第3話 酒場に傷だらけの少女
カランカランッ、と扉に取り付けられたベルの音色と「いらっしゃいませ」の声が響いた。
ルフィアに案内されたのは冒険者であろう装備を纏った物騒な連中が集う酒場だ。
内装は木造りで温かみがあり、丸テーブルを囲む大勢の客が頬を赤らめながら賑わいを見せている。
店内に充満する香ばしい匂いは、空腹の俺の胃袋を刺激した。
「あそこ、空いてる」
慣れた足取りで隅に設けられた二人席の丸テーブルへと向かうルフィア。その背に引っ張られるように足を運んだ。
やけに視線を感じるが、俺の髪色はかなり珍しいらしく、注目されるのは日常茶飯事。もう気にならなくなった。
「とりあえず、注文しましょう」
ルフィアはそう言って、店員を呼び止め、注文を始める。
その時、俺は思わず顔を引き攣らせた。
メニュー表を開いたらルフィアは、指差しで「これとこれとこれと……」と異常な量の注文を重ねていたからだ。
「あと、エールを……ノイルも飲む?」
「おっ、おう!」
ここでは成人は十六歳。だが、俺はまだ酒を飲んだことがない。
冒険者たるもの酒を飲むべし。
恥ずかしくなった俺は、ルフィアに勘付かれないようにと、平然を装って頷いた。
「じゃあ、エールを二つお願い」
かしこまりました、と店員は去っていった。
注文が届くまでの間、何気ない会話を交わす。
「ルフィアはこの街で育ったのか?」
「いえ、私は……」
そこで言葉が止まる。ルフィアの表情に深い影がかかり、一瞬にして空気が重たくなった。
「記憶がないの。どこからきたのかわからなくて、一年前にこの街に来たばかり」
「えっ……嘘だろ? 俺と全く同じじゃねえかよ……」
だが、ルフィアは驚くどころか無表情だ。まるで、知っていたかのように。
「ノイルも山頂の光の柱は見える?」
「そりゃまあ……あんなに目立ってるからな」
ただでさえ標高の高い壁のような山脈。その頂上から天を貫くように伸びているのだから当然だ、と思っていたのだが。
「あの光、みんなには見えないみたい」
驚きのあまり、言葉が喉に詰まった。
「冗談だろ……?」
ルフィアは静かに首を横に振った。
「冗談でもなんでもない」
その瞬間、なぜか胸が高揚した。特別な存在のように思えたからだ。
「もしかして俺、呼ばれてる? なんつって」
冗談混じりに雑な笑い声を付け足すと、ルフィアは真剣な表情で俺の目を見つめた。
「かもしれない。私達の記憶、あそこに行けば戻ると思う」
「記憶が戻る⁈ 本当かよ!」
ルフィアは確信しているように頷いた。
「ノイル、目指す気はある?」
「ああ、元々そのつもりだからな。俺の夢というか、目標みたいなもんだ!」
俺の言葉に、ルフィアは僅かに口角を上げた。
「なら話が早い。私とパーティ組もう? 私も山頂目指してるから」
「えっ、そんないきなり——」
「お待たせしました!」
かなり重要なタイミングで、大量の料理が運び込まれた。
机から溢れんばかりの皿。それを目の前に、ルフィアの紅い瞳が煌めく。だが、俺の脳内にはパーティと言う響きで充満している。
光の柱を目指すパーティ。いきなりの誘いに驚いたが、俺の中には既に答えが出ていた。
「ルフィア! 俺、パーティ組むよ!」
ルフィアは静かにジョッキを持ち上げた。
「じゃあ、乾杯ね!」
頷いた俺は、少し緊張気味に樽ジョッキへと手をかけた。
「ええ……パーティ結成に」
「パーティ結成に」
『乾杯!』
コンっ! と樽ジョッキの鈍い音色を響かせ、あっさりとパーティ契約が交わされた。
初めてのエール。喉越しが命と聞いたことがある俺は勢いよく注ぎ込む。
(うわっ……苦ぇえ)
最初の感想はこれだ。だが、顔には出さないようにすました表情で我慢。
目の前のルフィアに視線を移すと、エールの泡が静かに弾けるのを悲しげな瞳で眺めていた。
「次こそ……」
何かを誓うように口先に囁いたが、俺には聞き取れなかった。
勢いよくエールを流し込むルフィア。
凄まじい飲みっぷりで、小さな喉仏が喜びの声を上げている。
「ハァァ……」
薄く、長く息を吐き出し、ジャッキを下す。中身はすっからかん。
負けじと俺も残りのエールを流し込んだ。
苦い。が、これも慣れれば美味しく感じるはず。
僅かに顔が歪む俺を見つめたルフィアは、ニヤリと口角を上げて二つのエールを注文。その後は、目の前のご馳走にありついた。見ていて気持ちがいいほどの食べっぷりだ。
ひと段落ついた後、ルフィアが食べる手を止める。
「明日はノイルの防具素材を取りに行こ?」
「おっ、いいな! 俺も能力が使えるようになるってことか」
子供のように高揚してしまったが、不安な点がある。
次は命があるのか。
死への恐怖が俺から笑顔を奪った。
「ちゃんと戦えるかな……」
