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罪を歩く旅を知らぬ者  作者: 小夜 新成
ファストボーン編
3/15

第2話 黒髪の少女



 激しく痙攣する蒼い瞳孔が映したのは、レッサーキックス。だが、違う。

 体格は他の個体よりも一回り以上大きく、額の中心には青い石が埋め込まれている。


「あの石って……」

 自身の額にもはめ込まれた石とよく似ている。だが、そんなことを気にしているうちに、白獣は徐々に歩み寄って来ていた。

「ダメだ……。逃げないと」

 明確な死の予感。

 既に後ずさりを始めている震えた足。だが、まるで自分の体ではないようで、思うように動かせない。


 逃げ切れるのか? 無理だ。

 戦うか? 無理だ。

 死ぬのか? 嫌だ。


 迫る殺意に取り乱したノイル。後退る足はもつれ、草原に尾骶骨が沈む。

 掌からは剣が零れ落ち、腰を抜かして身動きが取れない。

「た、立てねえ……。動け、動け……動けよ、足!」

 足元に転がる剣に視線を移したノイル。

 その瞬間、前方から連続する足音が響いた。

 咄嗟に視線を起こしたノイル。眼前には既に、口を開いた白獣の顔面があった。


「死んだ……」

閉ざしかけた瞼。その薄い視界に、ビュンッ! と黒い影が横切った。

「っ……!?」

 思わず目を見開くノイル。

 眼前からは白獣の顔面が消え去り、飛散した無数の赤い雫で埋め尽くされていた。


「何が……?」

 視線を落とすと、頭部を失ったレッサーキックスが倒れていた。

「死んでる……」

 生きている実感が湧かない中、横切った影を思い出したノイルは、残像を追うように首を右へと回す。


 そこには、艶やかな漆黒の長い髪をなびかせた少女の背中があった。








 人智を超えた余りのスピードに、俺は全身に動揺を滲ませた。

「なんだよ、あの速度……」

 すると、少女が二本の短剣を腰元に収めて、ゆっくりと振り返った。


 同い年くらいだろうか。

 腰まで伸びた黒いローブを纏い、全身を黒一色の装備で覆う少女。その姿は、見惚れる程の抜群なスタイルと、容姿端麗な顔立ちを合わせ持つ、まさに美少女だ。


 静かに輝きを保つ宝石のような紅い瞳と目が合った途端、俺の心は握られるように熱を帯びた。それと同時に、心臓を抉るような冷たい痛みが襲う。

 腰を抜かす俺の元へと歩み寄る少女。

 表情は乏しく、どこか悲しい気配を纏っている。


「どうして泣いてるの?」

 息を含んだ薄い声が落ちた。

 その言葉は、誰に向けて言っているのかはわからない。

 だって俺は……。

 その時、俺は頬に雫が流れ落ちていることに気づいた。


(……なんで、泣いてんだ?)

