閑話一 それぞれの道
閑話一 それぞれの道
朝。
美緒は冷蔵庫の扉を開けたまま、しばらく中を眺めていた。
パン。
昨日の残り。
ヨーグルト。
それから、買ったことを忘れかけていたプリン。
「どうしよう……」
口から出た言葉に、自分で少しだけ笑う。
昔と同じ言葉だった。
何を選べばいいのか分からなくなると、よく口にしていた言葉。
けれど、今は少し違う。
美緒は冷蔵庫の中をもう一度見渡してから、
「……今日はパン」
そう決めて、パンを取り出した。
扉を閉めかける。
「あ」
昨日の残りへ目が止まった。
「これ、今日食べないとまずいかも」
少し迷った末、結局それも取り出した。
テーブルに並べてから、美緒は腕を組む。
「……多くない?」
誰も答えない。
一人暮らしなのだから、当然だった。
「まあ、いいか」
そう言って椅子へ座る。
自分で決めて。
ちょっと失敗して。
その結果も、自分で引き受ける。
そんな毎日にも、いつの間にか慣れていた。
◇
部屋の中には、美緒が今どんな生活をしているのかが、そのまま表れていた。
壁際には何種類もの生地の見本。
机の上には色鉛筆とデザイン画。
棚には糸や針、小さなパーツが種類ごとに置かれている。
椅子の背には、途中まで縫った布がかけられていた。
以前の美緒を知っている人が見れば、少し意外に思うかもしれない。
けれど今の美緒にとって、それらはすっかり日常の一部になっている。
そして。
机の一番目立つところには、今日までに進めておくはずだった課題。
「…………」
朝食を食べながら、美緒はそれを見つめた。
「これ……今日やるやつじゃん」
少し考える。
「いや。今日やれば間に合う」
もう一度考える。
「……たぶん」
誰もいない部屋で、一人で頷く。
自分で決められるようになったことと、余裕を持って課題を終わらせられることは、どうやら別の話らしい。
◇
学校では、その課題を前に先生が美緒の作品を見ていた。
「ここ、この色にしたんだ」
「はい」
「どうして?」
「え?」
美緒は一瞬だけ止まった。
どうして。
以前なら、その言葉を聞いた瞬間に、相手がどんな答えを求めているのか考えたかもしれない。
正しい色。
評価される色。
先生が気に入りそうな組み合わせ。
どれを答えれば間違えないのか。
そんなことを先に考えていたかもしれない。
でも今は。
美緒は自分の作品へ目を落とした。
少しだけ考えてから、答える。
「……私、この組み合わせが好きだからです」
先生が頷いた。
「じゃあ、その『好き』がもっと伝わるようにしてみようか」
「はい」
それだけだった。
正解でも、不正解でもない。
自分が選んだ理由。
美緒はもう一度、自分のデザインへ目を落とした。
色の組み合わせを見比べる。
「……もうちょっと、こっち濃くしようかな」
今度は誰にも聞かず、自分で色を選んだ。
◇
夕方。
授業を終えた美緒が荷物をまとめていると、スマートフォンが震えた。
咲子からだった。
『今日、ゴンさんのところ行く?』
美緒はすぐに返す。
『行く』
しばらくして。
『じゃあ、あとで』
『了解』
それだけ。
昔ほど毎日一緒にいるわけではない。
学校も違う。
生活する場所も違う。
それぞれに授業があって。
それぞれに予定があって。
それぞれに、自分で選んだ生活がある。
それでも。
会おうと思えば、こうして会う。
今の二人には、それくらいがちょうどよかった。
◇
「いらっしゃ――」
店へ入った美緒を見て、ゴンさんが途中で言葉を止めた。
「なんだ、美緒か」
「なんだって何よ」
「いや、客かと思った」
「客でしょ、私も」
「そうだったな」
ゴンさんが苦笑する。
店内は以前より、ずいぶん賑わっていた。
常連らしい客。
仕事帰りらしい客。
料理の匂いと話し声。
その中を見渡して。
美緒はカウンターで見慣れた顔を見つけた。
「あ」
二人いる。
「則人くん、またいる」
「いるよ」
少し成長した則人が、当然のように答えた。
「今日は?」
「ごはん」
「家で食べないの?」
「きょうはここでたべる」
