第四章 第三話 どっちの味方?
第四章 第三話 どっちの味方?
昼休み。
「ねえ、それ本当?」
教室の後ろの方から聞こえてきた声に、咲子は何となく顔を上げた。
数人の女子が集まっている。その中心にいるのは、美緒と仲のいい二人だった。
「だって美緒、あの子のことちょっと苦手って言ってたよ」
「え?」
もう一人が眉をひそめる。
「私には、あっちの子たちの方が冷たいって言ってたけど」
「何それ」
「私も知らないよ」
「じゃあ美緒って、結局どっちなの?」
その言葉を聞いた瞬間、咲子の手が止まった。
昨日、自分も美緒に同じことを聞いた。
美緒は、どちらの言っていることも分かると答えた。
それ自体は、おかしくないと思った。
人と人が揉めたからといって、片方だけが正しいとは限らない。両方の気持ちが分かることだってある。
けれど、こうして本人のいないところで二人の話を並べて聞くと、少し違って見えた。
「誰にでも合わせてるだけじゃない?」
「でも美緒って、そういう子じゃなくない?」
「分かんない。私には普通にこっちの味方みたいに言ってたし」
「私にもだよ」
二人は顔を見合わせた。
まだ怒っているわけではない。
美緒を責めようとしているわけでもない。
ただ、今までなかった小さな疑問が生まれていた。
咲子は、美緒の席へ目を向けた。
本人はいない。
「…………」
なんだろう。
胸の奥に、嫌な感じが残った。
◇
その美緒は、少し離れた廊下で別の友達と話していた。
「昨日さ」
「うん」
「ちょっと言いすぎたかなって思って」
「何が?」
「あの子のこと」
「……ああ」
「別に嫌いってわけじゃないんだよ。ただ、ちょっと疲れる時があるっていうか」
「うん。そういう時あるよね」
「でしょ?」
「ずっと一緒にいるんだから、そういうことくらいあるよ」
美緒がそう答えると、相手の表情が少し緩んだ。
「美緒ってやっぱ話しやすい」
「そう?」
「うん。否定しないし」
「だって、分かるし」
美緒は笑った。
相手も安心したように笑う。
自分の気持ちを分かってもらえた。
その顔を見れば、美緒も安心できた。
これでいい。
相手が嫌な気持ちにならない。
自分も嫌われない。
何も問題は起きていない。
少なくとも、美緒にはそう見えていた。
◇
少し後。
今度は別の女子が美緒へ声をかけた。
「美緒、ちょっといい?」
「いいよ」
「昨日のことなんだけど」
「うん」
「あの子たち、私のこと何か言ってた?」
美緒は一瞬だけ止まった。
「なんで?」
「なんとなく。昨日からちょっと空気変な気がして」
「…………」
「何か言ってた?」
美緒の頭に、さっきまでの会話が浮かんだ。
けれど、それをそのまま伝えて何になるのだろう。
この子が傷つく。
また揉める。
だったら。
「いや……別に」
「ほんと?」
「うん」
美緒は笑った。
「気にしすぎじゃない?」
「そうかな」
「大丈夫だよ」
「そっか」
相手が少し安心する。
美緒も同じように笑った。
その笑顔は、さっき別の友達へ向けていたものと、ほとんど同じだった。
◇
「美緒」
昼休みが終わる前。
咲子が声をかけた。
「なに?」
「ちょっといい?」
「うん」
二人で廊下へ出る。
美緒はいつも通りだった。
少なくとも、咲子にはそう見えた。
「昨日のことなんだけど」
「昨日?」
「友達の話」
「ああ」
「美緒ってさ、誰かと誰かが喧嘩した時、どっちかの味方したことある?」
美緒は少し考えた。
「ないかも」
「一回も?」
「たぶん」
「なんで?」
美緒は、咲子の質問の意味がよく分からないという顔をした。
「だって、どっちかの味方したら、もう片方嫌じゃん」
「嫌?」
「うん。片方に『そっちが正しい』って言ったら、もう片方は自分を否定されたって思うでしょ?」
「でも、本当にこっちが悪いって思う時もあるでしょ?」
「…………」
美緒は少し黙った。
「あるよ」
「じゃあ」
「言わなきゃいいじゃん」
「え?」
「思ってても言わなきゃ、揉めないでしょ」
