第五章 第四話 ほっといてくれ
第五章 第四話 ほっといてくれ
「課長、ちょっといいですか?」
声をかけられ、男は顔を上げた。
若い部下が、少し困ったような顔で立っている。
「どうした?」
「この前の取引先なんですけど、今度はこっちから謝りに行くことになって。どういうふうに話したらいいかなって」
「ああ」
男は椅子へ座り直した。
「最初から言い訳するなよ。向こうが何に怒ってるのか、まず全部聞け」
「全部ですか?」
「途中で『でも』とか入れんな。言いたくなるけど我慢しろ。向こうが話し終わってから、こっちの事情を説明すればいい」
「なるほど……」
「あと、相手が何を求めてるのかちゃんと聞け。謝ってほしいだけなのか、何か対応してほしいのか。それでこっちの出方も変わる」
部下は何度か頷いた。
「ありがとうございます。やってみます」
「駄目だったら連絡しろ。俺も行くから」
「はい」
部下が安心したような顔で戻っていく。
男は少しだけ笑った。
こういうことなら、まだ教えられる。
長く働いてきた分だけ、失敗もしてきた。誰かを怒らせたこともあれば、自分が頭を下げたこともある。
そういう経験は、若い連中にはまだない。
自分にしか渡せないものだってある。
そう思えた。
その直後だった。
少し離れたところで、二人の若手社員が話している声が耳に入った。
「これ、どこで設定変えるんだっけ?」
「ああ、それなら俺分かるよ」
「課長に聞こうかと思ったんだけど」
「そこは課長に聞いても分からないだろ。○○さんに聞いた方が早いよ」
「ああ、そっか」
それだけだった。
悪口ではない。
笑ってもいない。
ただ、仕事の話をしているだけだった。
男はパソコンの画面へ目を戻した。
分かっている。
その通りだ。
自分に聞くより、詳しい奴に聞いた方が早い。
「……分かってるよ」
誰にも聞こえない声で呟いた。
俺だって、それくらい分かってる。
◇
「この前ね、すごくきれいな人とすれ違ったんだよ」
バイトの休憩時間。
美緒が飲み物を手にしながら言った。
向かいにいた咲子が首を傾げる。
「きれいな人?」
「うん。髪も派手で、メイクもすごくきれいで。たぶんこれから仕事だったんだと思う」
「へえ」
「でもさ」
美緒は少し考えてから続けた。
「ものすごく疲れてたんだよね」
「仕事前なのに?」
「そう。それが気になって」
咲子は少し笑った。
「美緒って、そういうところよく見てるよね」
「変だったんだもん。これから仕事に行く人なのに、もう帰りたいみたいな顔してて」
「夜の仕事なのかな」
「たぶん」
美緒はあの女性の背中を思い出した。
華やかな格好。
きれいな顔。
それなのに、歩いている姿だけが妙に重かった。
「まあ、たまたま疲れてただけかもしれないけどね」
そう言って、美緒は飲み物に口をつけた。
まだ、それ以上のことは何も知らなかった。
◇
昼休み。
男は少し離れた席で弁当を食べながら、若い社員たちの会話を聞いていた。
「この機能使えば一気にできるよ」
「え、そんなのあったの?」
「あるある。ここ押して、こっち選んで」
画面を見ながら盛り上がっている。
男は何となくそちらを見る。
何をしているのか、大まかには分かる。
でも、自分一人ではできない。
今までなら、若い社員が困っていれば自分が教える側だった。
今は逆だ。
聞けばいい。
ただ、それだけのことだ。
それ、俺にも教えてくれないか。
そう言えばいい。
喉まで言葉が出かかった。
でも、止まった。
課長である自分が、若い部下に一から教えてもらう。
そんなことの何が悪い。
頭では分かっている。
それでも、口が動かなかった。
結局、男は何も言わず、弁当へ目を戻した。
自分でもくだらない意地だと思った。
でも、そのくだらない意地を捨てられなかった。
◇
昼を過ぎた頃。
女は自宅で目を覚ました。
カーテンの隙間から入ってくる光が眩しい。
しばらくベッドの上でぼんやりしたあと、スマートフォンを手に取った。
求人サイトを開く。
前に応募しかけた仕事が、まだ募集されていた。
「……まだある」
接客経験歓迎。
未経験可。
収入は今より下がる。
それでも、生活できない額ではない。
前回よりも少しだけ、本気で考えてみる。
今度こそ。
そう思ったところで、電話が鳴った。
店からだった。
「はい」
『ごめん、今日一人休みになっちゃって。少し早めに来られない?』
「ああ……」
女は一瞬、求人画面を見る。
『無理ならいいんだけど』
「……大丈夫です。行けます」
『助かる。ありがとう』
電話が切れた。
女はしばらくスマートフォンを見ていた。
そして、求人サイトを閉じる。
「……また今度か」
誰が悪いわけでもない。
店だって困っている。
自分も仕事を引き受けただけだ。
それでも、また一つ後回しになった。
女はベッドから起き上がった。
◇
その夜。
ゴンさんの店には、いつもの男がいた。
今日は明らかに酒の量が多い。
「もうやめとけ」
ゴンさんが言った。
