今の俺・中編
今の俺・中編
「俺……もう一回、必要だって言われたかったのかもしれない」
その言葉とともに、男を包んでいた炎がまた一回り小さくなった。
則人は黙って男を見つめていた。
大勢に見てもらいたかった。
昔のように期待されたかった。
その気持ちも嘘ではなかった。
けれど、その奥にあったものを男はようやく自分の言葉で口にした。
もう一度、誰かに必要とされたかった。
則人は少しだけ笑った。
「何だよ」
「ううん」
「何で笑った?」
「だって、言ったじゃん」
「……何を?」
「また走るの教えてって」
「…………」
男の表情が止まった。
「ぼく、最初から言ってたよ」
最初に公園で会った日。
走り方を少し教えてもらって、帰ろうとする男へ、則人は確かに言った。
『また走るの教えて!』
「他の子も言ってたよ。今日だって、お兄さん来たらみんな集まったじゃん」
「……そうだったな」
「それって、必要ってことじゃないの?」
男は何も言えなかった。
ずっと、誰にも必要とされなくなったと思っていた。
走れなくなった自分には、もう誰も期待していない。
誰も自分を待っていない。
そう思い込んでいた。
けれど、目の前の子供は最初から自分を必要としていた。
しかも。
オリンピック候補だった自分ではない。
今の自分を。
「お兄さんが気づいてなかっただけじゃん」
「……簡単に言うなあ」
「違うの?」
「いや」
男は少し考えてから、静かに首を振った。
「違わないな」
認めるように口にすると、身体を包んでいた炎がさらに小さくなった。
◇
「それにさ」
則人が続ける。
「まだあるのか?」
「コーチになればって言ったのも覚えてる?」
「……覚えてるよ」
「じゃあ、やれば?」
「だから簡単に言うなって」
「何で?」
「仕事なんだぞ。人に教えるって、そんな簡単なことじゃないんだよ」
「うん」
「ちゃんと勉強しなきゃいけないこともあるだろうし、資格だって必要かもしれないし」
「じゃあ、やればいいじゃん」
「……何を?」
「勉強」
「…………」
男が黙った。
「資格いるなら取れば?」
「お前なあ」
「何?」
「大人になると、そんな簡単に……」
そこまで言って、男は自分で言葉を止めた。
まただ。
できない理由を探している。
怪我をした。
競技を辞めた。
それからずっと。
もうできない。
今さら遅い。
そうやって、何かを始める前から自分で道を閉じることに慣れてしまっていた。
「できないの?」
則人が聞く。
「……分からない」
「じゃあ、やってみないと分かんないじゃん」
「…………」
「お兄さん、ぼくには『すぐ全部できるようになるわけじゃない』って言ったよ」
「……言ったな」
「一個ずつでいいって」
「それも言った」
「じゃあ、お兄さんも一個ずつやれば?」
男は返す言葉を失った。
自分が子供たちへ教えたことが、そのまま自分へ返ってくる。
「自分で言ったこと、全部返ってくるな……」
「いっぱい教えてもらったから!」
「そういうつもりで教えたんじゃないんだけどな」
男は苦笑した。
でも。
考えてみれば、自分だって子供たちに最初から完璧を求めてはいなかった。
一つできたら、次。
失敗したら、もう一度。
痛ければ休む。
できないから終わりではない。
できるようになるまで、少しずつやればいい。
それなら。
自分だけが最初から諦める理由は何なのだろう。
「俺にできるかな」
男が小さく聞いた。
「知らない」
「そこは『できるよ』じゃないのか?」
「まだやってないもん」
「…………」
「やってみたら分かるよ」
男はしばらく則人を見ていた。
何の保証もない。
必ずうまくいくとも言ってくれない。
それなのに、不思議と無責任には聞こえなかった。
むしろ。
今の自分には、そのくらいでいいのかもしれない。
「本当に簡単に言うなあ、お前は」
「だって、ぼく小学生だもん」
「それ便利だな」
「うん!」
「褒めてないぞ」
男が笑うと、則人も笑った。
男を包んでいた炎は、もうわずかに揺れているだけだった。
◇
「……あ」
則人が突然、声を上げた。
「今度は何?」
悟が聞く。
「ぬらりひょん呼ばなきゃ!」
「ぬら……何?」
「ぬらりひょん!」
「誰?」
「ぬらりひょんだよ」
「だから誰だよ!」
美緒が二人を見る。
「則ちゃん、呼ぶの?」
「うん!」
則人は辺りを見回すと、大きく息を吸った。
「ぬらりひょーん!」
返事はない。
「ぬらりひょーーーん!」
「そんな呼び方で来るの?」
悟が半信半疑で聞く。
「来るよ!」
「ほんとに?」
「ぬらりひょーーーん!」
すると、美緒まで面白がって声を上げた。
「ぬらりひょーーーん!」
「美緒ちゃんも呼ぶの?」
「則ちゃんも呼んでるじゃん!」
「俺も?」
悟が自分を指さす。
「呼んで!」
「誰かも分かんないのに?」
「いいから!」
「分かったよ!」
三人で大きく息を吸う。
「ぬらりひょーーーん!」
声が辺りに響いた。
すると。
「そんな大声を出さんでも、聞こえておる」
「え?」
則人が振り向く。
すぐ近く。
