第1話「公園の歌声」
第1話「公園の歌声」
「ノリちゃん、そっち行った!」
「わかってるよ! 待てー!」
放課後の公園に、二人の男の子の元気な声が響いていた。
内田則人と悟である。
二人は広場で、柔らかいボールを使ったキッドごっこをしていた。
ルールは簡単。ボールを持った方が怪人になり、もう一人がヒーローとなって追いかける。捕まえればヒーローの勝ち、逃げ切れば怪人の勝ちという遊びだ。
もちろん、則人は大好きな特撮ヒーロー、キッドの役を譲らない。
「待てー! 悪い怪人め!」
「待てって言われて待つ怪人はいないよ!」
悟は笑いながら走り、則人がそのあとを追いかける。
ところが、悟が急に方向を変えた。
「あっ!」
則人は慌てて足を踏ん張ったが、勢いがつきすぎて止まれない。
「うわわっ!」
くるりと一回転。
危うく転びそうになりながらも、何とか両足で着地した。
本人としては、なかなか見事な身のこなしだったつもりである。
しかし、悟の評価は違った。
「ノリちゃん、今の何?」
「……必殺技!」
「絶対違うでしょ!」
「ち、違わないよ! キッドだって、ああいうふうに動くことあるもん!」
「さっきのは、ただ転びそうになっただけじゃん!」
「さとる君、笑ってないで勝負だよ!」
「いいよ! 捕まえられたらね!」
二人が再び走り出そうとした、そのときだった。
「あれ? 則ちゃん、悟くん!」
公園の外を通る歩道から、聞き慣れた声がした。
振り返ると、制服姿の美緒が立っていた。
学校からの帰宅途中らしく、肩には通学鞄を掛けている。
「あっ、美緒ちゃん!」
「こんにちは!」
二人が手を振ると、美緒も笑顔で応えた。
「こんにちは。二人とも、今日も元気だねえ」
美緒は公園の中へ入り、二人のところまで歩いてきた。
「何して遊んでるの?」
「キッドごっこ!」
則人が得意げに胸を張る。
「ぼくがキッドで、さとる君が怪人!」
「へえ。じゃあ、どっちが勝ってるの?」
「もちろん、ぼく!」
「えーっ!? まだ一回も捕まってないじゃん!」
悟がすかさず抗議した。
「でも、ぼくがキッドなんだから、最後は勝つんだよ!」
「そんな決まりある!?」
美緒は二人を見比べ、楽しそうに笑った。
「じゃあ、悟くん。頑張って逃げないとね」
「任せて!」
「美緒ちゃんまで怪人の味方するの!?」
「だって、まだ負けてないんでしょ?」
「そうだけど!」
三人の笑い声が、公園に広がった。
そのときだった。
ぽろん。
どこからか、柔らかな音が聞こえてきた。
「……あれ?」
美緒が、ふと顔を上げる。
続いて、いくつかの音が重なった。
ぽろん、ぽろろん。
木々の間を抜けてくる風に乗って、優しい音色が届いてくる。
そして、その音に重なるように、女の子の歌声が聞こえてきた。
◇
「ねえ、二人とも。何か聞こえない?」
美緒が立ち止まった。
「何が?」
「ほら。歌」
則人と悟も、耳を澄ませる。
確かに、誰かが歌っていた。
アコースティックギターの音に合わせて、澄んだ女の子の声が聞こえてくる。
風に揺れる木の葉の音や、遠くで遊ぶ子供たちの声に混じりながらも、その歌声は不思議とはっきり耳に届いた。
「ほんとだ!」
「誰だろう?」
美緒は、音のする方へ顔を向けた。
「ちょっと見てみない?」
「うん!」
三人は、歌の聞こえる方へ歩き始めた。
公園の奥には、木々に囲まれた小さな広場がある。
遊具のある場所から少し離れているため、普段はあまり人がいない。
その一角に、古びたベンチが置かれていた。
そして、そのベンチに一人の少女が座っていた。
高校生くらいだろうか。
傍らには通学鞄と、黒いギターケース。
膝の上には、木目の美しいアコースティックギターを抱えている。
少女は左手で弦を押さえ、右手でゆっくりとかき鳴らしながら歌っていた。
派手な衣装を着ているわけではない。
マイクもなければ、スピーカーもない。
観客もいない。
ただ、少女が一人でギターを弾き、自分の声で歌っている。
それだけだった。
「……わあ」
美緒が、小さく声を漏らした。
少女の歌声は、決して大きくはなかった。
どちらかといえば、少し控えめな声だった。
それでも、すっと耳に入ってくる。
明るいメロディーの中に、ほんの少し寂しさが混じっている。
けれど、聴いていると不思議と温かい気持ちになる、そんな歌だった。
