第四章 第七話 だれになればいい?
第四章 第七話 だれになればいい?
「これなら……さっちゃんみたいにしてればいいのかな」
咲子と同じ顔、同じ声で、美緒はそう言った。
咲子は、目の前にいる友人の姿を見つめたまま言葉を失っていた。
黒と銀色の鏡面に覆われたカメレオンの着ぐるみ。大きな眼と、鏡片を連ねたような太い尻尾。その異様な姿の中から覗く顔だけが、自分とまったく同じになっている。
「美緒……私は、美緒と話したいんだけど」
「美緒……私は、美緒と話したいんだけど」
美緒は同じ声で、そのまま返した。
「だから、それをやめてって」
「だから、それをやめてって」
「…………」
咲子が眉を寄せると、その表情まで美緒は同じように真似した。
ふざけているようには見えなかった。
むしろ、先ほどまでより少し安心しているようにさえ見える。
咲子が何かを言えば、それと同じことを言う。咲子が笑えば笑い、怒れば怒る。
そうしていれば、自分で何を言うのかも、どんな顔をするのかも決めなくていい。
美緒にとっては、その方が楽なのかもしれない。
「ねえ」
横から則人が声をかけた。
美緒がゆっくりとそちらを向く。
二人の目が、初めて正面から合った。
「…………」
美緒の顔が揺らいだ。
咲子の顔が崩れ、輪郭が小さくなっていく。
次の瞬間、着ぐるみの中から覗いていたのは、則人と同じ顔だった。
「ぼく?」
「ぼく?」
則人が首を傾げる。
美緒も、まったく同じ角度で首を傾げた。
則人が試しに右手を上げてみると、美緒も右手を上げる。
左手を上げれば、左手。
さらに則人がしゃがんでみると、大きなミラーカメレオンの着ぐるみをまとった美緒まで、同じようにしゃがみ込んだ。
「……ほんとにまねしてる」
「……ほんとにまねしてる」
「則人」
咲子が少し強い声を出した。
「遊ばない」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
美緒まで同時に頭を下げる。
「だから、そっちまで謝らなくていい!」
「だから、そっちまで謝らなくていい!」
「もう!」
咲子が頭を抱えると、美緒もまったく同じように頭を抱えた。
則人は二人を交互に見ていたが、やがて何かが引っかかったように表情を変えた。
「ねえ」
美緒が則人を見る。
「このひと、ぼくになりたいの?」
「…………」
美緒の動きが止まった。
咲子も則人を見る。
「さっちゃんにもなってたし、いまはぼくになってる」
則人は不思議そうに首を傾げた。
「だれになりたいの?」
「…………」
美緒の顔が変わった。
則人。
咲子。
見知らぬ誰か。
先ほどコピーした警備員。
また別の誰か。
鏡へ次々と違う人間が映り込むように、顔が入れ替わっていく。
「分かんない」
最後に出た声だけは、美緒自身のものだった。
「なりたいんじゃない」
「じゃあ、なんで?」
咲子が尋ねる。
美緒はしばらく黙ったあと、ぽつりと答えた。
「その人になってれば……考えなくていいから」
鏡面に覆われた尻尾が、ゆっくりと揺れる。
咲子の表情が曇った。
則人も何も言わず、美緒を見上げている。
「美緒」
咲子が一歩近づこうとした。
すると美緒は、すぐに一歩後ろへ下がった。
「来ないで」
その声は、美緒自身のものだった。
咲子が足を止める。
「美緒?」
「さっちゃんと話したら、また聞かれる」
「何を?」
「私はどう思うの、とか……どうしたいの、とか」
美緒の顔が不安定に揺らいだ。
「分かんないのに」
「…………」
「分かんないって言ってるのに、みんな聞くの!」
声が強くなるのに合わせて、胸元の鏡面が周囲の光を乱反射した。
いくつもの光が近くの窓やガラスへ飛び散り、違う角度から美緒の姿を映し返す。
「美緒……」
咲子は一度息を整えた。
「分かった。じゃあ、もう聞かない」
「…………」
「今は答えなくていいよ。分からないなら、分からないままでいい。今すぐ何か決めなくてもいいから」
美緒の顔が、ほんの少しだけ元へ戻った。
けれど、その安堵も長くは続かなかった。
「でも……」
「え?」
「答えなかったら、それも嫌でしょ?」
「…………」
「何も言わなかったら、また思うんでしょ。何考えてるか分かんないって」
「そんなこと――」
「答えたら、合わせてるって思われる」