あまりにも普通に言うので、咲子は返事に詰まった。
美緒にとっては、それが特別なことではないのだ。
思ったことを全部口にする必要はない。
相手が嫌がることなら、なおさら言わなければいい。
そうすれば、誰とも揉めずに済む。
「それで美緒は平気なの?」
「別に」
「ほんとに?」
「うん」
美緒は笑う。
ただ、その笑い方が昨日までより少しだけ硬く見えた。
「誰かに嫌われるよりいいし」
「…………」
「なんでそんな顔するの?」
「いや……」
咲子は少し考えてから尋ねた。
「美緒自身は、どっちかに言いたいことないのかなって」
「…………」
「その二人じゃなくてもさ。誰かに合わせてる時に、本当は違うって思うこととか」
「別に」
「ほんと?」
「ほんとだって」
美緒は少しだけ笑った。
けれど、今度はすぐに咲子から視線を逸らした。
「ほら、もう昼休み終わるよ」
「あ、うん」
美緒は先に教室へ戻っていった。
咲子は、その背中を見送る。
「…………」
昨日より。
何かが引っかかる。
けれど、その正体が何なのかは、まだ分からなかった。
◇
その日の夜。
夕食の席は、最初こそ静かだった。
テレビがついている。
母親が料理を運び、父親が箸を取る。
美緒も黙って食べていた。
こんな時間がずっと続けばいい。
美緒は、ほんの少しだけそう思っていた。
けれど、きっかけは本当に小さなことだった。
「だから、それ先に言ってくれればよかったでしょう?」
母親の声が少し強くなった。
「言っただろ」
「聞いてない」
「お前が聞いてなかっただけだ」
「またそうやって。いつも自分は悪くないみたいに言う」
「何でも俺のせいにするなよ」
始まった。
美緒は箸を止めなかった。
いつものこと。
いつものこと。
聞かなければいい。
口を挟まなければいい。
「だいたい最近、あなた何も相談しないじゃない」
「相談したって文句しか言わないだろ」
「何それ」
声が少しずつ大きくなる。
美緒はご飯を口へ運んだ。
「…………」
味がしない。
何を食べているのかさえ、よく分からなかった。
「美緒」
突然、父親に名前を呼ばれた。
「え?」
「お前もそう思うだろ?」
「…………」
何を聞かれているのか、ちゃんと聞いていなかった。
それでも、父親がこちらを見ている。
答えを待っている。
「……うん」
「ほら」
父親が母親を見る。
「美緒だって分かってる」
母親の表情が変わった。
「美緒」
「なに?」
「本当にそう思ってるの?」
「…………」
今度は母親。
父親の顔。
母親の顔。
どちらも、自分を見ている。
美緒は母親へ向き直った。
「お母さんの言ってることも分かるよ」
「ほら、何それ」
父親の声が低くなった。
美緒の胸がぎゅっと縮む。
「いや、でも」
「美緒、さっきお父さんにそうだって言ったじゃない」
「お前まで話を変えるのか?」
「違う!」
思わず声が大きくなった。
父親も母親も黙り、美緒を見る。
「違うよ。そうじゃなくて……」
怖い。
どちらかの顔が曇るたび、もう片方へ何か言わなければと思う。
笑わなきゃ。
いつものように。
美緒は無理やり口元を上げた。
「お父さんの言ってることも分かるし、お母さんの言ってることも分かるから」
二人の顔を交互に見る。
「だから、どっちも悪くないじゃん」
父親も母親も黙った。
ほんの少しだけ、美緒は安心した。
これで収まる。
どちらの味方にもならなければ。
どちらも否定しなければ。
いつものように、きっと。
「そういう話じゃない」
母親が言った。
「え?」
「どっちも悪くないで済む話じゃないの」
父親も苛立ったように顔を逸らした。
「分からないなら無理に口挟むな」
「…………」
美緒の笑顔が消えた。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
胸の奥に、何か冷たいものが落ちた。
でも。
すぐに笑顔を戻した。
「……ごめん」
誰に謝ったのか。
何を謝ったのか。