「自由だねえ」
もう一人。
則人の隣には、さとるが座っていた。
「さとる君まで」
「僕はノリちゃんに誘われたから」
「それで来たんだ」
「うん」
さとるも、もうそれを特別なこととは思っていないらしい。
則人に誘われた。
だから来た。
それだけで十分な理由になっていた。
奥から咲子が顔を出す。
「美緒、遅い」
「授業終わる時間違うんだから仕方ないでしょ」
「先に食べてるよ」
「待っててよ!」
「来る時間分かんなかったし」
「冷たい!」
言いながら、美緒は咲子の向かいへ座った。
◇
ゴンさんが少し離れたところから店内を見渡した。
カウンターには則人とさとる。
テーブルには美緒と咲子。
誰も特別な用事があるわけではない。
事件が起きたわけでもない。
大事な相談があるわけでもない。
ただ。
なんとなく。
ここへ来て。
なんとなく。
一緒に飯を食べている。
「…………」
ゴンさんが小さく呟いた。
「うち、居酒屋なんだけどな」
咲子が振り返る。
「知ってるよ」
美緒も言った。
「今さら?」
「最近、たまり場みたいになってる気がしてな」
「いいじゃん」
「お前らはな」
ゴンさんはそう言いながら、則人を見る。
「ノリ、今日何食う?」
「からあげ!」
「はいはい」
嫌がっているようには、まったく見えなかった。
◇
「で?」
美緒が咲子を見る。
「今日も空手?」
「うん」
「毎日よく続くね」
「美緒だって学校の課題あるでしょ」
「……今その話する?」
「終わった?」
「終わる予定」
「今日?」
「…………」
「今日じゃないんだ」
「やるってば!」
咲子が笑った。
「変わってないね」
「何が?」
「そういうところ」
「さっちゃんだって変わってないじゃん」
「どこが?」
「すぐ突っ込んでくるところ」
「美緒が突っ込ませるからでしょ」
カウンターから則人が二人を見ていた。
「なかいいね」
「まあね」
美緒が答える。
「そう?」
咲子が言う。
「そこ否定するところ!?」
「冗談」
「もう!」
さとるが隣で静かに笑った。
学校が変わっても。
会う回数が以前より少なくなっても。
こうして話し始めれば、昔とあまり変わらない。
◇
「それ何?」
咲子が、美緒のバッグから少しだけ覗いていた布へ気づいた。
「あ、これ?」
美緒が取り出す。
小さな布小物だった。
「学校の課題の試作品」
「美緒が作ったの?」
「うん」
則人も身を乗り出して覗き込む。
「すごい」
「でしょ?」
美緒は少し得意げに胸を張った。
さとるも見る。
「普通に売ってそう」
「そこまでじゃないよ」
「でも綺麗じゃん」
「一応ね」
美緒は布をひっくり返した。
「ここ、縫い目曲がってるし」
「どこ?」
咲子が目を近づける。
「ここ」
「……言われても分かんない」
「私は分かるの」
「細かいなあ」
美緒は、自分の作ったものを手の上で眺めた。
試作品だから、完璧ではない。
直したいところもある。
それでも。
自分で考えて。
自分で選んで。
自分で作ったものだった。
「でも、こっちの形の方が好きなんだよね」
咲子がその言葉を聞いて、美緒を見る。
「何?」
「いや」
「なに?」
「昔の美緒だったら、『これでいい?』ってずっと誰かに聞いてそうだなって」
「…………」
美緒は少しだけ口を尖らせた。
「言わないでよ」
「ごめん」
「でも」
もう一度、手の中を見る。
「今は、私はこっちが好き」
「そっか」
「うん」
それ以上。
咲子は何も言わなかった。
褒めるでもなく。
成長したと言うでもなく。
ただ、美緒がそう言ったことを、そのまま受け取った。
◇
「さっちゃんは?」
「何が?」
「そっち行ってよかった?」
「そっち?」
「体育大」
「ああ」
咲子は少し考えた。
「うん」
「迷わなかった?」
「迷ったよ」
「さっちゃんでも?」
「私を何だと思ってるの」
「何でも即決する人」
「そんなわけないでしょ」
咲子は笑った。
「迷ったけど」
少し間を置く。
「まだ空手やりたかったから」
「それで決めた?」
「うん」
「そっか」
