第2話 黒髪の少女
激しく痙攣する蒼い瞳孔が映したのは、レッサーキックス。だが、違う。
体格は他の個体よりも一回り以上大きく、額の中心には青い石が埋め込まれている。
「あの石って……」
自身の額にもはめ込まれた石とよく似ている。だが、そんなことを気にしているうちに、白獣は徐々に歩み寄って来ていた。
「ダメだ……。逃げないと」
明確な死の予感。
既に後ずさりを始めている震えた足。だが、まるで自分の体ではないようで、思うように動かせない。
逃げ切れるのか? 無理だ。
戦うか? 無理だ。
死ぬのか? 嫌だ。
迫る殺意に取り乱したノイル。後退る足はもつれ、草原に尾骶骨が沈む。
掌からは剣が零れ落ち、腰を抜かして身動きが取れない。
「た、立てねえ……。動け、動け……動けよ、足!」
足元に転がる剣に視線を移したノイル。
その瞬間、前方から連続する足音が響いた。
咄嗟に視線を起こしたノイル。眼前には既に、口を開いた白獣の顔面があった。
「死んだ……」
閉ざしかけた瞼。その薄い視界に、ビュンッ! と黒い影が横切った。
「っ……!?」
思わず目を見開くノイル。
眼前からは白獣の顔面が消え去り、飛散した無数の赤い雫で埋め尽くされていた。
「何が……?」
視線を落とすと、頭部を失ったレッサーキックスが倒れていた。
「死んでる……」
生きている実感が湧かない中、横切った影を思い出したノイルは、残像を追うように首を右へと回す。
そこには、艶やかな漆黒の長い髪をなびかせた少女の背中があった。
◆
人智を超えた余りのスピードに、俺は全身に動揺を滲ませた。
「なんだよ、あの速度……」
すると、少女が二本の短剣を腰元に収めて、ゆっくりと振り返った。
同い年くらいだろうか。
腰まで伸びた黒いローブを纏い、全身を黒一色の装備で覆う少女。その姿は、見惚れる程の抜群なスタイルと、容姿端麗な顔立ちを合わせ持つ、まさに美少女だ。
静かに輝きを保つ宝石のような紅い瞳と目が合った途端、俺の心は握られるように熱を帯びた。それと同時に、心臓を抉るような冷たい痛みが襲う。
腰を抜かす俺の元へと歩み寄る少女。
表情は乏しく、どこか悲しい気配を纏っている。
「どうして泣いてるの?」
息を含んだ薄い声が落ちた。
その言葉は、誰に向けて言っているのかはわからない。
だって俺は……。
その時、俺は頬に雫が流れ落ちていることに気づいた。
(……なんで、泣いてんだ?)
俺は涙を拭うことなく、ひたすらに少女を見つめていると、無意識に口から言葉が漏れ出した。
「君と、どこかで……」
俺は何を言い出してんだ……。
自分でも驚いたが、確かに懐かしさを感じる。この感覚はなんだろう。
すると、少女の白い頬に一粒の涙が伝った。
「っ……知らないの。ごめんね」
儚げな声は、微風に攫われるように消えた。
——
彼女の名前は――ルフィア・リュピト。
彼女の言う通り、聞き覚えのない名前だ。年は十八歳で俺と同い年だが、既にDランク冒険者。おまけに雰囲気も落ち着きがあって大人びている。
倒れたままのレッサーキックスは、ルフィアが核を破壊して消失。白い靄はルフィアに吸い込まれていった。
素材は他の個体と変わらない爪を落としたが、もう一つ、額に埋まっていた青い石がある。その石はルフィアが回収し、爪は快く譲ってくれた。
死にかけたが、ルフィアのおかげでなんとか討伐目標を達成。
やり遂げた達成感を得た代わりに、明確な恐怖が脳裏に刻み込まれた。
太陽が西の山脈へと姿を隠し、空が茜色に染まる。
ルフィアの用が済んだらしく、俺達は肩を並べて街を目指した。