美緒の声が震えた。
「答えなかったら、何考えてるか分かんないって思われる」
咲子は言葉を失った。
美緒の中では、もうどちらを選んでも間違いになってしまう。
「じゃあ、どうすればいいの?」
その問いに、咲子も則人もすぐには答えられなかった。
◇
「いた!」
突然、遠くから声が上がった。
美緒の身体がびくりと跳ねる。
「あの怪人だ!」
「さっき交差点にいたやつ!」
「まだいる!」
何人かがこちらへ近づいてくる。スマートフォンを向けている者もいた。
「…………!」
美緒の呼吸が乱れた。
一人と目が合う。
顔が変わる。
別の人を見る。
また変わる。
さらに別の人が視界へ入れば、今度は声まで変わった。
「やめて……」
咲子が一歩出る。
「美緒!」
「来ないで!」
今度は美緒自身の声だった。
次の瞬間、着ぐるみの表面が大きく揺らいだ。
黒と銀色だった身体へ、背後の建物と同じ色や模様が流れ込んでいく。
「消えた!?」
咲子が目を見開く。
完全にいなくなったわけではない。
けれど、鏡面の反射とカメレオンの擬態が重なり、輪郭が背景へ紛れてしまっている。
「どこ?」
則人が辺りを見回す。
「あっ!」
咲子が指さした。
少し離れた場所で、背景から剥がれ落ちるように美緒の姿が現れた。
そのまま走り出す。
「美緒!」
咲子も追う。
「まってー!」
則人も続いた。
◇
美緒は走った。
角を曲がり、看板の前へ飛び込む。
着ぐるみの表面へ看板の色や模様が映り込み、輪郭が周囲へ紛れていく。
「どこ行った!?」
咲子が、その前を通り過ぎそうになる。
「さっちゃん、そこ!」
「え?」
突然、美緒が飛び出した。
「わっ!」
咲子が慌てて避ける。
美緒はそのまま次の角へ走っていった。
「待って!」
今度は自動販売機の横。
赤や白の色が着ぐるみへ映り込み、また姿が見えにくくなる。
「見つけた!」
則人が追いかける。
「こっち!」
「則人、そっちは――」
ゴンッ。
「いたっ!」
則人が壁にぶつかった。
「だから壁!」
「おそかった……」
「ごめん!」
その隙に、美緒はさらに先へ走っていく。
咲子もすぐに追いかけた。
けれど。
追いかけっこと呼ぶには、美緒の顔はあまりにも苦しそうだった。
逃げるたび、誰かが視界へ入るたびに顔が変わり、声が変わり、仕草まで変わっていく。
人の多い場所を通れば、それだけ多くの誰かが美緒の中へ入り込んでくる。
咲子には、美緒自身の姿が次々と別の誰かに塗り潰されていくように見えた。
◇
「ノリちゃん?」
聞き覚えのある声に、則人が振り向いた。
道の脇に、一人の男の子が立っている。
「さとるくん!」
さとるは買い物袋を片手に持ったまま、息を切らしている則人と、その隣にいる見知らぬ女子高校生を見比べた。
「何してるの?」
「いま――」
「美緒!」
咲子の声が飛んだ。
先を走っていたミラーカメレオンが、また角を曲がっていく。
「ごめん、さとるくん! あとで!」
「え?」
則人と咲子は、そのまま走っていった。
さとるだけが、その場に取り残される。
「…………なに、あれ」
少し先に、鏡に覆われた大きな着ぐるみが一瞬だけ見えた。
さとるが目を凝らす。
その時。
別の道から、美緒が飛び出してきた。
「わっ!」
二人の目が合う。
「…………」
美緒の顔が揺らいだ。
そして。
さとると同じ顔になった。
「…………僕?」
「…………僕?」
さとるが固まる。
美緒も同じ表情で固まった。
「何それ」
「何それ」
「やめてよ」
「やめてよ」
さとるの眉が寄る。
美緒の眉も、まったく同じように寄った。
「…………」
さとるは、しばらく目の前にある自分の顔を見ていた。
怖い。
気味が悪い。
最初は、そう思った。
けれど。
目の前にいるのは、自分の顔をした怪人。
そのはずなのに。
どこか泣きそうに見えた。
「……この人」
さとるが小さく呟く。
「困ってるの?」
美緒の表情が止まった。
◇
「さとるくん!」
則人が戻ってきた。
その後ろから咲子も走ってくる。
「大丈夫?」
「うん」
さとるは則人を見る。
「ノリちゃん、これ何?」
「このひと、さっちゃんのおともだちなんだって」
「さっちゃん?」
「あ」
則人が咲子とさとるを交互に見た。
二人は、お互いの名前すらまだ知らない。
則人は二人の間へ入った。
