第3話 ちょっとまって!
第3話 ちょっとまって!
朝。
一日の始まりだというのに、家の中はすでに一仕事終えたあとのような騒がしさだった。
台所ではフライパンから油の弾ける音がして、炊飯器からは白い湯気が立っている。
食卓には食べかけの朝食。
椅子には脱ぎっぱなしの上着。
床には誰のものか分からない靴下が片方だけ転がっていた。
そんな、いつもの朝。
「お母さん、今日ね!」
「ちょっと待って!」
さとるが口を開いたのと、母の声が飛んできたのは、ほとんど同時だった。
「下の子の水筒、まだ入れてないの!」
「あ、うん……」
五人兄弟の真ん中。
三番目。
それが、さとるだった。
上には兄が二人。
下には弟と妹がいる。
だから朝の家は、毎日ちょっとした戦場になる。
「俺の靴下知らない?」
「昨日そこに置いたでしょ!」
「お母さーん!」
「牛乳こぼしたー!」
「あーっ! ちょっと待って!」
椅子が鳴る。
食器が鳴る。
誰かが走る。
誰かが叫ぶ。
母は台所と居間を何度も往復していた。
さとるは、そんな母の背中を目で追う。
「あのさ、昨日学校で――」
「ごめん、さとる。あとで聞くから!」
「……うん」
開きかけた口を閉じた。
別に、怒ってはいない。
いつものことだった。
母が忙しいことも分かっている。
五人も子供がいるのだから、仕方がない。
それくらい、さとるだって分かっている。
分かっているから。
待てる。
今日が駄目なら、あとで話せばいい。
「さとる! そろそろ学校!」
「あ、はーい!」
ランドセルを背負う。
玄関へ向かう途中で、さとるは足を止めた。
やっぱり。
ちょっとだけ。
聞いてほしかった。
「お母さん!」
「なにー?」
台所から声が返ってくる。
さとるは一瞬、口を開いた。
「……ううん。なんでもない!」
「気をつけてね!」
「行ってきます!」
玄関を飛び出す。
扉が閉まれば、家の中の喧騒は少しだけ遠くなった。
それでも。
さとるの中には、言いそびれた昨日の話が残っていた。
◇
「ねえねえ、聞いて!」
休み時間。
さとるの声が教室に響いた。
今度こそ話せる。
朝に話せなかったぶんまで、勢いよく友達のところへ駆け寄る。
「昨日さ、すっごいことがあったんだよ!」
「ちょっと待って。今こいつが話してるから」
「でも、すぐ終わるから!」
「だから待ってって」
「昨日、帰り道でさ――」
「さとる!」
「なに?」
「人の話、途中で入るなよ」
「……だって、すぐ終わるって」
「いつもそれじゃん」
友達の一人が苦笑する。
「さとるってさ、自分の話になると止まんないよな」
「そんなことないよ!」
「あるって」
「ないって!」
「ほら、また」
「…………」
周りの子たちが笑った。
からかってはいる。
けれど、いじめているわけではない。
いつものやり取り。
誰も深く考えてはいなかった。
だからこそ。
さとるも怒るほどではなかった。
ただ。
胸の奥に、小さなものが引っかかった。
「……別にいいじゃん」
さとるは自分の席へ戻った。
話したかっただけなのに。
昨日、本当に面白いことがあったのだ。
みんなにも聞かせたかった。
それだけだった。
◇
昼休み。
隣のクラスの前を通りかかった則人は、廊下の向こうから聞こえてきた大声に、ほんの少しだけ顔を向けた。
「だから聞いてってば!」
「またさとるだ」
隣を歩いていた同級生が、慣れたように言った。
「さとる?」
「隣のクラスの。いつも声でかいじゃん」
「ああ」
則人も顔くらいは知っていた。
隣のクラスにいる、よくしゃべる子。
休み時間になると、いつも誰かを捕まえて何かを話している。
その程度だ。
「なんか今日もしゃべってんな」
「いつものことじゃん」
「ふーん」
則人はそれ以上気にすることなく歩いていった。
さとるも、則人には気づかなかった。
二人はまだ。
お互いを、ちゃんとは知らなかった。
◇
放課後。
傾き始めた太陽が、公園を橙色に染めていた。
子供たちの声があちこちから飛び交う。
走り回る子。
ボールを追う子。
遊具を奪い合う子。