少女は目を伏せ、ギターの音に合わせて言葉を紡いでいく。
誰かに聴かせようと張り切っているというより、自分自身に何かを語りかけているようにも見えた。
三人は、邪魔をしないように少し離れた場所で足を止めた。
少女は、まだこちらに気づいていない。
やがて、歌はサビの部分に差しかかった。
それまでより少しだけ声が伸びる。
ギターの音も、明るさを増した。
ところが。
「……あれ?」
少女は、突然演奏を止めた。
首を傾げ、もう一度同じところを弾いてみる。
ぽろん。
「……違う、かな」
少女は足元のノートを開いた。
ページには歌詞らしい言葉と、アルファベットの記号がびっしり書き込まれている。
何度も消して書き直した跡もあった。
少女は鉛筆を取り、一部分を書き換える。
それから、もう一度ギターを構えた。
左手の指を動かし、さっきとは少し違う和音を鳴らしてみる。
ぽろん、ぽろろん。
「……うん」
小さく頷く。
そして、もう一度、同じところから歌い始めた。
今度は途中で止まらなかった。
少し迷っていたような歌声が、徐々に伸びやかになっていく。
美緒は、すっかり聴き入っていた。
悟も、いつの間にかボールを抱えたまま動かなくなっている。
則人は、少女の手元をじっと見つめていた。
指が動くたびに、ギターから違う音が出る。
そして、その音に合わせて歌声が重なっていく。
則人には、音楽の詳しいことは分からない。
けれど、さっきまで元気いっぱいに走り回っていたことも忘れ、ただ少女の歌に耳を傾けていた。
やがて、最後の一節が歌い終わる。
少女の右手が、ゆっくりと弦を弾いた。
ぽろろん……。
最後の音が、夕方の空気に溶けていく。
少女は小さく息を吐いた。
そして、ほっとしたように微笑んだ。
その瞬間だった。
「すごーい!」
美緒が、思わず拍手した。
ぱちぱちぱち!
悟も続く。
「すげえ! 上手だった!」
則人も慌てて手を叩いた。
「ぼくも! すごいと思った!」
「ひゃっ!?」
少女が、びくっと肩を跳ねさせた。
驚いた拍子に、ギターの弦へ指が触れてしまう。
びよん。
先ほどまでの優しい音色とは、まるで違う音が鳴った。
「……えっ?」
少女は、目を丸くして三人を見た。
そして、みるみる顔を赤くした。
「あ、あの……」
慌ててギターを抱え直す。
「……い、いつから、そこに……?」
◇
「あっ、ごめんなさい!」
美緒が慌てて頭を下げた。
「邪魔するつもりじゃなかったんだけど、すごくいい歌が聞こえてきたから……」
「い、いえ! そんな、謝らなくても……!」
少女は慌てて首を振った。
しかし、三人の顔を見たあと、また視線を落としてしまう。
「……あの……誰もいないと思っていたので……」
頬は真っ赤だった。
「……びっくり、しちゃって」
どうやら、人前に出るのがあまり得意ではないらしい。
少女は膝の上のギターを抱えたまま、落ち着かなさそうに指先を動かしている。
美緒は少し申し訳なさそうにした。
「ごめんね。急に拍手しちゃって」
「……いえ。その……」
少女は小さく首を振る。
「……嫌だったわけじゃ、ないんです」
そう言って、ほんの少しだけ笑った。
「……ただ、びっくりしただけで」
その言葉に、美緒もほっとしたように笑う。
「よかった! だって、本当にすごくよかったんだもん!」
「……ほ、本当ですか?」
「うん!」
美緒は大きく頷いた。
「途中からしか聴けなかったけど、すっごくきれいな歌だったよ!」
少女は、少し戸惑ったように目を瞬かせた。
どう返事をすればいいのか分からないらしい。
やがて、ギターを抱える手を少し緩め、控えめに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
その声は、先ほど歌っていたときより、ずっと小さかった。
「それ、自分で弾いてるんだよね?」
悟がギターを指さした。
「……はい」
「歌いながら弾くのって、難しくない?」
「……最初は、すごく難しかったです」
少女は、少しだけ話しやすい話題になったのか、ギターへ目を向けた。
「最初は、弾く方に集中すると歌えなくなっちゃって……歌おうとすると、今度は指が止まっちゃうんです」
「へえー!」
「だから、何度も練習して……でも、今でも時々間違えちゃって」