「さっちゃん、このひと、ぼくのともだちのさとるくん」
まず咲子へ紹介する。
次に、さとるへ向き直った。
「さとるくん、こっちはさっちゃん。ぼくのともだち」
「咲子です」
咲子が軽く頭を下げる。
「さとるです」
さとるも頭を下げた。
「よろしく」
「よろしく」
ほんの短い挨拶だった。
けれど、その間も。
美緒はさとるの顔のまま、二人と同じように頭を下げていた。
「よろしく」
さとるが振り返る。
「……それも僕?」
美緒は答えない。
「なんで僕の真似してるの?」
「…………」
さとるは少し考えた。
目の前の美緒は、こちらが動けば動く。
喋れば喋る。
怒れば怒る。
自分で何かを決めているようには見えなかった。
さとるの頭に、以前の自分が少しだけ浮かんだ。
誰かの顔を見て。
怒らせないように。
困らせないように。
言いたいことを飲み込む。
相手が望んでいる方を選ぶ。
そんな時が、自分にもあった。
「……僕と同じにしてたら」
さとるが静かに言った。
「怒られないから?」
「…………」
美緒の顔から、さとるの輪郭が消えていった。
少しずつ。
本来の美緒の顔へ戻る。
咲子が息を呑んだ。
則人も、その変化に気づいた。
美緒は、さとるの顔をじっと見つめていた。
「……違う」
声は弱かった。
さとるは、それ以上聞かなかった。
「そっか」
「…………」
美緒が少しだけ目を見開いた。
違うと言った。
それだけ。
なぜ違うのか。
本当はどうなのか。
さとるは聞かなかった。
答えを求めなかった。
そのことが、美緒には少し意外だった。
何かを言おうと唇を動かす。
その時。
「いたぞ!」
また声がした。
人が集まってくる。
「さっきの怪人!」
「こっち!」
「…………!」
美緒の表情が一気に強張った。
一人を見る。
顔が変わる。
別の人を見る。
また変わる。
さらに別の顔。
「やめて……」
さっきまでは。
誰かになれば楽だと思った。
考えなくていいと思った。
でも。
今は。
誰を見るのかすら、自分で決められない。
「やめて……!」
一人。
二人。
三人。
次々と顔が入れ替わっていく。
大人の顔。
子供の顔。
若い顔。
年老いた顔。
男の顔。
女の顔。
声も。
表情も。
仕草も。
止まらない。
「美緒!」
咲子が呼ぶ。
「いや……!」
美緒は両手で頭を押さえた。
「私に戻って……!」
一瞬だけ美緒自身の顔へ戻る。
けれど、次の瞬間にはまた別の誰か。
「戻ってよ!」
自分自身の声になったかと思えば、すぐに別の声へ変わってしまう。
「美緒!」
「来ないで!」
鏡面が激しく光った。
「もう……」
美緒は周囲を見回す。
人。
人。
人。
いくつもの視線。
いくつもの顔。
いくつもの声。
誰かになっていれば楽だったはずなのに。
今は、誰かを見るたびに自分が消えていく。
全部が。
自分の中へ押し寄せてくる。
「もう誰も見たくない!」
着ぐるみの表面が、一気に周囲の景色を映し込んだ。
「美緒!」
咲子が手を伸ばす。
けれど、その指が届く前に。
美緒の姿は背景へ溶けた。
「消えた!」
則人が叫ぶ
「美緒!」
咲子が、もう一度叫んだ。
返事はない。
さっきまで確かにそこにいたはずなのに、今は街の景色しか見えなかった。
壁。
看板。
ガラス。
自動販売機。
どこを見ても、美緒の姿はない。
則人も必死に辺りを見回していた。
「どこいったの?」
「分かんない……」
咲子は息を切らしながら答えた。
少し遅れて追いついた妖怪も、きょろきょろと首を動かす。
「いない」
「ほんとに?」
「わかんない!」
「どっちなのよ!」
「ぐちゃぐちゃすぎて、わかんない!」
「そんなのあり!?」
咲子が思わず声を上げる。
けれど、その声にも力はなかった。
さっきまで目の前にいた美緒は、自分でも止められないほど次々と他人の顔へ変わっていた。
誰かになっていれば楽だと言っていた。
自分で考えなくて済むから。
でも最後には、その「誰か」を選ぶことさえできなくなっていた。
咲子は唇を噛んだ。
「美緒……」
追いかければいいと思っていた。
見つけて。
話をして。
そうすれば何とかなると思っていた。
でも。
何を言えばいいのか。
今は、それすら分からない。
無理に答えなくていいと言えば、美緒は「答えなかったら嫌でしょ」と返した。
