了として処理されております」
戸田は耳を疑った。
「集荷場所が・・うちの玄関前・・?」
「はい。担当ドライバーの記録によりますと、毎回、お客様のドアの前に置かれている荷物をそのまま集荷し、一度地域の配送センターを通したあと、再び同じドアの前へお届けしている状態です」
電話がプツリと切れた。
自分のドアの前に何者かが箱を置き、それを業者が運び、再び自分のドアの前へ戻されている。
戸田は手の中で激しく震えるスマホを握りしめた。
目の前に立ち塞がる、巨大な茶色い箱。
戸田は意を決し、自室からカッターナイフを持ち出してきた。
箱の上部を厳重に密閉している、厚い茶色の布製ガムテープ。
その合わせ目に、カッターの鋭い刃を深々と突き刺した。
ピリピリピリピリ!
布ガムテープが引き裂かれる、甲高い摩擦音が静かな廊下に響き渡った。
五
戸田は手袋をした手で、段ボールの上部の四方の蓋を観音開きにゆっくりと開いた。
箱の内部に、廊下の蛍光灯の青白い光が差し込む。
戸田は息を飲み、絶句した。
箱の内側の壁面全体。
四方の段ボールの紙の表面に、黒い人間の長い髪の毛が、隙間なくびっしりと貼り付けられていた。
頭皮からごっそりと抜け落ちたような、生々しい無数の黒髪。
透明な広い粘着テープで、箱の内壁全体を覆うように隙間なく内張りされていた。
髪の毛の強烈な悪臭。
湿った古い皮脂と、カビと、汗が混ざったような不快な悪臭が、箱の中からモワッと部屋の外へ立ち上ってきた。
戸田は強烈な吐き気を催しながら、箱の底の暗がりを覗き込んだ。
底に、大量の写真が散らばっていた。
インスタントカメラ(チェキ)で撮影された、何十枚ものカラー写真。
戸田は震える指先で写真の一枚を拾い上げた。
写真に写っていたのは、暗い自室のベッドで無防備に仰向けで寝ている戸田自身の顔だった。
二枚目の写真:風呂上がり、裸でタオルを使って髪を拭く戸田の後ろ姿。
三枚目の写真:明かりを消した部屋で、パソコンに向かって仕事をしている戸田の横顔。
すべて、この自室の中で撮影された生々しい写真だった。
外部から窓越しに望遠レンズで撮ったのではない。
部屋の内側の、高い天井の隅やクローゼットの隙間から見下ろすように撮影されたアングルだった。
「う・・うわあ・・!」
戸田は写真を床にバサバサと落とした。
その時。
箱の底。
髪の毛で覆われた、真っ暗な深部から、音が聞こえ始めた。
シュー・・シュー・・。
湿った、生温かい人間の呼吸音。
箱の底の段ボール紙が、内側からカサリと小さく蠢いた。
ガリッ。
段ボールの底から、紫色に変色した干からびた鋭い爪の手が、ヌッと外へ伸びてきた。
細く乾いた手が、段ボールの縁を強く掴む。
爪が紙を力強く打ち破る、バリバリという重い破断音。
箱の中から、誰かが起き上がろうとしていた。
戸田と同じ体格、服装をした「ナニカ」が、狭い箱の中で丸まっていた姿勢からゆっくりと首を持ち上げてきた。
箱の中から覗く顔。
その顔は、皮が酷くたるみ、眼球が深く落ち窪んだ、戸田自身の顔だった。
「お届け物です」
箱の中の男が、戸田自身の声と全く同じ声で、低く歪んだ声で囁いた。
戸田は後ろの玄関ドアに背中を強く打ち付けたまま、金縛りに遭ったように動けなかった。




