第五章 第八話 ひとつだけなら
第五章 第八話 ひとつだけなら
「おじさんの『ちゃんと』って、なに?」
則人に聞かれ、男は黙り込んだ。
仕事をちゃんとする。
家庭をちゃんとする。
父親として。
夫として。
上司として。
思い浮かぶ言葉はいくつもある。
でも、それが何なのかと改めて聞かれると、答えられなかった。
「……分かんねえ」
男は、ようやくそう答えた。
「何十年も生きてんのにな。そんなことも分かんねえのか、俺」
少し自嘲するように笑う。
則人は不思議そうに男を見た。
「ぼくだって、わかんないよ」
「お前は子供だろ」
「おじさんは?」
「……おじさんだよ」
「じゃあ、おじさんでもわかんないことあるんだね」
あまりにも普通に言われ、男は目を瞬いた。
「……あるよ」
「そっか」
「それだけか?」
「うん」
男はしばらく則人を見たあと、ふっと笑った。
「簡単だなあ、お前は」
「むずかしくするの?」
「いや……」
男は少し考えた。
「それも俺が勝手にやってんのかもな」
◇
「……分かんない」
白いガスネズミの女も、同じように答えていた。
「昼の仕事したら、ちゃんとしてるのかな」
美緒と咲子は黙って聞いている。
「お酒飲まなくなったら? この仕事辞めたら? 朝起きて、普通の会社に行ったら?」
女は小さく息を吐いた。
「何が正解なのか、もう分かんない」
咲子が少し考えてから言った。
「じゃあ、一回置いておきません?」
「何を?」
「ちゃんとするっていうの」
女が顔を上げる。
「置いていいの?」
「誰かに今日中に決めろって言われてるんですか?」
「……言われてないけど」
「だったら、今すぐ決めなくてもいいんじゃないですか?」
女は黙った。
美緒も頷く。
「私もそう思います」
「でも、ずっとこのままってわけにもいかないでしょ」
「じゃあ」
美緒は少し考えた。
「全部じゃなくて、一個だけ考えるとか」
「一個?」
「はい」
◇
則人も、同じようなことを聞いていた。
「おじさん、ほんとはなにしたいの?」
「だから、それが分かんねえんだよ」
するとサトルが言った。
「ぜんぶじゃなくて」
「ん?」
「いま」
男がサトルを見る。
「いま、なにしたい?」
「今?」
「うん」
男は考えた。
会社を辞めたいわけじゃない。
管理職をやめたいわけでもない。
若い社員たちに勝ちたいわけでもない。
ただ。
「……仕事、覚えたいな」
「しごと?」
則人が聞く。
「新しいやつだよ。パソコンとか、システムとか」
男は少し照れたように頭を掻いた。
「全部できなくてもいいからさ。せめて、自分で一回ちゃんと触ってみたい」
「じゃあ、おしえてもらう?」
「……そうだな」
男は少しだけ黙る。
「若い奴に、教えてくれって言ってみるかな」
則人の顔が明るくなった。
「それでいいじゃん!」
「簡単に言うなあ」
「だって、やりたいんでしょ?」
「……まあな」
男は笑った。
◇
「お姉さん、今すぐお仕事辞めたいんですか?」
美緒が聞いた。
女は少し考えた。
「……今すぐじゃない」
「じゃあ、辞めなくてもいいんじゃないですか?」
「え?」
「辞めないまま、応募したら駄目なんですか?」
女が止まる。
「応募したら、絶対そこで働かなきゃいけないんですか?」
「いや……」
咲子も続けた。
「面接に行って、話を聞いて、それから考えてもいいですよね」
「……」
「受かったら、その時また考えればいいし」
女は二人を交互に見た。
「……それでいいの?」
美緒が首を傾げる。
「誰かに怒られるんですか?」
女は思わず笑った。
「ほんと、あんたたち簡単に言うね」
「難しく考えすぎてるのかもしれませんよ」
咲子が言う。
女はしばらく黙っていた。
「……応募するだけなら」
「はい」
「できるかも」
その言葉は、今までよりずっと軽かった。
◇
「おうちは?」
則人が聞いた。
「家?」
「うん」
男は考える。
「……嫁と飯でも食いに行くかな」
「みんなで?」
「いや。まず嫁と二人で」
「こどもは?」
「どうせ友達と遊ぶだろ」
サトルが聞いた。
「ことわられたら?」
男の顔が止まった。
則人とサトルが見ている。
男は少し考えてから答えた。
「……別の日を聞く」
二人が同時に頷く。
「うん」
「お前らに言われると、何か腹立つな」
「なんで?」
「何でもだよ」
男は笑った。
◇
「今のお仕事で覚えたことも、次に持っていけばいいんじゃないですか?」
咲子が言った。
女が苦笑する。
「キャバクラで覚えたことを?」
「接客ですよね?」
美緒が言う。
「お客さんの顔覚えたり」
「はい」
「前に何を話したか覚えたり」
「うん」
「相手が何を求めてるか考えたり」
女は黙る。
「それって、仕事でできるようになったことじゃないんですか?」
「……」
「全部捨てなくてもいいと思います」
咲子も頷く。
女はしばらく考えたあと、ほんの少しだけ笑った。
「履歴書の書き方、考えてみようかな」