自分の意見を言ってほしいと言えば、それが苦しいと言われた。
近づけば逃げる。
離れれば、きっと一人になる。
「どうすればいいの……」
小さく漏れた声に。
すぐ返事をしたのは則人だった。
「さがそう」
咲子が振り向く。
「え?」
「美緒ちゃん、いなくなっちゃったんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、さがさないと」
「でも」
咲子は少し迷った。
「見つけても、何を言えばいいか分かんない」
則人は首を傾げた。
「いま決めなくてもいいんじゃない?」
「…………」
「美緒ちゃんも、いま決められないんでしょ?」
「……そうだけど」
「だったら、ぼくたちも、いまぜんぶ決めなくていいよ」
咲子は黙った。
美緒へ「今すぐ決めなくていい」と言ったばかりなのに。
自分は。
どう助けるのか。
何を言うのか。
正しい答えを、今すぐ出そうとしていた。
「……そっか」
咲子は小さく息を吐いた。
「そうだね」
則人が頷く。
「まず、みつけよう」
「うん」
そのやり取りを。
さとるは少し離れたところから黙って聞いていた。
◇
「……僕も」
さとるが小さく言った。
「ちょっと分かるかも」
「え?」
咲子が振り返った。
則人も、さとるを見る。
「…………」
さとるは一度口を閉じた。
言わなくてもいい。
そう思った。
自分の話だ。
今ここで話す必要があるのかも分からない。
でも。
さっきの美緒を見ていたら。
少しだけ。
昔の自分を思い出した。
「なんでもない」
一度はそう言った。
咲子は、それ以上聞こうとしなかった。
ただ。
「そっか」
とだけ返した。
「…………」
さとるが顔を上げる。
「聞かないの?」
「だって、なんでもないって言ったじゃん」
「…………」
「言いたくなったら言えばいいんじゃない?」
咲子はそれだけ言うと、また美緒が消えた方向を見た。
さとるは少し黙っていた。
それから。
「……僕ね」
自分から口を開いた。
咲子が振り返る。
則人も、何も言わずに聞く。
「前に、家で」
さとるは言葉を選んだ。
「お父さんとか、お母さんとか……兄弟とか。みんなの顔見て、我慢してたことあったんだ」
「…………」
「自分が欲しいとか、やりたいとか言ったら、困るかなって」
咲子は黙って聞いている。
「怒られたくないっていうより……」
さとるは少し考えた。
「嫌な顔されたくなかった」
「…………」
「だから、別にいいって言ったり。僕は平気って言ったりしてた」
則人が、さとるを見る。
さとるは少しだけ笑った。
「でも、本当は平気じゃなかった」
咲子の表情が変わる。
「それでさっき、美緒さん見てたら」
まだ、美緒本人から名前を聞いたわけではない。
けれど、咲子が何度も呼んでいた。
それで、名前は分かっていた。
「僕と同じにしてたら怒られないからって聞いたのも……なんか、そういう感じかなって思ったから」
「…………」
「まあ、違うって言われたけど」
さとるは少し肩をすくめる。
「でも」
咲子が言った。
「美緒、あの時だけ自分の顔に戻った」
「うん」
則人も頷いた。
「さとるくんが言ったとき」
三人とも、少し黙った。
さとるは美緒を救う答えを持っているわけではない。
咲子だって。
則人だって。
それでも。
美緒がほんの一瞬だけ、自分自身へ戻った。
それは確かだった。
「だったら」
咲子が言った。
「やっぱり探そう」
「うん」
「見つけたら」
咲子は一度言葉を止める。
「今度は、何か答えさせようとしない」
さとるが咲子を見る。
「ただ、美緒が何言うか聞く」
「うん」
「分かんないって言ったら、分かんないって聞く」
「うん」
「怒ったら?」
則人が尋ねる。
「怒らせとく」
「ないたら?」
「泣かせとく」
「にげたら?」
「……追いかける」
「それは追うんだ」
さとるが小さく笑った。
「だって危ないもん」
咲子も少しだけ笑った。
則人も笑う。
ほんの一瞬。
三人の間に、少しだけ空気が戻った。
◇
「でも」
則人が急に真面目な顔になった。
「さっき、くるま、あぶなかったんだよね?」
「うん」
「また、だれかにまねしたら?」
咲子の表情が戻る。
「……そうなんだよね」
美緒自身に悪気はない。
けれど。
もう放っておけばいい状態ではない。
