もう一度、見てくれ
もう一度、見てくれ
休日の午後。
男は、いつもの公園へ向かっていた。
別に誰かと約束をしているわけではない。用事があるわけでもない。それでも最近、この公園へ足を運ぶことが増えていた。
理由を深く考えたことはない。
ただ――。
「お兄さん!」
公園へ入ってすぐ、聞き慣れた声が飛んできた。
「……またいるな、お前」
則人が走ってくる。
「お兄さんもまたいるじゃん!」
「俺はいいんだよ」
「何で?」
「何でって……大人だから?」
「変なの」
「うるさい」
男は笑った。
少し前まで、この公園はただ休憩する場所だった。
今は違う。
来れば、自分を見つけて声をかけてくる子供がいる。
「今日も教えて!」
「何を?」
「走るの!」
「分かってて聞いただろ」
「うん!」
後ろから他の子供たちも集まってくる。
「俺も!」
「この前のやつ、できるようになった!」
「見て!」
「待て待て。一人ずつ」
「やった!」
男はもう、
「俺はコーチじゃない」
とは言わなかった。
「しょうがないな」
そう言いながら、少し嬉しそうに子供たちの後を追った。
◇
「じゃあ、走ってみろ」
「見ててね!」
「見てるよ」
一人の子が走り出す。
以前は腕が左右に大きく振れていた。
でも、今日は違う。
「お」
男が少し驚く。
子供が戻ってきた。
「どう!?」
「ちゃんと腕振れてるじゃん」
「練習した!」
「いいじゃん」
「やった!」
子供が飛び跳ねる。
「次、ぼく!」
則人が前へ出た。
「はいはい」
「はいは一回!」
「お前、それ気に入ったな」
「うん!」
則人が走る。
男はその姿をじっと見る。
「どう!?」
「前よりはいい」
「本当!?」
「ああ」
「やった!」
「でも、まだ力入りすぎ」
「えー!」
「すぐ全部できるようになるわけないだろ」
「じゃあ、もっと練習する!」
「無理しない程度にな」
「分かってるよ。痛かったら休むんでしょ?」
「お、覚えてたか」
「お兄さんもね!」
「……まだ言うか」
子供たちが笑う。
男も笑った。
こういう時間は、嫌いではなかった。
むしろ、楽しい。
自分が少し教える。
子供が少しできるようになる。
喜ぶ。
またやってみる。
自分が何年もかけて身につけてきたものが、形を変えて誰かの役に立っている。
それを見ていると、自分にもまだできることがあるような気がした。
◇
しばらく走って、子供たちが休憩していたときだった。
「あ、そうだ!」
一人が男を見る。
「何?」
「お兄さんの動画見た!」
「動画?」
「昔走ってるやつ!」
男の表情が、わずかに止まった。
「お父さんが見せてくれた!」
「……よく見つけたな」
「すっごい速かった!」
「見たい!」
「俺も!」
子供たちが集まる。
スマートフォンの画面に、昔の自分が映っていた。
若い。
細い。
ユニフォーム姿。
スタートの合図。
飛び出す。
走る。
「うわ!」
「速っ!」
「お兄さん、すごい!」
則人も画面を覗き込む。
「本当に速い!」
「……まあな」
男は苦笑した。
悪い気はしない。
自分が積み重ねてきたものだ。
あの頃、本気で走っていた。
何度も練習して、何度も苦しい思いをして、それでも少しでも速くなろうとした。
その過去まで否定したいわけではない。
「これ、本当にオリンピック行くところだったんでしょ?」
「候補だっただけだよ」
「でもすごいじゃん!」
「この頃のお兄さんと競争してみたい!」
「俺も!」
「ぼくも!」
子供たちが騒ぐ。
男も笑っていた。
でも、少しずつ何かが引っかかり始める。
「昔のお兄さん、めちゃくちゃ速い!」
昔のお兄さん。
その言葉が耳に残った。
ついさっきまで、子供たちは今の自分を見ていた。
「教えて」
「見て」
「できるようになった」
そう言ってくれていた。
なのに、昔の自分が画面に現れた途端、みんなの目がそちらへ向いた。
「ねえ」
一人の子が聞いた。
「お兄さん、今もこれくらい速いの?」
「…………」
男は少し黙った。
「……無理だよ」
「そっか」
子供はそれだけだった。
何の悪意もない。
「じゃあ、昔のお兄さんと走ってみたかったな」
「絶対追いつけないよ!」
「やってみないと分かんないじゃん!」
「無理だって!」
子供たちが笑う。
「……昔、昔って」
男の口から、声が漏れた。
「え?」
子供たちが静かになった。
男自身も、自分が何を言ったのか一瞬分からなかった。
「…………」
子供たちがこちらを見ている。
「……悪い」
男は立ち上がった。
「ちょっと疲れた。今日は帰るよ」
「お兄さん?」
「またな」
男は公園を出ていった。
◇
「お兄さん!」
後ろから声がした。
男は足を止めなかった。
「お兄さん!」
「……何だよ」
振り返る。
則人が追いかけてきていた。
「怒った?」
「怒ってないよ」
「怒ってたよ」
「…………」
子供は容赦がない。
「怒ってないって」
「じゃあ何で帰るの?」
「疲れたから」
「さっき楽しそうだったじゃん」
「…………」
男は答えられなかった。
則人がじっと見ている。
「……みんなさ」
「うん?」
「昔の俺の話ばっかりするんだよ」
「昔?」
「昔は速かった。昔は期待されてた。昔はすごかった」