「まだいいだろ」
「よくねえよ」
「俺の金だろ」
「だからって飲ませ続けるほど俺も馬鹿じゃねえ」
男がグラスへ手を伸ばす。
ゴンさんが先に取り上げた。
「返せよ」
「今日は終わり」
「ほっといてくれよ」
思った以上に大きな声が出た。
店内の空気が変わる。
則人とサトルも男を見る。
「おじさん」
則人が声をかけた。
男は振り返る。
「何だよ」
「だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ」
「でも――」
「子供には分かんねえよ」
言った瞬間、男自身の顔が固まった。
則人も黙る。
男は目を逸らした。
「……悪い」
小さく言う。
「お前に言ってもしょうがねえよな」
則人は怒らなかった。
ただ、男を見たまま言った。
「ぼく、おじさんがいつもとちがうから、きいてるだけだよ」
男の表情が少し揺れた。
何か言いかける。
でも、やめた。
「だから、ほっといてくれ」
立ち上がる。
ゴンさんが止めようとしたが、男はそのまま店を出ていった。
扉が閉まる。
則人とサトルが顔を見合わせた。
「……おじさん、やっぱりへんだよ」
則人が言う。
サトルも頷いた。
「うん」
「ちょっと、みてたほうがいいかな」
「おじさんを?」
「うん」
ゴンさんも扉の方を見たまま、何も言わなかった。
◇
その頃。
女はいつもより早く店に入っていた。
欠員が出た分、忙しい。
次から次へと席を移り、笑って、話して、酒を作る。
そしてまた笑う。
いつもより長い勤務が、今日はひどく重く感じられた。
「いやあ、お前らはいいよな」
隣の客が言った。
女は笑顔で顔を向ける。
「何がです?」
「だって、男と酒飲んで笑ってりゃ金になるんだろ?」
まただ。
似たような言葉。
いつもなら流せるはずなのに、今日はやけに耳についた。
「楽だと思うなら、やってみれば?」
口から出た。
客の顔が止まる。
「……何だよ。冗談じゃん」
女も、自分が何を言ったのかすぐに気づいた。
「……ごめんなさい」
笑顔を作る。
「私もちょっと飲みすぎたかも」
「なんだよ、びっくりした」
客は笑った。
「じゃあ今日はいっぱい飲みましょ」
女も笑う。
それで、その場は収まった。
休憩で裏へ戻る。
扉が閉まった瞬間、女は壁にもたれた。
「……何で私が謝ってんだろ」
自分で言っておいて。
仕事だから。
分かっている。
分かっているけれど、今日はその言葉だけでは飲み込めなかった。
◇
男は一人で夜道を歩いていた。
「ほっといてくれ……」
自分が言った言葉を思い出す。
本当に放っておいてほしいのか。
違う。
そんなことは自分でも分かっている。
会社でも。
家でも。
ゴンさんの店でも。
誰かに、
「まだやれる」
と言ってほしいだけなのかもしれない。
でも、そんな言葉を欲しがる自分も情けなく感じる。
自分で証明しなければいけない。
そう思っている。
「……何やってんだろうな、俺」
歩き続けても、答えは出なかった。
◇
仕事を終えた女も、一人になっていた。
今日も笑った。
今日も謝った。
今日も酒を飲んだ。
店では客から求められる。
外へ出れば、勝手なことを言われる。
将来のことを考えれば、
いつまで続けるの。
次はどうするの。
普通はこうする。
そんな言葉ばかりが頭に浮かぶ。
「……ほっといてよ」
誰もいないところで呟く。
誰にも決めてほしくない。
でも、自分で決める方法も分からない。
女はそのまま歩いていった。
◇
翌日の夜。
則人とサトルは、ゴンさんの店にいた。
「きょう、おじさんくるかな」
則人が聞く。
「どうだろう」
サトルも扉を見る。
昨日のことが、まだ気になっていた。
いつものおじさん。
よく笑って、子供相手にも普通に話す。
それが最近、少しずつ変わっている。
「もしきたら、もういっかいきいてみよう」
則人が言った。
サトルは頷いた。
◇
同じ頃。
美緒はバイトを終え、咲子と一緒に歩いていた。
「そういえば、この辺だったんだよ」
「何が?」
「前に言った、疲れてた人」
「ああ」
話していると、前方に派手な髪の女性が見えた。
美緒が足を止める。
「あ」
「どうしたの?」
「あの人」
以前すれ違った女性だった。
今日もこれから仕事へ向かうところらしい。
スマートフォンを耳に当てている。
「分かってます。今向かってますから」
少し苛立った声。
すぐに、
「はい。大丈夫です」
と声色を変える。
電話を切ると、女は一度だけ大きく息を吐いた。
そして何事もなかったように、夜の街へ歩き始める。
美緒がその背中を見る。
「この前の人?」
咲子が聞いた。
「うん」
二人はしばらく、その女性を見送った。
別の場所では、則人とサトルがおじさんを気にしている。
まだ四人とも知らない。
それぞれが気にしている二人が、同じように行き場を見失い始めていることを。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