 俺は涙を拭うことなく、ひたすらに少女を見つめていると、無意識に口から言葉が漏れ出した。

「君と、どこかで……」


 俺は何を言い出してんだ……。

 自分でも驚いたが、確かに懐かしさを感じる。この感覚はなんだろう。

 すると、少女の白い頬に一粒の涙が伝った。


「っ……知らないの。ごめんね」

 儚げな声は、微風に攫われるように消えた。




——




 彼女の名前は――ルフィア・リュピト。


 彼女の言う通り、聞き覚えのない名前だ。年は十八歳で俺と同い年だが、既にDランク冒険者。おまけに雰囲気も落ち着きがあって大人びている。


 倒れたままのレッサーキックスは、ルフィアが核を破壊して消失。白い靄はルフィアに吸い込まれていった。

 素材は他の個体と変わらない爪を落としたが、もう一つ、額に埋まっていた青い石がある。その石はルフィアが回収し、爪は快く譲ってくれた。


 死にかけたが、ルフィアのおかげでなんとか討伐目標を達成。

 やり遂げた達成感を得た代わりに、明確な恐怖が脳裏に刻み込まれた。


 太陽が西の山脈へと姿を隠し、空が茜色に染まる。

 ルフィアの用が済んだらしく、俺達は肩を並べて街を目指した。

「色々聞きたいことがあるんだが、さっきの速度はなんだ?」

「あれはこの防具の能力。スピードが跳ね上がるの」

「装備の能力⁈なんだよそれ、俺にも使えるのか⁈」

 抑揚のない声に対して意気揚々と尋ね返すと、ルフィアが一から説明を始めた。


「能獣の素材で作った装備には能力が宿るの。私はレベル2の『スピードラビット』の防具を身に着けてるから、強脚の能力が使える」

「身に着けるだけで能力が使えるのか?」

「使えない。能獣を倒すと白い靄が体に吸い込まれるでしょ? あれは『オド』って言って、体に蓄えたオドを消費して能力を使うの。オドが尽きたら能力は使えなくなる」


 どうやら、能獣と違ってコアを持たない人間は、体内でオドを生み出せないらしく、能獣を討伐する以外でオドを貯める方法はないらしい。おまけに、オドを蓄えられる量には個人差があるらしく、冒険者の素質はオドの貯蔵量で決まるともいわれているようだ。


「貯蔵量は多少伸ばすことはできるけど、九割は素質で決まる」

 能力は防具だけではなく、武器にも宿るらしいが、二つ以上の能力を扱うのも素質らしく、基本は道具か武器のどちらか片方に能力を宿すみたいだ。


「なるほど……なんとなくは、分かったと!」

「ほんとに?」

「あ、ああ……勿論だ! ありがとう」

 これ以上の質問攻めは申し訳ない。分からないことは後でアルナちゃんに聞くことにしよう。


 そうこう話しているうちに街にたどり着いた。

 街に入ると、ルフィアは早々にローブに付いているフードを深く被る。どうやら、髪色が見られたくないらしい。詳しい理由は不明だ。


「ルフィアはこの後どうするんだ?」

「ご飯食べに行く。ノイルも来る?」

 その発言に胸が弾んだが、冷静を装った。

「せっかく知り合ったし、行こうかな」

「決まりね。先に換金しておいで」

 俺達は一直線に伸びたメインストリートの石畳を踏み進め、街の中央にあるギルドに足を運んだ。


「私はここで待ってる」

 ルフィアはそう言って、入り口付近の椅子に腰掛ける。俺は早急にアルナちゃんの元へと足を運んだ。


「初討伐達成おめでとうございます!」

 元気に微笑みかけてくれたアルナちゃん。その目つきは瞬時に鋭く豹変した。

「で、あの女性は誰でしょうか?」

 レッサーキックスに匹敵する威圧感に思わず背筋が伸びた。


「いや、その……危なかったところを助けてくれた命の恩人なんだ」

 アルナちゃんの眉間に皺が集まる。

「随分と良いスタイルに見えますね?まあ、私も身長以外は負けてないと思いますが……あっ、もしかしてこの後、ご飯とか一緒に食べたりとかしちゃったりして?」

「あはははぁ……」


 下手な苦笑いで誤魔化すと、表情に深い影が掛かったアルナちゃんは何も言わず、包帯が巻かれた首元を摩った。

「あ、アルナちゃん……?」

 声をかけると、すぐに微笑みを取り戻したアルナちゃんは、「何でもないです!」と言って、報酬の八○○フィルト。銀貨八枚を渡してくれた。


「ちなみに、この素材はどうされます?今回の依頼は討伐なので、素材の権利はノイルさんにあります。このまま買い取ることもできますし、装備の作成に使ってもらっても構いませんよ!」