自分でも分からなかった。
◇
自室へ戻り、扉を閉める。
美緒はベッドへ腰を下ろした。
階下からは、まだ両親の声が聞こえている。
「…………」
さっきまで自分もあそこにいた。
間に入れば、少しは静かになると思った。
どちらにも頷けば、どちらも安心すると思った。
なのに。
今日は、うまくいかなかった。
スマートフォンが鳴った。
父親からだった。
『さっきの話、美緒は父さんの言ってること分かるよな』
美緒は画面を見る。
すぐには返せなかった。
すると、また音がした。
今度は母親。
『美緒はお母さんの気持ち分かってくれるよね』
「…………」
二つの文章が、一つの画面に並んでいる。
父親の言葉。
母親の言葉。
美緒はしばらく動かなかった。
やがて父親のメッセージを開く。
『うん』
送信。
次に母親。
『うん』
送信。
同じ言葉。
同じ二文字。
なのに、意味は真逆だった。
父親は、自分が父親の側にいると思うだろう。
母親は、自分が母親の側にいると思うだろう。
「…………」
美緒はスマートフォンを伏せた。
これでいい。
いつも通り。
どっちにも、ちゃんと返した。
これなら、どちらにも嫌われない。
そう思ったはずなのに。
胸の奥に残った苦しさは、消えなかった。
◇
翌日。
学校。
「さっちゃん」
「なに?」
廊下で、いつもの小さな妖怪が咲子の袖を引っ張った。
「ねえ」
「だから急に話しかけないでって――」
「このこ」
妖怪が指をさす。
少し先に、美緒がいた。
「美緒?」
「このこ、なんかへん」
「え?」
「なんか、ぐちゃぐちゃ」
「ぐちゃぐちゃ?」
咲子は眉をひそめた。
「何が?」
「わかんない」
「分かんないの?」
「うん」
「じゃあ何よ」
「でも、ぐちゃぐちゃ」
妖怪はそれ以上説明できないらしく、首を傾げた。
咲子も美緒を見る。
いつもと同じ。
茶髪。
少し派手な制服の着こなし。
友達と話して、笑っている。
何も変わらないように見える。
けれど、その時、美緒がこちらに気づいた。
「咲子ちゃん?」
「あ」
「どうしたの?」
「なんでもない」
「また?」
「またって何よ」
「一人で喋ってた」
「…………」
咲子は苦笑した。
「まあ、気にしないで」
「ほんと不思議」
美緒は笑った。
その笑顔は、いつも通りに見えた。
でも、よく見ると。
目の下に、ほんの少しだけ疲れが残っている。
「美緒」
「なに?」
「昨日、ちゃんと寝た?」
「え?」
「なんか疲れてない?」
「大丈夫だよ」
即答だった。
「ほんと?」
「ほんとほんと」
笑う。
いつもの美緒。
そう見える。
でも。
咲子はもう一度、隣の妖怪を見た。
「ぐちゃぐちゃ」
小さな声で。
妖怪はもう一度だけ、そう言った。
◇
放課後。
「美緒」
声をかけられた。
振り向く。
そこには、例の二人が一緒に立っていた。
「なに?」
美緒は笑う。
いつものように。
でも。
二人が一緒にいるのを見た瞬間、胸の奥がざわついた。
「ちょっと聞きたいんだけど」
「うん」
「私のこと、苦手って言った?」
「え?」
もう一人も続ける。
「私には、あの子たちの方が冷たいって言ったよね?」
「…………」
美緒の顔が固まった。
「違うよ」
「何が?」
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあ、どういう意味?」
「私は……」
二人が見ている。
昨日の食卓が頭をよぎった。
父親。
母親。
どちらも自分を見ていた。
どっち。
どっち。
どっち。
また。
同じだ。
「どっちも……」
「またそれ?」
「え?」
「どっちも分かるってやつ?」
「だって、本当に分かるから」
「じゃあさ」
一人が言った。
「美緒って、誰にでもいい顔するよね」
「…………」
胸の奥に何かが刺さった。
美緒は笑おうとした。
いつもなら。
笑えば何とかなる。
相手に合わせれば。
空気を悪くしなければ。
でも。
口元が動かなかった。
「別に」
もう一人が続ける。