コピーする。
真似する。
擬態して消える。
その全部を、自分で止められなくなっている。
さっきも交差点で事故になりかけた。
今度は何が起きるか分からない。
「見つけたら」
咲子が言った。
「話すだけじゃ足りないかもしれない」
則人は何も言わなかった。
ただ。
自分の着替え袋を一度だけ見た。
咲子も、その視線に気づいた。
「……まだだよ」
「うん」
「まだ、美緒とちゃんと話してない」
「うん」
則人は素直に頷いた。
怪人を見たから。
危ないから。
それだけで、すぐに着替えるわけではない。
まず。
美緒がどうしたいのか。
それを聞く。
たとえ美緒本人が「分からない」と言っても。
その「分からない」ごと聞く。
それからだ。
◇
「いた!」
突然、妖怪が声を上げた。
三人が一斉に振り向く。
「どこ!?」
「あっち!」
妖怪が指さす。
少し離れた路地の入口。
一瞬。
壁の模様が揺れた。
「美緒!」
咲子が駆け出す。
則人とさとるも続いた。
けれど。
路地へ入った時には。
もう。
そこには誰もいなかった。
「…………」
咲子が辺りを見回す。
壁。
窓。
ガラス。
水たまり。
映るのは三人の姿だけ。
「さっきいた!」
妖怪が言う。
「ほんと?」
「いた!」
「どっち行った?」
「わかんない!」
「また!?」
咲子が肩を落とす。
その時。
さとるが、地面を見た。
「これ」
「え?」
小さな水たまり。
そこに映っている。
三人。
妖怪。
そして。
もう一つ。
「…………」
咲子が息を呑む。
実際には誰も立っていない場所。
水たまりの中にだけ。
ミラーカメレオンが映っていた。
「美緒!」
咲子が振り向く。
何もいない。
もう一度、水たまりを見る。
そこには、まだいる。
美緒は。
見えない場所から。
こちらを見ていた。
「美緒」
咲子は追いかけなかった。
その場で声をかける。
「今、話したくないなら、話さなくていい」
水面の中。
美緒が動かない。
「でも」
咲子は続けた。
「私たち、帰らないから」
則人が咲子を見る。
さとるも黙っている。
「美緒が何言うか、ちゃんと聞くまで帰らない」
水面が、わずかに揺れた。
「分かんないって言ってもいい」
「…………」
「嫌って言ってもいい」
「…………」
「私のこと嫌いって言ってもいい」
さとるが少し驚いて咲子を見る。
咲子は、そのまま続けた。
「それが美緒の言葉なら」
水たまりに映る顔が。
一瞬。
美緒自身へ戻った。
「…………」
咲子はそれを見た。
則人も。
さとるも。
誰も動かなかった。
次の瞬間。
水面が大きく揺れた。
映っていた美緒の姿が消える。
「……行っちゃった」
咲子が小さく言う。
「でも」
則人が言った。
「美緒ちゃんのかおだった」
「うん」
さとるも頷いた。
「聞いてたと思う」
咲子は水たまりを見つめた。
「……うん」
まだ。
届いてはいない。
でも。
全く届いていないわけでもない。
そんな気がした。
◇
少し離れた場所。
誰からも見えない壁際に。
美緒はいた。
着ぐるみの表面は、周囲の色へ溶けたまま。
顔だけが。
今は。
美緒自身へ戻っている。
「…………」
咲子の声が、まだ頭の中に残っていた。
嫌って言ってもいい。
嫌いって言ってもいい。
それが美緒の言葉なら。
「…………」
美緒は、ゆっくりと口を開いた。
「嫌いじゃない……」
誰にも聞こえない声。
「嫌いじゃないよ……」
でも。
それを言ったら。
また。
本当にそう思ってるのかと聞かれるかもしれない。
それすら。
誰かに合わせた返事だと思われるかもしれない。
「…………」
美緒の顔が、また別の誰かへ揺らぎかけた。
「やだ……」
美緒は両手で頬を押さえる。
「今は……」
必死に。
自分の顔を押さえるように。
「今は、私でいたい……」
鏡面が。
わずかに震えた。
※本作は、作者とChatGPT(AI)による合作作品です。物語の企画・原案・世界観・キャラクター設定・物語構成・展開の方向性など、作品の根幹となる部分は作者が制作しています。それらの原案や設定、作者との相談・修正・指示をもとに、ChatGPTが文章化、表現の調整、推敲などを担当しています。作者とAIが互いに案を出し、検討と修正を重ねながら、一つの物語として完成させています。




