第2話「ぼくもキッド!」
第2話「ぼくもキッド!」
次の日。
学校が終わったあとの夕方。
ゴンさんの店では、昨日と同じように常連たちがカウンターを囲んでいた。
開け放たれた戸口からは、まだ夏の熱気が入り込んでくる。店の外では蝉が鳴き、厨房からは夕飯時を前にした仕込みの音と匂いが漂っていた。
そんな、いつもと変わらない店の真ん中で――。
「だから今日から、ぼくのことキッドって呼んで!」
内田則人が、これ以上ないほど得意げに胸を張っていた。
「なんでだよ」
カウンターの向こうで、ゴンさんが呆れた顔をする。
「だって同じなんだぞ!」
「何が?」
「名前!」
則人は勢いよくテレビを指差した。
そこでは、昨日から何度も見返している『ビーストギア KID』の録画が流れている。
昨日、初めて見たヒーロー。
倒れても立ち上がり、怪人へ向かっていったKID。
あれからというもの、則人の頭の中はすっかりKIDでいっぱいだった。
「テレビの主人公は内田紀人! ぼくは内田則人!」
「漢字違うじゃねえか」
「でも、どっちも“のりひと”!」
「だから?」
「だから、ぼくもキッド!」
「どういう理屈だよ」
常連の一人が吹き出した。
「そもそも、お前の“則人”って漢字、どうやったら“キッド”になるんだよ」
「漢字は関係ない!」
「関係あるだろ」
「今日からキッドなの!」
「はいはい、ノリちゃん」
「キッド!」
「ノリ坊」
「キッド!」
「則ちゃん」
「キッドだってば!」
店中に笑い声が広がった。
「もう! みんな全然分かってない!」
則人は頬をぷくっと膨らませる。
「何をだよ」
「ぼくはヒーローになるの!」
昨日、テレビの中のKIDを見た瞬間から、それだけは決まっていた。
「困ってる人を助けて、怪人と戦って、それで――」
「まず昨日の膝の傷を治せ」
「それとこれとは別!」
ゴンさんが笑う。
「でも、キッドになるったってな。お前、変身できねえだろ」
「…………」
則人が固まった。
考えていなかったらしい。
「変身……」
自分の身体を見下ろす。
昨日と同じ服。
昨日と同じ手。
昨日と同じ足。
当然、どこを見てもテレビのKIDにはなっていない。
「じゃあ……」
則人は真剣な顔で考え込んだ。
そして数秒後。
何かを思いついたように、勢いよく顔を上げた。
「KIDの服を着ればいい!」
「そういう問題か?」
「格好からヒーローになる!」
「急に現実的になったな」
そのときだった。
ガラッ。
店の引き戸が開く。
「お待たせ、則人」
「お母ちゃん!」
仕事を終えた母が迎えに来た。
則人は椅子から飛び降りると、そのまま母のところへ駆けていく。
「お母ちゃん!」
「なに?」
「KID作って!」
「……え?」
「KID!」
母が数秒、黙った。
「人間は作れないよ?」
「違うよ!」
常連たちが一斉に吹き出した。
「服! KIDの服!」
「ああ、服ね」
母はようやく納得すると、則人が指差しているテレビへ目を向けた。
ちょうど、ゴンさんが則人のために録画しておいた『ビーストギア KID』が流れている。
「これになりたいの?」
「うん!」
則人は大きく頷いた。
「ぼくもKIDになる!」
母はテレビを見る。
そして、目を輝かせている息子を見る。
「……作れるかなあ」
「作って!」
「でも、お母ちゃん、お裁縫そんなに上手じゃないよ?」
「いい!」
返事は一瞬だった。
「お母ちゃんが作って!」
「…………」
母が少しだけ目を丸くした。
上手なものが欲しいわけではない。
売っているものが欲しいわけでもない。
則人は、自分に作ってほしいと言っている。
母はテレビと息子をもう一度見比べる。
それから、少し困ったように笑った。
「……分かった。やってみようか」
「やったぁぁぁぁ!」
則人がその場で飛び跳ねた。
「店の中で跳ぶな!」
「KIDだから大丈夫!」
「まだなってねえ!」
◇
それから数日後。
ゴンさんの店の奥では、二人の女性がテレビの前で難しい顔をしていた。
則人の母と、ゴンさんの奥さんだ。
目の前の机には、布、糸、型紙、裁縫道具。
そしてテレビ画面には、録画された『ビーストギア KID』第1話が映っている。
「やっぱり、これが一番格好いいよね」
母が映像を止めた。
画面に映っているのは、第1話の終盤。
最初に現れたときとは、姿を変えたKIDだった。
頭はコブラ。
腕にはワシの羽。
