第四章 第四話 どこにいればいいの?
第四章 第四話 どこにいればいいの?
翌朝。
「おはよー!」
美緒は、いつもと変わらない調子で教室へ入った。
少しだけ大きめの声で挨拶し、軽く手を上げる。誰か一人に向けるわけでもない、いつもの自然な笑顔だった。
「おはよ」 「おはよう」
返事も返ってくる。
その瞬間、美緒は胸の奥で少しだけ安心した。
昨日のことを気にしすぎていたのかもしれない。
誰にでもいい顔をする。本当にそう思っているのか分からない。
そんなことを言われたけれど、一晩経てば普段通りに戻る。きっと、それくらいの話なのだ。
そう思い、美緒は自分の席へ鞄を置くと、いつも一緒にいる女子たちのところへ向かった。
「ねえ、昨日さ――」
「あ、ごめん、美緒。今ちょっとこの話してるから」
「あ……そっか」
一瞬だけ返事が遅れた。
それでも美緒はすぐに笑顔を作る。
「じゃあ、またあとで!」
「うん」
それだけだった。
追い払われたわけではない。嫌な顔をされたわけでもない。
ただ、会話の中へ入れてもらえなかった。
美緒は自分の席へ戻り、机の中へ教科書をしまった。
たまたまだ。
話の途中だったからだ。
そういう時くらい、誰にだってある。
少しして、今度は別の友達が教室へ入ってきた。
「おはよ!」
「あ、美緒。おはよ」
返事はいつも通りだった。
美緒は少し気持ちを持ち直して、そちらへ近づいた。
「昨日さ――」
「あ、ごめん。ちょっとトイレ行ってくる」
「……うん」
その子は近くにいた別の女子へ「一緒に行こ」と声をかけると、二人で教室を出ていった。
美緒はその背中へ手を振る。
「いってらっしゃい」
声も笑顔も、いつも通り。
けれど、二人の姿が廊下の向こうへ消えると、美緒の手はゆっくりと下がった。
また、たまたま。
そう思うことにした。
◇
休み時間。
少し離れたところで、数人の女子が小声で話していた。
相談事らしい。
何を話しているのかまでは聞こえない。
以前なら、途中で誰かが振り返って、
「美緒はどう思う?」
と声をかけてくることも多かった。
美緒は誰かの話を最初から否定したりしない。まず最後まで聞く。
だから、話しやすい。相談しやすい。
そう言われてきた。
けれど今日は、誰も美緒を呼ばなかった。
少し迷ってから、美緒は自分で近づいていった。
「どうしたの?」
その瞬間、会話が止まる。
「ん?」
「なんか相談?」
一人が小さく笑った。
「ううん。別に」
「そう?」
「うん。大丈夫」
「そっか」
美緒も笑った。
それ以上は聞かなかった。
聞けば嫌がられるかもしれない。
だったら、聞かない方がいい。
そう思ってその場を離れる。
少し歩いたところで、背後から再び小さな話し声が聞こえてきた。
美緒は振り返らなかった。
もし振り返って、自分の方を見ながら話しているところを見てしまったら。
その方が、ずっと嫌だった。
◇
昼休みになった。
美緒は机から弁当を取り出した。
教室のあちこちで机を寄せる音がする。
「こっち座って」 「今日それ何?」 「一口ちょうだい」
いつもの昼休みだった。
いつもなら、美緒もその中にいる。
誰かから「美緒、一緒に食べよ」と呼ばれる日もあれば、自分から自然に椅子を持っていく日もある。
けれど今日は。
誰も呼ばなかった。
「…………」
弁当を持ったまま、美緒は教室を見渡した。
いつものグループ。
本屋へ一緒に行った友達のいる方。
どちらも、それぞれ昼食を始めようとしている。
別に満席ではない。
椅子なら置ける。
行けばいい。
「一緒に食べてもいい?」
たったそれだけ言えばいい。
きっと、露骨に断られたりはしない。
美緒は一歩だけそちらへ向かった。
けれど、足が止まった。
もし相手の顔が一瞬でも曇ったら。
もし「今日はちょっと」と言われたら。
もし気まずそうに席を空けられたら。
それを見てしまったら。
本当に、自分の居場所がなくなる。
「…………」
美緒は弁当を持ち直した。
「今日、ちょっと用事あったんだった」
誰にも聞かれていないのに、小さくそう言った。
そして何でもないような顔をして、教室を出た。
◇
校舎の端に、人のあまり来ない場所があった。
美緒はそこへ座り、弁当を開いた。
「いただきます」
静かだった。
一口食べる。
風が通り抜け、遠くからほかの生徒たちの笑い声が聞こえてくる。
美緒は、一人でいること自体は嫌いではなかった。
