第玖話/光姫喧伝流
梔子色が躍るたびに、真紅が飛散し命が散る。
旧友殺しは全身血だらけだが、それは自らの血ではなく、命の略奪に際して浴びた返り血である。双方のあいだに兵力では埋めがたい技量と実戦経験の差があることは明白だった。
「ガル、背面!」
「言われなくてもわかってる」
上半身を捻り、愛剣を背後に薙ぎ払う。意表を突かんと斬りかかっていた騎士の腹部に深い斬撃が刻み込まれた。
「……逆賊め」
そう言い残し、騎士は黄泉へ逝く。
そうとも、ガルシャは逆賊だ。
光の団が壊滅しようと、ひとり孤独になろうと、死に絶えるその瞬間まで皇国に抗ってやる。
冷酷に、そして冷徹に、ガルシャは死の跫音に狂乱する騎士を殲滅する。
武器を捨て降伏する騎士も、背中を向けて退却しようとする騎士も、構わず斬り伏せる。
かつて殺しに抵抗を覚えていた少年は、今では機械的に殺戮を遂行する処刑人と化していた。
「ふぅ」
目に映る敵をすべて屠った。どれもこれも他愛無い騎士だった。
目的である旧友はどうやらこの場所にはいないようだ。
剣を鞘に収めつつファイを振り返ると、
「ぁ……」
彼女の顔は恐怖に歪み、膝はかくかくと震えていた。
頬がゆるむ。
それが英雄に向ける態度か。嗤わせるな。
しかし、事の顛末を見守ったファイが今の反応を示すのは極めて正常な証なのだろう。
なぜならガルシャは、英雄ではなく、その真逆の存在なのだから。
「義理は果たしたぜ」
ファイに背を向けると同時、その瞬間は訪れた。
「ガルシャか?」
十メートルほど離れた先に男がいた。
刈り上げられた赤銅の髪に、利発そうな鳶色の瞳。
奥歯を砕かんばかりの力で噛み締め、ガルシャは抜刀と同時に強く地面を蹴り上げた。
「落ちつくんだガル!」
ヒカリカの切迫した声は耳に届いていたが、無視する。
己が間合いに達すると同時、ガルシャは雄叫びをあげながら剣を叩き下ろした。
しゃっと、剣と鞘が擦れた幽かな音。続けて金属と金属とがぶつかり合う音が響いた。
「短慮がすぎるぞ」
ガルシャの一撃を防いだ男は、涼しい顔つきをしていた。
「うむ、やはりガルシャだな。顔つきが大きく変わっているが、あの頃の面影が色濃くある」
「黙れ。ジノザの亡霊が」
喉元めがけて突きを放つ。
軽々と躱された。
「よもや独学でこの領域に達しようとは。賞賛しよう。俺には決してできぬ所業だ」
下段から剣を斜めに振り上げる。
飄々と躱された。
「惜しいな。実に惜しい。ここまで腕が立つ前途有望な少年の未来をここで潰えさせてしまうのは如何なものか。……ダメ元で聞こう。皇国に忠誠を誓う気はないか?」
「俺が忠儀を尽くす頭は生涯ひとりきりだ」
「そうか。……うん、そうか。ならば仕方あるまい。次善を選ぶとしよう」
最小限の動きでガルシャの剣戟をいなしつつ、男は――ジノザは、手袋を噛んで外す。
ガルシャは攻撃の手を緩めて後方に飛びのいた。
「頭に血がのぼりきっていなかったようでなによりだ。あとでお説教だからね」
「俺は端から冷静だ。……わかっちゃいたが、易々とは討てそうにねぇな」
手袋をポケットにしまうと、ジノザは左手で剣を持ち、脱力した半身の構えを取った。
鳶色の瞳は剣呑な雰囲気を醸していた。
「手合わせ願おう、旧友殺し」
彼のスイッチが入った証だった。
◇
光の団に属していた頃、ジノザの剣の腕前はさほど高く感じなかった。
過去に一度、ガルシャは彼と剣を交えたことがある。あと一歩で勝利を掴めていた。
そのことを話すと、ヒカリカはこう言った。
『その一歩が縮まるのは何年後のことになるんだろうね』
