21 ※
……あ、そうだ。アゼルと、アゼルの母親は?
俺ははっとして左手の後方を振り返る。ちょうどその時だった。
どんっ!
アゼルの短剣の柄が、アゼルの母の腹部に叩き込まれていた。アゼルの母は苦悶の表情を浮かべながら、後ろによろめく。
「な、んで……私が、お前みたいな出来損ないに……!」
悔しげに呟きながら、腹部を抱えてその場に両膝をついた。前屈みになって呻いているアゼルの母に、アゼルはなんとも複雑な表情で言い放った。
「あなた方はもう終わりです。おとなしく捕まって罪を償って下さい」
「ふざけ、んな……っ! 誰が産んでやったと思ってるんだ!」
「感謝はしています。そのことだけには」
アゼルはぐっと涙を堪えた顔で、そして少しだけ絶望を抱いたような顔で、トドメを刺した。手刀で気絶させたのだ。
アゼルの母は、小さく「ぐっ!」と声を上げて倒れた。こちらももう動かない。
「アゼル。大丈夫か?」
俺はよろよろ歩きながらアゼルの下へ近付く。
母を倒した。やっぱりアゼルは……実は強かったんだな。海賊団時代は……もしかしたら、海賊団のやり方が気に入らないから本気を出していなかっただけなのかもしれない。
その辺りはまた後日、聞いてみよう。
「はい。大丈夫ですよ」
アゼルはにこりと微笑む。でもその目尻には涙が滲んでいて、俺は胸がぎゅっと締め付けられた。
「やっぱり……ご両親を捕縛するのはつらいか?」
「いえ。そういうわけじゃありません」
「でも、泣いているじゃないか」
「これは……違います。ただ、本音を言うと……やっぱりこの人たちは変わらないなって。そう思ったらなんだか悲しくなってしまって」
目尻の涙を人差し指で拭いながら、アゼルは空元気で笑う。
「でも、本当に大丈夫です。僕はもうこの人たちとは決別しました。それから」
「ん?」
「ありがとうございました。あの時、怒ってくれて。陛下に仲間だとおっしゃっていただけたこと、本当に嬉しかったです」
「アゼル……」
俺はふっと笑んだ。
「そんなこと当たり前だろ。アゼル、お前だってライリーレ国民だし、俺の大切な友達なんだから」
「!」
アゼルは泣きたそうに顔をくしゃっと歪めた。
その時だ。どこからか、船が出航する音が聞こえ、俺たちははっとして振り向いた。
「まだ海賊がいたのか……!」
出航していくのは、海賊船だ。おそらく、炭酸水を乗せたまま、逃げる気なんだろう。
アゼルの情報では、海賊は三十八人だった。うち、確かに三十八人を倒したはずなのに……やっぱりここ一年で誰かしら海賊が増えていたのか。
ともかく、絶対に逃がさない!
「……」
俺は持っていた剣の切っ先を空に向けた。天候に干渉する魔法を発動させる。
ゴォオオオオオ!
俺の周りに突風が吹き荒れる。最大出力で発動した大魔法が、空に向かって炸裂した。
幸いにも今日は曇り空。晴れ間の時よりは時間はかからない。じき、大嵐が発生して海賊船を海に沈めるはずだ。
「アゼル、ここで待って……アゼル?」
気付いた時には、隣にいたアゼルがいなくなっていて。
はっとして海岸の方を見ると、堤防を走るアゼルの姿があった。そこから鉤手を取り付けたロープを使って、あっという間に海賊船に侵入してしまう。
とんでもない腕力と脚力だ。一体どこが出来損ないなんだ。どんな理由があろうと、そんな暴言は許されるべきじゃないけども。
俺は追いかけるべきか迷ったけど、アゼルのご両親を放置したままでいるわけにいかないし、何よりも。
ぺたんっ。
「はー……疲れた」
どっと疲れて、その場に座り込んだ。
アゼルのことは信じて帰りを待つほかない。
***
「ダガノさん!?」
海賊船を止めようと乗り込んだはいいものの、アゼルが操舵室で鉢合わせたのは……なんと、ダガノだった。
これまでの海賊員たちの相手にダガノがいなかったから、正直なところ安心していた。
戦わずに済むのだと思ったし、何よりもダガノも足抜けしてまっとうな生き方を選んだのなら、これ以上のことはないと。
そんな淡い期待が、今、打ち砕かれている。
「アゼル……」
舵を操作する手を止め、ダガノはアゼルと体ごと向き合ってくれた。優しく、いつか見た日のまま、穏やかに笑っていた。
「強くなったんだな。俺たちに立ち向かってくるなんて」
「……僕は強くなんかありません。ただ、仲間がいてくれたおかげです」
「そうか」
ダガノはくしゃりと破顔した。
「仲間ができたんだな。やっと。お前のことを守ってくれる本当の仲間が」