「色々聞きたいことがあるんだが、さっきの速度はなんだ?」
「あれはこの防具の能力。スピードが跳ね上がるの」
「装備の能力⁈なんだよそれ、俺にも使えるのか⁈」
抑揚のない声に対して意気揚々と尋ね返すと、ルフィアが一から説明を始めた。
「能獣の素材で作った装備には能力が宿るの。私はレベル2の『スピードラビット』の防具を身に着けてるから、強脚の能力が使える」
「身に着けるだけで能力が使えるのか?」
「使えない。能獣を倒すと白い靄が体に吸い込まれるでしょ? あれは『オド』って言って、体に蓄えたオドを消費して能力を使うの。オドが尽きたら能力は使えなくなる」
どうやら、能獣と違ってコアを持たない人間は、体内でオドを生み出せないらしく、能獣を討伐する以外でオドを貯める方法はないらしい。おまけに、オドを蓄えられる量には個人差があるらしく、冒険者の素質はオドの貯蔵量で決まるともいわれているようだ。
「貯蔵量は多少伸ばすことはできるけど、九割は素質で決まる」
能力は防具だけではなく、武器にも宿るらしいが、二つ以上の能力を扱うのも素質らしく、基本は道具か武器のどちらか片方に能力を宿すみたいだ。
「なるほど……なんとなくは、分かったと!」
「ほんとに?」
「あ、ああ……勿論だ! ありがとう」
これ以上の質問攻めは申し訳ない。分からないことは後でアルナちゃんに聞くことにしよう。
そうこう話しているうちに街にたどり着いた。
街に入ると、ルフィアは早々にローブに付いているフードを深く被る。どうやら、髪色が見られたくないらしい。詳しい理由は不明だ。
「ルフィアはこの後どうするんだ?」
「ご飯食べに行く。ノイルも来る?」
その発言に胸が弾んだが、冷静を装った。
「せっかく知り合ったし、行こうかな」
「決まりね。先に換金しておいで」
俺達は一直線に伸びたメインストリートの石畳を踏み進め、街の中央にあるギルドに足を運んだ。
「私はここで待ってる」
ルフィアはそう言って、入り口付近の椅子に腰掛ける。俺は早急にアルナちゃんの元へと足を運んだ。
「初討伐達成おめでとうございます!」
元気に微笑みかけてくれたアルナちゃん。その目つきは瞬時に鋭く豹変した。
「で、あの女性は誰でしょうか?」
レッサーキックスに匹敵する威圧感に思わず背筋が伸びた。
「いや、その……危なかったところを助けてくれた命の恩人なんだ」
アルナちゃんの眉間に皺が集まる。
「随分と良いスタイルに見えますね?まあ、私も身長以外は負けてないと思いますが……あっ、もしかしてこの後、ご飯とか一緒に食べたりとかしちゃったりして?」
「あはははぁ……」
下手な苦笑いで誤魔化すと、表情に深い影が掛かったアルナちゃんは何も言わず、包帯が巻かれた首元を摩った。
「あ、アルナちゃん……?」
声をかけると、すぐに微笑みを取り戻したアルナちゃんは、「何でもないです!」と言って、報酬の八○○フィルト。銀貨八枚を渡してくれた。
「ちなみに、この素材はどうされます?今回の依頼は討伐なので、素材の権利はノイルさんにあります。このまま買い取ることもできますし、装備の作成に使ってもらっても構いませんよ!」
能力装備。かなり魅力的だが、最弱レベルの能獣の装備となると、作成費用を考えればもったいない。そう思った俺は、今回は買い取ってもらうことにした。
買い取り金額はレッサーキックスの素材だと、一つにつき十フィル。小銀貨一枚分だ。
「ありがとう、アルナちゃん! また討伐依頼に挑戦してみるよ!」
「はぁい! いつでもお待ちしておりまぁす!」