美緒は頷いた。
自分は服飾。
咲子は空手。
同じ学校ではない。
同じ道でもない。
どちらかが、どちらかへ合わせたわけでもない。
それぞれが。
自分で選んだ場所にいる。
でも。
今こうして、同じ店で普通に話している。
それでよかった。
◇
「ゴンさん、注文!」
「こっちも!」
「はいよ!」
急に店が慌ただしくなった。
新しい客が入り。
追加注文が飛び。
空いた皿が増えていく。
ゴンさんが一人で店内を行き来していた。
咲子が、その様子を見る。
「……忙しそう」
「だね」
美緒も振り返る。
ゴンさんが皿を運びながら、別の客に呼ばれている。
咲子が立ち上がった。
「今日バイトじゃないけど、手伝おうか?」
ゴンさんが振り返る。
「いいのか?」
「いいよ。時間あるし」
「助かる」
美緒も立った。
「じゃあ私も」
「お前、客だったろ」
「さっちゃんだけ働かせるのも変じゃん」
「そういう問題か?」
「いいから」
美緒は慣れた様子で食器をまとめ始めた。
どこへ何を持っていけばいいのか。
何を先に片づければいいのか。
迷う様子もない。
さとるが、その姿を見て呟く。
「普通に働き始めた」
則人が頷いた。
「いつもの」
「いつものなんだ……」
◇
しばらくして。
店の忙しさがようやく落ち着いた。
「疲れたぁ……」
美緒が席へ戻る。
咲子は、それほど疲れた様子もない。
「美緒、前より動けなくなってない?」
「さっちゃんと比べないでよ。体育大でしょ?」
「別にこれくらい普通だけど」
「それが普通じゃないの!」
則人が美緒を見る。
「でも、はやかったよ」
「でしょ?」
美緒はすぐに元気になった。
咲子が呆れる。
「褒められたらすぐ調子乗る」
「いいじゃん」
「そこも変わってない」
「こっちも私だから」
「それ便利に使ってない?」
「使ってないよ!」
美緒が笑う。
変わったところもある。
変わらないところもある。
どちらかだけが本当の自分というわけではない。
どちらも。
今の美緒だった。
◇
店を出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「じゃあ、僕こっち」
さとるが言う。
「ぼくも!」
則人がついていく。
美緒が手を振った。
「またね」
「また」
則人とさとるが先に帰っていく。
美緒と咲子は、途中まで同じ道を歩いた。
今日あったこと。
学校のこと。
どうでもいい話。
そんな話をしながら歩いているうちに、やがて二人の帰る方向も分かれた。
「じゃあ私、こっち」
美緒が言う。
「私はこっち」
「またね」
「うん」
咲子が歩き出す。
美緒も反対方向へ歩き始めた。
数歩。
美緒が立ち止まる。
「さっちゃん!」
咲子が振り返った。
「なに?」
「次、いつゴンさんのところ来る?」
「まだ分かんない!」
「分かったら連絡して!」
「分かった!」
美緒は笑って手を振る。
咲子も手を振った。
そして今度こそ。
二人は別々の道へ歩き出した。
進む道が違っても。
次に会う約束くらいは、簡単にできる。
◇
「ただいま」
誰もいない部屋へ、美緒が帰る。
荷物を置く。
靴を脱ぐ。
そして。
机を見る。
「…………」
朝からそこにあった課題が、当然のように待っていた。
時計を見る。
「…………」
もう一度。
課題を見る。
「やば」
美緒は慌てて椅子へ座った。
「今日はここまでやる!」
自分で決める。
デザイン画を広げる。
色鉛筆を取る。
何本かを見比べる。
少し迷ってから。
一本を選んだ。
「……うん。今日はこれ」
紙の上へ、ゆっくりと色を重ねていく。
自分が選んだ色。
自分が選んだ形。
失敗するかもしれない。
あとで違う色の方がよかったと思うかもしれない。
それでも。
その時は、また考えればいい。
美緒は手を止めずに、デザイン画へ色を重ねていった。
どうして美緒が、この道を選んだのか。
その始まりは。
もう少し前の話だった。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