静かな書店のそばで本を読んでいた時のように、誰にも話しかけられず、自分の好きなことだけをして過ごす時間は好きだった。
大勢で騒ぐのも好き。
一人で静かに過ごすのも好き。
どちらも、本当に好きだった。
なのに。
今日の一人は、あの時とは違う。
「…………」
箸が止まった。
自分で選んで一人になることと、誰からも呼ばれなくて一人になること。
同じように一人でいても、その二つは全然違った。
「美緒?」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げる。
「咲子ちゃん」
咲子が立っていた。
「こんなところで何してるの?」
「何って」
美緒は反射的に笑う。
「たまには一人で食べたくなって」
「ふーん」
咲子は美緒の顔を見て、弁当を見て、それから周囲を見回した。
けれど、事情を聞こうとはしなかった。
「じゃあ、私もここで食べよ」
「え?」
「今日はこっちの気分」
そう言って、咲子は美緒の近くへ腰を下ろした。
「……いいの?」
「何が?」
「いや……」
「?」
「なんでもない」
美緒は小さく笑った。
今度は、さっきまでより少しだけ自然に笑えた。
◇
二人で弁当を食べ始めた。
咲子は教室で何があったのかも、美緒がなぜここにいるのかも聞かなかった。
ただ、普通に話した。
「今日の卵焼き、甘い」
「さっちゃん、甘い方好きなんだ?」
「うん。美緒は?」
「私も好き」
「へえ」
学校のこと。
最近見かけた店のこと。
本のこと。
どうでもいいような話を続けているうちに、美緒は少しずつ肩の力が抜けていくのを感じていた。
「そういえば、駅前に新しい店できたじゃん」
「ああ、行ったよ」
「どうだった?」
「結構よかった」
「私、ああいうところちょっと苦手なんだよね。人多いし」
「分かる。私も人多いの苦手」
「…………」
咲子の箸が止まった。
「なに?」
「いや……」
咲子は少し考えてから尋ねた。
「本屋は好き?」
「好きだよ」
「私も静かなところは結構好き」
「分かる。私も静かなところの方が――」
「美緒」
「なに?」
咲子は少しだけ言いにくそうにしてから、口を開いた。
「美緒の返事って、私に合わせてない?」
「…………」
美緒の手が止まった。
「え?」
「無理に合わせようとしないで。私は、美緒の意見が聞きたかったんだけど」
「…………」
美緒は何も言えなかった。
その表情を見て、咲子がすぐに慌てる。
「あ、ごめん!」
咲子は手を振った。
「もし困る質問してたら、忘れて!」
「…………」
「別に責めたいわけじゃないからね。なんか変な聞き方しちゃった」
「ううん」
美緒は笑った。
「大丈夫」
「ほんと?」
「うん。大丈夫だよ」
「そっか」
咲子は、それ以上聞かなかった。
また弁当へ箸を伸ばす。
美緒も食べ始めた。
けれど、さっきまで感じていた味がしなくなっていた。
大丈夫。
今、自分はそう言った。
咲子が困らないように。
気にしなくていいと思ってもらえるように。
だったら。
今の「大丈夫」は、本当に自分が大丈夫だから言ったのだろうか。
それとも、また相手が安心する答えを選んだだけなのだろうか。
「…………」
分からない。
「美緒?」
「え?」
咲子が心配そうに見ていた。
「今度こそ大丈夫?」
一瞬。
何か違うことを言おうとした。
でも。
「……うん」
結局。
同じ返事しか出なかった。
◇
午後。
「じゃあ、次の課題はグループでやってもらいます」
教師がプリントを配った。
「四人くらいで。好きな者同士で組んで」
教室が一気に騒がしくなる。
椅子が動き、机が寄る。
「一緒やろ」 「こっちあと一人!」 「私入れて!」
美緒も立ち上がった。
いつもなら、誰かが先に呼んでくれる。
「美緒、こっち!」
そう言われて、
「いいよ」
と笑いながら加わる。
それだけだった。
今日は。
誰も呼ばない。
「…………」
一組。
二組。
三組。
次々とグループが決まっていく。
美緒は立ったまま、周囲を見ていた。
声をかければいい。
自分から「入れて」と言えばいい。
ただ、それだけ。
なのに。
朝から何度も感じた小さな距離が、足を止める。
もし嫌な顔をされたら。
もし人数を理由に断られたら。
その理由が本当なのかまで疑ってしまう。
「……あれ?」
教師が気づいた。
「美緒さん、まだ決まってないの?」
「あ」
クラスの何人かがこちらを見る。
美緒は反射的に笑った。
「ちょっと出遅れちゃって」
「じゃあ、こっちの班が三人だから入りなさい」
「はい」