後にガルシャは知ることになる。
ジノザは何度も仲間内の手合わせで敗戦しているが、そのほとんどは彼の降参で決着がついているということを。
それゆえ〝投了人〟と揶揄される彼が、しかし戦では常に重役を担っているということを。
戦地においては、彼が試合放棄を迫る側であるということを……。
◇
「解せんな。勝機がないことは火を見るよりも明らかだろう」
「ぐっ……!」
ジノザの一太刀を防ぐと、両腕が鈍い音を立てて軋み、衝撃の余韻が背骨を突き抜けた。
防げてはいる。しかし、ダメージは着実に蓄積されていた。
ここまでの苦戦を強いておきながらジノザはまだ天賜を使っていないのだから笑ってしまいそうになる。さてはこの男、バッカスより剣術に長けているのではないだろうか。
「能ある鷹は爪を隠すってか」
「実力を隠していたつもりはないがね。非効率的だから無意味な試合は放棄していた。幸か不幸か、私の闘争本能は乏しくてね、勝利に達成感を覚えたことも、敗北に悔しさを覚えたことも、一度だってない。おかげで一喜一憂という非効率的な情動に振り回されずに済んでいるよ」
「相変わらず効率をいたく好んでやがるな」
だから、剣筋に無駄がないのだろう。剣技は心という土台の上に築かれるものだ。
攻撃されるたびに反撃はしている。しかし、すべて躱し防がれている。
そこまでは想定内だが、額に汗ひとつかかず、集中力が一切途切れないというのは想定外だった。
作戦の発案者に問いかける。
「ヒカリカ、もういいか」
「そうだね、見たところ成果はあまり見込めなさそうだ。……よし、反撃といこうか」
ジノザは機械的に剣を振るってくる。このままいけば、ガルシャがジリ貧になって自ら闘いを放棄すると踏んでの短調な畳みかけだろう。
降参などするはずがなかった。
どれだけ自分と相手に実力差があろうとも、ガルシャは闘う。
瞳が潰れようが、腕が千切れようが、脚を失おうが、ガルシャは自ら闘いに身を投じる。
それが己の生き様だ。
「ついに諦めがついたか」
守りの姿勢を解いたガルシャを見て、ジノザは無感情にそう口にする。
上空から無慈悲に剣が振り下ろされる。変わらず風を切り裂くような速く鋭い一撃だ。
しかし、目が慣れてきたのか、少しばかり軌道が緩やかになったように感じる。
顔を上げ、身をかがめて剣の鞘に手を添え、ガルシャは深く息を吐き出す。
――今!
「光姫喧伝流、壱の構え――流光軌閃!」
これまでとは一線を画した薙ぎ払いを上段に放つ。
それは狙いに違わず、ジノザの剣の側面を捉えた。剣は手から離れて地面を滑り、敵は武器を持たない無防備な状態となる。
「畳みかけろガル!」
「言われずとも!」
驚愕するジノザに温情を示すことなどせず、懐に潜り込んで次なる業の構えを取る。
「光姫喧伝流、参の構え――喰光渦!」
上体を捻り、剣を大きく振りかぶり、全体重を乗せた渾身の一撃でジノザを仕留めにかかる。
――光姫喧伝流。
それは剣術の極峰と謳われるクダリジナル家に代々受け継がれし流派を、剣姫ヒカリカが独自の形に改良することにより生み出された流派である。
光の団に所属していた頃もガルシャは師より教えを受けていたが、あの頃はついに体得に至らなかった。
ゆえに、この業は旧友と敵対した際の秘策となる。図らずも意表を突くことができるからだ。どれだけ実力差があろうとも、隙さえ生じればガルシャに勝機はある。
ジノザの天賜は強力だが、発動までに幾何かの時間を要するという欠点がある。
剣を弾き飛ばし、彼の記憶にない一撃を以て命を断つ。
