記憶喪失
数日後の朝。
村には穏やかな風が吹いていました。
ピースケはいつものように馬車へ荷物を積み込んでいます。
「はい、こちらは西の畑までですねぇ。」
ショウタが木箱を運びながら言いました。
「今日は平和そうだな。」
サヨも笑います。
「うん!」
そのとき――
ヒュウゥゥ……。
突然、不思議な風が吹きました。
冷たいような、懐かしいような風。
ピースケがふっと顔を上げます。
「……?」
次の瞬間。
グラリ。
「ピースケ!?」
大きな体がぐらりと揺れ、その場に座り込んでしまいました。
サヨが駆け寄ります。
「大丈夫!?」
ピースケはゆっくり顔を上げました。
でも――
その目は、いつもと違っていました。
「……。」
ショウタが不安そうに聞きます。
「おい、どうした?」
ピースケは静かに答えました。
「……あなたたちは、誰ですか。」
沈黙。
ショウタが固まります。
「……は?」
サヨの顔が青くなりました。
「えっ……。」
ピースケは周囲を見回します。
馬車。村。空。
全部、初めて見るような顔。
「ここは……どこなんでしょう。」
ショウタが慌てます。
「ちょ、ちょっと待てよ!冗談だろ!?」
しかしピースケは本当に分かっていない様子でした。
「申し訳ありません。私は……。」
そこで言葉が止まります。
「……自分の名前も、思い出せません。」
サヨが泣きそうになります。
「そんな……。」
村人たちも集まってきました。
「どうしたんだ!?」 「ピースケさん!?」
けれど、誰の顔を見ても、ピースケは困ったように首をかしげるだけ。
「……すみません。」
ショウタは頭を抱えました。
「マジかよ……記憶喪失ってやつか……。」
その日の荷物運びは中止になりました。
ピースケは馬小屋で休むことに。
サヨは一生懸命、思い出してもらおうとします。
「これ見て!」
キャベツケーキの絵。
「誕生日のとき作ったの!」
しかしピースケは、やさしく笑うだけでした。
「……素敵な絵ですねぇ。」
ショウタも言います。
「オレたち、一緒に冒険しただろ!温泉とか海とか!」
「温泉……海……。」
ピースケは考え込みます。
でも、思い出せません。
夕方になるころには、サヨはしょんぼりしていました。
「……ピースケ、戻らないのかな。」
ショウタも珍しく静かです。
そのとき――
コンコン。
馬小屋の扉が鳴りました。
入ってきたのは、こっこです。
「聞いたコケ!」
ピースケを見るなり、こっこは羽をばさっと広げました。
「大丈夫コケ!“つながり”は簡単には消えないコケ!」
ショウタが顔を上げます。
「……つながり。」
こっこはうなずきました。
「記憶がなくても、“心が覚えてる”ことあるコケ!」
その言葉に、サヨがはっとします。
「……心。」
その夜。
みんなは馬小屋に集まりました。
ショウタは冒険の話をしました。
地震のこと。
ドラゴンのこと。
温泉のこと。
サヨはキャベツケーキの話をします。
こっこは“声のしずく”の話を。
みんなが話すたびに――
ピースケは静かに聞いていました。
そして、ときどき。
ほんの少しだけ、懐かしそうな顔をします。
やがて夜が深くなったころ。
サヨが小さく言いました。
「……ピースケ。」
「はい?」
「わたしね。」
サヨは少し泣きそうな顔で笑います。
「思い出せなくても、また友だちになるから。」
静かな空気。
ショウタも照れくさそうに言いました。
「オレも。何回でも付き合ってやるよ。」
こっこも元気よく。
「また最初から仲良くなるコケ!」
ピースケは、しばらく何も言いませんでした。
でも――
その目が、少しだけ揺れます。
「……不思議ですねぇ。」
「え?」
「胸の奥が、あたたかいんです。」
サヨの顔がぱっと明るくなります。
「それって!」
ピースケはゆっくり目を閉じました。
風の記憶。
鐘の音。
笑い声。
夕日。
いろんなものが、ぼんやりと浮かびます。
そして――
ひとつの言葉が、自然に口からこぼれました。
「……ショウタさん。」
ショウタが目を見開きます。
「!!」
「サヨさん。」
サヨが立ち上がりました。
「思い出したの!?」
ピースケはまだ少しぼんやりしています。
でも――
やさしく、いつものように笑いました。
「……どうやら、“大事なもの”から戻ってくるようですねぇ。」
その瞬間。
馬小屋の中に、ほっとした空気が広がりました。
ショウタは大きく息を吐きます。
「よかったぁぁぁ……。」
サヨはうれしくて泣きながら笑いました。
「もう忘れないでね!」
ピースケは少し困ったように笑います。
「ええ、気をつけます。」
そして静かにつぶやきました。
「記憶は薄れても、“つながり”は残るんですねぇ。」
外では、夜風がやさしく吹いていました。
それはまるで――
ちゃんと戻れてよかった、と言っているようでした。




