第四話 もっと、もっと
第三章 第四話 もっと、もっと
朝。
制服に着替えた咲子は、机の上に置かれた小さな箱を見つめていた。
昨夜、何度も開けては閉じた箱。
中には、あのブローチが入っている。
知らない黒服から突然渡されたものだった。
どうして受け取ったのか。
どうして、そのまま家まで持ち帰ってしまったのか。
今でも分からない。
考えれば考えるほど、不自然だった。
気味が悪くないと言えば嘘になる。
それなのに。
咲子は、また箱の蓋を開けた。
朝の光を受けて、ブローチがきらりと輝く。
「……やっぱり、かわいい」
指先で、そっと持ち上げる。
少し迷ってから。
「今日だけ……」
制服の胸元につけてみた。
鏡の前に立つ。
「…………」
思っていたより、ずっと似合っていた。
身体の向きを少し変える。
もう一度見る。
自然と、口元が緩んだ。
◇
「咲子、そのブローチどうしたの?」
学校へ着くと、すぐに友人が気づいた。
「え?」
「それ。それだよ」
「ああ……」
咲子は胸元へ目を落とした。
「かわいい!」
「ほんと。すごく似合ってる」
「どこで買ったの?」
「えっと……」
言葉に詰まる。
知らない人から突然渡された。
しかも、なぜか当然のように受け取ってしまった。
そんなことを話せば、きっと心配される。
「……もらったの」
「へえ、いいなあ」
「咲子にぴったり」
「ありがとう」
咲子は照れくさそうに笑った。
かわいいものを身につける。
それを誰かに似合うと言ってもらえる。
たったそれだけのことなのに。
少しだけ、心が軽くなる。
昨夜まで胸の奥に残っていたものが、一瞬だけ遠ざかったような気がした。
◇
放課後。
咲子は道場の更衣室で制服を脱ぎ、道着へ着替えた。
胸元のブローチを外す。
「…………」
ほんの少し迷ってから、小さな箱へ戻した。
鞄の中へしまう。
そして長い黒髪を高い位置で結んだ。
「よし」
道場へ入る。
「お願いします!」
大きな声で礼をした。
「おねえちゃん!」
すぐに、聞き慣れた声が飛んできた。
「あ」
入口を見ると、キッド君が立っていた。
今日も来ている。
「キッド君」
咲子は思わず笑った。
昨日は、ろくに話もせず帰ってしまった。
少し気になっていた。
「昨日はごめんね」
「え?」
「ちょっと、機嫌悪くなっちゃって」
「もうだいじょうぶ?」
「うん。大丈夫」
「ほんと?」
「ほんと」
咲子が笑うと。
キッド君も、ようやく安心したように笑った。
「きょうも、からてみていい?」
「もちろん」
「やった!」
その無邪気な声を聞くだけで。
少し肩の力が抜けた。
◇
その日の咲子は、自分でも驚くほど身体が動いた。
「せいっ!」
突きが伸びる。
足が軽い。
蹴りも鋭い。
昨日まで何度も繰り返した練習が、ようやく身体になじんできたような感覚があった。
「今日の咲子、いいな」
「動きいいじゃん」
周囲から声が飛ぶ。
「ありがとうございます」
嬉しかった。
自分が積み重ねてきたものが。
ちゃんと形になっている。
そう思えた。
「おねえちゃん、すごい!」
キッド君の声も聞こえる。
「ありがとう!」
咲子は少し照れながら答えた。
そして。
あの男子と目が合った。
「…………」
咲子が構える。
相手も、すぐに察したらしい。
「やる?」
「うん」
「またか」
「今日は、いけそうな気がするの」
「言うねえ」
二人とも少し笑った。
いつもの組手。
いつもの相手。
それでも。
今日は違う。
咲子には、そんな予感があった。
◇
礼。
構える。
始まる。
「せいっ!」
咲子が踏み込んだ。
速い。
自分でも分かる。
相手の反応より、ほんの少し早い。
攻撃をかわす。
横へ回る。
「っ!」
男子が振り向いた。
その瞬間には、咲子はもう次の攻撃へ入っていた。
「せいっ!」
届く。
「うわっ!」
男子が大きく距離を取った。
「今日、本当に調子いいな」
「まだまだ!」
咲子は追う。
今日は、よく見えた。
相手がどこへ動くのか。
何を狙っているのか。
肩の動き。
足の位置。
身体の向き。
全部が、いつもより鮮明に分かる。
「いける……!」
小さく声が漏れた。
「いけー! おねえちゃん!」
キッド君の応援が響く。
もう一度、踏み込む。
相手が攻撃を出す。
咲子は、ぎりぎりでかわした。
懐へ入る。
拳を出す。
「っ!」
男子の体勢が崩れた。
今度こそ。
勝てる。
