第1話「ぼくのヒーロー」
夏休みまで、あと少し。
放課後の児童館には、今日も子供たちの声が満ちていた。
笑い声。走り回る足音。積み木の崩れる音。誰かを呼ぶ声。
そんな賑やかさから少し離れた一角に、奇妙なくらい静かな人だかりができている。
その中心にいたのは、一人のお爺さんだった。
「むかーし、むかしのことじゃ……」
子供たちが待ってましたとばかりに身を乗り出す。
お爺さんが話しているのは、いつもの妖怪昔話だった。
河童。
天狗。
一つ目小僧。
座敷童。
誰でも名前くらいは知っている妖怪から、大人でも首を傾げるようなものまで、お爺さんの話は尽きることがない。
いったい、どこでそんな話を覚えたのだろう。
子供たちは不思議がっていたが、本人に尋ねても、いつも笑ってごまかされるだけだった。
「その妖怪はな、人間に見つからんよう、ずーっと物陰から見ておったそうじゃ」
「なんで隠れるの?」
真っ先に声を上げたのは、内田則人だった。
九歳、小学四年生。
近所では「ノリちゃん」と呼ばれている。
本人はその呼び方をあまり気に入っていないのだが、何度訂正しても誰も直してくれない。
元気いっぱいで、とにかくよく動く。
そして、よく転ぶ。
膝や肘に新しい擦り傷を作って帰ってくることなど、もはや珍しくもなかった。
「人間が怖かったんじゃろうな」
「妖怪の方が怖いじゃん」
「妖怪から見れば、人間の方が怖いのかもしれんぞ」
「えー?」
則人は納得がいかないという顔で首を傾げた。
少し考えてから、さらに身を乗り出す。
「お爺ちゃん、妖怪見たことあんの?」
「さて、どうじゃろうな」
「またそれ!」
子供たちから一斉に笑い声が上がった。
お爺さんも、ほっほっほ、と楽しそうに笑う。
結局、答えは今日も教えてくれなかった。
やがて昔話を終えると、お爺さんは人差し指を一本立てる。
「それでは最後に、一つだけ、いいことを教えよう」
「来た!」
則人が勢いよく身を乗り出した。
お爺さんが時々やる、昔話の締めくくりだ。
「ひとーつ」
独特の節回しに合わせて、子供たちも真似をして指を立てる。
「人には、元気にあいさつをしよう」
一瞬、沈黙が落ちた。
則人が目をぱちぱちさせる。
「……それだけ?」
「それだけじゃ」
「妖怪から逃げる方法とかじゃないの?」
「それより大切かもしれんぞ」
「絶対そっちの方が大事だって!」
また、どっと笑い声が起きた。
お爺さんも笑っている。
けれど、その目だけはどこか穏やかに、子供たち一人一人を見つめていた。
しばらくして、帰る時間になった。
則人はランドセルを背負い、出口へ駆けていく。
「じゃあ、お爺ちゃん。またねー!」
結局、誰よりも大きな声で挨拶をする。
お爺さんは目を細めた。
「ああ。またの」
則人は振り返ることなく走っていった。
小さな背中が見えなくなっても、お爺さんはしばらくその方向を眺めていた。
◇
児童館を出ると、街はもう夕暮れの色に染まり始めていた。
西の空には赤みが差し、家々の影が道路へ長く伸びている。
昼間、あれほど騒がしかった蝉たちも、夕方の訪れとともに少しずつ声を弱めていた。
則人は一人っ子だ。
両親は共働きで、学校が終われば児童館へ行き、そのあとは母親の仕事が終わるまで、近所にあるゴンさんの居酒屋で過ごす。
もう何年も続いている、いつもの日常だった。
いつもの道。
いつもの夕方。
いつものようにランドセルを揺らしながら、ゴンさんの店へ向かう。
――はずだった。
「……あっ!」
目の前を、黒いものが横切った。
ぶぅん、と低い羽音。
則人の視線が、その影を追いかける。
「カブトムシ!」
目が輝いた。
次の瞬間には、もう走っていた。
「待てぇぇぇぇ!」
背中でランドセルが大きく跳ねる。
カブトムシは夕暮れの住宅街を低く飛び、少し先にある木へ向かっていた。
「ノリちゃん! 危ないよ!」
近所のおばさんが声を上げる。
「大丈夫ー!」
則人は走りながら答えた。
本当は「ノリちゃん」と呼ばれるのは嫌だった。
だが今は、それどころではない。
目の前にはカブトムシがいる。
それだけで、則人にとっては充分だった。
「もうちょっと……!」
手を伸ばす。
届きそうだ。
あと少し。
その瞬間――。
つま先が縁石に引っかかった。