小さく手を振ってくれたアルナちゃんを背に、俺はルフィアの元へと足を運んだ。
「待たせたな。行こうか」
立ち上がったルフィアは、アルナちゃんをちらりと見て囁いた。
「あの子、大丈夫?危険な匂いがするけど」
「危険なんかないよ。凄い良い子だから」
ルフィアの「だといいんだけど」を軽く受け流し、俺達はギルドを後にした。
——
温かみのある街灯が照らすメインストリートは、すっかり暗くなった星空の下でも賑わいを見せている。
ルフィアが行きつけの飲食店があるらしく、俺はフードを被る彼女の背を追った。
多種多様な種族が行き交う人混みをすり抜けるルフィア。その足取りの速さから見るに、相当腹が減っているようだ。
「おいおい、そんな急がなくても飯は逃げねえぞ」
「別に急いでない」
背中で会話するルフィアに、走る手前の速度でついていくのにやっとだ。
見失わないように必死で追いかけていると、眼前に突如として大柄な男が現れた。
「痛てっ!」
避け切れず、男の胸に衝突した俺は、顔を除き込むように見あげて、瞬時に謝罪。
「あっ、すいませ――」
そこで言葉が喉に詰まった。
男はフードを被っており、足元まで伸びた黒いローブに全身を包んでいる。
フードの隙間から覗く紅い瞳孔を宿した眼球は、飛び出すほどに見開いており、何処か遠くを見据えていた。不自然なほどに青白い頬には、ゴツゴツとした黒い鱗が張り付いている。
その顔を目にした途端、目覚めた当初に現れた白い男が脳裏を掠めた。だが、この男が纏う禍々しい雰囲気は明らかに別物だ。
不気味な表情と知らない種族の顔つき。
息を呑んだ俺は、時が止まったように唖然と男の顔を眺める。すると、遠方に向いていた瞳孔がぎょろり、と俺の蒼い瞳に落ちた。
目が合った瞬間、男の口角が大きく上がる。
剥き出しになった歯はどれも鋭く、まるで獣の牙だ。
「す、すいません」
恐怖が隠し切れないまま本能的に謝ると、男は腰を折るように屈み、俺の耳元に不気味な顔を運んだ。
その瞬間、周囲の音が消え、男の声が鼓膜に触れる。
「そんなに怯えんなよぉ、傷ついちまうだろぉ?」
そう囁いた男は、顔を隠すようにフードを深く被る。
横目に見えた男の口元からは、大量の涎が溢れ出しており、ジュルジュルッと不快な音を立てて涎を吸い上げた男は、せせら笑いながら早々にその場を立ち去った。
「なんだ……あいつ」
その僅かな時間は、まるで世界から切り離されたようだった。
俺はしばらく硬直したまま立ち尽くす。すると、ルフィアが引き返して様子を見に来た。
「ノイル、何してるの?さっきの人は誰?」
「なぁ、ルフィア……。人型の能獣っているか?」
恐怖に飲み込まれ、思考が停止した俺の口から出た質問。
その瞬間、表情が乏しいルフィアが驚いたように紅い瞳を大きく見開き、男の姿を目で探った。だが、男の影は既に人込みの中に消えており、完全に見失う。
「もう見つかったの……」
ルフィアが小さく囁いた言葉。何か知っているようだ。
「あいつは何者なんだ?」
声をかけると、一息ついたルフィアは冷静を取り戻す。
「ノイルはまだ……知らなくていい」
「え、なんだよそれ?教えてくれよ」
「もう忘れて。早くご飯食べよ」
見事に交わされた俺は、とっくに歩き始めたルフィアを追う。だが、俺の背中は視線を感じ取っていた。
誰かに見られている。そんな感覚に襲われ、背筋に悪寒が駆け抜けた。
咄嗟に後ろを振り返るが、視界には行き交う人ばかり。
「気のせいか……」
自分に言い聞かしたが、俺の脳裏にはまだ、男の顔がチラついていた。