恥ずかしそうに笑う。
「さっきも、ちょっと失敗しちゃったんです」
「そうなの?」
則人が首を傾げた。
「ぼく、全然わかんなかった!」
「……ふふっ」
少女の口元に、少しだけ笑みが浮かんだ。
「……ありがとう」
美緒は、少女の足元にあるノートへ目を向けた。
「ねえ、さっき何か書き直してたよね?」
「あ……これ、ですか?」
少女はノートを持ち上げた。
開かれたページには、手書きの言葉が何行も並んでいる。
その横には、アルファベットや記号が書き込まれていた。
消しゴムの跡も多い。
何度も書いては消し、また書き直したのだろう。
「……歌詞と、コードのメモなんです」
「歌詞?」
「はい。曲を作っている途中で……ちょっと、ここを変えたいなって思って」
その言葉を聞いて、美緒が目を丸くした。
「えっ!? ちょっと待って!」
「……は、はい?」
「さっきの歌、自分で作ったの!?」
少女は、少し驚いたように頷いた。
「……はい。一応……」
「すごいじゃん!」
美緒が身を乗り出す。
「歌詞も曲も自分で作って、ギターも弾いて、それを自分で歌ってるの!?」
「……えっと……はい」
「えーっ! すごい!」
少女は、ますます顔を赤くした。
「そ、そんな……まだ、全然うまくできなくて……」
「いやいや、十分すごいって!」
美緒は興奮気味だった。
悟も感心したように頷く。
「自分で歌を作れるって、何か格好いいな!」
「ぼくもそう思う!」
則人が続けた。
「ぼく、歌を作ったことなんてないよ!」
すると、悟がにやりと笑う。
「ノリちゃんは、いつもキッドの歌ばっかり歌ってるもんな」
「いいじゃん! 格好いいんだから!」
「でも、自分で作った歌じゃないだろ?」
「……そうだけど!」
少女が、くすっと笑った。
則人が振り返ると、少女は慌てたように口元を押さえる。
「……あっ、ご、ごめんなさい」
「何で謝るの?」
「……えっと……」
少女は困ったように笑った。
「……何だか、楽しそうだったから」
「楽しいよ!」
則人は元気よく答えた。
「でも、さとる君はすぐぼくのことノリちゃんって呼ぶんだ」
「だってノリちゃんじゃん!」
「……もう!」
また三人が笑った。
その様子を見て、少女も今度は自然に笑っていた。
初めて会った人たちなのに、不思議と怖くなかった。
先ほどまで、知らない人に歌を聴かれていたことが恥ずかしくて仕方なかったのに。
気づけば、少女の肩から少しだけ力が抜けていた。
◇
「そういえば、お名前、聞いてなかったね」
美緒が尋ねた。
「あ……そう、ですね」
少女はギターを抱え直した。
「……千紘、です」
「千紘さん?」
「はい。近くの高校に通っていて……」
少し照れたように目を伏せる。
「……よろしくお願いします」
「私は美緒! こっちは則ちゃんと悟くん!」
「ぼく、内田則人!」
「悟です!」
二人も元気に挨拶した。
「……よろしくね」
千紘は、小さな笑顔を向けた。
どうやら、少しずつ三人に慣れてきたらしい。
「千紘さんって、いつもここで歌ってるの?」
美緒が尋ねた。
「……いつも、ではないんですけど……時々」
「そうなんだ」
「本当は、貸しスタジオとかでも練習するんです。でも……」
千紘は、ギターへ目を落とした。
「毎回借りると、お金もかかりますし……家だと、あまり音を出せなくて……」
「そっかあ」
「だから、こういう場所で少し練習することもあるんです。もちろん、人の邪魔にならないように、気をつけているつもりなんですけど……」
そう言いながら、千紘は少し心配そうに周囲を見回した。
公園の奥とはいえ、ここは公共の場所だ。
誰かに迷惑をかけていないか、やはり気になるのだろう。
「……うるさく、なかったですか?」
「全然!」
美緒が即答した。
「むしろ、もっと聴いていたかったくらい!」
「……あ」
千紘は少し驚いた。
それから、嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
美緒は、ふと思いついたように尋ねた。
「ねえ、千紘さん。もしかして、将来は歌手になりたいの?」
その瞬間、千紘の表情が変わった。
驚いたような。
それでいて、少し嬉しそうな顔だった。
「……えっと……」
千紘はギターを抱えたまま、少し考え込む。