その中に、さとるもいた。
「聞いて聞いて!」
友達を追いかけながら、懲りずに声をかける。
「今日さ、先生がさ――」
「待って!」
「なに?」
「今こっちの話してるから」
「でも、ぼくの話も面白いんだって!」
「あとで聞くよ」
「あとでっていつ?」
「あとで!」
さとるは口を尖らせた。
まただ。
朝も。
学校でも。
そして今も。
――ちょっと待って。
――あとで。
もちろん、みんなに悪気があるわけではない。
そんなことは、さとるにも分かっている。
だから。
また次に話せばいい。
そのはずだった。
少し離れた道路脇には、一台のキッチンカーが停まっていた。
時折、この公園の近くへやって来る車だ。
子供たちにとって、それほど珍しいものではない。
その窓の向こうから。
一人の人物が公園を眺めていた。
遊ぶ子供たち。
走る子供。
笑う子供。
そして。
「ねえってば!」
ひときわ大きな声を上げる、さとる。
その人物の視線が。
一瞬だけ。
さとるのところで止まった。
「…………」
ただ、それだけだった。
◇
太陽がさらに傾いたころ。
「ねえ! だからさ!」
「もういいって!」
また話し始めようとしたさとるへ、友達の一人がとうとう強い声を返した。
「え?」
「さとるさ、自分の話ばっかりじゃん」
「そんなことないよ!」
「あるよ!」
「ぼくだってみんなの話聞いてる!」
「聞いてないじゃん!」
「聞いてる!」
「じゃあ、さっき俺が何話してたか言える?」
「…………」
言葉が出なかった。
さっき。
何の話をしていた?
思い出そうとする。
けれど。
自分が次に何を話そうとしていたのかは覚えているのに、友達が何を話していたのかは、なかなか出てこない。
「ほら」
「それは……」
「もう帰ろうぜ」
一人が言った。
「うん」
「じゃあな、さとる」
友達たちは公園を出ていく。
「…………」
さとるは、その背中を見送った。
追いかける気にはならなかった。
「……なんだよ」
足元の小石を蹴る。
乾いた音を立てて、石が転がった。
「ちょっとくらい聞いてくれたっていいじゃん」
もう一つ。
「みんなだって、自分の話してるじゃん」
蹴る。
「ぼくだって……」
言葉が途切れた。
『ちょっと待って!』
朝の母の声が蘇る。
『あとで聞くから!』
昨日も。
一昨日も。
その前も。
学校でも。
公園でも。
――待って。
――あとで。
「…………」
さとるはブランコに腰を下ろした。
地面を軽く蹴る。
ぎい。
ぎい。
錆びた鎖が、寂しげな音を立てる。
「……あとでって、いつだよ」
小さな声だった。
「みんな、あとでって言うくせに」
返事はない。
夕暮れの公園から、少しずつ人の気配が消えていく。
「……ぼくの話なんて」
ぎい。
「誰も聞かないじゃん」
ぎい。
「…………」
木々の向こうから、蝉の声が降ってくる。
ミーン。
ミーン。
何匹もの蝉が競うように鳴いている。
うるさいくらいに。
さとるはブランコに揺られながら、空を見上げた。
「いいなあ」
ぽつりと呟く。
「お前らは」
蝉は誰かに「ちょっと待って」と言われても、鳴くのをやめない。
誰かが聞いていようと。
聞いていなかろうと。
ただ。
自分の声を響かせ続ける。
ミーン。
ミーン。
「…………」
そのときだった。
さとるの足が地面についた。
ブランコが止まる。
「…………?」
いつから、そこにいたのだろう。
ブランコの前に。
一人の人物が立っていた。
黒い服。
頭から足元まで。
全身、黒。
「……誰?」
さとるの背中に、ひやりとしたものが走った。
知らない人だった。
なのに。
男なのか。
女なのか。
若いのか。
年を取っているのか。
よく分からない。
顔を見ている。
確かに見ているはずなのに。
視線を少し外しただけで、どんな顔だったのか思い出せなくなる。
「…………」
さとるはブランコから立ち上がった。
帰ろう。
知らない人にはついていってはいけない。
知らない人から物をもらってはいけない。
小さいころから、何度も言われてきた。
黒ずくめの人物が。
静かに手を差し出した。