そして脚は、ノミの力を人間の脚へ落とし込んだような、独特な形になっている。
テレビで見るぶんには、とても格好いい。
問題は――。
「せっかく作るなら、則人が一番喜ぶものにしてあげたいんだけど……」
母は型紙と画面を見比べた。
ゴンさんの奥さんも黙って画面を見つめる。
「……これ、本当に作る?」
「無理かな?」
「羽だけで何日かかると思ってるの」
「だよね……」
「それに、この脚」
「…………」
「どうやって履くの?」
「…………」
「歩ける?」
「……無理かも」
二人で黙った。
テレビの中では格好いい。
しかし、九歳の子供が実際に着るものとして考えると、話がまるで違ってくる。
しばらくして、ゴンさんの奥さんがリモコンを手に取った。
「ちょっと待って」
映像を巻き戻していく。
そして、第1話の最初の方で止めた。
「あ」
母が声を上げる。
そこに映っていたのは、紀人が最初に変身したときのKIDだった。
ワシを思わせる頭。
そして、人型のヒーローらしい身体。
まだ腕に羽はない。
「こっちなら?」
奥さんが言った。
「最初のKID?」
「うん。これなら、さっきのよりずっと簡単」
「でも頭が……」
画面に映っているKIDの頭部は、どう見ても普通のヒーローマスクではない。
ほとんどワシそのものだ。
「本物みたいな頭は無理よ。だから――」
奥さんは紙を一枚引き寄せると、さらさらと簡単な絵を描いた。
「こうするの」
ワシの頭をそのまま再現するのではない。
柔らかな布で作った、ワシ風のフード。
前を大きく開け、そこから則人の顔が出るようにする。
「着ぐるみにしちゃえばいいのよ」
「あ、それなら……!」
「身体もヒーローっぽい形にして。上手くいかないところは、そういうデザインってことにしちゃう」
「それでいいの?」
「子供のヒーロー衣装なんだから、いいの」
二人は顔を見合わせた。
「……やってみようか」
「うん!」
そこからは、大仕事だった。
「そこ曲がってる!」
「分かってる!」
「縫い目、逆!」
「嘘!?」
「待って待って、ほどかないで! そこは使える!」
「これ、ワシに見える?」
「……鳥には見える」
「ワシは!?」
「頑張れば!」
思っていた以上に難しい。
テレビの中では簡単そうに見えた形も、布にして縫い合わせようとすると、なかなか思い通りにはならなかった。
真っ直ぐ縫えないところもある。
左右で少し形が違ってしまったところもある。
何度も間違えた。
何度もやり直した。
ゴンさんの奥さんにも、たくさん助けてもらった。
それでも、母は針を止めなかった。
一針。
また一針。
できるところは、自分の手で縫った。
則人が着るものだから。
あの子が、あんなに楽しみに待っているものだから。
上手じゃなくてもいい。
テレビとまったく同じにできなくてもいい。
せめて、則人が袖を通した瞬間に笑ってくれれば。
そう思いながら、母はもう一度、針を布へ通した。
◇
「できた!」
数日後。
則人の前に、一着の衣装が置かれた。
「うわぁ……!」
則人の目が、一瞬で輝いた。
テレビのKIDとは、少し違う。
いや。
かなり違う。
ワシの頭は、本物のKIDのようなものではない。
ふわふわした布で作られたフードになっていて、その中から則人の顔がしっかり見えている。
身体も、テレビの中にいるKIDのような完璧なヒーロースーツではない。
縫い目は少し曲がっている。
形も左右でわずかに違う。
近くで見れば、ところどころに手作りらしい不格好さが残っていた。
母は少し不安そうに則人を見る。
もっと上手に作れたらよかった。
テレビと同じようにしてあげられたらよかった。
そんな気持ちが、どこかにあった。
けれど則人は――。
「格好いい!」
迷わなかった。
「本当に?」
「うん!」
則人は衣装へ飛びつくようにして抱きしめた。
「これ、ぼくのKID!?」
「そうだよ」
「お母ちゃんが作ったの!?」
「ゴンさんの奥さんにも、いっぱい助けてもらったけどね」
「すげぇぇぇ!」
則人にとって、縫い目が真っ直ぐかどうかなんて関係なかった。
テレビと完全に同じかどうかも関係ない。
これは、お母ちゃんが自分のために作ってくれた。
世界に一つしかない、自分だけのKIDだった。
「着る!」
「ちょっと待って、そんな急いだら――」
母の言葉を最後まで聞く前に、則人は着替え始めた。
しばらくして。
「どう!?」
