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旧友殺しと欠測姫  作者: 風戸輝斗


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第陸話/悪夢

「オレには昔、ガルみたく愛想のない息子がいたんだ」


 その夜、ガルシャはバッカスの誘いを受け酒場に足を運んでいた。


 これで何杯目だろう。バッカスは酒に強いが、据わった瞳を見るに完全に酔いつぶれている。


「なぁもう辞めにしたほうが――」

「まぁ聞けって」


 呂律の怪しい声で言って、酒を喉に流し込む。そろそろ本気でヒカリカに助けを求めにいこうかと、ガルシャはこっそり踵を浮かせていた。


「ふぅ……えっと、どこまで話したっけ?」

「ガルみたく愛想のない息子がいた、ってところまでは聞いた」

「っとそうだったそうだった。今の落ちぶれた姿からは想像つかねぇかもしんねぇけどさ、昔は妻がいて、息子がいて、幸せな家庭に身を置いていたんだよ」


 彼が光の団に属する以前の話を聞くのははじめてだった。


「でも、ふたりとも死んじまった。目の前で殺された。俺だけ片目をつぶされるだけで済んだ」


 バッカスは乾いた笑みを漏らす。


「半端に歯向かった結果、片目と大切な家族を奪われてこの有様だ。情けねぇよなぁ。勝てると確信して勝利を挑んだ結果、負けてすべてを失ったんだ。……俺の蛮勇がふたりを殺した」


 ガルシャはなにも言えなかった。ただ、かつての師が語る凄惨な過去に耳を傾けることしかできなかった。


「俺は井の中の蛙だったんだ。〝白眉参はくびしん〟には殺す価値もないと呆れられ、団長と何度剣を交えても髪の一本すらも掠めることができない。つくづく俺って凡才だよなぁ」


 嘲るように言うバッカスの瞳は幽かに滲んで見えた。


 白眉参とは、クダリジナル皇国でもっとも剣技に秀でたものに与えられる称号である。

 次いで伍騎天という称号があるが、こちらの面子はわりかし高頻度で変わっているのに対し、白眉参に名を連ねる面々は一度として変わったことがなかった。


 ヒカリカ曰く、白眉参に敗北を突きつけることができるのは自分くらいだそうだ。相変わらず自己評価の高い団長である。もっとも、彼女が言うことに一切の誇張はないのだろうが。


「つぶれた片目には、あの日の地獄が焼きついている。始まりは八年前のこの日だった」


 つまり、今日がバッカスの妻と息子の命日なのだろう。


 バッカスがガルシャに視線を投げてくる。

 ニカっと白い歯を見せ、わしわしと頭を撫でてきた。


「悪いな、まだまだガキのガルには重たすぎる話をしちまって」

「先月で十六だ、いつまでもガキ扱いするんじゃねぇよ。……凡才だなんて卑下するな。少なくともバッカスさんはこの団でトップクラスの実力を有している。天賜だって誰しも備わっているわけじゃない。……一時は俺の師匠だったんだ。いつまでも誇れる元師匠でいてくれよ」

「はは、そうかそうか、ありがとな」


 上機嫌に声を弾ませ、バシバシと背中を叩いてくる。なかなかに効く。


「ま、要するになにが言いたいかっていうと、オレはもう二度とあんなつらい思いはしないって誓ってるってことだ」


 バッカスの隻眼が真剣な光をたたえる。


「安心しろガル、オレより団長に師事することを選んだことは寂しいしムカつくし悔しいが、オレは変わらずお前を好いている。いいや、愛していると言ってもいい。もしものときは、オレが命を懸けてガルを護ってやる。約束する」