本気で、そう思った。
◇
けれど。
あと少し。
本当に。
あと少しだった。
「うおっ!」
男子が踏ん張った。
崩れかけた身体を強引に立て直す。
「え?」
次の瞬間。
押し返してきた。
「くっ……!」
重い。
咲子も踏ん張る。
足に力を入れる。
昨日までより、ずっと粘れている。
それでも。
「……っ!」
身体が、じりじりと後ろへ押されていった。
一歩。
咲子の足が下がる。
ほんのわずかな崩れ。
相手は、それを逃さなかった。
「っ!」
体勢を崩される。
そして。
最後に立っていたのは。
また。
相手のほうだった。
◇
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
二人が礼をする。
男子は大きく息を吐いた。
「危なかった……」
咲子は黙っていた。
「いや、本当に。今日の咲子、めちゃくちゃ強かったよ」
「…………」
「もう少しだったな」
もう少し。
その言葉が、胸へ刺さった。
「技術なら、もう全然負けてないんじゃない?」
別の道場生が言う。
「最後は、やっぱ体格差だな」
「まあ、そこはしょうがないよ」
別の声。
「咲子ちゃん、女の子なんだし」
「…………」
また。
その言葉。
昨日も。
一昨日も。
何度も。
何度も。
みんな、悪気なんてない。
馬鹿にしているわけでもない。
むしろ、褒めてくれている。
分かっている。
分かっているのに。
「……やめて」
小さな声だった。
「え?」
「もう……やめてよ」
男子が咲子を見る。
「咲子?」
「女の子だからって……」
声が震えた。
喉の奥が熱くなる。
「もう、言わないでよ!」
道場が静まり返った。
咲子自身が。
一番驚いていた。
こんなふうに人前で声を荒らげたことなんて、ほとんどない。
「私だって、ずっと練習してる!」
「咲子……」
「中学の頃は勝てた! 何度も勝った! 私だって、ちゃんとやってた!」
涙が溢れた。
止めようとしても。
もう止まらなかった。
「それなのに……高校に入ってから勝てなくなって……!」
声が裏返る。
「もっと練習した! もっと上手くなろうとした! ずっと頑張ってる!」
男子が何か言おうとする。
「でも……!」
咲子は首を振った。
「負けるたびに、女の子だからって!」
「…………」
「女の子なんだから仕方ないって!」
涙が頬を伝う。
「女子でそこまでできれば十分だって!」
「咲子ちゃん……」
「十分って何!?」
普段の咲子からは、考えられない叫びだった。
「私がどこまでやりたいか、どうしてみんなが決めるの!?」
誰も答えられない。
「私は……!」
咲子は自分の胸元を押さえた。
「もっと強くなりたいの!」
涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
「男の子に負けたくない!」
「…………」
「強くなりたいって思ったら、駄目なの!?」
「そんなこと――」
「だったら、女だからって言わないでよ!」
男子の言葉を、咲子の叫びが遮った。
「私だって……!」
さらに涙が溢れる。
「かわいいものだって好き!」
「…………」
「きれいになりたいって思う!」
声を震わせながら。
それでも。
止まらなかった。
「空手だって好き!」
「強くもなりたい!」
「全部ほしいって思ったら、駄目なの!?」
咲子は泣きながら叫んだ。
「女の子だからって……最初から決めないでよ!」
息が乱れる。
声も震える。
それでも。
最後の言葉だけは、はっきりと口にした。
「私が……どこまでできるか……私が決めたいのに……!」
道場に。
咲子の嗚咽だけが響いた。
誰も。
何も言えなかった。
さっきまで組手をしていた男子が、拳を握る。
「俺……」
ようやく絞り出した声。
「そんなつもりじゃ……」
「分かってる!」
咲子が叫んだ。
「分かってるよ!」
だからこそ。
余計につらかった。
「みんなが悪い人じゃないことくらい……分かってる……!」
咲子は鞄を掴んだ。
「咲子!」
「ごめんなさい!」
そのまま。
泣きながら道場を飛び出した。
「おねえちゃん!」
キッド君が追いかけようとする。
けれど。
一度だけ。
道場に残された人たちを振り返った。
誰も動かなかった。
さっきまで咲子と戦っていた男子は、うつむいている。
「…………俺たち」
誰かが小さく呟いた。
「ずっと、あんなこと言ってたんだな……」
