クロノワール その1
記憶を取り戻してから数日後。
ピースケは、いつものように馬車を引いて村の外れを歩いていました。
荷台には野菜や布袋が積まれています。
ショウタは荷物の上に座りながら言いました。
「今日は平和そうだな。」
サヨも空を見上げます。
「いい天気!」
ピースケは穏やかにうなずきました。
「ええ、こういう日――」
そのとき。
ひょい。
道の真ん中に、一匹の黒猫が現れました。
「おっと。」
ピースケはすぐに馬車を止めます。
黒猫は細身で、つやつやした毛並み。
金色の目だけが、じっとこちらを見ていました。
ショウタが小声で言います。
「……なんか普通の猫じゃなくね?」
黒猫はゆっくり口を開きました。
「当然だ。」
「しゃべった!!」
サヨがびっくりして飛び上がります。
黒猫は落ち着いた様子で尻尾を揺らしました。
「そんなに驚くことか?」
ショウタがつっこみます。
「いや、猫がしゃべったら驚くだろ!」
ピースケは静かに黒猫を見つめます。
「こんにちは。」
黒猫も軽く頭を下げました。
「初めまして、“運び手”。」
その言葉に、ピースケの目が少し細くなります。
「……私を知っているのですか。」
黒猫はふっと笑いました。
「少しな。」
風が静かに吹き抜けます。
どこか、不思議な空気。
サヨがそっと聞きました。
「あなた、名前は?」
黒猫は胸を張ります。
「クロノワール。」
ショウタが眉をひそめます。
「なんか急に名前かっこいいな。」
「当然だ。」
クロノワールは、まるで偉い人みたいに言いました。
そしてピースケを見上げます。
「お前、“鐘の塔”へ行ったな。」
ピースケは驚きました。
「……ええ。」
「やはりか。」
クロノワールの金色の目が細くなります。
「ならば、お前はもう“境目”に近づいている。」
ショウタが顔をしかめます。
「境目?」
クロノワールはすぐには答えません。
代わりに、空を見上げました。
すると――
さっきまで晴れていた空に、一瞬だけ黒い雲が流れます。
サヨが不安そうに言います。
「なんか……空変じゃない?」
クロノワールは静かに言いました。
「最近、“こちら側”と“あちら側”が近い。」
ピースケが低い声で聞きます。
「……“あちら側”とは?」
黒猫は、じっとピースケを見ました。
「忘れられたものが流れ着く場所。」
その言葉に、空気が少し冷たくなります。
ショウタが腕をさすりました。
「なんか怖い言い方すんなよ……。」
クロノワールは馬車に飛び乗りました。
「だが安心しろ。」
「え?」
「お前たちは、すでにかなり変なことに慣れている。」
ショウタが思わず吹き出します。
「それはまあ……否定できねえ。」
サヨも笑いました。
ピースケはクロノワールを見ながら言います。
「それで、あなたは何をしに?」
クロノワールは尻尾をゆらりと動かします。
「案内だ。」
「案内?」
「近いうちに、“夜の道”が開く。」
風がぴたりと止まりました。
クロノワールの目が、金色に光ります。
「その前に、お前たちに会っておきたかった。」
ピースケは静かにうなずきました。
「……なるほど。」
ショウタは頭をかきます。
「また新しい冒険ってこと?」
クロノワールは小さく笑いました。
「たぶんな。」
そのとき――
カラン。
どこからか、小さな鈴の音が聞こえました。
クロノワールが耳をぴくりと動かします。
「……もう始まっているか。」
「何がです?」
黒猫は馬車から飛び降りました。
そして、振り返りざまに言います。
「今夜、月が一番高くなったころ。」
「村の古い橋へ来い。」
サヨがあわてて聞きます。
「待って!何があるの!?」
クロノワールは、ふっと不敵に笑いました。
「“忘れられた夜”が来る。」
次の瞬間。
黒猫の姿は、影のようにふっと消えてしまいました。
「えええっ!?」
ショウタが目を丸くします。
ピースケは静かに、黒猫が消えた場所を見つめていました。
そして小さくつぶやきます。
「……また、新しい“つながり”が始まりそうですねぇ。」
空には、ゆっくりと雲が流れていました。
そして遠くで――
カラン……。
また、小さな鈴の音が響いたのでした。