言いたいことはある。
でも、それを口に出すのは少し怖かった。
笑われるかもしれない。
夢みたいなことを言っていると思われるかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
千紘は恥ずかしそうに俯いた。
「……笑わないで、くださいね」
「笑わないよ!」
美緒が答えた。
則人と悟も、何だろうという顔で待っている。
千紘は、しばらくためらった。
そして、ようやく小さな声で言った。
「……シンガーソングライターに、なりたいんです」
「シンガー……?」
則人が首を傾げる。
「ソングライター?」
悟も不思議そうな顔をした。
千紘は、少しだけ笑った。
「自分で歌詞を書いて、曲を作って……それを、自分で歌う人のことだよ」
「へえー!」
則人が目を輝かせた。
「じゃあ、テレビに出たりするの!?」
「……えっ?」
「だって、歌手になるんでしょ?」
千紘は、一瞬きょとんとした。
それから、困ったように笑った。
「……そんなに簡単じゃないよ」
「そうなの?」
「うん……」
千紘は、自分のギターを見つめた。
磨かれた木の表面に、夕方の光が淡く映っている。
「歌が上手な人なんて、世の中にたくさんいるし……私より上手な人だって、いっぱいいると思う」
少し間を置いて、続けた。
「オーディションとかも、受かるか分からないし……そもそも、私にそこまでできるのかも、まだ分からなくて……」
千紘の声は、だんだん小さくなっていった。
夢の話をしているはずなのに、気づけば難しいことばかり口にしている。
でも、嘘は言いたくなかった。
自分が必ず歌手になれるなんて、思っていない。
歌うことが好きだからといって、それだけで夢が叶うわけではないことくらい、千紘にも分かっていた。
「ふーん……」
則人は、少し考えた。
「じゃあ、まだ歌手になれるか分からないんだ」
「……うん」
千紘は頷いた。
「……分からないよ」
そして、そっとギターの弦に触れた。
ぽろん。
小さな音が鳴る。
「……でも」
千紘は、ギターを見つめたまま続けた。
「……なれたら、いいなって思ってる」
その声は小さかった。
けれど、さっきまでのためらいとは少し違っていた。
美緒は、その言葉を聞いて微笑んだ。
「いいじゃん!」
「……え?」
「まだ分かんないんだったら、これからじゃない!」
千紘は驚いたように顔を上げた。
「……そう、かな」
「そうだよ! だって、今の歌、私すごく好きだったもん!」
「……あ……」
千紘は、何か言おうとして口を開いた。
けれど、すぐには言葉が出てこない。
ただ、頬を赤くして、小さく頭を下げた。
「……ありがとう、ございます」
「ぼくも応援する!」
則人が元気よく手を上げた。
「……えっ?」
「千紘さんが歌手になったら、ぼく、テレビで見るよ!」
「……ふふっ」
千紘が笑う。
「……うん。ありがとう」
「でも、その前にまた歌を聴かせて!」
則人は続けた。
「さっきの歌、もう一回聴きたい!」
その言葉に、千紘は目を丸くした。
「……もう一回?」
「うん!」
悟も頷く。
「俺も! あの最後のところ、格好よかった!」
「私もまた聴きたい!」
美緒も身を乗り出した。
三人の顔を見て、千紘はしばらく黙っていた。
見知らぬ人に歌を聴かれるだけでも、あんなに恥ずかしかったのに。
もう一度聴きたいと言ってもらえるなんて。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
千紘は、思わずギターを抱える手に少し力を込めた。
そして、ゆっくり笑った。
「……そっか」
嬉しそうな声だった。
「……うん。また、聴いてもらえたら……嬉しいです」
◇
そのときだった。
ピロン。
千紘のスマートフォンが鳴った。
「あっ……」
画面を確認した千紘の表情が、少しだけ硬くなる。
そこには「お母さん」と表示されていた。
「……ご、ごめんなさい。ちょっと……」
千紘はギターをそっとベンチに置き、電話に出た。
「……もしもし」
三人は、少し離れたところで待つ。
「……うん。分かってる」
千紘の声が、先ほどまでとは少し違っていた。
普段よりさらに小さく、言葉を選ぶような話し方だった。
「……今、公園にいるの。もう帰るところだから……」
少し間が空く。