男子は答えなかった。
ただ。
咲子が消えた入口を、じっと見つめていた。
◇
咲子は走った。
どこへ向かっているのかも分からない。
ただ。
誰にも顔を見られたくなかった。
「…………っ」
息が苦しい。
胸が痛い。
涙で前が見えない。
それでも。
足を止めたくなかった。
やがて。
人通りの少ない場所まで来て。
ようやく立ち止まる。
「…………」
肩で息をする。
涙を拭う。
けれど。
すぐに、また溢れてきた。
「悔しい……」
声が震えた。
「悔しいよ……」
自分の手を見る。
「もっと強ければ……」
今日。
本当にあと少しだった。
技は通じた。
動きだって悪くなかった。
それでも。
最後に。
力で負けた。
「もっと速ければ……」
かわしきれた。
「もっと力があったら……」
押し返せた。
咲子は唇を噛んだ。
「私だって……」
鞄を開く。
何かを探していたわけではない。
けれど。
目に入った。
小さな箱。
「…………」
手が伸びる。
蓋を開ける。
ブローチ。
今朝。
ほんの少しだけ、自分を嬉しい気持ちにしてくれたもの。
咲子は、それを手に取った。
「かわいくなりたい……」
胸元へつける。
「きれいにもなりたい……」
指先が震えた。
「空手だって……もっと強くなりたい……」
また。
涙が落ちる。
「私だって……!」
ブローチを強く握った。
「女の子だからって、最初から決めつけられたくない!」
その瞬間だった。
◇
「……え?」
風もないのに。
咲子の長い黒髪が揺れた。
周囲の空気が。
急に重くなったような気がした。
「なに……?」
何かがいる。
いや。
違う。
何かが。
生まれようとしている。
咲子のすぐそばに。
黒い何かが現れた。
「ひっ……!」
咲子が一歩下がる。
けれど。
逃げるより早く。
それは、咲子の身体へまとわりついた。
「な、なにこれ!?」
黒いものが腕を包む。
身体を包む。
脚を包む。
服ではない。
鎧でもない。
もっと。
奇妙なもの。
巨大な着ぐるみ。
「いや……っ!」
咲子が腕を振る。
けれど、離れない。
両腕には。
蜂の身体と針を思わせる、大きな装甲。
背中には。
鮮やかな蝶の羽。
全身には。
今まで感じたことのないほどの力が満ちていく。
頭部を覆うのは。
蟻を思わせる異形のフード。
それでも。
口元には、咲子自身の顔が残っていた。
長い黒髪も。
そのまま背中へ流れている。
「…………」
咲子は、自分の手を見た。
「なに……これ……」
怖い。
はずだった。
それなのに。
拳を握った瞬間。
「……っ!」
分かった。
力がある。
今までとは。
比べものにならないほどの力。
「…………」
恐る恐る。
地面を蹴る。
「えっ?」
一瞬だった。
ほんの少し踏み込んだだけなのに。
身体が何メートルも先へ移動していた。
「うそ……」
戸惑いながら身体を動かす。
背中の羽が、大きく開いた。
「きゃっ!」
身体が浮く。
咲子の足が、地面から離れた。
「飛んでる……?」
風を受けながら。
ゆっくりと着地する。
「…………」
咲子は、もう一度自分の両手を見た。
さっきまで感じていた恐怖が。
少しずつ。
別の感情へ変わっていく。
「すごい……」
速い。
力もある。
空だって飛べる。
ずっと欲しかったもの。
自分には足りないと思っていたもの。
その全部が。
ここにある。
「これなら……」
咲子は顔を上げた。
道場のある方向を見る。
「もう一回……」
拳を握る。
「もう一回、勝負できる」
◇
「おねえちゃん!」
少し遅れて。
キッド君が走ってきた。
「どこいったの……?」
辺りを見回す。
咲子の姿はない。
そのとき。
空の向こう。
大きな羽を広げた何かが、飛んでいくのが見えた。
「…………」
キッド君は目を凝らした。
見たことのない姿。
変な姿。
怖い。
それなのに。
なぜか。
「……おねえちゃん?」
口から。
その言葉が、こぼれていた。
※本作は、作者とChatGPT(AI)による合作作品です。物語の企画・原案・世界観・キャラクター設定・物語構成・展開の方向性など、作品の根幹となる部分は作者が制作しています。それらの原案や設定、作者との相談・修正・指示をもとに、ChatGPTが文章化、表現の調整、推敲などを担当しています。作者とAIが互いに案を出し、検討と修正を重ねながら、一つの物語として完成させています。