「……ダガノさんは?」
「ん?」
「ダガノさんにとっての本当の仲間は誰なんですか? 本当にこの海賊団なんですか?」
ダガノは、この海賊団においては優しすぎた。同時にまともに思えることも多かった。好きで海賊稼業をしていたようには思えない。
「違いますよね。だって、ダガノさんは僕に優しかった。本当は海賊なんてやりたくなかったんでしょう?」
アゼルは、震える手をそっと差し出した。
「僕と一緒に行きましょう。ライリーレ王国なら、きっと……」
「バカを言うな」
ダガノは即座に断った。
アゼルは戸惑う。
「どうして……」
「俺は好きで海賊になったし、好きで海賊稼業をしていた。それが事実だ」
「~~っ、違う! じゃあ、どうしてみんなに冷たくされる僕のことを大切にお世話してくれていたんですか! 僕が逃げた時だって、わざと見逃してくれたんでしょう!?」
そう。一年ほど前、アゼルがこの海賊船から亡命する時。明らかにダガノが陰でこっそりと手引きしてくれていた。
当時のアゼルは弱かったから。そのまま、海賊団から逃げてしまった。ダガノのことを置いてけぼりにして。
でも、もう逃げたくない。過去のしがらみすべてから。
ダガノはふっと苦笑した。
「違わねぇよ、アゼル。本当のことだ。--お前が生まれる前までのことは、少なくともな」
「え?」
ダガノはふと視線を逸らす。過去に思いを馳せるようにぼんやりと窓の外を見つめる。
「お前が生まれる前までの俺は、救いようのないクズだった。でもなぁ、赤ん坊のお前を見てから俺の中で何かが変わったんだ」
「?」
「お前のお世話係に任命されてから……ニコニコ笑っているお前の顔を見るのが、いつしか好きになっちまった。その時、色んなことに気付いたよ。結局、俺がやっていたことは最低な行為だったんだって」
アゼルは一喝した。
「なら、どうして海賊をやめなかったんですか……! とっくに足抜けしていてくれていたら、今は違う人生があったはずじゃないですか!」
「もう遅かったんだよ。それに」
「それに?」
オウム返しにするアゼルをダガノはちらりと見て、でもそれ以上は言わなかった。
「アゼル」
代わりに、戸惑うアゼルに向かってにかっと笑う。
「生きろ。お仲間と一緒に。もう一人じゃないんだろ?」
「だ、だから、ダガノさんも一緒に……っ!」
「ダメだ。俺は一緒には行けない。……俺はもう手を汚しすぎた」
その時、外で激しい雷雨が降り注ぎ始めた。窓にも叩きつけるような豪雨だ。
船が大きく揺れる。嵐がきたのだ。横殴りの暴風が海面を揺らし続け、船が傾いて、海水の浸入を許す。
このままでは、沈んでしまいかねない。炭酸水はもう諦めるしかないみたいだ。ラーシヴァルトたちには本当に申し訳ないけども。
「ダガノさん! じゃ、じゃあ一緒にこなくてもいいですから、せめて脱出を……っ!」
「もちろん、逃げる。お前は先に脱出しろ」
即答されたので、アゼルはほっとした。よかった。てっきり、このまま船と一緒に沈むつもりなのかと。
「それなら、やっぱり一緒に脱出しましょう! 罪を償って、新しい人生を……」
ゴォオオオオ!
大量の海水が船内に飛び込んでくる。水圧で窓ガラスがヒビ割れた。
なおも船はぐらんっぐらっと大きく揺れる。
「くっ!」
「先に行け。俺は……やることがあるんだ」
「やるっことってなんですか! 早く脱出しないと!」
「俺を信用しろ」
「!」
アゼルははっとした。
信用しろ。海賊団に在籍していた頃、ダガノが幾度も口にしていた言葉だ。
『ふぇええん! こわいよぉおお!』
『大丈夫だ、アゼル。怖い幽霊なんて俺がぶっ倒してやるから。だから、ちょいとそのペンダントを寄越せ』
『倒すなんてムリだよ!』
『そんなことない。俺を信用しろ。』
夜中に変な影を見て、一人でお手洗いに行けなくなった時。ダガノは必死に幼いアゼルを宥め、本当に幽霊を倒してくれた。
あとで聞いた話によると、ただアゼルの胸元のペンダントに当たった光の反射で生まれた影だったらしいけども。だから、勝手に人のペンダントを奪ったのだ。
そうだ。大丈夫だ。
ダガノなら、信用できる。
「~~っ、分かりました! 絶対に生き延びて下さいね!」
アゼルは身を翻した。操舵室を飛び出し、思い切って荒れた海に飛び込む。
海での泳ぎは、ダガノから習ったから大得意だ。海岸まで戻ろう。
ラーシヴァルトたちがきっと待っている。
***