「うわぁっ!」
身体が宙へ投げ出される。
両手を地面につき、膝を思い切りアスファルトへ擦りつけた。
「いってぇぇ……!」
じわり、と膝から血が滲む。
痛みに目の奥が熱くなり、涙が浮かんだ。
普通なら、ここで一度くらい泣いてもおかしくない。
けれど。
「あっ!」
則人はすぐに顔を上げた。
いた。
カブトムシは逃げていなかった。
夕日に照らされた木の幹へ、悠然と止まっている。
痛みなど、途端に頭から消えた。
則人は立ち上がる。
「待てぇ!」
「ノリちゃん、膝!」
「あとあと!」
血の滲んだ膝をかばいながら木へ近づく。
逃がさないように。
そっと。
そっと。
手を伸ばす。
あと少し。
もう少し。
そして――。
「よっしゃあ!」
捕まえた。
小さな手の中で、カブトムシが力強く脚を動かしている。
さっきまで涙を浮かべていた少年の顔に、満面の笑みが広がった。
そのときだった。
「……ん?」
則人が、ふと顔を上げた。
何かを感じた。
誰かに――見られている。
近所のおばさんは少し離れたところにいる。
他には誰もいない。
なのに。
すぐ近く。
手を伸ばせば届きそうな場所に、誰かがいるような気がした。
不思議と、怖くはなかった。
むしろ。
ちゃんと見てくれていたような。
そんな気がした。
則人は捕まえたカブトムシを高く掲げた。
「見たか!」
返事はない。
「へへーん、捕まえたぞ!」
やっぱり返事はなかった。
少し離れたところで、近所のおばさんが不思議そうな顔をしている。
「ノリちゃん、誰と話してるの?」
「え?」
そこで初めて、則人は自分でも分からなくなった。
辺りを見回す。
「……誰だろ?」
「なにそれ」
「まあ、いっか!」
考えても分からない。
分からないことをいつまでも考え続けられる性格でもない。
則人はすぐに歩き出した。
その背後で。
風など吹いていないのに――木の葉が一枚だけ、かすかに揺れた。
◇
夕方になると、ゴンさんの店にも明かりが灯り始める。
暖簾が出され、開け放たれた戸口から、出汁と焼き物の匂いが通りへ流れていた。
「こんばんは」
「おう、いらっしゃい」
「今日も暑かったなあ」
「夏だからな」
仕事を終えた常連客が、一人、また一人と暖簾をくぐってくる。
カウンターの向こうでは、店主のゴンさんが仕込みをしながら、いつもの調子で客と言葉を交わしていた。
そんな店の戸が――。
ガラッ!
勢いよく開いた。
「ただいまー!」
「おう」
ゴンさんが顔を上げる。
「ノリちゃんも帰ってきたか」
「だからノリちゃんって呼ぶなって!」
「おかえり、ノリちゃん」
今度は常連客だった。
「増えた!」
店内に笑い声が起きる。
則人は文句を言いながらも、本当に自分の家へ帰ってきたような顔で店へ入った。
ここは、則人にとって単なる居酒屋ではない。
学校でもない。
児童館でもない。
けれど確かに――もう一つの帰る場所だった。
「見て見て!」
さっそく戦利品を披露する。
「おお、立派じゃねえか」
「だろ!」
「……で」
ゴンさんの視線が、ゆっくり下へ移動した。
「その膝は?」
「これ?」
「血ぃ出てんじゃねえか」
「カブトムシ追っかけて転んだ」
「またかよ」
「でも捕まえた!」
「そこ自慢するところじゃねえだろ」
常連客たちが笑う。
「大丈夫だって!」
「お前の『大丈夫』は信用ならん。座れ」
「えー」
「座れ」
「はーい」
文句を言いながらも、則人は素直にカウンターの椅子へ座った。
ゴンさんが救急箱を持ってくる。
「しみるぞ」
「へーきへーき」
消毒液が傷口へ触れた。
「いってぇぇぇぇ!」
「どこが平気なんだよ」
「痛いものは痛い!」
「威張るな」
また笑い声が広がる。
そのときだった。
テレビから、突然派手な音楽が流れ始めた。
『――新番組! ビーストギア KID!』
「ん?」
則人が振り向く。
ゴンさんもテレビへ目を向けた。
「ああ」
手を止めることなく言う。
「始まるぞ」
「なにこれ?」
「新しいヒーロー番組らしいぞ」
テレビ画面いっぱいに、異形の怪人が映し出された。
蝉を思わせる身体。
腹には巨大なスピーカー。
そこから放たれる凄まじい音に、人々が耳を塞いで逃げ惑っている。
『俺の声を聞けぇぇぇぇぇ!』
「うわっ!」