「いいと思います」
「接客経験、長いですって?」
「いいじゃないですか」
「面接で笑われないかな」
「笑う会社なら、そこ行かなくていいんじゃないですか?」
美緒が言う。
女は吹き出した。
「それはそうかも」
無理に作ったものではない、自然な笑顔だった。
◇
美緒は、途中でぷつりと切れている糸電話を手にした。
「ぬらりひょんさん、こっちはだいぶ落ち着きました」
返事は猫耳から、美緒だけに届く。
『そうか。そのまま話し相手になっておれ』
「ノリちゃん、まだそっちですか?」
『まだじゃ』
「分かりました」
咲子が聞く。
「何て?」
「ノリちゃん、まだおじさんの方だって」
女が首を傾げた。
「ノリちゃんって誰?」
「この着ぐるみを脱がせてくれる子です」
「……子?」
美緒が笑う。
「会えば分かります」
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫です」
今度の美緒には迷いがなかった。
◇
男は自分の着ぐるみを見下ろした。
「……で」
「なに?」
「俺、いつまでこれ着てんの?」
「まだ」
「まだなの?」
「うん」
「話したら勝手に脱げるとかじゃねえの?」
「ちがうよ」
「そうなの!?」
男は大きなネズミの手を見た。
「じゃあ、どうすんだよ」
則人が胸を張る。
「ぼくがもどすんだよ」
「お前が?」
「うん!」
サトルも頷いた。
「ノリちゃん、こういうのとくい」
「何だよ、その特技」
男が呆れる。
則人は一歩下がった。
「じゃあ、いくね」
「何を?」
則人が声を上げる。
「配信開始!」
「……は?」
男が目を瞬いた。
その時だった。
どこからともなく声が流れる。
「今日のお着替えも、内田則人君――お着替え上手かな~」
「……何だ!?」
男が慌てて周囲を見回す。
誰もいない。
そして次の瞬間。
さっきまで普通の服だった則人の姿が、完全に変わっていた。
「お待たせ」
「いや、待ってねえ!」
男が思わず叫ぶ。
「というか、今の何だ!?」
「おきがえ」
「そこじゃねえよ! 何で一瞬なんだよ!」
サトルが横から言った。
「いつもこうだよ」
「いつもなの!?」
男は頭を抱える。
「子供ってすげえな……」
「それはちがうとおもう」
サトルが言った。
◇
則人は着替えを終えても、すぐには動かなかった。
男が首を傾げる。
「……で?」
「ちょっとまって」
「今度は待つのかよ」
則人は辺りを見回した。
◇
離れた場所では、美緒の猫耳にぬらりひょんの声が届いていた。
『頃合いじゃな』
「え?」
『あちらはもうよかろう』
美緒は糸電話へ向かって聞いた。
「おじさんの方ですか?」
『そうじゃ』
「分かりました」
咲子が美緒を見る。
「何て?」
「ぬらりひょんさんが、おじさんの方はもう大丈夫だって」
天女が静かに頷いた。
◇
その頃。
則人たちの頭上を、大きな影が横切った。
「ん?」
男が空を見上げる。
そこには何も見えない。
次の瞬間。
何かが空から飛んできた。
「ノリちゃん!」
サトルが声を上げる。
則人が両手を伸ばした。
ぱしっ。
受け取った。
ピコピコハンマー。
男の目が点になる。
「……今度は何だ?」
則人がハンマーを見せる。
「これでもどすよ」
「いや待て!」
男が周囲を見回した。
「それ今、どっから飛んできた!?」
「てんぐさん」
「天狗!?」
「うん」
「天狗がピコピコハンマー投げたの!?」
「うん」
男はしばらく黙った。
「……もう何でもありだな」
サトルが頷く。
「そうかも」
「お前が納得するなよ」
◇
則人がピコピコハンマーを持って、一歩近づく。
「じゃあ、もどすね」
「ちょっと待て」
「なに?」
男はハンマーを見る。
「本当にそれで戻るのか?」
「うん」
「痛くない?」
則人は少し考えた。
「たぶん!」
「たぶん!?」
「ピコピコだからだいじょうぶ」
サトルが言う。
「そういう問題か?」
男が後ずさる。
その瞬間だった。
ぶしゅうっ!
全身の散布装置から、一気に臭気が噴き出した。
「うわあああ!」
則人とサトルが同時に飛び退く。
「くさっ!」
「サトルくん!」
「ノリちゃんもいまにげた!」
「これはしょうがないよ!」
「俺のせいじゃねえって!」
男も叫ぶ。
則人は鼻を押さえながら、もう一度前へ出た。
「おじさん!」
「何だよ!」
「ちょっとだけ、がまんして!」
「俺が言いたいわ!」
ぶしゅっ!
「くさーい!」
「だから俺のせいじゃねえ!」
二人の声が重なる。
それでも、男の顔はもう先ほどまでのように追い詰められてはいなかった。
則人はピコピコハンマーを握り直す。
「いくよ!」
「ちょ、ちょっと心の準備を――」
ぶしゅっ!
「またー!」
「俺だって止めたいよ!」
臭いの中で、則人が前へ出る。
おじさんを元へ戻す時が来た。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