美緒の隣に、ぬらりひょんが何事もなかったように座っていた。
手には湯呑み。
ずずっ、とお茶をすすっている。
「いつの間に!?」
則人が叫んだ。
「え?」
美緒が周囲を見る。
「何が?」
「ぬらりひょん!」
「どこ?」
「美緒ちゃんの隣!」
「えっ!?」
美緒が勢いよく横を見る。
でも、何も見えない。
「いないじゃん!」
「あ」
則人が美緒の頭を見る。
「美緒ちゃん、カチューシャしてない」
「…………」
美緒も自分の頭へ手をやった。
「……あ! カチューシャしてない!」
「だから見えないんだ」
「ちょっと待って!」
言われた瞬間、美緒はすぐにカチューシャを取り出した。
「持ってるの!?」
悟が驚く。
「当たり前でしょ!」
「何が当たり前なの!?」
美緒はそんな悟を放っておき、さっさとカチューシャを装着する。
そして、もう一度自分の隣を見た。
「…………」
いた。
ぬらりひょんが、さっきとまったく同じ場所で普通にお茶をすすっている。
「うわっ!」
美緒が飛び退いた。
「ほんとにいる! いつの間に!?」
「先ほどからおる」
「絶対いなかった!」
「おった」
「いなかった!」
「おった」
悟だけが、二人の視線の先を必死に見ている。
「待って! 本当に誰かいるの!?」
「いるよ!」
美緒が答える。
「私の真横にいた!」
「俺には見えないんだけど!」
「カチューシャないからじゃない?」
「そんなの持ってないよ!」
そのとき。
「……何か、そこにいるのか?」
男も目を細めていた。
「お兄さん、見えるの?」
「いや……」
男は目を凝らす。
「うっすら……何かいるような」
「俺、全然見えないんだけど!」
悟がますます混乱する。
「何で!?」
「そういうもんなんだよ」
則人が答える。
「どういうもんだよ!」
そんな騒ぎなど気にも留めず、ぬらりひょんはのんびりとお茶をすすった。
「騒がしいのう」
「ぬらりひょんのせいだよ!」
◇
「ぬらりひょん!」
「何じゃ」
「お兄さんの着ぐるみ、取れる?」
ぬらりひょんは男を見る。
男も、うっすらと見えるぬらりひょんの姿を見返した。
「……あれが、ぬらりひょん?」
「そうだよ」
「俺にはほとんど見えないんだけど」
「私は見えるよ。カチューシャしたから!」
美緒が得意そうに言う。
「俺には見えない!」
悟も負けじと声を上げた。
「分かったから!」
則人が二人を止める。
ぬらりひょんはそんなやり取りを気にすることもなく、男の様子をじっと確かめた。
炎はもう、ほとんど消えかけている。
さっきまで周囲へあふれていた感情も、ずいぶん落ち着いていた。
しばらくして。
ぬらりひょんがうなずいた。
「うむ。今ならよかろう」
「ほんと?」
「ああ」
「分かった!」
則人が大きくうなずいた。
すると。
「則ちゃん!」
上から声がした。
同時に、何かが飛んでくる。
「わっ!」
則人が両手で受け取った。
ピコピコハンマー。
「来た!」
嬉しそうに見上げると、そこには天狗がいる。
「あ、天狗!」
カチューシャを着けた美緒にも見えた。
「ほんとにいたんだ!」
悟もつられて空を見る。
「どこ!?」
「上!」
「何もいないけど!?」
「いるって!」
悟には、突然空からピコピコハンマーだけが飛んできたようにしか見えない。
「また俺だけ見えないの!?」
「カチューシャないから」
「だから持ってないって!」
◇
「……ちょっと待て」
男が言った。
「何?」
「何だ、それ」
「ピコピコハンマー」
「名前じゃなくて」
「これで着ぐるみ脱ぐの」
「それで!?」
「うん」
「叩く気か!?」
「大丈夫!」
「本当だろうな?」
「たぶん!」
「たぶん!?」
則人はピコピコハンマーを構えた。
でも、すぐには振らない。
「お兄さん」
「……何だ?」
「もういい?」
男は自分の姿を見る。
白い鳩の着ぐるみ。
大きな翼。
オリーブを思わせる枝葉。
そして、今にも消えそうなほど小さくなった炎。
みんなから見てほしかった。
もう一度、必要だと言われたかった。
その気持ちまで嘘だったわけではない。
けれど、大勢の視線を集めることだけが、自分の欲しかったものではなかった。
公園では、子供たちがすでに今の自分を見てくれていた。
過去の記録ではなく。
オリンピック候補だった自分でもなく。
走り方を教えてくれる、今の自分を。
それに気づかなかったのは、自分だった。
男は小さく息を吐いた。
名残惜しくないと言えば、嘘になる。
昔の自分を忘れられるわけでもない。
でも。
もう昔の自分だけにしがみつかなくてもいいのかもしれない。
「……ああ」
男は少しだけ笑った。
「もういいよ」
「分かった!」
則人がハンマーを振り上げる。
「じゃあ、いくよ!」
「本当に痛くないんだろうな?」
「大丈夫!」
「今度はたぶんって言うなよ!」
「うん!」
男は少し身構れた。
則人がピコピコハンマーを振り下ろす。
ポコン。
軽い音が響いた。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