則人がカウンターから身を乗り出す。
「怪人だ!」
そして――。
画面の中へ、一人のヒーローが現れた。
ワシを思わせる鋭い頭部。
力強い眼。
前へ突き出したくちばし。
そこに人間の面影はない。
その下には、人型のヒーローらしい力強い身体が続いている。
まだ、翼もない。
洗練されたヒーローと呼ぶには、どこか異質な姿だった。
けれど。
九歳の少年の目には――。
誰よりも格好よく映った。
「…………」
則人が黙った。
ほんの少し前まで、店中に響く声で騒いでいた少年が。
瞬きすることさえ忘れたように、テレビを見つめている。
画面の中で、KIDが怪人へ真正面から走っていく。
攻撃をかわす。
拳を打つ。
蹴りを放つ。
そして――吹き飛ばされた。
「あっ……!」
則人の身体が小さく揺れる。
けれどKIDは立ち上がった。
もう一度、怪人へ向かっていく。
倒される。
それでも立つ。
また前へ出る。
その姿を追う則人の目が、次第に大きくなっていった。
「…………格好いい」
ほんの小さな声だった。
けれど、隣にいたゴンさんには聞こえた。
「そうか?」
「うん」
則人の小さな拳が、いつの間にか固く握られていた。
「ゴンさん」
「ん?」
則人がテレビを指差す。
「ぼく、これになる!」
「……これ?」
「KID!」
「は?」
「ぼくもKIDになる!」
ゴンさんの手が止まった。
「お前、九歳だぞ」
「関係ない!」
「あるだろ」
「なるったらなる!」
則人は勢いよく椅子の上へ立ち上がった。
「困ってる人がいたら、一番に助けに行って!」
「おい」
「怪人が出てきたら戦って!」
「おい、則人」
「世界で一番のヒーローになる!」
胸を張る。
九歳の少年は、本気だった。
ゴンさんはしばらく則人を見上げ――。
「まず椅子から降りろ、ヒーロー」
「はい」
素直に降りた。
店中から笑い声が上がる。
「ヒーロー、消毒の続きするぞ」
「それはヒーローじゃなくても嫌だ!」
「逃げるな」
「怪人より怖い!」
「誰が怪人だ!」
また、店内が笑いに包まれた。
けれど。
その中で則人だけは、何度もテレビへ目を戻していた。
画面の中では、KIDがまだ戦っている。
倒れても。
傷ついても。
何度でも立ち上がり、前へ進んでいく。
「……絶対、なるからな」
誰にも聞こえないほど、小さな声だった。
その横顔を見て、ゴンさんは少しだけ笑った。
――そのとき。
ゴンさんの視線が、ほんの一瞬だけ店の奥へ向いた。
薄暗い柱のそば。
常連客たちは誰も気づいていない。
則人もテレビに夢中だ。
けれど。
ゴンさんには――そこにいるものが、はっきりと見えていた。
「…………」
何も言わない。
目を合わせたのも、ほんの一瞬だけ。
すぐに視線を救急箱へ戻し、何事もなかったかのように消毒液の蓋を閉める。
「ゴンさん?」
則人が振り向いた。
「ん?」
「今、どっか見てた?」
「別に」
「ふーん」
それだけで興味を失ったらしい。
則人は再びテレビへ向き直った。
ゴンさんも、もう店の奥を見ようとはしなかった。
そこに何がいたのか。
なぜゴンさんには、それが見えているのか。
則人はまだ、何も知らない。
今はただ。
テレビの中で戦うヒーローから、目を離すことができなかった。
このテレビ番組が。
このヒーローが。
そして今日、自分が何気なく口にした――。
「ぼくもKIDになる」
その言葉が。
やがて自分の毎日を、想像もしなかった方向へ変えていくことを。
九歳の則人は、まだ知らない。
夕暮れの小さな居酒屋で。
内田則人は、この日初めて――。
自分のヒーローに出会った。
本作品『着ぐるみモンスター』は、人間と生成AIによる合作作品です。
企画・原案・設定・ストーリー構成:凛
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
「本作品は『カクヨム』『小説家になろう』にも掲載しています。」
世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開を作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら小説として文章化しています。




