影
それからというもの、村はすっかり落ち着きを取り戻しました。
風はやさしく、水は静かに流れ、子どもたちの声もいつもどおり広場に響いています。
――けれど。
ある朝、ピースケは少しだけ違和感を覚えました。
「……おや?」
いつものように朝日を浴びているのに、影の向きがほんの少しおかしいのです。太陽は東にあるのに、影がわずかに別の方向へ伸びていました。
そのとき、ショウタが走ってきます。
「ピースケ!なんか変だぞ!」
「ええ、ちょうど同じことを思っていましたよ。」
ふたりが周りを見回すと――村人たちの“影”が、少しだけズレて動いているのです。
本人が止まっているのに、影だけが一歩遅れてついてくる。
あるいは、逆に先に動いてしまう。
「なんだこれ……気味悪っ。」
ショウタが顔をしかめます。
ピースケは静かに言いました。
「影は本来、光と一緒にあるものですが……これは“別の何か”になりかけていますねぇ。」
そのとき、ひとりの子どもが叫びました。
「かげが、にげた!」
見ると、その子の影が地面からするりと離れ、ぴょん、と跳ねるように動き出したのです。
そして、そのまま村の外へ――
「……これは放っておけませんねぇ。」
ピースケは翼を広げました。
「行きましょう、ショウタさん。」
「もちろん!」
ふたりは逃げ出した影を追いかけて、森の中へ入っていきました。
木々のあいだを進むと、やがて奇妙な場所にたどり着きます。
そこは光がほとんど届かず、地面にはいくつもの影が集まって、ざわざわと動いていました。
まるで影だけの世界のようです。
「うわ……影だらけ……。」
ショウタが思わずつぶやきます。
その中心に、ひときわ濃い影がありました。
それはゆっくりと形を変え、人のような姿になります。
「……ワタシタチハ……ジユウニナリタイ……。」
低く響く声。
ピースケは落ち着いて応えました。
「自由、ですか。」
影は揺らめきながら続けます。
「ヒカリニシバラレルノハ……イヤダ……。」
ショウタが眉をひそめます。
「でも、それって……影じゃなくなるってことじゃん。」
影は一瞬、揺れを止めました。
「……ワカラナイ……。ダケド……ココロガ、ソウイッテイル……。」
ピースケはしばらく考え、ゆっくり言いました。
「“影であること”が嫌なのか、それとも“縛られていること”が嫌なのか……そこが大事ですねぇ。」
ショウタは腕を組みます。
「難しいこと言うなぁ……。」
ピースケは小さく笑いました。
「まあ、つまりですねぇ。無理に変わろうとしても、本来の姿を失ってしまうかもしれない、ということです。」
影は静かに揺れます。
「……ジャア、ドウスレバ……?」
そのとき――
ショウタが一歩前に出ました。
「なあ、さっきのさ、“自由になりたい”ってやつ。」
影が反応します。
「……ナンダ……。」
ショウタは少し照れくさそうに言いました。
「自由ってさ、別に“全部やめる”ことじゃなくね?オレだってさ、ルールあるけど遊べるし。」
ピースケがくすっと笑います。
「いいことを言いますねぇ。」
ショウタは続けます。
「影だってさ、勝手に動くんじゃなくて……一緒に動けばいいじゃん。ちょっとくらいズレてもさ。」
影はゆっくり形を変えます。
「……イッショニ……?」
「そう。オレの影なんか、ちょっと遅れて動いてもいいし、先にジャンプしてもいい。でも、ちゃんと戻ってくればさ。」
しばらく沈黙が続きました。
やがて――
影たちが、少しずつ静かになっていきます。
ざわざわしていた動きが落ち着き、ひとつひとつが地面へと戻っていきました。
中心の影も、ゆっくりとほどけるように薄くなっていきます。
「……ワカッタ……。ワタシタチ……ヒカリト……イッショニイル……。」
その瞬間、森に光が差し込みました。
逃げていた影たちが、それぞれの持ち主のもとへと戻っていきます。
村に帰ると、影はちゃんと元どおりになっていました。
ただ――ほんの少しだけ、前より自由に動くようになった気がします。
ショウタが自分の影を見て、笑いました。
「なんかさ、前より面白くなってるな。」
ピースケはうなずきます。
「ええ、いい変化ですねぇ。」
夕方、長く伸びる影を見ながら、ピースケはつぶやきました。
「変わることと、変わらないこと……どちらも大切ですねぇ。」
影は静かに揺れながら、ちゃんとそこにあり続けていました。
そしてまた、新しい不思議が、どこかでそっと目を覚まそうとしているのでした。




