クロノワール その2
その日の夜――
村は静まり返っていました。
昼間のにぎやかさが嘘みたいに、音がありません。
空には大きな月。
雲の切れ間から白い光が降りそそいでいます。
ピースケ、サヨ、ショウタ、そしてこっこは、村の外れにある古い橋へ向かっていました。
ショウタがランタンを持ちながら言います。
「……なんか本当に来ちゃったな。」
サヨも少し緊張しています。
「クロノワール、いるかな。」
こっこは羽を小さくたたみました。
「夜の空気、変コケ……。」
たしかに、いつもの夜とは違います。
風がないのに、景色がゆらゆら揺れて見える。
まるで夢の中みたいでした。
そして――
古い橋にたどり着きます。
川の上にかかる、小さな石橋。
月明かりに照らされて、白く浮かび上がっていました。
その橋の欄干の上に――
黒猫クロノワールが座っていました。
「来たか。」
金色の目が月光を反射しています。
ピースケは静かにうなずきました。
「ええ。」
ショウタが聞きます。
「で、“忘れられた夜”ってなんなんだよ。」
クロノワールは橋の向こうを見つめました。
「……見ていろ。」
その瞬間――
カラン。
また鈴の音。
すると。
川の水面が、ゆっくり黒く染まり始めました。
サヨが息をのみます。
「えっ……!?」
水が鏡みたいに暗くなり、その中に“別の景色”が映り始めます。
知らない町。
知らない道。
知らない人影。
ショウタが後ずさりました。
「うわ……なんだこれ。」
クロノワールは静かに言います。
「“忘れられた場所”だ。」
ピースケが目を細めます。
「……記憶の向こう側、ですか。」
「近い。」
クロノワールは橋から飛び降りました。
「人にも物にも、“忘れられる”瞬間がある。」
「……。」
「その一部は、消えずにここへ流れ着く。」
川の黒い水面の中で、景色が次々変わっていきます。
壊れたおもちゃ。
誰にも読まれなかった手紙。
名前を忘れられた歌。
サヨが小さくつぶやきました。
「……さみしい。」
そのとき。
水面の奥に、小さな影が見えました。
誰かが、こちらを見ています。
ショウタが眉をひそめます。
「……子ども?」
影は橋の下から、ゆっくり姿を現しました。
月明かりに照らされたのは――
古びた服を着た、小さな男の子。
でも、その姿は少し透けています。
サヨがそっと言いました。
「こんばんは……?」
男の子は不安そうに周囲を見回しました。
「……ここ、どこ?」
声が、かすかに震えています。
クロノワールが低く言いました。
「また流れ着いたか。」
ピースケは男の子に近づきます。
「迷ったのですねぇ。」
男の子は、ゆっくりうなずきました。
「……ぼく。」
そこで言葉が止まります。
「……名前、思い出せない。」
ショウタがはっとしました。
「記憶喪失……?」
クロノワールは首を振ります。
「違う。“忘れられた”んだ。」
空気が静まり返ります。
サヨが胸の前で手を握りました。
「忘れられたって……そんなの。」
男の子は小さくつぶやきます。
「ぼく、帰りたい……。」
その声を聞いた瞬間。
ピースケの胸の奥が、ずきりと痛みました。
――“帰りたい”。
その言葉。
どこか、自分にも重なる気がしたのです。
クロノワールは静かにピースケを見ました。
「だからお前を呼んだ。」
「……私を?」
「お前は“運び手”だ。」
黒猫の金色の目が細くなります。
「忘れられたものを、つなぎ直せるかもしれない。」
風が静かに吹きました。
橋の下の黒い水面が、ゆらゆら揺れています。
サヨは男の子の前にしゃがみ込みました。
「だいじょうぶ。」
やさしく笑います。
「いっしょに帰る方法、探そう。」
男の子は驚いたように顔を上げました。
ショウタも肩をすくめます。
「まあ、ここまで来たしな。」
こっこも羽を広げます。
「まかせるコケ!」
ピースケは静かにうなずきました。
「ええ。」
そして、月明かりの中で言います。
「あなたの“帰る場所”を、一緒に探しましょう。」
その瞬間。
男の子の体が、ほんの少しだけ明るく光りました。
まるで――
消えかけていた灯りに、もう一度火がともったみたいに。