「……うん。大丈夫。すぐ帰るから」
電話が終わると、千紘は小さく息を吐いた。
「……ごめんなさい」
「ううん。大丈夫!」
美緒が答えた。
「お母さん?」
「……うん」
千紘は、少し困ったように笑う。
「……そろそろ、帰らないと」
そう言って、ギターをケースへしまい始めた。
慣れた手つきだったが、さっきまでより少し急いでいるように見えた。
歌詞を書いたノートを閉じ、鉛筆を挟む。
ギターケースの中身を確認し、ファスナーを閉める。
その途中、千紘はふと手を止めた。
そして、少し名残惜しそうにベンチを見つめる。
「……もう少し、練習したかったんだけど……」
小さな呟きだった。
「また来ればいいじゃん!」
則人が言った。
「……え?」
「だって、ここならまた歌えるでしょ?」
千紘は、少しだけ目を丸くした。
それから、柔らかく笑った。
「……そう、だね」
そう。
今日で全部が終わってしまうわけではない。
また来ればいい。
またギターを弾けばいい。
そんな当たり前のことが、なぜか少し嬉しかった。
千紘はギターケースを肩に掛けた。
「……じゃあ、今日は……ありがとうございました」
「こちらこそ!」
美緒が笑顔で答えた。
「また歌を聴かせてね!」
「……うん」
悟も手を振る。
「次は最初から聴きたい!」
「……ふふっ。分かった」
最後に則人が元気よく言った。
「千紘さん、歌手になるの頑張ってね!」
千紘は、その言葉に少しだけ足を止めた。
そして、三人を振り返る。
恥ずかしそうに目を伏せながらも、今度ははっきりと頷いた。
「……うん。頑張るね」
夕方の公園に、少女の声が柔らかく響いた。
◇
千紘と別れたあと、三人はしばらくその場に立っていた。
「……いい歌だったねえ」
美緒が、しみじみと言った。
「うん!」
悟が頷く。
「何か、頭に残るよな」
「ぼくも!」
則人も大きく頷いた。
「また聴きたい!」
「ね!」
美緒は、千紘が去っていった道を見つめた。
ギターを抱え、自分の作った曲を一生懸命に歌っていた少女。
話しかけられたときは、顔を赤くして、なかなかこちらを見られなかった。
夢を語るときも、少し恥ずかしそうだった。
でも、歌っているときだけは違った。
自分の歌に夢中になり、まるで別人のように生き生きしていた。
「……また会えるといいね」
美緒が言った。
「うん!」
則人が元気よく答える。
「今度は、最初から最後まで聴こう!」
「俺も!」
悟も頷いた。
そして、ふと思い出したようにボールを持ち上げる。
「……ところでノリちゃん」
「何?」
「さっきの勝負、まだ終わってないよな?」
「……あっ!」
則人が、はっとする。
悟はにやりと笑った。
「まだ俺、捕まってないからね!」
「待てー!」
則人が走り出す。
「捕まえてやるー!」
「だから、待てって言われて待つ怪人はいないって!」
二人は、また公園の広場を走り始めた。
美緒は、そんな二人を見て笑った。
「もう、二人とも元気だなあ」
そして、鞄を持ち直す。
「じゃあ、私はそろそろ帰るね!」
「うん! またね、美緒ちゃん!」
「またねー!」
二人が手を振る。
美緒も手を振り返し、帰り道を歩き始めた。
公園を出るころには、千紘の歌のメロディーを小さく口ずさんでいた。
まだ一度しか聴いていない歌。
それなのに、不思議と耳に残っている。
美緒は少し笑い、もう一度同じメロディーを口ずさんだ。
そして、ふと思った。
あの子、また歌ってくれるといいな。
◇
一方、そのころ。
千紘は、ギターケースを肩に掛けて帰り道を歩いていた。
夕方の風が、少しだけ冷たくなっている。
公園から離れると、車の走る音や、道行く人々の話し声が聞こえてきた。
千紘は、少し歩く速度を落とした。
さっきの出来事が、まだ信じられない。
知らない人たちに、自分の歌を聴かれてしまった。
それだけでも十分驚いたのに。
拍手までしてもらえた。
しかも、また聴きたいと言ってもらえたのだ。
「……びっくりしたな」
思わず、小さく呟く。
普段の千紘は、人前で話すのがあまり得意ではない。
大勢の人に注目されると、何を言えばいいのか分からなくなる。
初対面の人と話すときも、つい緊張してしまう。
今日だって、突然声をかけられたときは、どうしようかと思った。
けれど。