俺の口から弱々しく漏れ出した言葉。
沈んだ心に連動するように俯くと、ルフィアがフードの中から真直ぐに俺を見つめた。
「ノイル、大丈夫。私が死なせない」
顔を上げると、紅い瞳と目が合った。その眼差しはとても力強く、安心できる。同時に、情けない気持ちが溢れ出した。
同じ状況で一年前に目を覚まし、俺は初討伐で死にかける。ルフィアは既にDランク冒険者。この格差が重みとなって、ずっしりと肩にのしかかった。
「なあ、ルフィア。俺なんかとパーティ組んでも、足手まといになっちまうんじゃ?」
ルフィアは「ん?」と首を傾げる。
「もっと強いやつと組んだほうがいいんじゃないのか? 俺じゃ、力不足で足を引っ張っちまう――」
「違う」
ルフィアは俺の言葉を途中で遮った。
「えっ?何が――」
「足を引っ張らないように強くなる。でしょ?」
そう言って、樽ジョッキのエールを飲み干した。
また情けない姿を見せてしまった俺は、泡のなくなったエールを口に運ぶ。
「そうだな。俺も負けないくらい強くなるよ! また今度、戦い方を教えてくれよ?」
微笑みを浮かべたルフィアは静かに頷いた。
◇
食事を終えた二人はエールを片手にくつろぐ。
周囲の客も酒が回り、声量が大きくなり始めた頃、カランカランッと酒場の扉が開いた。
入店したのは、浅紫色の乱れた髪に長い猫耳を横に寝かせた少女だ。
成人を迎えていないのは明らかだが親の姿はなく、独りぼっち。衣服は汚れ、腕や足に痛々しい青あざをこさえている。
少女は紫紺の瞳できょろきょろ、と不安げに誰かを探しながら、二人が座る丸テーブル付近まで足を運ぶ。すると、散らかった椅子に足を引っかけ、シュールに転倒。
「大丈夫?」
側にいたルフィアが駆けつける。
「ご、ごめんなさい……」
そう言って、ルフィアの体に抱き着くように立ち上がる少女。
その時、ルフィアが少女の細い腕を強くつかんだ。
「ダメよ? 人の物を取っちゃ」
掴んだ少女の右手には、討伐したレッサーキックスの額に埋め込まれていた石が握り締められていた。
「チッ、離せ!」
豹変したようにルフィアの腕を振り払った少女は、全力で逃げるように酒場を後にした。
「おい、なんだ今の?」
「見ての通り、盗みよ。親に捨てられたのかな?」
「なんでそんな冷静なんだよ……。それにしても、あんな堂々とやるかねぇ……?」
衝撃の出来事に動揺を滲ませたノイルは、姿を消した少女の残像を眺めた。
とりあえず、席に戻った二人。ルフィアは掌の青い石を見つめて呟く。
「狙いはこれね」
レッサーキックスの額にはまっていた石。ノイルの額の石によく似た石だ。
「なんだ……その石?」
白々しく尋ねると、ルフィアは石の説明を始めた。
「これは『能石』っていって、能獣の中にこの石を持つ個体が稀に生まれるの。ノイルが戦った最後の個体、大きかったでしょ?」
「ああ、上位互換の違う能獣なのかと思った」
「能石を持つ個体は体格から身体能力、固有能力まで全てが大幅に上昇するの。だからギルドから依頼が出る場合は、一つ上のレベルで表記される。つまり、実際にはDランク冒険者の水準。ノイルが負けちゃうのも当然」
「えっ、むちゃくちゃ運が悪かったってことか? いや、よかったとも言えるか……」
ルフィアが静かに頷くと、ノイルが苦笑い。だが、気にせず説明を続ける。
「素材化した能石は、オドを使わなくても無条件で固有能力が使えるの。しかも、上昇した威力で。この石の場合だど、空中を二回蹴ることが出来ると思う」
「無条件とか最強じゃねえか⁈」
頷くルフィアだが、「でも」と続けた。
「使用方法は能石を砕くことだから、一度しか使えない。ここぞという時の“切り札”みたいな感じ」
ノイルは額の布をそっと直した。
「な、なるほど。それは大事にしないと……」
「簡単にまとめると、能石は希少で需要があるから高値で取引されるの。だからあの子もリスク承知で来たんだと思う」
今の説明だけでは、額の石と同様の物なのかは判断が出来なかった。
「そう言うことか……。でも、なんでルフィアが持っているって知ってたんだ?」
「低ランク冒険者を狙って盗む子は、大体の依頼が街の近くって知ってるから、あらかじめ目星を付けてたんだと思う。しかも私、女だし」
「酔っ払ったところを狙ったのか。まだ幼いのに……」
少女の傷だらけの姿を思い浮かべたルフィアは、虚ろな視線を完食した皿に沈めた。
「ごめん、相手が悪かったね。私、まだ酔ってないの」
悲しげに囁かれた言葉。三杯目にして頭がふわふわしてきたノイルは背筋がゾッとした。
それからしばらく飲み進めた二人。六杯目に突入した時点でノイルがダウン。
初めての酒の味は、逆流した胃液の酸味に塗り替えられた。




