第五章 第二話 わらってるだけじゃない
第五章 第二話 わらってるだけじゃない
「えー、本当に? それ、前にも言ってなかった?」
女が笑うと、向かいに座った男も上機嫌で笑った。
「言ったっけ?」
「言ってたよ。ほら、あの部長さんと飲みに行った時の話」
「ああ、そうそう! あれな!」
もう何度聞いたか分からない話だった。
最初に聞いたのがいつだったかも覚えていない。それでも女は、初めて聞いた時とほとんど変わらない顔で笑う。
相手が何を話したか。何を飲むか。どんな仕事をしているか。家族はいるか。何を言えば喜び、何を言うと機嫌を損ねるか。
できる限り覚えておく。
それも仕事だった。
「やっぱ○○ちゃんはいいよなあ」
「何が?」
「だってさ、こうやって座って男と酒飲んでりゃ金になるんだろ?」
女は、ほんの一瞬だけ黙った。
「そうそう。楽な仕事なの」
すぐに笑顔で答える。
「だろ?」
「じゃあ今度、代わります?」
「俺が?」
「ドレス用意しときますよ」
「似合うかなあ」
「意外といけるかも」
「やめろよ!」
男が大笑いする。
女も一緒に笑いながら、空いたグラスを作り直した。
それからも話を聞き、相槌を打ち、頃合いを見て別の話題へ移す。
しばらくして別の女の子と交代し、客から見えないところまで来たところで、ようやく頬から笑顔が消えた。
「……楽だったらいいんだけどね」
誰にも聞こえない声で呟いた。
◇
休憩に入ると、女は椅子へ腰を下ろして、すぐに靴を脱いだ。
「痛った……」
見た目は華やかでも、一晩中履いていれば足は悲鳴を上げる。
足先を揉んでいると、同僚がやって来た。
「今日、あの人また来てるよ」
「誰?」
名前を聞いた瞬間、すぐに顔が浮かんだ。
「ああ。知ってる」
「指名入るんじゃない?」
「たぶん。娘さん、今月誕生日だから、その話振っといて」
「よく覚えてるね」
「前に三十分くらい娘さんの話してたもん」
「私なら忘れてる」
「忘れたら機嫌悪くなるよ、あの人」
同僚が笑う。
「大変だねえ」
「そっちもでしょ」
「まあね」
客の名前。
仕事。
好きな酒。
前回何を話したか。
家族のこと。
好きなもの。
嫌いなもの。
全部を完璧に覚えられるわけではない。それでも、できる限り覚えておく。
酔った客の機嫌も見る。飲みすぎていれば、それとなくペースを落とす。嫌なことを言われれば、笑って流すのか、話題を変えるのか、少し距離を取るのか、その場で判断する。
ただ座って酒を飲んでいるだけなら、どれほど楽だろう。
「ねえ」
同僚が化粧を直しながら言った。
「何?」
「いつまでやる?」
女の手が止まった。
「何、急に」
「いや、私たちもいつまでも若いわけじゃないじゃん」
「当たり前でしょ」
「ずっと続ける?」
女は少し考えた。
「……ずっとは無理じゃない?」
「だよね」
ほんの軽い会話だった。
けれど、その言葉だけが妙に胸に残った。
◇
仕事を終えて店を出る。
さっきまでの明るい照明も、客たちの笑い声もない。
スマートフォンを見ると、求人サイトから通知が来ていた。
何となく開いてみる。
事務。
販売。
受付。
営業。
いくつもの仕事が並んでいる。
以前にも見た。
一度だけ、本気で履歴書を書こうとしたこともある。
名前。
住所。
学歴。
そこまではよかった。
職歴。
そこで手が止まった。
長く働いてきた。
何もしてこなかったわけではない。
接客ならできる。
人の顔と名前を覚えるのも得意だ。
初対面の相手と話すことにも慣れているし、相手が何を求めているのかを考えることだって、毎日のようにやってきた。
場の空気を読み、相手の機嫌を見ながら会話を続ける。
それも、自分が身につけてきた技術のはずだった。
けれど、履歴書の職歴欄へ書こうとすると、自分がやってきたことが急に小さく見えた。
面接で何と言われるんだろう。
どうして今までこの仕事をしていたのか。
なぜ辞めるのか。
昼の仕事はできるのか。
そんなことを聞かれる自分を想像した。
それだけではない。
今より収入が下がったら。
採用されなかったら。
先に店を辞めて、それから次の仕事が見つからなかったら。