ワシのフードから顔を出し、胸を張る。
「ぼく、KIDに見える!?」
常連たちが笑った。
「おお、見える見える」
「本当!?」
「ノリちゃんKIDだな」
「ノリちゃんはやめろ!」
「じゃあ、則ちゃんKID」
「だからキッドだけでいいって!」
また笑い声が起きる。
けれど、今度は則人も一緒になって笑っていた。
嬉しくて仕方がない。
テレビで見たKIDと同じように、胸を張る。
そして、何度も見返して覚えたポーズを取ろうとして――。
「……あれ?」
ぴたりと動きが止まった。
「どうした?」
ゴンさんが尋ねる。
則人は自分の腰を見た。
何もない。
「ベルト」
「ん?」
「変身ベルトがない!」
店内が静かになった。
「KIDなのにベルトがない!」
則人は慌てて母を見る。
「お母ちゃん!」
「それは無理!」
即答だった。
「えぇぇぇぇ!」
「服だけでも大変だったんだから!」
「でもベルトないとKIDになれない!」
「もうKIDの格好してるじゃない」
「そういうことじゃないの!」
母と息子の言い合いを見ながら、ゴンさんが大きくため息をついた。
「しょうがねえな」
「え?」
ゴンさんは店の奥へ入っていった。
則人は不思議そうにその背中を見送る。
やがて戻ってきたゴンさんの手には、一つの箱があった。
「ほら」
「なに?」
「開けてみろ」
則人が箱を受け取る。
何だろう。
そう思いながら蓋を開けた、その瞬間。
「…………!」
息を呑んだ。
中に入っていたのは――。
テレビのKIDが腰につけているものと同じ形をした、変身ベルトのおもちゃだった。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
店中に則人の声が響き渡る。
「KIDのベルトぉぉぉぉ!」
「うるせえ!」
「これ、ぼくに!?」
則人が箱とゴンさんを何度も見比べる。
ゴンさんは少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。
「本当は誕生日まで取っとくつもりだったんだけどな」
「誕生日!?」
「少し早いが」
そして、いつものように笑った。
「ヒーローになるんだろ?」
「…………!」
則人は、しばらく何も言えなかった。
やがて、ベルトを両腕でぎゅっと抱きしめる。
「ありがとう、ゴンさん!」
「おう」
則人はさっそくベルトを腰へ巻いた。
カチッ。
お母ちゃんたちが作ってくれた、手作りの着ぐるみ。
ゴンさんがくれた、KIDの変身ベルト。
これで全部そろった。
則人はテレビで何度も見たKIDの姿を頭の中に思い浮かべる。
大きく構えた。
そして――。
「配信……開始」
KIDを真似るように、指を鳴らす。
パチン。
「…………」
何も起こらない。
「……あれ?」
則人が首を傾げた。
自分の身体を見下ろす。
「変わった?」
常連の一人が言った。
「もう着替えてるだろ」
「あ、そっか!」
店中が笑い声に包まれた。
「よーし!」
則人は拳を高く突き上げた。
「今日からぼくはKIDだ!」
「則ちゃんKID!」
「キッド!」
「ノリちゃんKID!」
「キッドだってばー!」
則人の声と、大人たちの笑い声が店いっぱいに広がっていく。
その中で。
ゴンさんだけが――一度だけ、則人の腰に巻かれたベルトへ視線を落とした。
「…………」
誰にも言っていない。
則人の母にも。
自分の奥さんにも。
もちろん、則人にも。
そのベルトには――。
ゴンさんが、ほんの少しだけ手を加えてあった。
何のためなのか。
なぜ、そんなことをしたのか。
今はまだ、誰も知らない。
ゴンさんはすぐにいつもの顔へ戻った。
「ほら、キッド」
「なに?」
「ヒーローなら片付け手伝え」
「えぇぇぇ!?」
「人を助けるんだろ?」
「それとこれとは別!」
「別じゃねえ!」
また、店に笑い声が響いた。
昨日。
テレビの中のKIDを見て、一人の九歳の少年が言った。
――ぼくもKIDになる。
もちろん、本物のヒーローになったわけではない。
怪人と戦える力があるわけでもない。
ただ、お母ちゃんたちが一生懸命縫ってくれた着ぐるみと。
ゴンさんから少し早い誕生日プレゼントとしてもらった変身ベルトがあるだけだ。
それでも、則人にとっては十分だった。
こうして。
テレビのヒーローに憧れた九歳の少年に。
世界に一つしかない――。
手作りのKIDが生まれた。




