第漆話/心
空が白む早朝。
ガルシャがリビングに向かうと、ズーシーが朝食をつくっていた。
「おや、随分と早い起床じゃのう。うまく寝付けんかったか?」
「いいや、ぐっすり眠れたよ。いつもこの時間に起きてるんだ。爺さんこそ早いな」
「不思議なことに、老いれば老いるほど朝が早くなるんじゃよ」
ファイはあと一時間後に起きるのが日課のようなので、彼女が来るまで朝食はお預けにすることにする。
ちなみに、ヒカリカはベッドで熟睡中だ。発つまでに起こせば問題ないだろう。
「なぁガルシャさんや、少し話を聞いてくれんか」
朝のルーチンである素振り稽古をするため外に出ようとすると、ズーシーに呼び止められた。
「構わねぇよ」
踵を返し、ズーシーの向かいに腰掛ける。
白湯をひと口すすり、ズーシーは話しはじめた。
「ファイなんじゃがのう、あの子は儂の庭で拾った捨て子なんじゃ」
そんなところだろうと思っていたから、ガルシャが動じることはなかった。
「果物が不自然に集まる中心に、まだ赤子のあの子がおった。清潔感のあるベビーバスケットの中には〝ファイ〟と綺麗な文字がつづられた紙が入っておった。儂はこれがこの子の名なのじゃろうと思い、ファイと名付けた。誰があの子を捨てたのかは未だにわかっとらん。少なくとも、この村にあの子を産んだ親はおらんだろう。仮にこの村に親がいるのなら、気立てが良くて見目麗しい前途有望なあの子を野放しするはずがないからのう」
「仮に親を名乗る誰かが来たらどうする」
「ファイに選択を委ねる。なにをするも、あの子の自由じゃ。儂がでしゃばる場面じゃない」
立派な親だな、とガルシャは感心する。そんなズーシーの下で育ったから、ファイは清らかな少女として成熟したのだろう。
「じゃが、時には親が選択を強制せねばならんときもある。今がその時じゃ」
覚悟を宿した瞳がガルシャを射抜く。
「ガルシャさん、あの子をこの村から連れ出してくれんか?」
「理由を聞かせてくれ」
「ヨルトゥグの民は、一か月もしないうちに村から強制追放される。ヨルトゥグの村を巨大な農地にすると、皇国の議会で決まったそうじゃ。そうなれば、苦しい生活を強いることになる。ひとりで生きるのも大変なのに、儂という足手纏いまで抱えて生きることになる。だから、あの子を連れていってほしい。ガルシャさんになら、あの子をまかせられる」
「悪いがその頼みは聞けねぇな」
逡巡することなくガルシャは答えた。
ズーシーは面食らっている。やはり彼は、ガルシャの認識を誤っている。
「あの子は優秀じゃ。あらゆる局面でガルシャさんの力になり得るじゃろう」
「優秀とかそういう問題じゃねぇよ。俺はひとりで旅をする。仲間は求めちゃいない」
例外は銀髪の亡霊だけだ。
「しかし、いつ如何なるときも孤独というのは苦しかろう? あの子は明るい。きっと――」
「連れてかねぇって言ってるだろうが!」
机を叩きつけて声を荒らげる。ズーシーは怯え委縮していた。揺らぐ瞳は、悪を目にしたときに浮かべるそれだった。
「……ちっ、一晩世話になった。ご厚意感謝する」
部屋に戻り、荷物をまとめ、
「おい、起きろ」
「んん~、こんな朝早くにどうしたんだい? おねしょでもしてしまったかい?」
「発つぞ」
「ふわぁ~……え、もう?」
ヒカリカを連れ立って、清掃した部屋を後にする。
「あの」
扉を閉めると同時、横から声がした。
ところどころ髪の跳ねたファイがいた。
「もう出立してしまわれるのですか?」
「あぁ」
「そうですか」
ファイは肩を落として見るからにしょんぼりしている。
しかし、すぐに笑みを繕って、
「ガルシャさんは旅人ですものね。短い付き合いではありましたが、お世話になりました」
「こっちこそ、せっかくの誕生日を邪魔して悪かった」
「邪魔だなんてとんでもない。ガルシャさんがいてくれたおかげで、これまでで一番賑やかな誕生日になりました。ありがとうございます、ガルシャさんと出逢えたことは私の宝物です」
つくづく身も心も綺麗な少女だと思う。
願わくば彼女にはいつまでもその美しさを保持してもらいたい。きっと彼女の優しさは、この先も多くの人に希望を与えていくのだろう。
「ファイ、あんたはきっと英雄になれるよ」
「わたしが英雄? 冗談はよしてくださいよ」
「強さは研鑽の果てに誰もが築くことができる。けど、他者を慮る心は選ばれたひと握りしか培うことができない特別なもんだ。こんな狂った時代にあるならなおさらな。ファイの心は、これまで俺が目にしてきた誰よりも澄んでいる。あんたは俺が思う英雄にもっとも近い人間だ」
「あ、ありがとうございます……。えへへ、褒められるのってむず痒いですね」
ファイが照れくさそうに笑いかけてくる。
(たくましく生きろ)
そう胸のうちで激励を送り、
「じゃあな」
