今は何者?
今は何者?
「前より速くなった!」
放課後の公園。
大きな木の前で、則人が得意そうに胸を張った。
「本当?」
「本当だよ!」
「昨日と変わってなくない?」
「変わった!」
「どれくらい?」
「これくらい!」
則人が両手を大きく広げる。
「分かんないよ」
「とにかく速くなったの!」
この前、この公園で走り方を教えてもらった。
腕は横ではなく、前と後ろ。
力を入れすぎない。
上を向きすぎない。
難しいことは、まだよく分からない。
でも。
前より走りやすくなった。
それだけは、則人にも分かった。
「今日いるかな」
「誰?」
「お兄さん」
「ああ、オリンピックの人?」
「オリンピックには出てないって言ってたよ」
「候補」
「そう、それ」
則人は公園を見回す。
ベンチ。
いない。
木の下。
いない。
「今日いないね」
「毎日いるわけないじゃん」
「でも、また会ったらって言ってた」
「それ約束じゃないだろ」
「会ったら約束だよ」
「何それ」
友達に笑われた。
則人は気にしない。
「じゃあ走って待ってよう」
「まだ走るの?」
「練習!」
また全員で並ぶ。
「よーい――」
「あ!」
則人が止まった。
「何だよ!」
「あそこ!」
公園の入口。
一人の男が歩いている。
「お兄さーん!」
「え?」
男がこちらを見る。
則人が駆けていく。
「いた!」
「……本当にまたいたのか」
「うん!」
「いや、ここ公園だからな。俺が住んでるわけじゃないぞ」
「今日も教えて!」
「いきなりだな」
男が苦笑する。
すると、後ろから他の子供たちも集まってきた。
「俺も!」
「今日もやって!」
「スタート教えて!」
「待て待て」
男が両手を上げる。
「俺、コーチじゃないんだけど」
「でも教えられるじゃん」
「まあ……少しくらいなら」
「やった!」
子供たちが喜ぶ。
男は困った顔をしながらも。
少しだけ、嬉しそうだった。
◇
「最初から飛ばしすぎ」
「だって速く走りたい!」
「最後まで走れなくなったら意味ないだろ」
「じゃあ、ゆっくり?」
「ゆっくりじゃない。力の使い方」
「難しい」
「だから一個ずつでいいって」
男は一人ずつ走り方を見る。
「腕、もうちょっと前後」
「こう?」
「そう」
「俺は?」
「身体が左右に揺れすぎ」
「どうするの?」
「まず真っすぐ走ってみよう」
「真っすぐ走ってるよ!」
「本人はそのつもりなんだよな」
男が笑う。
子供たちも笑う。
則人は少し離れたところから走ってくる。
「どう!?」
「前よりいい」
「本当!?」
「ああ」
「やった!」
「でも、まだ力入りすぎ」
「えー」
「すぐ全部できるようになるわけないだろ」
「じゃあいっぱい走る!」
「それも駄目」
男の声が少し強くなった。
則人が止まる。
「何で?」
「走れば走るほど速くなるわけじゃない」
「そうなの?」
「身体を休ませるのも練習だから」
「休むのが練習?」
「そう」
「何もしないのに?」
「何もしないんじゃない。身体を戻すんだよ」
別の子が聞いた。
「じゃあ毎日いっぱい走ったら駄目?」
「駄目」
男はすぐに答えた。
「痛いのに無理して走るのが、一番駄目だ」
その言い方だけ。
少し違った。
さっきまでよりも強かった。
「痛かったら休む?」
「ああ」
「でも練習遅れちゃうじゃん」
「それでも」
男が言う。
「休まなきゃ駄目なときは、休まないと駄目なんだ」
則人たちは黙って聞いている。
男も、それ以上は言わなかった。
「まあ、お前たちはまだ遊びだからな。痛かったら帰れ」
「はーい」
子供たちが笑う。
男も笑った。
でも。
ほんの一瞬だけ、自分の脚へ目を落としていた。
◇
しばらくして。
「ねえ」
子供の一人が言った。
「何?」
「お兄さん、本当にコーチになればいいじゃん」
「は?」
「だって教えるの上手いし」
「うん!」
則人もすぐ乗った。
「コーチになればいいよ!」
「簡単に言うなよ」
「何で?」
「何でって……」
「コーチ嫌い?」
「嫌いじゃないけど」
「じゃあなれば?」
「お前らなあ」
男は呆れたように笑った。
「仕事って、そんな簡単に決めるもんじゃないんだよ」
「そうなの?」
「そうなの」
「でも、先生より分かりやすいよ」
「それ、学校で言うなよ。先生に怒られるから」
「じゃあ内緒」
「そういう問題じゃない」
子供たちが笑う。
男も笑った。
けれど。
「コーチ……」
小さく、その言葉だけを繰り返した。
則人には聞こえなかった。
◇
子供たちと別れたあと。
男は一人で歩いていた。
「コーチ、か」
もう一度、口に出してみる。
考えたことがなかったわけではない。
競技を辞めたあと。
スポーツに関わる仕事を考えたことくらいはある。
でも。
考えるたびに、どこかでやめた。
自分は。
教えるために走っていたわけじゃない。
走りたかった。
自分が。
もっと速く。
もっと先へ。
そのはずだった。
「おい」
声をかけられた。
振り向く。
「……久しぶり」
「やっぱりお前か!」
懐かしい顔だった。
昔、一緒に走っていた男。
「何年ぶりだ?」
「結構経つな」
「元気だった?」