教師に言われた机へ向かう。
「よろしく」
「うん。よろしく」
そこにいた生徒たちは、普通に美緒を受け入れてくれた。
誰も嫌そうな顔をしなかったし、課題も普通に始まった。
だから、本当なら何も問題はない。
それなのに。
美緒は、少しも嬉しくなかった。
誰にも嫌われないようにしてきた。
誰とも揉めないように。
相手が喜ぶ答えを選んだ。
どちらにも合わせた。
誰の敵にもならないようにした。
そうすれば、どこにでもいられると思っていた。
なのに。
今日。
自分は。
誰からも選ばれなかった。
◇
放課後。
美緒は一人で帰っていた。
スマートフォンを取り出す。
通知はない。
「…………」
画面を開き、いつもの友達とのやり取りを表示する。
『今日どうしたの?』
そこまで打って、指が止まった。
これを送ったら。
相手はどう思うだろう。
責めていると思われる?
面倒くさいと思われる?
美緒は文字を全部消した。
次に、本屋へ一緒に行った友達との画面を開く。
『明日本屋行かない?』
そこまで打って、また指が止まった。
今誘ったら。
機嫌を取ろうとしていると思われるだろうか。
また誰にでもいい顔をしているだけだと思われるだろうか。
「…………」
何を送ればいいのか分からない。
今までなら、相手が好きそうな話題を選べばよかった。
相手が喜びそうな言葉を選べばよかった。
そうすれば、会話は続いた。
でも。
そのやり方そのものを疑われてしまった今。
美緒には、人との話し方そのものが分からなくなり始めていた。
スマートフォンを閉じる。
結局、誰にも連絡できなかった。
◇
家の前まで来たところで、美緒は足を止めた。
「…………?」
静かだった。
扉の向こうから何も聞こえない。
いつもなら、家へ入る前から両親の言い争う声が聞こえている日もある。
今日は違った。
喧嘩していない。
それなのに。
美緒はなぜか、扉を開けるのが怖かった。
「ただいま」
家へ入る。
「おかえり」
母親の声が返ってきた。
リビングへ向かうと、父親もいた。
二人が並んで座っている。
怒鳴っていない。
言い争ってもいない。
なのに。
美緒には、喧嘩している時よりも嫌な感じがした。
「美緒」
母親が言った。
「ちょっと座って」
「なに?」
美緒はいつもの癖で笑った。
「二人とも真面目な顔して。どうしたの?」
誰も笑わない。
「…………」
美緒の笑顔も、ゆっくりと消えた。
父親が口を開く。
「美緒に、話しておかなきゃいけないことがある」
「……なに?」
母親が父親を見る。
父親も一度だけ母親を見た。
「父さんと母さんな」
少し間を置いて。
「離婚することを考えてる」
「…………」
その言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。
「……そっか」
ようやく出たのは、いつものような返事だった。
「二人で決めたなら、それでいいんじゃない?」
相手を否定しない。
困らせない。
どちらにも嫌な顔をされない。
そういう答えだった。
母親が少し困ったような顔をする。
「まだ全部決まったわけじゃないの」
「そうなの?」
「でも、このまま一緒に暮らし続けるのは難しいと思ってる」
「うん」
美緒は頷いた。
「分かった」
「美緒」
「なに?」
「それでね」
母親が、まっすぐ美緒を見る。
「私たちが別々に暮らすことになったら、美緒がどちらと暮らしたいかも考えないといけないの」
「…………」
美緒の顔から、表情が消えた。
「え?」
父親がすぐに付け加える。
「今すぐ決めろって話じゃない」
「…………」
「ちゃんと考える時間はある。でも、美緒の気持ちも聞かないといけないから」
母親も頷いた。
「お父さんと暮らしたいのか、お母さんと暮らしたいのか。美緒自身の気持ちを聞きたいの」
二人が美緒を見る。
「…………」
また。
この形だった。
右に父親。
左に母親。
その間に、自分。
美緒は無意識に二人の表情を見比べた。
どちらが、どんな答えを望んでいるのだろう。
父親は。
母親は。
いつものように、それを探そうとする。
相手が望んでいる答えを見つけ、それを口にすればいい。
そうすれば、今まで何とかやってこられた。
けれど。
今回だけは違う。
一方が喜ぶ答えを選べば。
もう一方を選ばないことになる。
「美緒は、どうしたい?」
「…………」
その言葉が。
今日一日、自分へ向けられてきた問いと重なった。
美緒自身はどう思ってるの?