その手のひらには。
小さな何かが乗っていた。
「どうぞ」
「…………」
さとるは、それを見つめた。
何なのか、よく分からない。
知らない人だ。
怪しい。
受け取ってはいけない。
そう思った。
いつものさとるなら。
間違いなく、そのまま走って逃げていた。
「…………」
なのに。
なぜだろう。
今だけは。
それを受け取らなければならないような気がした。
「……これ……」
手を伸ばす。
途中で。
一度、止まった。
やっぱり変だ。
知らない人から物をもらうなんて。
頭の中では、ちゃんと分かっている。
それでも。
指先が再び動いた。
まるで。
ずっと前から自分のものだったような。
受け取ることが。
最初から決まっていたような。
そんな錯覚。
さとるの指が。
それに触れた。
「…………!」
――どくん。
胸の奥が大きく脈打った。
さとるは顔を上げる。
「え……?」
黒ずくめの人物は。
もう。
どこにもいなかった。
「…………?」
慌てて辺りを見回す。
遊具の陰。
木の向こう。
公園の出口。
いない。
まるで最初から。
誰もそこにはいなかったかのように。
ただ。
蝉だけが鳴いている。
ミーン。
ミーン。
ミーン。
「……うるさい」
さとるが呟いた。
そのとき。
蝉の声が。
ほんの少しだけ。
違って聞こえた。
ミーン。
ミーン。
――聞いて。
ミーン。
――聞いて。
ミーン。
――ぼくの声を。
「…………」
さとるは手の中を見る。
――どくん。
また。
胸が鳴った。
「……そうだよ」
どくん。
「ぼくだって」
どくん。
「聞いてほしいんだよ」
胸の奥に押し込めていた言葉が。
少しずつ。
少しずつ。
声になる。
「ずっと!」
蝉の声が大きくなる。
「ぼくの話だって!」
ミーン。
「聞いてよ!」
ミーン。
「ちょっと待ってって言わないでよ!」
ミーン。
「あとでって言わないでよ!」
手の中の何かが。
かすかに震えた。
「ぼくの話を――!」
その瞬間。
蝉の鳴き声が。
消えた。
「…………え?」
静寂。
耳がおかしくなったのかと思うほどの無音。
次の瞬間。
――ドンッ!
「うわっ!?」
何かが、さとるの全身を包み込んだ。
痛くはない。
柔らかい。
けれど。
大きい。
奇妙なものが身体の周囲へ膨らみ、次々と形を作っていく。
蝉を思わせる頭部。
丸く膨らんだ身体。
そして。
腹の中央には。
不釣り合いなほど巨大なスピーカー。
その異形の中から。
驚愕したさとるの顔だけが。
ぽっかりと外へ覗いていた。
「…………なに、これ」
自分の身体を見る。
いつもの服ではない。
硬い怪物でもない。
もっと柔らかく。
どこか滑稽で。
まるで。
「……着ぐるみ?」
さとるは恐る恐る、腹にある大きなスピーカーへ触れた。
その瞬間。
『――え?』
「うわっ!」
自分の声だった。
だが。
大きさが違う。
公園中を震わせるほどの大音量。
空気がびりびりと震えた。
「…………」
さとるの目が大きくなる。
恐る恐る。
もう一度だけ。
「聞こえる……?」
『聞こえる……?』
轟音となった自分の声が、公園を駆け抜けた。
木々の葉が揺れる。
枝に止まっていた鳥たちが、一斉に空へ飛び立った。
「…………!」
さとるは腹のスピーカーを見つめる。
そして。
ほんの少しだけ。
笑った。
「これなら……」
誰かが振り向く。
誰かが自分を見る。
誰かが。
自分の声を聞く。
もう。
ちょっと待ってとは言わせない。
あとでとも言わせない。
夕暮れの公園に。
蝉とは違う。
新しい大音量が響き渡った。
『これなら、みんな――ぼくの話を聞いてくれる!』
◇
後書き
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
――――――――――
『ビーストギア』
本物の怪人と戦う、もう一つのヒーローの物語。
『着ぐるみモンスター』とは違う視点から描かれる『ビーストギア』も、ぜひお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




