第7話「もどりたい!」
第7話「もどりたい!」
内田紀人 作
「……ぼく、元に戻りたい」
さとるは、自分のお腹についた大きなスピーカーを見ながら、もう一度そう言った。
さっきまで。
これがあれば、みんなに話を聞いてもらえると思っていた。
大きな声なら。
誰にも「あとで」と言われないと思っていた。
でも。
違った。
声を大きくすればするほど。
みんなは、遠くへ逃げていった。
「…………」
少し離れたところにいた妖怪が、じっとさとるを見る。
「本当に、そう思っているのか?」
さとるは顔を上げた。
「…………うん」
今度は。
迷わなかった。
「もう、こんな大きな音でみんなを怖がらせたくない」
周りには、まだこちらを怖そうに見ている人たちがいる。
さとるは、その人たちを見て。
小さな声で続けた。
「ぼくはただ、話を聞いてほしかっただけだから……」
一度、息を吸う。
「普通に話して、普通に聞いてもらいたい」
妖怪は、しばらく黙っていた。
やがて。
小さくうなずく。
「そうか」
その瞬間だった。
ヒュオオオオッ!
「うわっ!」
突然。
強い風が吹き抜けた。
則人が腕で顔をかばう。
「なんだ!?」
風がやんだ。
おそるおそる顔を上げる。
すると。
「…………え?」
電柱の上に。
何かが立っていた。
赤い顔。
大きな鼻。
背中には羽。
「…………!」
則人の目が輝いた。
「て、天狗!?」
さらに目を見開く。
「本物の天狗!?」
思わず駆け寄りそうになって――。
「…………あ」
止まった。
さとるを見る。
さっき。
自分は何を言われた?
人の話を聞くと言ったのは、お前ではなかったのか。
「…………」
則人は。
ぐっと我慢した。
「……あとで見る!」
「何が!?」
さとるが思わず突っ込んだ。
妖怪は、少しだけ感心したように鼻を鳴らす。
「少しは分かったようだな」
「うん!」
則人は答えたものの。
視線だけは。
ちらっ。
ちらっ。
と、天狗へ向いている。
「……全然集中してないじゃん」
「してるよ!」
「天狗ばっかり見てる!」
「だって本物だよ!?」
「ぼくだって今、怪人なんだけど!」
「あ」
「忘れてたの!?」
「忘れてないよ!」
「今の『あ』は絶対忘れてた!」
そんな二人を見下ろしながら。
天狗が懐へ手を入れた。
「ほれっ!」
「え?」
何かを投げた。
「うわぁっ!?」
則人は慌てて両手を伸ばす。
ぽすっ。
「…………」
なんとか受け止めた。
手の中を見る。
赤くて。
大きな頭。
握りやすそうな柄。
どう見ても。
子供のおもちゃだ。
「…………なにこれ?」
さとるも横からのぞき込む。
「…………なにそれ?」
二人そろって。
首をかしげた。
天狗が答える。
「ピコピコハンマーだ」
「ピコピコ……?」
則人は持ち上げた。
ぴこ。
軽い。
「これで、どうするの?」
さっきまでテレビの怪人と戦おうとしていた少年の手に。
今度は。
どう見ても戦えそうにない武器が握られている。
「そいつで」
天狗が言った。
「その小僧を軽く叩け」
「…………え?」
則人が固まった。
「…………え?」
さとるも固まった。
そして。
「えええええっ!?」
二人の声が重なった。
「ちょっと待って!」
さとるは慌てて一歩下がった。
「ぼくを叩くの!?」
「ぼくも今初めて聞いたよ!」
「痛くないの!?」
「知らないよ!」
「知らないのに叩くの!?」
「ぼくに言わないでよ!」
二人がそろって天狗を見る。
天狗は呆れたように腕を組んだ。
「思い切り叩けとは言っとらん。軽くでいい」
「軽くでも叩くじゃん!」
さとるは両手で頭を守った。
さっきまで。
町中を震わせていた怪人とは思えない。
本気で警戒している。
則人も。
ピコピコハンマーと。
さとるの顔を。
交互に見る。
「……ほんとに、これで戻れるの?」
天狗ではなく。
先ほどから二人を見守っていた妖怪が答えた。
「大丈夫だ」
「…………」
「そいつは、戻ると決めた者を元の姿へ戻すためのものだ」
則人は、もう一度さとるを見る。
さとるも。
自分の着ぐるみを見下ろした。
大きなお腹のスピーカー。
セミの身体。
さっきまで。
これが欲しかった。
この声なら。
みんなに届くと思っていた。
でも。
もう違う。
さとるは。
少し離れたところにいる人たちを見る。
そして。
則人を見る。