淡白な別れの言葉を最後に、ガルシャはヨルトゥグを後にした。
◇
「甲冑と剣をメンテナンスしてもらったお礼はしっかりしたかい?」
「あぁ」
流れるように嘘をつき、ガルシャはヒカリカと共に森林を進む。
鬱蒼と木々が茂る森は日中とは思えないほどに暗く、光といえば時折木漏れ日がある程度だ。
歩くたびに、パキッ、パキッ、と小枝の折れる音が響く。音が奏でられるのは、ガルシャの足元だけだ。
「ふぅん。まぁ深くは追及しないでおこう。それで、この方角には明確な意思があって進んでいるのかい? それとも行き当たりばったりヒカリカ任せかい?」
「前者だ。地図によると、西に進んだ先に小さな村落がふたつと関所を抱える王都がひとつある。三つあればひとつくらいは当たるだろ」
旧友という殺戮対象が。
「ディーゼと、パントジャスと、ルクタリカ王国だね。となると、これで大陸北西にある主要な地域はすべて踏破したことになるのか」
「そうなるな」
「気の遠くなる旅路だ。二年あって大陸全体の二十パーセント弱か。このペースを維持して十年。途中、ガルが戦闘して傷を負うことも考慮するとそれ以上の歳月を要することになる」
「何年かかろうが、俺は旧友殺しの旅を成し遂げる」
毅然と言い切り、ガルシャは歩みを少し速める。
一秒でも早く、旧友を殺すために。
「そういえばガル、君はヨルトゥグの街にかつての仲間が天賜を行使したと思しき痕跡があることには気づいていたかな」
歩みを止めて隣を見やる。
ヒカリカはいつもと変わらない微笑をたたえていた。
「どうして黙っていた」
「何度も言っているだろう。私はガルのやり方には否定的な立場だ。皇帝ひとりを討てば、ガルの悲願は遂げられる。残り八十三人。それも、私が見出した才知にあふれるものばかりだ。彼らを君ひとりの手で討つことができると本気で思っているのかい?」
「黙れ」
ガルシャは凄む。しかし、ヒカリカは臆さない。
「結論から言おう。ガルは〝彼〟に勝てない。天技を使えば話は変わるけど、君は頑として天賜に頼ろうとしないからね。だから伝えなかったんだ」
「やってみないとわからないじゃねぇか」
「おや、剣姫と謳われた私の慧眼を疑うのかい? 私の見立てが一度でも外れたことがあったかな?」
余裕たっぷりな笑みで詰め寄ってくる。
ガルシャの苛立ちが最高潮に達した。
「あんたの見立てが外れたから、光の団は滅びたんじゃねぇか!」
「あ……」
柄にもなく弱々しい声を漏らすヒカリカを見て、ガルシャははっとする。
それは絶対に口にしてはいけない言葉だった。彼女が傷つくとわかっている言葉だった。
ヒカリカは力なく笑う。彼女が生前稀に見せた、ガルシャの嫌う表情だった。
「その通りだ。あはは、華麗に言い負かされてしまったね」
「……いや、違うんだ。俺はただ――」
「わかっているよ。何年共に過ごしていると思っているんだ。私に勝てないと断言されて悔しかったんだろう?」
見透かしたように紡がれる的確な言葉が、痛い。胸が悲鳴を上げている。
「すまないね、私も少々言いすぎてしまったよ。大切なガルが傷つく姿を見たくなくて忠告していたのに、私は言葉で知らず君を傷つけてしまったようだ。ごめんね、ガル」
「……あんたはなにも悪くねぇよ。悪いのはガキのままの俺だ」
仲間を殺して、側にいる大切な恩師の残滓を傷つけて。
なぜ唯一生き延びたのがガルシャだったのだろう。
そもそもヒカリカだって、ガルシャがいなければ命を落とすことはなかった。
ヒカリカを殺し、実質的に光の団を壊滅させたのは、他でもないガルシャなのだ。
「まいったな。半日この陰鬱に蝕まれながら隣合って歩くのはさすがの私も堪えてしまうよ」
そうヒカリカが嘆いた直後だった。
背後から轟音がした。地割れのような音だった。
「おいヒカリカ、今のって――」
「仲たがいしてる場合か!」
耳元で甲高い声がした。キーンと脳内で耳鳴りがする。
「おまえ、昨夜は昼前に発つって言ってたじゃないか! なのにどうしてこんな朝早くに出立してるんだよ! はじめからわかっていればボクもそのように動いてたのにさ!」
目を配るも、近くにはヒカリカ以外に誰もいない。ヒカリカはガルシャに向かってなにか話していて、この耳障りな声は聞こえていないように見える。
「えぇい、文句を言っても仕方ない! 騎士が攻めてきたんだ! 早くヨルトゥグに戻ってきてあいつらを追い払えよ! ファイはおまえが助けに来てくれるって信じてる!」
ファイの天賜だろうか。
まぁこの不可思議な現象の正体はどうだっていい。ガルシャの返事は決まっている。
「まかせろ、ファイは俺が助ける」
恩には恩で報いる。
ガルシャに騎士だった時期はないが、そうするのは人として当然のことだろう。
仲間を殺してまわる狂人にだって、人の心は宿っている。