歌を褒めてもらえたことは、素直に嬉しかった。
誰かが、自分の作った曲を好きだと言ってくれる。
その言葉が、こんなに心に残るとは思わなかった。
千紘は、少しだけ口元を緩めた。
そのとき。
ピロン。
スマートフォンが鳴った。
今度は電話ではなく、メッセージだった。
学校の友人からである。
『ねえ、文化祭のステージのこと、どうする?』
千紘は足を止めた。
続けて、もう一通。
『千紘の曲、絶対いいと思うんだけどな』
「…………」
千紘は、画面を見つめた。
文化祭。
学校のステージで、自分の作った曲を歌う。
考えただけで、胸がどきどきした。
人前で歌うのは、やっぱり怖い。
大勢の人に見られたら、緊張して声が出なくなるかもしれない。
ギターを弾く指が震えてしまうかもしれない。
歌詞を忘れたら、どうしよう。
途中で間違えてしまったら。
誰も聴いてくれなかったら。
そんな不安が、次々に浮かんでくる。
そもそも、自分の歌が本当に人前で披露できるようなものなのか、千紘には分からなかった。
自分なりに一生懸命作っている。
何度も歌詞を書き直し、メロディーを考え、ギターを練習している。
けれど、それが誰かにとっていい歌なのかどうかは、また別の話だ。
千紘は、スマートフォンを持ったまま俯いた。
文化祭に出たい。
でも、怖い。
それに、家のこともある。
お母さんに何と言えばいいのだろう。
そう考えると、胸が少し重くなった。
それでも。
今日、公園で出会った三人の顔が浮かんだ。
『すごくよかった!』
『また聴きたい!』
『頑張ってね!』
千紘は、少しだけ笑った。
知らない人に、自分の歌を最後まで聴いてもらえた。
しかも、もう一度聴きたいと言ってもらえた。
あんなに緊張したのに。
あんなに恥ずかしかったのに。
それ以上に、嬉しかった。
「……やっぱり」
小さく呟く。
「……歌いたい、な」
自分でも驚くほど、素直な言葉だった。
誰かに言われたからではない。
友達に勧められたからでもない。
自分が、そうしたいと思っている。
それだけは、はっきりしていた。
千紘はスマートフォンの画面へ指を伸ばした。
返事を打とうとして、少し手が止まる。
文化祭に出る。
その言葉を送ってしまえば、本当に決まってしまう気がした。
まだ、そこまでの勇気は出ない。
しばらく迷ってから、短い返事を打った。
『もう少しだけ、考えさせて』
送信。
画面を閉じ、ギターケースを背負い直した。
家までは、もう少し。
帰ったら、いつもの生活が待っている。
勉強。
宿題。
明日の準備。
やらなければならないことは、いくらでもある。
それでも。
今日、公園で歌った時間だけは、確かに楽しかった。
千紘は、歩きながらそっと口を開いた。
誰にも聞こえないくらいの、小さな声。
けれど、それは自分自身が一番好きな歌だった。
アコースティックギターは、今はケースの中にある。
それでも、さっきまで何度も弾いていたメロディーは、ちゃんと覚えている。
千紘は、その続きを静かに口ずさんだ。
さっき公園で歌ったときよりも、ほんの少しだけ明るい声だった。
夕方の空に、その歌声が溶けていく。
まだ、誰にも分からない。
千紘自身にも、自分の夢がどこへ続いているのかは分からない。
それでも今日、彼女の歌を聴いてくれた人がいた。
そして、もう一度聴きたいと言ってくれた。
その小さな出来事が、千紘の胸の中で、温かな音色となって残っていた。
――つづく。
本作品を含む、凛監修×生成AI合作作品は、同じ世界観の中でつながるシリーズ作品です。
それぞれ単独でもお楽しみいただけますが、同じ出来事が別作品では異なる視点から描かれたり、一方で起きた出来事が、もう一方の物語へつながったりすることがあります。
一つの作品だけでも楽しめる。
けれど、複数の作品を読むことで、初めて見えてくるものもある。
ぜひ、それぞれの物語をあわせてお楽しみください。
【人間×生成AIによる合作作品】
企画・原案・設定・ストーリー構成:時根脱才
文章制作・構成補助:ChatGPT(OpenAI)
本作品の世界観、キャラクター、各エピソードの原案・展開は作者が制作し、それをもとにAIと相談・推敲を重ねながら、小説として文章化しています。
本作品は「小説家になろう」「カクヨム」の両サイトに掲載しています。