考えれば考えるほど、動けなくなる。
結局、その時は応募しなかった。
今日も求人を眺めるだけで、画面を閉じた。
◇
帰りにコンビニへ寄った。
飲み物と簡単な食事を手に取り、レジへ向かおうとした時、近くにいた二人組の会話が聞こえてきた。
「昨日、付き合いでキャバクラ行ったんだけどさ」
「へえ」
「すげえよな、ああいう仕事。男に酒飲ませて金使わせるだけで、あんな稼げるんだろ?」
「顔がよけりゃ楽なんじゃね?」
笑い声が聞こえた。
女は何も言わなかった。
自分について話しているわけではない。
知らない人たちだ。
だから、そのまま商品を持ってレジへ向かった。
店では、
かわいい。
会いたかった。
また来る。
そう言われる。
けれど一歩外へ出れば、
男に金を使わせているだけ。
楽な仕事。
まともじゃない。
そんなふうに言われる。
同じ自分なのに、見る人と場所が変わるだけで、まるで別のものとして扱われる。
「……勝手だよね」
小さく呟いて、コンビニを出た。
◇
家へ帰ると、女は鏡の前に座った。
メイクを落としていく。
派手な色が少しずつ消え、仕事中の顔から普段の自分へ戻っていく。
髪をほどき、アクセサリーを外した。
そのまま冷蔵庫を開け、缶を一本取り出す。
仕事中にも飲んでいる。
それなのに、家へ帰ってからもまた飲む。
スマートフォンを開いた。
さっき閉じた求人サイトを、もう一度眺める。
「……しっかりしなきゃな」
口にしてみた。
けれど、すぐに疑問が浮かんだ。
何をもって、しっかりなんだろう。
昼の仕事をすればいいのか。
今の仕事を辞めればいいのか。
キャバクラで働いている自分は、しっかりしていないのか。
そんなことはないと思う。
この仕事だって真面目にやってきた。
適当に酒を飲んで笑っていただけではない。
自分なりに覚えたことも、できるようになったこともある。
その全部を否定したくはない。
けれど、このままずっと続けたいかと聞かれれば、それも違う。
「じゃあ、どうすればいいのよ……」
答える人はいない。
缶を開けた。
小さな音が、静かな部屋に響く。
「……飲まなきゃやってらんない」
一口飲んだ。
画面には、たくさんの求人が並んでいる。
そのどれもが、自分とは少し遠い世界のものに見えた。
◇
同じ頃。
別の家では、一人の男が鞄の中を見ていた。
ゴンさんの店の常連客。
昨夜、黒服から差し出されたものを、結局受け取っていた。
男はそれを手に取り、しばらく眺めた。
「……何なんだよ、これ」
当然、答えはない。
知らない人間から渡された、正体も分からないものだ。
気味が悪い。
捨てたところで何の問題もない。
男はゴミ箱へ目を向けた。
手を伸ばしかけ、少し迷う。
そして結局、それを鞄へ戻した。
「馬鹿馬鹿しい」
自分でも、なぜ取っておくのか分からない。
ただ、何となく捨てる気になれなかった。
男は鞄を閉じた。
黒服からそれを受け取ったことも、その後どう扱うのかも、この時の男には何を意味するのか分からなかった。
ただ昨夜、自分があの黒服から何かを受け取った。
それだけは事実だった。
◇
数日後。
女はいつものように仕事を終え、店を出た。
今日も笑った。
今日も飲んだ。
今日も客の話を聞いた。
疲れた。
帰ったら、また求人サイトでも見るか。
どうせ見るだけだろうけど。
そんなことを考えながら歩いていると、一人の男とすれ違った。
黒い服。
女は気に留めなかった。
そのまま歩いていく。
黒服は数歩進んだところで立ち止まった。
ゆっくりと振り返る。
遠ざかっていく女の背中を見る。
何も言わない。
追いかけもしない。
ただ、見ている。
女はその視線に気づかないまま、人混みの中へ消えていった。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
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ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




