侯爵様の怒り
エルドはまだ自分を諦めきれていない令嬢に言い寄られていた。そこへルシアが登場して相変わらず突拍子もないことを言い始めたが……
※ルシア視点です。
さっきまで春の風みたいに穏やかだった中庭が、急に冬の朝みたいに冷え切った気がした。
「……侯爵様?」
侯爵様が、動かない。俯いたままで、微動だにしない。
「……っ!!」
それまで侯爵様に絡みついていた令嬢の腕が、するりと離れた。触れてはいけないものに触れてしまったみたいに。
「ひ……ひぃ……」
令嬢は侯爵様の顔を見て引き攣り声をあげる。私も思わず手を口元に当ててしまった。初めて見る。侯爵様のあんな顔……
怒鳴っているわけじゃない。睨みつけてもいない。
ただ、静かに顔を挙げているだけなのに。それだけなのに。
空気が凍る。
呼吸ができない。
視線を向けられただけで、心臓を鷲掴みにされるみたい……
「……下劣?」
低い声が落ちた。
淡々としているのに、底が見えない。
「今、私の婚約者を……そう言ったのか」
ゴクリ、と思わず固唾を飲む。侯爵様、怖い……怖いわ。
「そ、それは……だって、踊り子なんてーー」
「踊り子?踊り子がなんだというのだ?」
侯爵様が、ゆっくり一歩、前に出る。
たった一歩なのに、令嬢が後ずさった。
砂利の音がやけに大きく響く。
「ルシアの踊りは、誰よりも気高い」
声は静かなままだけど……一言一言が剣のように鋭い。
「努力も知らず、覚悟も知らず、ただ家名にぶら下がっている者が」
「……っ」
「ルシアを下劣と評する資格など、あると思うな」
侯爵様がそうピシャリと言うと、見えない何かで打たれたみたいに令嬢が肩を震わせた。
怖い……
私が怒られてるわけじゃないのに。まるで侯爵様そのものが怒りの"形”になって立っているみたい。
「……私は誰であろうと、ルシアを侮辱するものは許さない」
侯爵様が、はっきりと言い切った。
普段滅多に怒らない人が怒るとめちゃくちゃ怖いの好きなんです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。