「……ならバッカスさんが危殆に瀕したときは、俺が命を懸けて助ける。約束するよ」

「おっ、いっちょ前なこと言うじゃねぇか。おうおう護ってくれよ可愛い息子よ~」

「ちょ、酒臭いしヒゲがちくちくするから頬擦りすんなよ気持ち悪いっ!」

「ありがとうガル。お前と出逢えてオレは幸せだ」


 まったく、酔っ払いの相手をするのは情緒面で負担が大きくて困る。


「……それは俺の台詞だよ、親父」


 照れくさく思いつつもそう口にし、バッカスの背中に腕をまわす。




 手のひらにどろっと生温かい感触がまとわりついた。




「なんだこれ?」


 目の前に持ってきて確認する。

 血だった。


「助けてくれるって言ったじゃねぇか」


 地底の果てから聞こえるような、重たく低い声だった。


 バッカスが顔をあげる。

 隻眼は闇を携えた空洞になり、真っ赤だった顔は生気の枯渇した青白いものになっていた。


 口端からこぽこぽと真紅の液体をこぼしながら、ガルシャの肩を掴んで顔を近づけてくる。


「約束したじゃねぇか」


 掠れた冷たい声で咎めてくる。


「あ、あぁ……」

「寒くて、痛くて、苦しいんだ。助けてくれよ。なぁガル」

「……ち、近づくな」


 腕を伸ばし、バッカスを突き放そうと試みる。しかし、力を込めているのに、ぽっかりと空いた暗闇はますます近づいてくる。ガルシャを闇の底に引きずり込もうとしてくる。


 鼻頭に吐息がかかる距離にまで迫ると、空洞が血走った眼で埋められた。

 失意の滲んだ表情で冷酷に告げてくる。


「よくもまぁ、仲間を殺しておきながら平然と生きられるもんだな」


 ◇


「うわああああぁぁぁ!」


 叫び声をあげ、ガルシャは跳ね起きる。


 背中は汗でぐっしょりと湿っている。胸には強い不快感がわだかまり、気を抜けば胃液を床にぶちまけてしまいそうだ。


【なぁガル】


 闇に満ちた部屋に、ガルシャのよく知る声がこだました。


 月明かりの差し込む窓辺に目をやる。

 胸に剣の刺さったバッカスが、充血した隻眼でガルシャを睨みつけていた。


「ひいっ……」

【どうして俺を殺したんだ? 救ってくれるって約束したじゃねぇか】

「お、俺は親父を救った。殺すことで救ったんだ……」

【そうだな。お前が光の団の鉄則に従ってそうしたことはわかってる。けどよ、だからって殺しが正当化されるのか? 殺したやつがのうのうと生きていていいのか?】


 瞬きの後、すぐ目の前にバッカスが迫っていた。


【とっとと罪を償えよ、人殺し】

「あ、あぁっ……!」




「しっかりしろガルシャ!」




 切迫した声が耳朶を打つ。

 瞬きをするとバッカスが消失し、代わって動揺を露わにするヒカリカの姿が映った。


「……師匠?」

「そうだ、君の師のヒカリカ=クダリジナルだ。いいかい、私だけを視るんだ。この場には、私とガルしかいない。ほかはすべて君の視ている幻だ」


 炯々ときらめく青い瞳が、ゆっくりとガルシャを不安の渦中から掬い上げていく。


 深呼吸をひとつ。

 一分もすれば、ガルシャは平静を取り戻していた。


「悪い、いつも迷惑をかけちまって」

「気にすることはないさ。難がある弟子を支えるのは師匠冥利に尽きるというものだろう?」


 朗らかな調子で言って、ヒカリカはガルシャに両手を伸ばしてくる。


「私の胸の中で眠るかい?」

「あんたと触れ合うことはできないだろ」

「おや、まるでその欠落を補填さえすれば肯定しているかのような物言いだね。まぁ言われずともガルが私のあふれ出んばかりの母性の虜になっていることは知っているけどね」

「なってねぇよ」


 ヒカリカに背を向けベッドに身体を横たえる。


「さっきさ」


 ヒカリカが話しかけてくる。


「どさくさに紛れて私のことをあの頃のように〝師匠〟と呼んでいたけど、今後はその呼び方に改める気はないかい? やはり私は、ガルには慣れ親しんだその名で呼ばれたいよ」

「動顛して勘違いしちまっただけだ」


 今、ガルシャの側にいるのはヒカリカの亡霊だ。

 ヒカリカだけど、ヒカリカじゃない。


「そうかい。まぁいいさ。どんな酷い扱いを受けようが、ガルの側に居られれば充分だからね」

「とっとと成仏してくれ」

「ん、いいのかい? うなされても誰にも助けてもらえないよ?」

「ちっ」


 あぁ言えばこういう。

 その機転の利いた反論が、図らずもガルシャの敬愛するヒカリカを想起させる。


「大丈夫だ、ガル。君は何度だって私が護るよ。だから安心してお眠り」


 ほんとうに嫌になる。


 ヒカリカによく似た亡霊が構ってきて、そんな日常に幽かではあるが胸を弾ませて。

 剣を刺せば彼女が成仏するとわかっているのに、ずっと二の足を踏み続けて今に浸る自分が嫌になる。


 やがてガルシャは眠りに落ちた。

 ヒカリカが側にいる。その安堵に包まれながら。

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