男は笑った。
でも、その笑顔は楽しそうではなかった。
「どこ行っても、そればっかりだ。昔はすごかった。惜しかった。もったいなかった」
男は少し黙った。
「……じゃあ、今の俺は何なんだろうな」
則人は首を傾げた。
少し考えてから、当たり前のように答える。
「走るの教えてくれるお兄さん」
「…………」
「あと、走るのすごく詳しい」
男が則人を見る。
「それだけ?」
「うん?」
則人には、なぜ聞き返されたのか分からない。
男は少し笑った。
「……そっか」
則人に悪意などない。
むしろ、今の男を見て答えている。
昔の記録でも、昔のタイムでも、オリンピック候補だったことでもない。
今の男が、則人たちにしてくれたこと。
それを答えている。
本当なら。
その言葉こそ、男がずっと欲しかった「今の自分」への評価なのかもしれない。
でも、男にはまだ受け取れなかった。
『期待の新星』
『地元の星』
『将来の代表候補』
かつて自分へ向けられていた言葉と、どうしても比べてしまう。
走るのを教えてくれるお兄さん。
それでは。
あまりにも小さく思えてしまった。
◇
「じゃあ、ぼく帰るね」
少しして、則人が言った。
「もう帰るのか?」
「そろそろ帰らないと怒られる」
「そりゃ帰れ」
「お兄さんは?」
「俺はもう少し歩いてから帰るよ」
「そっか」
則人は手を振る。
「じゃあまたね!」
「ああ」
走っていく則人の背中を見ながら、男は声をかけた。
「転ぶなよ!」
「転ばないよ!」
則人が振り返って答える。
男は少し笑った。
そして、一人になった。
◇
夕方。
男は歩き続けていた。
気づけば、以前何度か足を止めた陸上競技場の近くまで来ていた。
「…………」
フェンスの向こうでは、まだ選手たちが練習している。
走る選手。
タイムを計る指導者。
声をかけるコーチ。
男は立ち止まった。
『走るの教えてくれるお兄さん』
則人の声が蘇る。
その言葉が嫌だったわけではない。
むしろ、嬉しかった。
自分が教えたことで、子供が少し速くなる。
喜んでくれる。
また教えてと言ってくれる。
悪くない。
それどころか、楽しかった。
でも。
『期待の新星』
別の言葉が蘇る。
『将来の代表候補』
胸の奥が痛んだ。
「…………」
男はフェンスを握った。
走りたい。
また走りたい。
そう思う。
でも、そこで則人の言葉も思い出した。
『じゃあ走ればいいじゃん』
「…………」
そうだ。
走るだけなら、走ればいい。
大会に出なくても。
誰かに勝たなくても。
オリンピックを目指さなくても。
走ることはできる。
では。
何が足りない?
「……違う」
男が小さく呟いた。
「走りたい」
それは本当だった。
「でも……それだけじゃない」
昔。
走れば人が見てくれた。
名前を呼ばれた。
応援された。
カメラを向けられた。
次はもっと速くなる。
次はもっと大きな大会へ行く。
次は日本代表になる。
誰もが、自分の未来を見ていた。
あの頃の自分には、まだ先があった。
誰も「昔はすごかった」などと言わなかった。
これからもっとすごくなる。
そう思われていた。
「俺は……」
男は目を閉じた。
「もう一度、見てほしいんだ」
初めて。
言葉になった。
「昔の俺じゃない」
昔の映像ではない。
昔の記録でもない。
「今の俺を……見てほしい」
フェンスの向こうでは、選手たちが走っている。
「もう一度……」
男の手に力が入る。
「すごいって、言ってほしい」
そのときだった。
「……え?」
風が吹いた。
男の身体を包むように、白いものが舞う。
「何だ……?」
羽。
男が自分の腕を見る。
「何だ、これ……?」
身体が変わっていく。
白い鳩を思わせる姿。
大きな翼。
オリーブを思わせる意匠。
そして、聖火台を思わせる部分に炎が灯った。
「な……」
男自身が、一番驚いていた。
「何だよ、これ……!」
その声に気づき、周囲の人々が振り返る。
「何あれ!?」
男が顔を上げる。
競技場の選手。
通りかかった人。
散歩をしていた人。
みんなが、こちらを見ている。
「見て!」
「すごい!」
「何あれ?」
誰かがスマートフォンを向ける。
一人。
また一人。
人が足を止める。
「…………」
男は、自分へ向けられている視線を見た。
驚き。
好奇心。
戸惑い。
理由は何でもよかった。
みんなが。
自分を見ている。
「……見てる」
男が小さく呟いた。
胸の奥に、ずっと忘れていた感覚が戻ってくる。
競技場。
観客。
歓声。
カメラ。
名前を呼ばれていた、あの頃。
「みんな……俺を見てる」
炎が、少しだけ大きくなった。
◇
「じゃあねー!」
帰宅途中。
則人は友達と別れ、一人で家へ向かっていた。
もう夕方だ。
そろそろ帰らないと、本当に怒られる時間だった。
そのとき。
「ん?」
遠くから声が聞こえた。
一人や二人ではない。
何人もの人が騒いでいる。
則人が振り返る。
「あっち……」
さっき。
男が歩いていった方角だった。
夕方の空の下。
遠くに、何かが燃えているような光が見える。
「……何だろ?」
則人は足を止めた。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