「……やる」
「え?」
「やって」
それでも。
ちょっと怖い。
「でも……ほんとに軽くだよ?」
「うん」
「痛くしないでよ?」
「分かってるよ」
「絶対?」
「絶対!」
「…………」
「…………」
則人は。
ピコピコハンマーを両手で握った。
さとるは。
ぎゅっと目を閉じる。
肩に力が入る。
「…………」
「…………」
「…………まだ?」
「今やろうとしてるんだよ!」
「早くしてよ! 待ってる方が怖いよ!」
「分かったよ!」
則人は。
大きく振りかぶって――。
「あ」
止まった。
「軽くだった」
「危ないな!」
「ご、ごめん!」
則人は慌ててハンマーを下ろした。
今度は。
本当に小さく。
「さとる君」
「なに?」
「……いい?」
さとるは。
目を閉じたまま。
一度だけ。
うなずいた。
「……うん」
則人は。
そっと。
ピコピコハンマーを下ろした。
ポコン。
「…………」
「…………」
「…………」
何も起きない。
さとるが。
片目だけ開けた。
「……終わり?」
「たぶん」
「戻ってないじゃん!」
「ぼくに言わないでよ!」
その時。
ブ……ン……。
「え?」
二人が同時に。
スピーカーを見る。
ブ……。
ブ……ン……。
今まで。
大音量を出し続けていたスピーカーが。
力を失うように。
小さく震えている。
「……なんか変」
さとるが呟いた。
そして。
すうっ――。
「…………!」
着ぐるみの縫い目から。
何かが浮かび上がった。
光の粒のようにも見える。
影の欠片のようにも見える。
一つ。
また一つ。
ゆっくりと。
さとるの身体から離れていく。
「な、なにこれ……」
さとるは怖そうに自分の腕を見る。
そこからも。
細かな何かが。
少しずつ抜けていく。
「身体が……変な感じする」
「痛い?」
「痛くはないけど……」
さとるは胸に手を当てた。
「なんか……軽くなってる」
ブ……ン……。
最後に。
お腹のスピーカーが。
小さく震えた。
そして。
音が消えた。
「……止まった」
それでも。
身体から浮かび上がるものは止まらない。
一つ。
また一つ。
抜けていくたび。
さとるを包んでいた不思議な気配が。
少しずつ。
弱くなっていく。
「…………」
さとるの顔に。
不安が浮かんだ。
「ほんとに……戻れる?」
則人にも。
本当に戻れるのかは分からない。
ピコピコハンマーだって。
ついさっき初めて見たばかりだ。
でも。
則人は。
さとるを見て言った。
「戻れるよ」
「…………ほんと?」
「うん」
根拠なんてない。
それでも。
今だけは。
そう言わなければいけない気がした。
だって。
今の自分は。
KIDなのだから。
「だって、さとる君が戻りたいって言ったんだから」
「…………」
さとるの肩から。
少しだけ力が抜けた。
すると。
ふわっ。
胸の辺りから。
それまでよりも大きな塊が浮かび上がった。
「うわっ……!」
同時に。
さとるを包んでいた着ぐるみが。
大きく揺らいだ。
「さとる君!」
則人は思わず目を細めた。
ほんの一瞬。
さとるの姿が見えなくなる。
そして。
則人が。
もう一度、目を開けると――。
「…………」
そこに立っていたのは。
セミスピーカではなかった。
いつもの。
小学生のさとるだった。
「…………」
さとるは。
自分の手を見る。
腕を見る。
お腹を触る。
「……戻った?」
恐る恐る。
声を出す。
「……あ」
普通の声だった。
町中には響かない。
窓も震えない。
ただ。
目の前にいる則人へ。
ちゃんと届く。
則人は笑った。
「聞こえてるよ」
「…………」
さとるは。
しばらく自分の喉を押さえていた。
そして。
ほっと。
小さく息を吐く。
「……ほんとだ」
何がどうなって。
どうして人間の姿へ戻れたのか。
則人には。
まだ、よく分からなかった。
ただ。
「……あれ?」
則人が空を見上げる。
さっきまで。
さとるの身体から抜けていた。
光とも。
影ともつかないもの。
それらが。
頭上で。
ゆっくりと一つに集まり始めていた。
「……あれ、なんだ?」
さとるも見上げる。
妖怪も。
天狗も。
何も言わない。
ただ。
その小さな塊を見つめている。
セミスピーカは消えた。
さとるも。
元の姿へ戻った。
けれど。
それで。
全部が終わったわけではなかった。
――つづく