「まあな」
「そっちは?」
「俺?」
相手が笑う。
「今、子供に陸上教えてる」
「……コーチ?」
「そんな大したもんじゃないけどな。クラブで」
男は一瞬黙った。
ついさっきまで。
何度も聞いた言葉だった。
「コーチ」
「ん?」
「いや、何でもない」
「そういえば、お前は?」
「普通に働いてるよ」
「ああ……」
相手は少し言葉を選んだ。
そして。
「お前も、こっち来ればよかったのにな」
「こっち?」
「教える方」
「俺が?」
「お前、走ることなら俺なんかよりずっと分かってるだろ」
「…………」
「今日も子供に教えてなかった?」
「見てたのか」
「少しな」
相手が笑う。
「結構向いてるんじゃない?」
まただ。
今日二度目。
子供たちと。
昔の仲間。
まったく違う人間から、同じことを言われた。
「……そうかな」
「そうだよ」
男の中に。
ほんの少しだけ、何かが動いた。
でも。
「まあ」
元仲間が続ける。
「お前は選手としてあそこまで行ったからな」
「…………」
「教える側じゃ、納得できないか」
「え?」
「俺なんか、お前ほど速くなかったからさ」
相手は笑っている。
自分を卑下しているだけなのかもしれない。
「早めに諦めついたけど、お前は違ったもんな」
「…………」
「本当に惜しかったよ」
また。
その言葉。
「怪我さえなかったら、絶対もっと行けたのにな」
男は笑った。
「……昔の話だよ」
「まあな」
「じゃあ、俺こっちだから」
「ああ。またな」
「また」
別れる。
少し歩いてから。
男は振り返った。
元仲間は、もうこちらを見ていない。
さっきまで。
ほんの少しだけ、別の道が見えた気がした。
でも。
結局。
また昔の自分が出てきた。
◇
翌日。
「えっ?」
職場で、同僚が声を上げた。
「本当なんですか?」
「何が?」
「昔、オリンピック候補だったって」
男の手が止まった。
「誰から聞いたの?」
「さっき別の人から」
「……そう」
「すごいじゃないですか!」
「候補だっただけだよ」
「いやいや、候補になるだけでもすごいですよ!」
同僚に悪意はない。
むしろ純粋に驚いている。
「何で今ここにいるんです?」
「…………」
「あ」
同僚が慌てる。
「いや、変な意味じゃなくて」
「分かってる」
「スポーツ関係とか行かなかったんですか?」
「まあ、いろいろあって」
「もったいないなあ」
また。
その言葉だった。
「俺だったら絶対、何かスポーツ関係の仕事しますけどね」
「……そう」
男は笑った。
「人それぞれだから」
「それはそうですけど」
仕事へ戻る。
話はそれで終わった。
同僚にとっては。
ただ、意外な経歴を知った。
それだけだった。
でも。
男の中には残った。
『何で今ここにいるんです?』
今ここにいる。
そのことが。
何か間違っているように聞こえた。
◇
昼休み。
男は一人で外に出た。
ベンチに座る。
少し離れたところに、鳩が何羽か集まっている。
地面を歩いて。
何かをついばんでいる。
「また鳩か」
近くを通った人が言った。
「最近多いな」
「汚すし、邪魔なんだよな」
足音が近づく。
鳩が逃げる。
何羽かは飛んだ。
男はその姿を見ていた。
「…………」
何となく、昨日の公園を思い出す。
あのときも。
鳩は追い払われていた。
「お前ら……」
一羽の鳩が男の近くを歩く。
「昔は、もっとありがたがられてなかったか?」
鳩は答えない。
当然だ。
「……何言ってんだ、俺」
男は自分で笑った。
鳩が飛ぶ。
その白い羽を、しばらく目で追った。
◇
仕事帰り。
男は、いつもとは少し違う道を歩いた。
特に理由はない。
少し遠回りしたかった。
それだけだ。
やがて。
足が止まった。
フェンスの向こう。
陸上競技場。
若い選手たちが走っている。
スタート。
加速。
コーナー。
ゴール。
何度も。
何度も。
走っている。
「…………」
男はフェンス越しに見ていた。
『オリンピック候補にまでなったんだ』
『あの怪我さえなかったらなあ』
『もったいないなあ』
『お前は選手としてあそこまで行ったからな』
『何で今ここにいるんです?』
いろいろな声が蘇る。
そして。
別の声。
『コーチになればいいじゃん!』
『教えるの上手いし』
男は、走っている選手たちを見る。
その横には。
タイムを計りながら声をかける指導者がいる。
選手が止まる。
指導者が何かを教える。
選手がうなずく。
また走り出す。
「…………」
自分にも。
できるだろうか。
一瞬。
そう思った。
でも。
すぐに、走っている選手へ目が戻った。
自分がいたかったのは。
あっちだった。
フェンスの外じゃない。
タイムを計る側でもない。
教える側でもない。
走る側。
「……俺は」
小さく呟く。
「走る側だったんだよ」
誰も答えない。
選手たちは走り続けている。
男はしばらく見ていた。
やがて。
競技場に背を向けた。
歩き出す。
空では。
一羽の鳩が。
競技場の照明塔を越えて飛んでいった。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