今は無き師匠頼りというのはなんとも情けない限りだが、おかげで勝利は目前に迫っていた。
「じゃあな、ジノザさん」
ジノザの右肩に剣身が触れた――その時だった。
「我、理を紐解きし者――散理散離」
剣が皮膚を破り肉を引き裂く感覚は訪れず、代わりに鞘を握りしめる感覚が消失した。
ガルシャの剣が消失していた。
「は……?」
頓狂な声をあげると同時、みぞおちに激痛が走る。ジノザの拳が埋まっていた。
頭を鷲掴みにし、膝蹴りを見舞ってくる。
一発、二発――。
意識が現実から乖離する。
「ガル!」
鼓膜を突くヒカリカの声に意識を呼び起こされる。
視界が揺らぐ中、ジノザの頬を乱雑に殴り、彼がよろめいている隙に距離を取る。
「侮っていたつもりはなかったが、私は君を過小評価していたようだ。これが純然たる剣の試合だったのならば、栄冠は君の下にあっただろう」
ジノザの右肩にはそこまで斬撃が迫った痕跡がある。血が滴り落ち、しかし致命傷には至っていない。右腕は問題なく動いている。
「ガル、退却だ」
ヒカリカが耳打ちしてくる。
「勝機は皆無に等しい。ほかの仲間のためにも、ここは一度、逃げることを選ぶべきだ」
「その提案は承諾しかねる」
「どうして!」
珍しく興奮を露わにするヒカリカに、ガルシャは血反吐を吐いて応えた。
「救える限りは救うって、ファイと約束しちまったからな」
ガルシャは苦笑する。
「まったく慣れないことはするもんじゃねぇな。あのとき、爺さんを無視して関係を築かなけりゃ悩まず退却を選べたろうに。……そういえばファイと妊婦は無事逃げおおせたか?」
「うん、ふたりとも無事だよ。……ガル、命令だ。ふたりを見捨てて逃げるんだ」
「黙れよ亡霊」
刺すように言って睨む。
「俺の敬愛する師匠の姿で、師匠が絶対に言わねぇことを口走るんじゃねぇよ」
「……はぁ。過大評価がすぎるのも困り者だねぇ」
ヒカリカは、やれやれとばかりに首を振ってため息をついた。
「君の意を汲もう。その代わり、私の助言をしっかり聞くように。独走したら未来はないよ」
「承知した」
「さっきからひとりでなにをぶつぶつ言っている」
ジノザは倒壊した家屋に歩み寄り、手のひらをかざして静かにつぶやく。
「我、万物を紐解きし者――微理微離」
数瞬の間を置くと、石膏が剣の形を象り、彼の手のひらに収まった。
【細分化】
それが彼に授けられし天賜である。
その力で、彼は生前多くの人々を救ってきた。土石流により交易路を断たれた商人のため、彼が日がな天賜を使って寝込んだこともあった。
看病の最中、彼は言ったものだ。
『もしも私が誰かを傷つけたり悲しませたりするためにこの力を使っていたら、年の差など気にせず私を説教してほしい。まぁそんなことは万に一つもないだろうがね』
発熱で弱っていたからか、あのときのジノザはいやに素直だった。
ガルシャは知っていた。普段は他者に関心がなさそうな態度を取り、屈折した物言いが目立つ彼だけれど、その実、心根はあたたかな人物であるということを。
ジノザは石の剣をガルシャに突きつけている。ガルシャを殺すために天賜を行使している。
「あんたは自分がしていることが正しいと思うか」
ジノザは薄く笑った。
「そんな非効率なことをするはずがないだろう。善だろうが悪だろうが、皇帝陛下の命令とあらば遂行する。それが聖騎士たる私の務めだ」
「そうかよ」
無手のまま、しかし瞳から戦意を削ぐことはなく、ガルシャはどっしりと構える。
「あの日の約束、しかと果たさせてもらうぜ」




