物忘れ
影の騒ぎが落ち着いてから、村にはまた穏やかな日々が戻りました。
けれど――その“穏やかさ”が、今度は少し変わった形で揺らぎ始めます。
ある朝。
広場に出てきたショウタが、ぽかんと立ち止まりました。
「……あれ?」
ピースケが気づいて近づきます。
「どうしました?」
ショウタは首をかしげました。
「いや……オレ、なんでここ来たんだっけ?」
その言葉に、ピースケはぴくりと反応します。
「……それは、ちょっと気になりますねぇ。」
そのとき、近くにいた村人も言いました。
「おや……わし、今なにを取りに来たんじゃったか……?」
どうやら一人だけではありません。
村のあちこちで、「ちょっとしたこと」を忘れてしまう人が増えていたのです。
名前や顔、大事なことは覚えています。
でも、「さっき何をしようとしていたか」「どうしてここに来たか」――そういう小さな記憶が、ふっと抜け落ちてしまう。
ピースケはゆっくり言いました。
「……記憶が“ほどけて”いますねぇ。」
ショウタが顔をしかめます。
「またかよ、不思議系……。」
「ええ、でも今回は少しやっかいそうです。」
その日の夕方。
ピースケとショウタは、村の外れの丘に立っていました。
風が吹くたびに、何かがさらさらと流れていくような気配があります。
「……あれ、見えますか?」
ピースケが空を指しました。
ショウタが目を細めます。
「……なんか、光ってる?」
空の高いところに、細い糸のような光が、ふわふわと漂っていました。
よく見ると、それは文字のようにも見えます。
「どうやら、“思い出のかけら”のようですねぇ。」
「思い出?」
「ええ。本来は心の中にあるものが、外にこぼれてしまっているのでしょう。」
そのとき、風が強く吹き――
光の糸が、ふわっと地上へ落ちてきました。
ショウタは思わずそれをつかみます。
すると――
「うわっ!」
一瞬、知らない景色が頭の中に広がりました。
誰かが笑っている光景。畑のにおい。あたたかい夕焼け。
でも、それはショウタの記憶ではありません。
「……今の、なんだ?」
ピースケは静かに答えます。
「他の誰かの思い出ですねぇ。」
ショウタは手の中の光を見つめます。
「これ、どうすんの?」
そのとき――
丘の下から、小さな声が聞こえました。
「……かえりたい……。」
ふたりが振り向くと、そこにいたのは、ぼんやりとした光のかたまりでした。人の形のようでもあり、そうでないようでもあります。
「ワタシタチ……バラバラ……。」
ピースケは近づき、やさしく言いました。
「あなたたちは、記憶そのもの……あるいは、その一部のようですねぇ。」
光はゆらゆらと揺れます。
「モドリカタ……ワカラナイ……。」
ショウタがぽつりと言います。
「なんか最近、こういうの多くね……。」
ピースケは苦笑しました。
「ええ、この村、だいぶ“いろんなものに好かれて”いますからねぇ。」
そして、少し真剣な顔になります。
「ですが今回は、ひとつひとつ返していくしかなさそうです。」
「返すって……どうやって?」
ピースケはショウタの手の中の光を見ました。
「それを見たとき、何か感じましたか?」
ショウタは少し考えます。
「……あったかかった。なんか、優しい感じ。」
「それが手がかりです。その思い出が“帰りたがっている場所”は、きっとそういう気配のあるところです。」
ショウタはうなずきました。
「なるほど……なんとなくでいいのか。」
「ええ、“なんとなく”は意外と大事なんですよ。」
その夜。
ふたりは村の中を歩き回りました。
光のかけらをひとつひとつ手に取り、感じて、そして――
「あ、この家だ。」
ショウタが言って、ある家の前で光を放します。
すると、光はふわっと中に入り、部屋の中から声がしました。
「ああ……そうじゃ、わしは水をくみに行こうとしていたんじゃ!」
次々に、思い出が元の持ち主のもとへ戻っていきます。
笑い声や、安心したため息が、村に広がっていきました。
やがて最後のひとつ。
ショウタの手の中に、小さな光が残りました。
それは、なぜか少しだけ重く感じます。
「……これ、誰のだろ。」
ピースケは静かに言いました。
「それは……ショウタさん自身のものかもしれませんねぇ。」
「え?」
ショウタが目を見開きます。
光に触れた瞬間――
「……あ。」
思い出がよみがえりました。
小さいころ、転んで泣いたとき、誰かが手を引いてくれたこと。
悔しくて、でも立ち上がったこと。
「……オレ、忘れてたんだ。」
ピースケはやさしくうなずきます。
「大事なことほど、ふとこぼれてしまうこともありますからねぇ。」
ショウタはその光を、胸にそっと押し当てました。
すると光はすっと消え、静かに戻っていきます。
「……よし。」
顔を上げたショウタは、少しだけたくましく見えました。
村には、すべての思い出が戻りました。
夜空にはもう、光の糸は漂っていません。
ピースケは星を見上げてつぶやきます。
「記憶もまた、“つながり”のひとつですねぇ。」
ショウタは笑いました。
「最近それ多いな。」
「ええ。でも、何度でも大事なことですから。」
静かな夜。
それぞれの心の中に、それぞれの思い出がちゃんと戻っていました。
そして――
まだ知らない“何か”が、またそっと、この村に近づいているのでした。