「悪いとは言わないけど」
「……うん」
「美緒が何言ってても、本当にそう思ってるのか分かんなくなる」
「…………」
「私にも『分かる』って言って、あっちにも『分かる』って言ってるんでしょ?」
「それは……」
「じゃあ、美緒自身はどう思ってるの?」
「…………」
答えられなかった。
自分はどう思っている。
そんなこと。
今まで考えなくてもよかった。
二人の言っていることは、どちらも分かる。
それでは駄目なのだろうか。
「私は……」
口を開く。
でも。
その先が出てこない。
「ほら」
一人が小さく息を吐いた。
「やっぱり分かんない」
「……ごめん」
「謝ってほしいわけじゃないんだけど」
「…………」
「別に、美緒のこと嫌いになったとかじゃないよ」
「うん」
「でもちょっと……今までみたいには聞けないかも」
「…………」
「私も」
もう一人が頷いた。
「美緒が『分かる』って言っても、本当にそう思ってるのかなって考えちゃう」
怒鳴られたわけではない。
責め立てられたわけでもない。
むしろ二人とも、なるべく美緒を傷つけないように言葉を選んでいるように見えた。
だからこそ。
その言葉は、美緒の胸へまっすぐ入ってきた。
「じゃあね」
「また」
それだけ言って。
二人は去っていく。
美緒はその場に残った。
「…………」
背中が遠ざかっていく。
追いかければいい。
何か言えばいい。
いつもなら。
笑って。
相手が欲しい言葉を探して。
それで何とかしてきた。
なのに。
今は何を言えばいいのか分からない。
「…………」
嫌いと言われたわけじゃない。
もう友達じゃないと言われたわけでもない。
それでも。
今まであった何かが。
少しだけ。
自分から離れていった気がした。
◇
帰宅。
玄関の前まで来たところで。
中から、また声が聞こえた。
「だから!」
「お前は!」
父親。
母親。
また。
美緒は鍵を握ったまま、しばらく扉を見つめた。
学校へ戻りたいとは思わない。
でも。
家へ入りたいとも思えなかった。
「…………」
それでも。
ここが家だ。
入らないわけにはいかない。
扉を開ける。
「ただいま」
返事はなかった。
二人とも、言い争うことに夢中だった。
美緒は靴を脱ぐ。
玄関脇の鏡に、自分が映っている。
「…………」
学校でも。
どっちなの。
家でも。
どっちなの。
誰にでもいい顔する。
本当にそう思ってるのか分からない。
美緒自身はどう思ってるの。
言葉が頭の中で重なる。
美緒は鏡を見た。
鏡の中の自分も、美緒を見ている。
「どっちもじゃ……だめなの?」
小さく。
誰にも聞こえない声で呟いた。
どちらの気持ちも分かる。
どちらとも仲良くしたい。
父親も嫌いじゃない。
母親も嫌いじゃない。
友達だって。
どちらとも仲良くしたかった。
それだけなのに。
どうして。
どちらかを選ばなければならないのだろう。
その時。
「美緒!」
母親の声。
ほとんど同時に。
「美緒、ちょっと来てくれ!」
父親の声。
「…………」
美緒は動かなかった。
右を見る。
左を見る。
そして。
もう一度、鏡を見る。
父親の前では。
どんな顔をすればいい。
母親の前では。
どんな顔をすればいい。
学校へ行けば。
今度はどんな顔をすればいい。
「…………」
分からない。
今までなら。
相手を見れば分かった。
相手が喜ぶ顔。
相手が安心する言葉。
相手が欲しがっている自分。
それを選べばよかった。
でも。
今は。
誰に。
どんな顔をすればいいのか。
分からなかった。
※本作は、作者とChatGPT(AI)による合作作品です。物語の企画・原案・世界観・キャラクター設定・物語構成・展開の方向性など、作品の根幹となる部分は作者が制作しています。それらの原案や設定、作者との相談・修正・指示をもとに、ChatGPTが文章化、表現の調整、推敲などを担当しています。作者とAIが互いに案を出し、検討と修正を重ねながら、一つの物語として完成させています。




