第十話 自分の力で
第三章 第十話 自分の力で
道場の前まで戻ってきたところで、咲子の足が止まった。
「…………」
何度もくぐってきた、見慣れた入口。
それなのに今は、ほんの少しだけ遠く感じる。
「おねえちゃん?」
隣を歩いていた則人が、不思議そうに咲子を見上げた。
「どうしたの?」
「……ううん」
咲子は小さく首を振る。
少し前。
自分はここへ、人の姿ではない何かとなって戻ってきた。
天井をぶち抜き。
みんなを驚かせ。
それでも空手の礼をして、もう一度組手をしてほしいと申し込んだ。
そして――。
ずっと勝ちたかった相手に、勝った。
あれほど望んでいたはずの勝利だった。
なのに。
少しも嬉しくなかった。
「…………」
咲子は静かに息を吐く。
「大丈夫」
「ほんと?」
「うん」
誰かに背中を押してもらう必要はない。
今度は、自分の足で。
咲子は道場へ入った。
◇
咲子が姿を見せた瞬間。
道場の空気が止まった。
「…………」
「…………」
みんなが、一斉に咲子を見る。
つい先ほどまで、ここに立っていた巨大な怪人。
その中にいた少女が。
今は、いつもの姿で立っている。
咲子も、すぐには言葉が出なかった。
それでも一歩前へ出る。
背筋を伸ばし。
深く頭を下げた。
「……ご迷惑をおかけしました」
誰も口を挟まない。
「道場を壊して……」
咲子は、ちらりと天井を見る。
自分がぶち抜いた場所が目に入る。
「皆さんにも、怖い思いをさせてしまって」
もう一度、深く頭を下げる。
「本当に、ごめんなさい」
「いや」
ひとりが口を開いた。
咲子が顔を上げる。
「謝るのは、こっちもだ」
「え……?」
「あのとき」
その一言だけで。
何のことなのか、咲子には分かった。
組手に負けたあと。
何人もの仲間から言われた。
『女の子だから仕方ない』
慰めだったのだと思う。
悪意などなかったのだと思う。
それでも。
あの言葉は、咲子の中で何度も何度も突き刺さった。
「女の子だから仕方ないって……俺たち、言っただろ」
「…………」
「慰めるつもりだったんだ」
別のひとりも続ける。
「でも、全然慰めになってなかった」
「むしろ、追い詰めた」
咲子は黙って聞いていた。
「あんなふうに泣く咲子、初めて見たから」
「…………」
「ごめん」
今度は。
道場の仲間たちが頭を下げた。
「そんな……!」
咲子が慌てる。
「でも、怪人になったのは私だから!」
「それはそれだろ」
「え?」
「咲子が怪人になったことと、俺たちが咲子を傷つけたことは別だ」
「…………」
咲子は唇を結んだ。
自分だけが悪かったわけではない。
だからといって、誰か一人が悪かったわけでもない。
みんな、自分なりに咲子を励まそうとしていた。
ただ。
届き方を間違えてしまった。
それだけだった。
「…………」
少しして。
咲子は、もう一度頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……こっちも」
今度は。
どちらか一方だけではなく。
「ごめん」
お互いに、謝った。
◇
それから咲子は。
一人の男子の前へ歩いていった。
「…………」
怪人になった自分と。
最後まで組手をしてくれた相手。
「さっきは……ありがとう」
「別に」
「…………」
「…………」
少しだけ、気まずい沈黙が落ちる。
咲子は迷った末に尋ねた。
「怖かったでしょう?」
「怖かったよ」
「……やっぱり」
「当たり前だろ」
男子は苦笑した。
「あんなのが天井ぶち抜いて入ってくるんだぞ」
「…………ごめんなさい」
「また謝るのか?」
「だって……」
「いいって」
「…………」
「それに」
男子は少しだけ視線を外した。
「逃げたら、もっと後悔すると思ったから」
「え?」
「俺たちにも原因があるって思ってたし」
「…………」
咲子は、それ以上何も言えなかった。
「で?」
「え?」
「どうだった?」
「何が?」
「勝っただろ」
「…………」
咲子の表情が変わる。
勝った。
圧倒的だった。
相手の攻撃は、ほとんど自分には通用しなかった。
こちらが本気で攻撃していたなら。
おそらく、あっという間に終わっていただろう。
「…………」
咲子は、自分の手を見る。
今はもう。
いつもの手だ。
「……嬉しくなかった」
「そうか」
「ずっと……勝ちたかったのに」
「うん」
「勝てたのに」
ゆっくりと拳を握る。
「全然、嬉しくなかった」
「…………」
「だから」
咲子は顔を上げた。
「もう一回、やってくれる?」
「もう一回?」
「うん」
「今?」
「違う」
咲子は首を振る。
「ちゃんと練習して」
握った拳を、自分の胸元へ引き寄せる。
「今度は、私の力で」
男子は。
少しだけ笑った。
「分かった」
「…………」
「そのときは、俺も本気でやる」
「私だって」
「さっきは俺が負けただろ」
「怪人の力ででしょう?」
「じゃあ、次は?」
咲子も。
小さく笑った。
「私の力で勝つ」
「言ったな?」
「言ったわよ」
「じゃあ、待ってる」
「…………うん」
その約束は。
今度こそ、誰かにもらった力ではなく。
自分自身の力で果たすものだった。
◇
少しずつ。
道場にいつもの空気が戻っていった。
止まっていた稽古も再開される。
突き。
蹴り。
受け。
構え。
その一つ一つを。
則人は、きらきらと目を輝かせながら見ていた。
「…………」
やがて。
こっそり足を開く。
拳を握り。
見よう見まねで構えた。