私は、美緒の意見が聞きたかったんだけど。
そして。
美緒は、どうしたい?
「…………」
答えが出ない。
今まで、こんなに怖い質問だと思ったことはなかった。
相手の気持ちなら考えられる。
相手が何を望んでいるのかも、ある程度は分かる。
でも。
自分がどうしたいのか。
それだけが。
分からなかった。
◇
「ちょっと……部屋行っていい?」
「ああ」
「もちろん」
美緒は立ち上がった。
父親にも、母親にも、笑うことができなかった。
そのまま階段を上がり、自室へ入って扉を閉める。
急に静かになった。
美緒はベッドへ腰を下ろした。
スマートフォンを見る。
通知はない。
学校では。
誰からも選ばれなかった。
家では。
今度は、自分が誰かを選ばなければならない。
「…………」
美緒は立ち上がり、鏡の前へ行った。
そこには、いつもの自分がいる。
学校で笑う自分。
一人で静かに本を読む自分。
友達へ「分かる」と言う自分。
父親へ頷く自分。
母親へ頷く自分。
どれも、美緒だった。
どれか一つだけが嘘だったわけではない。
友達と騒いでいる時は、本当に楽しかった。
本を読んでいる時も、本当に落ち着いた。
父親の気持ちも分かる。
母親の気持ちだって分かる。
全部、本当だった。
それなのに。
誰にも合わせずに。
自分だけで決めろと言われたら。
「私……」
鏡の中の自分がこちらを見る。
「どうしたいの……?」
答えは返ってこない。
父親も嫌いではない。
母親も嫌いではない。
どちらかを選んだら、もう一人はどう思う。
悲しむ?
怒る?
それとも。
自分を嫌いになる?
学校の友達の顔まで浮かんだ。
誰にも嫌われたくなかった。
だから、みんなに合わせた。
誰の敵にもならないようにした。
それなのに。
今は、誰からも声をかけられない。
家でも同じようにしてきた。
父親にも。
母親にも。
どちらにも合わせてきた。
どちらも失わないように。
どちらからも嫌われないように。
それなのに。
今度は、どちらか一人を選ばなければならない。
「…………」
美緒は鏡の中の自分から目を逸らせなかった。
学校にも。
家にも。
自分が安心していられる場所がなくなっていくように思えた。
そして、その居場所をどこにするのかさえ。
今度は自分で決めなければならない。
「どっちに……」
声が震えた。
「どっちにいればいいの……?」
鏡は、美緒の顔を映すだけだった。
誰かの顔を見れば。
今までなら、どうすればいいのか分かった。
でも。
今、鏡の中にいるのは。
美緒自身だけだった。
答えは。
どこにも映っていなかった。
※本作は、作者とChatGPT(AI)による合作作品です。物語の企画・原案・世界観・キャラクター設定・物語構成・展開の方向性など、作品の根幹となる部分は作者が制作しています。それらの原案や設定、作者との相談・修正・指示をもとに、ChatGPTが文章化、表現の調整、推敲などを担当しています。作者とAIが互いに案を出し、検討と修正を重ねながら、一つの物語として完成させています。