 能力装備。かなり魅力的だが、最弱レベルの能獣の装備となると、作成費用を考えればもったいない。そう思った俺は、今回は買い取ってもらうことにした。


 買い取り金額はレッサーキックスの素材だと、一つにつき十フィル。小銀貨一枚分だ。

「ありがとう、アルナちゃん! また討伐依頼に挑戦してみるよ!」

「はぁい! いつでもお待ちしておりまぁす!」

 小さく手を振ってくれたアルナちゃんを背に、俺はルフィアの元へと足を運んだ。


「待たせたな。行こうか」

 立ち上がったルフィアは、アルナちゃんをちらりと見て囁いた。

「あの子、大丈夫?危険な匂いがするけど」

「危険なんかないよ。凄い良い子だから」

 ルフィアの「だといいんだけど」を軽く受け流し、俺達はギルドを後にした。




——




 温かみのある街灯が照らすメインストリートは、すっかり暗くなった星空の下でも賑わいを見せている。


 ルフィアが行きつけの飲食店があるらしく、俺はフードを被る彼女の背を追った。

 多種多様な種族が行き交う人混みをすり抜けるルフィア。その足取りの速さから見るに、相当腹が減っているようだ。


「おいおい、そんな急がなくても飯は逃げねえぞ」

「別に急いでない」

 背中で会話するルフィアに、走る手前の速度でついていくのにやっとだ。


 見失わないように必死で追いかけていると、眼前に突如として大柄な男が現れた。

「痛てっ!」

 避け切れず、男の胸に衝突した俺は、顔を除き込むように見あげて、瞬時に謝罪。


「あっ、すいませ――」

 そこで言葉が喉に詰まった。


 男はフードを被っており、足元まで伸びた黒いローブに全身を包んでいる。

 フードの隙間から覗く紅い瞳孔を宿した眼球は、飛び出すほどに見開いており、何処か遠くを見据えていた。不自然なほどに青白い頬には、ゴツゴツとした黒い鱗が張り付いている。


 その顔を目にした途端、目覚めた当初に現れた白い男が脳裏を掠めた。だが、この男が纏う禍々しい雰囲気は明らかに別物だ。


 不気味な表情と知らない種族の顔つき。

 息を呑んだ俺は、時が止まったように唖然と男の顔を眺める。すると、遠方に向いていた瞳孔がぎょろり、と俺の蒼い瞳に落ちた。

 目が合った瞬間、男の口角が大きく上がる。

 剥き出しになった歯はどれも鋭く、まるで獣の牙だ。


「す、すいません」

 恐怖が隠し切れないまま本能的に謝ると、男は腰を折るように屈み、俺の耳元に不気味な顔を運んだ。

 その瞬間、周囲の音が消え、男の声が鼓膜に触れる。


「そんなに怯えんなよぉ、傷ついちまうだろぉ?」

 そう囁いた男は、顔を隠すようにフードを深く被る。

 横目に見えた男の口元からは、大量の涎が溢れ出しており、ジュルジュルッと不快な音を立てて涎を吸い上げた男は、せせら笑いながら早々にその場を立ち去った。


「なんだ……あいつ」

その僅かな時間は、まるで世界から切り離されたようだった。

 俺はしばらく硬直したまま立ち尽くす。すると、ルフィアが引き返して様子を見に来た。

「ノイル、何してるの?さっきの人は誰?」

「なぁ、ルフィア……。人型の能獣っているか?」

 恐怖に飲み込まれ、思考が停止した俺の口から出た質問。


 その瞬間、表情が乏しいルフィアが驚いたように紅い瞳を大きく見開き、男の姿を目で探った。だが、男の影は既に人込みの中に消えており、完全に見失う。

「もう見つかったの……」

 ルフィアが小さく囁いた言葉。何か知っているようだ。


「あいつは何者なんだ?」

 声をかけると、一息ついたルフィアは冷静を取り戻す。

「ノイルはまだ……知らなくていい」

「え、なんだよそれ?教えてくれよ」

「もう忘れて。早くご飯食べよ」

 見事に交わされた俺は、とっくに歩き始めたルフィアを追う。だが、俺の背中は視線を感じ取っていた。


 誰かに見られている。そんな感覚に襲われ、背筋に悪寒が駆け抜けた。

 咄嗟に後ろを振り返るが、視界には行き交う人ばかり。


「気のせいか……」

 自分に言い聞かしたが、俺の脳裏にはまだ、男の顔がチラついていた。

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