「えいっ!」
「キッド君?」
「え?」
咲子が見ている。
「何してるの?」
「からて!」
「それは見れば分かるけど」
「えいっ!」
もう一度。
見よう見まねの突き。
「ぼくもやりたい!」
「空手?」
「うん!」
則人は満面の笑顔で頷いた。
「ぼくも、からてやりたい!」
「じゃあ、習えばいいじゃない」
「…………」
その瞬間。
則人の顔が曇った。
「どうしたの?」
「……だめなんだって」
「どうして?」
「おとうさんも、おかあさんも、おしごとだから」
「うん」
「どうじょうまで、おくったり、むかえにきたりできないんだって」
「ああ……」
「ぼくが一人でいっても、だいじょうぶなくらいになったらいいって」
「そういうことだったのね」
「うん」
則人は、もう一度道場を見る。
みんなが稽古している。
自分も、その中に入りたい。
「でも……」
「うん?」
「ぼく、いまやりたい」
「…………」
咲子は、そんな則人を見つめた。
自分が怪人になったとき。
この子は逃げなかった。
自分の話を聞いてくれた。
本当に力を手放していいのかと、何度も確認してくれた。
そして。
元の自分に戻してくれた。
「…………」
少し考えて。
咲子は口を開いた。
「じゃあ」
「?」
「私が教えてあげようか?」
「…………」
則人が固まった。
「キッド君?」
「…………」
「どうしたの?」
「ほんと!?」
突然、大声を上げた。
「ほんとに!?」
「う、うん」
「からて!?」
「そうよ」
「ぼくに!?」
「そう言ってるでしょう」
「やったあああ!」
「ちょ、ちょっと!」
則人がその場で飛び跳ねる。
「やった! やった!」
「ただし!」
「うん!」
「まだ何も言ってないでしょう!」
「うん!」
「聞いてないじゃない!」
「きく!」
「最初から聞きなさい!」
咲子は小さく息を吐いた。
「正式に道場へ通えるようになるまでよ」
「うん!」
「私が練習するときに、少しだけ」
「うん!」
「それから――」
咲子が少し声を落とす。
「これは、二人だけの秘密ね」
「ひみつ?」
「そう」
「わかった!」
則人は大きく息を吸い込んだ。
「ふたりだけのひみつだね!」
「声が大きい!」
「あ!」
慌てて両手で口を押さえる。
「ひみつだった」
「もう……」
咲子は呆れながら。
それでも笑っていた。
◇
「じゃあ」
則人が首を傾げた。
「なに?」
「なんてよべばいい?」
「え?」
「からて、おしえてくれるんでしょ?」
「そうだけど」
「せんせい?」
「それはやめて」
「なんで?」
「恥ずかしいから」
「じゃあ……」
則人は考える。
「…………」
しばらくして。
ぱっと顔を上げた。
「さっちゃん!」
「…………」
「さっちゃん!」
「……私?」
「うん!」
「急じゃない?」
「だめ?」
「…………」
咲子は少し困った顔をした。
けれど。
「……まあ、いいけど」
「ほんと?」
「うん」
「さっちゃん!」
「何?」
「からておしえて!」
「今から!?」
「うん!」
「今、事件が終わったばかりなんだけど!」
「でも、いまやりたい!」
「キッド君……」
「さっちゃん!」
「もう呼び慣れてるし……」
◇
結局。
道場の隅で。
ほんの少しだけ。
咲子は則人に構えを教えることになった。
「まず、足」
「こう?」
「違う」
「こう?」
「それも違う」
「こう?」
「なんで、どんどん変になっていくの?」
「むずかしい!」
「最初からできたら、練習はいらないでしょう」
「…………」
則人は自分の足元をじっと見る。
もう一度。
置き直す。
「こう?」
「さっきよりはいいかな」
「ほんと!?」
「うん」
「じゃあ、いっぱいれんしゅうする!」
咲子が微笑んだ。
「そうね」
「さっちゃんも?」
「え?」
「さっちゃんも、いっぱいれんしゅうするの?」
「もちろん」
「なんで?」
咲子の視線が。
少し離れたところにいる男子へ向いた。
「勝ちたい人がいるから」
則人も、その方向を見る。
「つよい?」
「強いよ」
「さっちゃんより?」
「…………」
咲子は一瞬だけ黙った。
以前なら。
その言葉だけで、胸の奥が痛くなったかもしれない。
悔しくて。
認めたくなくて。
自分が女であることまで、嫌になっていたかもしれない。
けれど。
今は違う。
「今はね」
咲子は笑った。
「でも、いつか追いつく」
「じゃあ、ぼくも!」
「え?」
「さっちゃんにおいつく!」
「…………」
咲子が目を丸くする。
そして。
吹き出した。
「それは大変よ?」
「やる!」
「本当に?」
「やる!」
「じゃあ」
咲子が構える。
則人も。
まだ少し不格好な構えを取る。
「一緒に強くなろうか」
「うん!」
怪人の力は、もうない。
簡単に相手を圧倒できる身体も。
絶対に負けない力も。
もうない。
それでいい。
ここから。
自分の足で立って。
自分の拳を握って。
何度でも負けて。
何度でも練習して。
少しずつ、強くなればいい。
咲子は構えたまま。
小さく笑った。
※本作は、作者とChatGPT(AI)による合作作品です。物語の企画・原案・世界観・キャラクター設定・物語構成・展開の方向性など、作品の根幹となる部分は作者が制作しています。それらの原案や設定、作者との相談・修正・指示をもとに、ChatGPTが文章化、表現の調整、推敲などを担当しています。作者とAIが互いに案を出し、検討と修正を重ねながら、一つの物語として完成させています。




